語り手だぁれ?2
「もう行かなきゃ」
彼女はそう静かに告げると、僕を突き飛ばした。意志の強さを感じる瞳に、僕は力なく横に倒れる。彼女の体温が離れ、明け方の冷気が僕のお腹を撫でた。
「時間がない、急がないと……」
僕には目もくれず、彼女は身支度を整える。僕はそれを呆然と見上げる。何時もの彼女ならば僕から離れたくないと強く抱きしめ、僕と離れることを渋るのだ。だが今日は自ら僕を手放した。如何したのだろう。
「プレゼンの資料も持った……忘れ物はない」
彼女は鞄を広げ指差し確認をする。嗚呼、今日が彼女にとって大事な日であったことを思い出す。この日の為に、彼女は毎日遅くまで働いていた。
「よし、行こう」
部屋を出る彼女は一瞬だけ、名残惜しそうに僕を見た。彼女は僕のことが大好きである。何をするよりも僕に包まれていることを望み、休日は僕と一緒に過ごす。以前には結婚したいとも呟いていた。その気持ちは大変嬉しいのだが、彼女との結婚は不可能である。
「行ってきます」
玄関のドアが閉まる。
僕が彼女にしてあげられることは多くない。せめて頑張って帰ってきた彼女を柔らかく受け止めよう。そして熟睡してもらい、疲れを癒してもらうのだ。それが僕の役割だ。
僕は布団なのだから。