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文芸系の小説

教科書に挟まった〝下の毛〟の振舞いにおける量子力学的考察を試みる彼が凛々しすぎて好き

作者: 蜜柑プラム

物理の授業中に繰り広げられるヒソヒソ青春ラブコメディです。

よろしくお願いします。



 夏が過ぎ、冬仕様のセーラー服で登校する季節になった。

 高校3年生。青春はあっという間だ。

 遊んでる時間はもうないと、今日も自分の胸に言い聞かせてから自宅の玄関を開ける。

 入学試験の日は刻々と近づくばかり、勉強に身を入れないわけにはいかない。


 一時間目、物理の授業。


 だというのに、あちゃー……

 私ってドジ。物理の教科書を忘れて来てしまった。

 だけど落ち込まない。これはむしろチャンス。

 隣の席の江崎君と近づくビッグチャンスッ♪


 ツン、ツン、


 とシャーペンの裏で腕を突っつくと、「うん?」とこっちを向く江崎君。キリッとしたお目々と濃い眉毛が今日も凛々しい。が……、ちょっと迷惑そうだ。

 どんだけ勉強好きやねん? マジメか?


 私は手のひらを合わせて、眉尻下げた表情を彼に見せる。


「教科書見して?」


 と言うと、江崎君は返事もなしにスッと無駄のない動きで教科書を私の方へと寄せた。そしてすぐに黒板を向いてしまった。彼らしいと言えば彼らしいのだけど、何とも味気ない。


「あーはい、では次のページ」


 と教壇に立つ先生が言ったので私は教科書のページを一枚めくる……、と同時に、江崎君の手が私の手に触れた。「あっっ」と彼は声をもらすと、その手を引っ込め恥ずかしそうな顔をして縮こまった。初めて見る仕草だ。


 ――ふふ、ちょっとは私のこと意識しちゃってんじゃないの?


 が、顔を手で一拭いすると、またいつもの凛々しくて冷静な表情に戻り、こう言う。


「教科書は僕がめくろう。君は気を使わなくてもいいから」


 私は間髪いれずに、


「じゃ一緒にめくろ?」


 すると彼はまた顔を一拭いした。ごくりと喉仏を動かしてから口を開く。


「よかろう」


 うひひっ、楽しっ。共同作業ってやつね。

 私の持ったページを彼もつまみ、一緒に手を動かす。お互い息を合わせるように、ゆっくりと丁寧に。

 が、んが、

 次のページが開いた時、私を絶句させるモノが目に飛び込んだ。

 黒くツヤめく、細い、そして縮れた、


 縮れた〝毛〟だ。


 本の真ん中の紙と紙の間に挟まって、立っていた。


 どうしよう……

 どうしようっておかしいけど、んー、どうしよう……

 取る? やだよ。

 ていうか何でこんなとこに挟まってんの。


 恐る恐る横目で彼の様子をうかがうと、彼も本の真ん中をガン見して固まっていた。私の視線に気づいたのか彼はハッと我に返ると、何事もないかのようにスッと黒板を向いてしまった。


「あーはい、ここの公式は必ず覚えてくださーい」


 先生が開いた教科書を持って、そこにある公式を指しながら言った。

 江崎君は、筆箱から黄色のマーカーを取り出し、教科書の公式の所にラインを引く。引いていく先には……あれが……


「して、君? この毛のことなんだが」


 さすがの彼もこの〝毛〟に触れざるをえなくなったようだ。ここは慎重に対応せねば。


「え、あー、うん。気にしてないよ。全然」


 本当はめっちゃ気になる。


「大丈夫だとは思うが、念のため言っておく。これはだね、脇毛だよ?」

「え? あそうなんだ。へー、ふーん」

「勘違いしないで欲しい。脇毛だよ? 下の毛ではなく脇毛だよ?」

「うっ、いいよ別に。気にしてないから」


 彼はいぶかしむように私を見ると、声に力がこもっていく。


「これを見た時、僕は脇毛だと判定した。しかし君は下の毛だと思っている。そうだろ? がしかし、観測する者によってその実態が変わる事などありえない。これは、我々が発見するはるか以前に特定の部位に生えたのであり、その時点で部位を冠した名を与えられ、伸びきって役目を終え、抜け落ち、漂い、辿り着いた教科書の間に隠れていた間もずっとずっとその実態が変化する事などあり得ない。脇に生えた時点で脇毛なんだ。つまりこれは……脇毛だっ」


 私はいったい何の話を聞かされているのだろう。途中から全く頭に入ってこなかったが、ただ一つはっきりしている事は、熱心に語る江崎君は知的でインテリ的で、カッコ良いという事だ。


「あーはい、では次のページめくってー」


 先生が言った。私はぼーっとしていた頭を切り替え、笑顔を作って、


「一緒にめくろっ?」


 彼は静かにうなずき、また二人の共同作業だ。さっきよりも滑らかな手つきで私達はページを一緒にめくった。

 んが、また、

 黒い縮れた〝毛〟が、今度はちょっと斜めを向いて立っていた。本の真ん中に。


 どうすんのよ……変な気ぃ使うよぉ……

 でも二回目だし、さらっと取っちゃおう。

 私は恐る恐るその毛に二本の指を寄せる。なるべく気にしてない感じで、


「また脇毛だね? 珍しっ、ははっ」


 こんなモノはさっさと視界から消した方がいいに決まっている。


「いや、それはちん毛だ」

「へ?」


 固まる私。


「ちん毛だから僕が取ろう」

「て、ちん毛なのかよっ!」


 思わずツッコんでしまった。さらに釣られて下品なワードも口にしてしまったではないか。後になって怒涛の恥ずかしさが襲ってくる。


「き、君……そういう発言は慎んだ方が……」

「お前が言わせたんだろ!」


 またやってしまった。

 彼は驚いてしまい目をシパシパさせた。そして気を取り直すように咳払いを一つすると、鋭い目を光らせて話を始めた。


「下の毛、男性の下の毛というのはだね。元の部位から抜け落ちたその瞬間から、どこへ行くかは分かり得ない物なんだ。部屋の中の全ての場所に存在し得る。ただその軌跡を辿ることは不可能。分かるかい?」

「へっ? うん、なんとなく……」


 彼の言葉は熱を帯びていく。


「つまりね。一本の毛が部屋の中、その全ての空間に〝在る〟わけだ、確率の分布として。一般的な感覚で言えば、抜け落ちた物なら床に在るべきだろうと思う。だが、キッチンの上、食器棚の中、勉強机の本棚の隙間。どうやって? 毛が一人でにジャンプでもしたのか? 紙をすり抜けたというのか? 我々の日常的な感覚では理解しづらいが、あらゆる地点で発見され得るんだよ。我々が毛をそこに在ったと発見した時、初めてそこに在ったと我々が知るだけなのであって、その経路など我々は知り得ないのだよ」

「へー……」


 江崎君て福耳だなあ。柔らかそうだなあ。


「君はきっとこう考えた。何でちん毛が教科書に挟まってんだ、ってね。しかしだ、その問いは無意味なんだ。今一本のちん毛がここに在った、我々に出来るのはただその事実を受け入れる事以外にないんだよ。何も問うてはいけない。いいね? 何も問うてはいけないんだ」


 あ、ニキビみっけ。クリーム貸してあげよかな。


「あーはい、じゃあ江崎。ここ分かるかー?」


 先生に急に当てられた江崎君はさっと流すように黒板を見る。そして物怖じすることなくすぐさま答えた。


「2√hνです」


 先生は「そうだ」とうなずき淡々と授業を進めていく。もう私は授業なんてどうでもよくなっていた。なんちゃら力学とかなんちゃら定数とか、もうどうでもいい。

 江崎君のその姿があまりに凛々しくて、


「好き……」


 見つめる私に、彼は視線をそらした。つばを飲み込む姿は珍しく動揺しているように見えた。


「け、結合性軌道の話でもしてあげようか。昼休みにでも、図書室で……」


 私はコクリとうなずいた。

 出来れば一日中、ずっと彼の隣でほっぺのニキビを眺めていたい……



「あーはい、では次のページめくってー」



 ・・・


 ・・・


 ・・・


 ガタンッ!

 私は思わず机を叩いて立ち上がってしまった。


「お前の部屋どんだけちん毛あるんじゃあああ!!!」


 


(了)



ありがとうございました。

インテリでラブリーで、ちょっとセクシーなお話になっていたら嬉しいなと思います。受験生のみなさん応援してますよー。

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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃ面白かったです。 高校生の本格的キュンキュンの話がだんだんと、、 下へ。 ちゃんと量子力学を学んだ人が 一度ははまる、あるある思考が 「彼」の板についた台詞になってますね。 図…
[良い点] まったく関係ないんですけど、昔の職場に江崎くんっていうめちゃくちゃ腕毛の濃い子がいました。下の毛も濃いんかな。 シャーペンの裏( ˙-˙ ) >――ふふ、ちょっとは私のこと意識しち…
[一言] 読後に考えてみると、「脇毛」「下毛」の差異より次のページに「毛があるかないか?」を問われる事態が『シュテレンガーの猫』でございますな(笑) ああ、『神はサイコロを振らない』(笑)
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