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「失礼しました」


 職員室でプリントを受け取った俺とカンザシは、自分たちの教室へ向かう。もう4月も終わろうとしており、校門周りの桜も青々と若葉で着飾るようになった。俺の委員長としての仕事も板についてきたと言うものだ。最も、上手くやってこれたのは隣を歩く女の子のおかげであるのは忘れてはいけない。


「ねえ、5月にはオリエンテーション合宿だって。楽しみね」


 そう言って、チェリーピンクの小さな口元を綻ばせるのは、我がクラス副委員長の四条簪。高校生離れした艶やかさをもつ彼女に、その大きな瞳で流し目を送られるとドキマキしてしまう。


「そうだな。内陸の山中に2泊3日だっけ? 事件とか起きなればいいけどなあ」


「ふふっ、なーんでそんな後ろ向きなの? もっと楽しみにすれば良いのに。飯盒炊飯とか、キャンプファイヤーとかね」


 カンザシは楽しそうに話しながら、ウェーブのかかった長い前髪を指でなぞる。色っぽい仕草をするカンザシから、俺は思わず目をそらす。嫌々やらされた委員長だが、カンザシと2人で行動できるのだけは役得である。ただ、俺がポンコツなので、クラスの男子内で『多々羅田いらない説』がはびこり始めたのはなんとかしなければならない。


 教室に戻り、カンザシと2人でプリントを配る。今は授業後の掃除も終わり、後は先生が来てホームルームを始めるのを待つだけだ。クラスメイト達も、友達とのおしゃべりに興じている者が多い。


「お、デートから戻ってきたか多々羅田」


 そんな鬱陶しいセリフで絡んでくる奴──心当たりは1人だ。


「なんだ杉並。見ての通り俺はプリント配りで忙しいんだ」


 俺は話しかけてきた小太りの友人、杉並をあしらう。こいつは俺とカンザシが委員長、副委員長になってから毎日のようにからかってくるようになった。おかけでクラス内でもすっかりそのネタは定着してしまった。その弊害の例が、杉並の隣に立っている色黒の男子だ。


「いいよなあ、たらちゃんは。四条さんだけでなく、青葉さんとも幼馴染なんだろ? どっちか譲ってくれよ」


 無礼なことを言ってくるこいつは、野球部の富田(とみた)という奴だ。球児らしい坊主頭、そしてこの時期にしては驚きの黒さ。こいつは持ち前の朗らかさとコミュ力で人望を集め、さらに『四条さんおっぱいでかくね?』と発言し、このクラスで最初に下ネタを投下した人物として男子内の尊敬を集めていた。クラス委員長が必ずしもクラスの中心にいるわけではないということが、ここ1年3組で証明されることとなった。


「俺とカンザシと結由はただの幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない。俺はプリントを配るんだ。散れっ散れっ」


 俺はしつこい男どもを手で追い払う。そのままプリント配りを再開しようとしたら、結由がテトテトこちらにやってきた。


「あ、りょーくんだー。配るの手伝おうか?」


「いや、すぐ終わるからいいよ!」


 俺はそう言って、さっきまでの3倍のスピードでプリントを配置する。あっという間にプリントは俺の手から消えた。


「おおー素早い。いつも委員長お疲れ様です! じゃあ私は席に戻ってるね」


 労いの言葉を俺にかけつつ、結由はビシッと踵をそろえてお巡りさんのように敬礼。そのあと少しはにかんで席に戻って行った。かわいい。俺が結由を見送っていると……

 ……富田と杉並がジメッとした目線をこちらに送りつつ、俺に聞こえる声量でひそひそ話をしていた。


「やぁだ奥様ご覧になって。ただの幼馴染とか言っときながら、あの子あんな目で青葉さん見てますわよ」


「本当ですこと。多々羅田さんったら私たちにはあんなにすげないのに。これだから最近の主人公は」


 お前らいつの間にそんなに仲良くなったんだよ。


「そんなんじゃないっつの。そもそも結由は──」


「席つけお前らー。ホームルームするぞー」


 俺の反論は扉から入ってきた人物の声で中断される。シワひとつないジャケットとタイトスカート。眼鏡の奥のツリ目がクラスメイトを見渡している。しかし、教室全体を見ることは出来ていない。何故か。それはあまりにも彼女が小柄だからだ。

 別に仮装パーティーから小学生が脱走してきたわけではない。彼女こそ、この1年3組をまとめ上げる担任教師、売木希(27)である。ちなみに未婚。

 クラスメイトがぞろぞろと自分の席に着く。先生は教卓から頭だけ出して、淡々と連絡事項を伝えていった。


「……ああ、プリントも配られたと思うが、5月にはオリエンテーリング合宿がある。その班決めを今週中にやっておくように。4、5人で男女混合になるようにな。クラス委員長を中心にうまく決めてくれ。では今日は解散」


 幼い声で先生が言い終わると、クラスメイト達が立ち上がり椅子の音が響く。俺は荷物をまとめ、教室を出る。このまま直帰、ではない。今から『部活動』だ。

 隣の4組の前を通り過ぎようとした時、教室から出てきた男の子とぶつかりそうになる。


「おわっと、ごめんなさいさ……吾妻か」


「よ、多々羅田。いま帰りか?」


 俺に爽やかな笑顔を向けるこのイケメンは、俺や杉並、結由と同じ中学だった吾妻健太だ。背は俺より高く、かと言って細すぎる訳でもなく、バランス良く筋肉がついている。伊達に小学生からテニスをやっていないということだ。この見た目で性格もいいのだから、モテないわけがない。


「あ、吾妻くん。ちょうどよかった」


 俺の後ろから声をかけたのは、結由だった。偶然にも、元北中テニス部3人が揃った。


「吾妻と結由は今から部活か?」


「そーだよー。高校はやっぱり中学とは違うねー。コートが6面もあるもん」


 中学は2面しかなかったからな。入部したての時はほとんど打つ機会がなくて、筋トレやランニングばっかりやらされたもんだ。俺が昔を懐かしんでいると、結由がじっとこちらを見ていた。


「りょーくんも部活入ればいいのに。今からでも全然遅くないよ」


「……いや、俺は他にやることがあるから。お前ら、早く行かないと遅れるぞ」


「そっかー、残念。じゃあ、部活行ってくるよ」


「またな、多々羅田」


「おう」


 結由と吾妻が並んで昇降口の方へ向かっていった。俺は2人の背中を見送っていた。


 俺も行くとするか。




「山田、バスケはボールをドリブルしてパスして、ゴールにシュートするスポーツだ。断じて人の顔面にボールをぶつけるのが目的ではない」


 体育館横を歩いていると、部活動の音が聞こえてくる。先輩が後輩を丁寧に指導しているようだ。それを聞き流して体育館裏へ。

 ここまで来ると、ひと気もなく静かだ。まるで高校ではないどこかを冒険している気分になる。俺の行く先は、通路の向こうに見える南棟だ。

 南棟の2階、情報準備室。入学して以来、俺は毎日のようにここに通っている。俺の高校生活の出鼻をくじいた彼女に会うために。あまり会いたくはないのだが、会わなければならないのだ。俺は扉を開け、中に入る。

 狭い部屋の中は、コーヒーの香りで満たされていた。入って正面に古びた木製のデスクが構えている。しかし、デスクは空席だった。代わりに、部屋の左側。俺がいつも座っている茶色のソファの正面に、一人の女性が立っている。本棚をじっと見ていて、こちらに気付いていない様子だ。その女性は紺色の服を着ていて、背はすらっと高い。長い髪を後ろでひとつ結びにしていて……


「って誰!?」


「っ!?」


 天川じゃない。俺の口から思わず声が漏れ、それに女性はびっくりしたようだ。ビクッとしてこちらを見る。俺と女性は正面から向き合った。

 それによって、3つのことが分かった。1つ目。この人は婦警さんだ。紺色のブレザーとスカート、そして左胸の旭日章がそれを物語っている。2つ目。かなりの美人だ。眼光はやや切れ味鋭めだが、怖い印象はない。むしろ、整った顔立ちや体格も相まってクールでかっこいい女性というイメージだ。そして3つ目。これがいちばん重要なのだが…………


 おっぱいがね、すごく大きんです。


 圧倒的な存在感のそれは、俺の片手には収まらないくらいの大きさだろう。ブレザーを着てても、その女性らしい曲線が浮き彫りになっていた。


「ああ、カミコーの子か。こんなところに何しに来たんですか?」


 落ち着いた声で話しながら女性が接近してきた。だが悲しき男の性かな。俺の目は、方位磁針が北を指すが如く、女性の胸部を捉えて離さなかった。ガン見は良くないと理性が訴えるが、本能が目を離すことを拒む。


「そこに突っ立ってると邪魔なんだけど」


「ひょわ!?」


 急に後ろから声をかけられ、今度は俺が悲鳴をあげた。俺が振り返ると、小柄な女の子が俺を見上げていた。


「天川……」


 凛とした目。長く艶やかな黒髪。どこかの名作絵画から抜け出してきたような少女は、常識離れの美しさを誇っている。彼女は天川照羽。俺の高校生活は、この子によって思い描いていたものとは大きく変わることになった。主に悪い方向に。

 俺が道を譲ると、天川は部屋に入ってきてデスクへ向かう。部屋の主人が帰ってきたことに気付いた婦警さんが、天川の後を追う。


「天川さん。今日も例のアレなんですけど……」


 婦警さんはおずおずと言った。天川の方は、大きな椅子にストンと座り、婦警さんに顔を向けたかと思うと……


「…………ふぁああ」


 面と向かって大あくびをかました。天川の舐めきった態度に、婦警さんはぷるぷる震えている。そして、天川をキッと睨んだ。


「いつもいつもバカにしてぇ……! 私が歳上なのに、なんでそんな偉そうなんですか! あと、この間は叔父にも失礼な態度をとったそうですね! もうちょっと、我々に対する態度というものがありますよ!」


 婦警さんは両手をブンブン振りながら天川を糾弾する。その言動は、クールな外見とはかけ離れたものだった。しかし、天川の方は頬杖ついて面倒くさそうに見ているだけ。婦警さんは悔しそうに「む~っ!」と頬を膨らませ、若干涙目になっている。俺はソファに座って成り行きを眺めていたのだが、さすがに割りこんで流れを変えてやるか。


「なあ、天川。そちらの婦警さんは誰なんだ?」


 天川がこちらを見る。相変わらずの鉄壁の表情だが、質問には素直に答えてくれる。


「彼女は川端こだち巡査。このあいだの鶏騒ぎで君を取り調べた刑事の姪にあたる。この近くの交番勤務で、警察から私への依頼を取り継いでいる。要は使いっ走り」


「私は使いっ走りじゃありません! ちゃんとしたお仕事ですよ! あと依頼ではありません、例のアレです。警察が民間に捜査を委託することはありません。あくまで善意の捜査協力です!」


 婦警さんはぷんすかと天川に怒る。あの刑事の姪か。言われてみれば目のあたりとか似てるかもな。あと、天川に弄ばれているところも似てる。婦警さんは、肩を落としてため息を吐き、俺の方を向いた。


「それで、当たり前のようにこの部屋にいるけど、君こそどちら様? いや……どこかで会ったことある……?」


 婦警さんは俺のことを食い入るように見てくる。俺が美人のお姉さんに見られてドギマギしていると、天川が先に口を開く。


「それはリョート。私の活動に協力してもらっている。要は従僕」


「俺は従僕じゃねえ」


 人のこと言えねえな俺も。ここで天川に突っかかっても無意味なので、俺は婦警さんに正しい自己紹介をすることにした。


「俺は多々羅田涼砥って言います。上工付の1年です。天川に脅迫されて、活動とやらを手伝わされているんです。川端さんとは初めて会うと思いますよ。テレビで兄を見たんじゃないですか?」


「兄……? 多々羅田で兄って、もしかしてあの『ハヤブサ二刀流』多々羅田隼砥さん!?」


「ええ」


 俺が肯定すると、婦警さんはまるでお年玉をもらった子供のように顔を華やがせた。


「すごいです! 私、隼砥さんのファンなんですよ! 私も剣術をやっていたのですが、彼のトリッキーな試合展開が面白くて! しかもクールでカッコいいし! 弟さんに会えるとは思いもしませんでした。あ、よく見たら鼻とか似て……似てる? 似てる気がします、はい!」


 弟はクールでかっこよくなくて悪かったな。


「とにかく、リョートくんね。私のことはこだちって呼んでくれていいですよ。よろしくね」


「そろそろ仕事の話をしたいのだけれど」


 天川がジト目でこだちさんを見ていた。こだちさんはこっちに笑顔を送り、天川と向かい合うように木椅子に座る。もっと話したかったなあ。

 こだちさんは背筋を伸ばし、咳払いをしてから話し始めた。


「天川さんの助力が必要と思われる事案がありまして。春丘市のある集落で、最近妙なことが起きているらしいのです」


 春丘市とは、ここ風咲市の北側に接している市で、北に向かうほど山や川など自然豊かな土地になっている。確か桃が特産だったはずだ。


「集落には川が流れていて、釣り人がよく川釣りに来るらしいのですが……最近、その川で大きなシャケを見かけることが多いそうです」


「シャケ? あの魚のシャケですか?」


 俺の質問に、こだちさんはこくりと頷く。


「そうです。通常、シャケは秋から初冬に川を遡上すると言われています。季節外れの4月に、何故か多くのシャケが突然現れたということです」


 春に川を上るシャケか。確かに不思議な現象ではある。だが……


「その案件は私の領分ではないと思う。話を聞いていると、霊的な現象というより生物学や環境学的な要素が強いように感じる。適当な大学教授にでももって行った方が喜ばれるんじゃない?」


 俺も考えていたことを、天川が言ってくれた。天川の専門は霊的なこと、つまり妖怪とか超常現象とか、そういった類のことについてだ。しかも、川にシャケが出現したとして、それで集落の人が困る事は無いように思える。どうしてこんな話が警察から天川へ持ち込まれたのだろう。

 その答えは、戸惑ったような顔をしたこだちさんから出た。


「シャケが現れただけなら良かったのです。でもそのシャケが……川から跳ねて釣り人に襲いかかったり、橋の上を歩く人に口から水を吐き掛けたり、しまいには空を飛んでいるのを見たという通報もありまして……警察も持て余しているんですよ」








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