8-7
久世楽座の話を聞いているとき、まさかとは思っていたが確信はなかった。ご先祖様が龍を退治したなんて話は聞いたことがなかったからだ。また、仮に俺が久世の末裔だとしても空錆を抜けるとは限らない。ゲームでは『ゆうしゃのつるぎ』を装備できるのは、伝説の勇者本人、あるいは血を受け継ぐ子孫というのはお約束だが、現実でそんなうまいことがあると期待する俺ではなかった。博物館で決心するまで空錆の存在をすっかり忘れていたくらいだ。
しかし、現実というのは俺の裏を掻くのが大好きらしい。自分で抜いておいて何だが、こうして両手で空錆を持っている今でも信じられない。
正面の龍は、燦燦と照る太陽光を反射する空錆を前に目を見開いていた。ひょっとしたら、後ろの天川も同じ表情だったりして……なんて、こんな状況なのにくだらない思考が頭によぎり、口角が上がる。
ここからは、選手交代だ。ここまで戦い続けてくれた天川には休んでもらおう。龍に対抗しうるチートアイテムを手に入れた今、俺の足を縛るものは何一つない。
今から始まるアディショナルタイムは……旗川の言う通り、200年前の再戦。久世は龍退治に成功したものの、石見を始めとした大勢の仲間を失った。ならば、今日こそ白黒はっきりつけてやろう。そうでもしなければ──
「──爺ちゃんと、久世楽座に呆れられるからな」
そう呟いた俺は、刀を両手に持ち。
「このクソデカ爬虫類お化け野郎、勝負じゃああああああ!」
龍に向かって全速力で駆け出した!
「!?」
龍は刹那に怯んだような素振りを見せるが、すぐさま電撃を放ってきた。左右から襲い掛かる電をステップで躱し、なおも龍に接近する。がしかし。
「あっ!」
ふわりと龍が浮上し、剣が完全に届かない高度まで上昇されてしまった。いくら妖刀とはいえ、切りつけられなければ何の意味もない。
「クソっ、ひきょーものー! 降りてきて正々堂々勝負しやがれー!」
俺は空錆をブンブン振り回しながら、龍に伝わるはずもない罵倒を浴びせる。
すると、振るった刀身から白い斬撃が龍めがけて飛んでいき──
「ギイアアア!?」
龍に直撃した。天川のビームすら弾いた鱗に深い傷が入り、どす黒い血が迸る。
「なにこれ本当にチートじゃん!」
自分の手に握られた刀を見て、俺はそう叫んでしまった。妖刀と聞いて、俺は持ち手に力を与えるとか、霊に対して絶大な威力を発揮するとか、そういう効果をもっているものだと思い込んでいたが、想像を絶した。これ、ゆうしゃのつるぎじゃなくてマスターブレードだ。
「ついに来た、俺に足りなかったのはこれ……だ……よ」
空錆の威力に自信がみなぎり、上を見上げた。
そこには、大変ご立腹であらせられる様子の龍が俺を見下ろしていた。
「あれまあ」
その口に、電撃砲のチャージを完了した状態で。
……この後をもう語る必要もないだろう。
間一髪で直撃は免れたが、衝撃波で盛大に吹き飛ばされた。地面に大の字になっていた俺は、自分が天川の近くに転がされていたことに気付き、殺虫スプレーをかけられた例のアレのごとく彼女の元へ這った。
「天川あああ! もう無理! ビリビリする! 手足がビリビリするよお! 無理かもしれんが助けてえ!」
涙目で助けを乞う俺を、膝立ちの天川は黒光りの何某を見るような目を向けてくる。
「随分カッコつけて向かっていったのに、滑稽な。きっと久世楽座も呆れるを通り越して大爆笑だな」
「う、うるせいやい!」
「だが──それでいい」
俺をなじった天川は膝に手をつき、おもむろに立ち上がる。まだ足腰に力がうまく入っていないようだが、目は龍を捉えて離さなかった。疲労困憊であろうにも関わらず、立ち上がった天川。それでこそ天川だ……なんて感心していたら、彼女の目線が急に泳ぎだした。俺と目を合わせようとせず、彼女らしからぬ歯切れの悪い口調で言う。
「リョート。あー、それで、さっきの話だけど……あれは」
「こら蒸し返すな! 今は強大な敵に反撃開始っていう場面なんだから、こっぱずかしいのはナシだ!」
自分から言っといて勝手なセリフだった。正直、ついさっきのまで俺は別人ということにしておいてほしい。
「それより、行けるんだな?」
「須く。キミこそ……」
言葉の途中で、天川が俺をじっと観察してきた。突き刺すような眼差しの向こうで、彼女が何を思索しているのか、俺には見当もつかない。ただひとつだけ、確かなことなのは。
「いや。ならば、行こうか」
天川が共に戦ってくれようとしている、ということだ。
二人並んで立ち、龍を正面に捉える。200年前の久世と石見も、俺たちと同じように肩を並べて戦っていたのかもしれない。
『そろそろ始めましょう。200年前の大決戦、その再現をね!』
旗川の言葉が再びチラつく。流石に奴も俺が久世の子孫だということを知っていてああ言ったわけではないだろうが、奇しくも200年前とよく似た状況になっている。ただし、空錆を振るうのは日本最強の剣士でも何でもない、冴えない男子高校生だ。妖刀を手にしたからと言って、俺自身が強くなるわけではない。
俺に久世楽座のような腕はない。でも、それが何だっていうんだ。ないものねだりしても仕方がない。今自分がもっているものをすべて絞り尽くせ。深呼吸しながら、俺は自分に言い聞かせる。そして、天川と同時に駆け出した。
互いに言葉を掛けることもなく、並走していく。俺も天川も満身創痍で余力はない。短期決戦以外に道はないんだ。
龍は力の暴走に苦しむ中でも、接近する俺たちをしっかりと目に捉えていた。有り余るエネルギーを集結して、電撃を俺たちに浴びせかけてきた。
進路に電流のシャワーが降り注ぐのを見た俺たちは左右に分かれて回避する。作戦はない。ここからは、行き当たりばったりのちぐはぐコンビネーションで戦っていくしかない。つまり、いつもと同じということだ。
龍の右手側に来た俺は、空錆の斬撃を飛ばす。そこまでスピードのない斬撃は龍に容易く躱されてしまうが、代わりに左側からのビームが胴体側面に当たった。
呻き声を上げた龍だが、反撃は苛烈だった。龍の体から放出された電撃が、すべて俺の方に襲い掛かってきた。
「だからなんで俺なんだよ! やっぱり避雷針か俺は!」
ガトリング砲みたいな連射速度で飛んでくる無数の電撃に追われながら走る。マズイ、後ろの雷の音がだんだん近づいている。かと言って、龍に向かって斬撃を飛ばす余裕があるはずもない。
その隙を、ビームが貫いた。
がら空きとなった龍の側面から、天川が追い打ちを掛けたのだ。二度もビームの直撃を食らった龍は大きく仰け反り、高度を地面すれすれまで落とした。墜落には至らなかったものの、かなり効いているようだ。
俺が強力な遠距離攻撃手段を手にした今、俺と天川の片方を攻撃していると、もう片方から反撃が飛んでくるという構図が出来上がった。どちらの攻撃も受けたくない龍が、次にとる行動は明確だ。
龍は雷を全方位に放出。黒い電撃が雨のように俺たちに襲い掛かってきた。天川は間一髪で避けたが、次々に襲い掛かる電撃に反撃できずに下がるしかない。表情は崩さないが、アイツのビームはあと数発ぐらいしか撃てないだろう。ならば。
「おらあああああ!」
俺はあえて、雷と風が舞う龍の近接領域へ突っ込んでいく。一旦離れて様子見しても、体力的な限界が近い俺たちに勝ち目はない。ならば、一か八かでも仕掛けるしかないのだ。
集中的に狙われていた時よりも雷の密度は薄いため、察知能力を使えばなんとか躱せる。龍に接近するにつれて、四方八方から俺目掛けて電流が走るが、走る速度や姿勢を調節して最小限の動きで避けていく。春丘市で遭遇した熊のシャケファンネルと同じ要領だ。前傾姿勢になり、後ろから飛んできた一条の電撃を躱したら、龍まではあと10メートルとなった。
「──!」
雷の嵐の中を突進してくる俺を見た龍は目を見開いていた。俺は走りながら、龍の角目掛けて斬撃をブチかます。
が、龍はこれをくぐる様に躱す。そのまま口を開け、あっという間に生成した電撃砲を俺に放った。
しかし俺は止まらない。迫る電撃砲を前に、俺は空錆を高校球児の様にヘッドスライディングし、地面と電撃砲の僅かな隙間に体を滑り込ませた。背中でジリジリと電流が弾けるのを感じながら、腹が地面に付く前に手を出す。空錆を握った右手で地面を殴りつけ、胸筋を酷使して上体を起こす。そのまま両手足を使って前へと進んでいった。体育祭でも使った『七転八起の術』だ。
電撃砲を躱し、降り注ぐ雷の合間を縫って進むと、龍は目前だ。斬撃を躱すために頭は低い位置にある。これなら、直接狙える!
空錆を両手で握り直し、大きく一歩を踏み出す。歯を食いしばり、残った龍の角目掛けて空錆を振るう。
その瞬間。龍の体に大きなスパークが弾けたのだ。ただでさえ制御の効かない中で、大量の電撃を放っていたからだろうか。その代償を受けた龍は悲鳴を上げ、巨体を捩らせた。気付いた時には、俺の横から龍の尻尾がしなりながら俺に迫ってきていた。
龍にとっても不測の事態だっただろう。だが、俺の体は勝手に反応した。龍の角を叩き切らんとしていた動作を中断し、両足で地面を踏みしめる。そのまま体を捻り、地面を蹴る。そのままへそを空に向けて棒高跳びの背面跳びのような姿勢をとった。龍の尻尾は、俺の背中を僅かにかすりながら通過していく。
──この動作は、頻繁に交通事故に巻き込まれる俺が対策として身に着けた受け身術の応用。何度も車に轢かれるのにウンザリして、スタントマンの見よう見まねで練習していなかったら、咄嗟にこんな反応できなかっただろうな……
体が宙を舞う中、俺は再度空錆を両手で握りしめた。僅かな一瞬がスローモーションのように引き延ばされる。俺の体は放物線を描いて地面への落下軌道へ入っていた。この姿勢ではまともに着地できないだろう。
ならば、これが最後のチャンスだ。
やぶれかぶれで、泥臭くて、みっともない、俺の渾身の一撃。
「うがああああ!」
落下していきながら、俺は体を回転させ、空錆を降り下ろした。
俺の体は、成すすべもなく地面へと落ちていく。視界の端で、白銀の切先が龍の残った角を真っ二つに分断したのを見届けながら──
「ぐぅぅ、痛ってええな、クソ……」
地面に寝転がっていた俺は、上体を起こして痛む右肩を押さえた。墜落した俺は、走っていた慣性のまま地面を転がったようだ。ギリギリの状況で受け身も取れなかったため、右肩を激突させてしまった。空錆も手元にない。疲れで視界が霞む中、俺は正面の龍を注視する。
「ギア、ギギ、ギガガ……」
地面に墜落した龍はのたうち回っていた。体の鬣は引き潮のように引っ込んでいき、手の爪は割れてばらばらになってしまう。覚醒状態から、元の幼生状態に逆戻りしているんだ。無尽蔵に放っていた黒い稲妻も無い。蛇のような見た目に変化していく様子を見守っていると、半狂乱で苦しむ龍の目が、憎たらしげに俺のことを見ていることに気付く。
「ガアアアアアアア!」
「ッ!」
そして、断末魔のような叫びを上げながら、俺目掛けて地上を突っ込んできた。
クソ、まだそんな早さで動けるのか! 空錆を失い、立ち上がることすら間に合わない中、俺は──
──後ろから迫る、足音を聞いた。
流石、タイミングばっちりだ。俺が囮になって、最後は彼女が仕留める。今まで何度もやってきた手法だ。示し合わせなくてもやれるんだ。
駆ける足音を聞きながら、俺は振り向くことなく叫ぶ。
「行けええええ! あまかあぐえぇ!?」
右肩に重い衝撃が加わり、変な声が出た。
同時に、俺の視界上方に黒い影が現れる。
それは、朝焼けの空に舞う天川の姿。
後方から走ってきた彼女は、跳躍したのだ。
俺の痛めた右肩を踏み台にして。
天川の長い黒髪が風を纏って広がる。朝日に背中を押されながら、光の剣を振りかざす彼女の姿に、俺は心を揺さぶられた。天廻紅廊を始めて見た時も、空錆を抜いた時も、これほどの高揚は抱かなかった。肩の痛みも忘れ、天川の後ろ姿に見惚れる俺の目前で、光の刃が降り下ろされる。
「────」
4月からの、俺たちと旗川との戦い──
そして、200年前の久世と龍の因縁は。
天川が龍の首を一閃のもとに断ち切ったことにより、決着した。
俺はふらつく足にむち打ち、天川の元へ向かう。首を失った龍の死体の脇に、彼女は倒れていた。傍らに膝をつくと、彼女の顔が火照っていることに気付く。そっと、おでこに手を当ててみると。
「おい、凄く熱いぞ! 大丈夫か?」
声をかけると、天川の目が薄っすらと開かれた。いつものような生気のない目が、俺の姿を捉えると。
「……うるさい」
弱弱しい声で、そう言った。どこまで強情なんだか。
どうやら命に別条はないらしいが、あまり悠長にもしていられないだろう。早めに救急車を呼ばなくては……と思いポケットから携帯を取り出すと、画面が酔っぱらった蜘蛛が作った巣みたいになっていた。
「リョート君!」
ため息を吐く俺呼ぶ声の方を見ると、そこにはこだちさんと猫又。そして、猫又と手錠で繋がれた旗川の姿があった。奴は呆然としたまま、龍の死体から目を離せないでいた。
「こだちさん、無事でなによりです。すみません、救急車を呼んでもらえますか? 俺のスマホはこの有様でして」
「すでに連絡済みです。もうすぐ来ると思いますよ。……天川さん、お疲れさまでした」
こだちさんは俺の隣に座り、慈しむような表情でそう言った。天川は何か言い返そうとしたが、目を閉じてそっぽをむいてしまう。なかなかレアな反応だ。
しおらしい天川を堪能するのもいいが、衰弱している中で構いすぎても気の毒だ。天川の介抱はこだちさんにまかせ、俺は立ち上がる。
「馬鹿な……馬鹿な……馬鹿な……」
俺の正面で、猫又に繋がれた旗川が虚ろな目でブツブツと呟いていた。あれほど自信をもっていた龍を倒されたのだ。現状が信じられないでいるんだろう。旗川をギャフンと言わせたら胸がスカッとするだろうなと思っていたが……あまりそういう感触はないな。いまはもう寝たいという感情の方が強い。
「旗川。今度こそ終わりだよ。俺の体質について知ってること、全部聞かせてもらうからな」
旗川が目線を俺に向けた。その目が、未知の生物を見るようなものだったので、俺は気の毒だとすら思えた。
「まあ、何というか……俺が言えたことではないかもしれないけど」
俺たちが勝てたのは奇跡だ。自分の力で勝てたとは到底思っていない。俺が龍に立ち向かえたのは空錆の存在があってこそだし、アレを使えたのは俺が久世楽座の末裔だったからだ。止めを刺したのは天川だし、今回の件で俺は大したことはできていない。それでも、勝てた理由は。
「運が悪かったな、旗川」
そうとしか、言えないだろう。
俺の言葉に、旗川の表情が強張った。そして、そのまま地面に崩れる。手錠で繋がれた猫又が無理やり起こそうとするが、旗川は腕を吊り上げられたまま立とうとはしなかった。
俺は旗川から顔を逸らし、東の空を見た。幾多の雲の向こうに昇る朝日の光に、俺は疲れきった目を細めた。




