1-4
「ピ、ピーちゃん……?」
住田氏が呆然とした声を漏らした。切望していた愛鳥との再会は、かなり予想外の形で実現してしまった。
「なんだぁ……?鶏?」
男たちが不思議そうな顔で近付いていく。それを見た鶏は。
「コケェ!」
突然走り出し、茶髪男の腹に突っ込んでいった。
「がぁ……!」
悶絶しながら崩れ落ちる茶髪男。仲間が倒れた現実を受け入れられず、固まる男たち。彼らが動き出す前に、電光石火で鶏が襲いかかる。
「ごほぉ……!」
「なんだこいつ! 速い……うわっ!」
「お、おい! あの鳥をなんとかしろ!」
誰かがそう叫んだ頃には、すでに5人の男が倒れていた。
数人の男が金属バットを持ち出して鶏に殴りかかるが、ひらりひらりとかわされる。そうして出来た隙をつき、鶏が猪のような勢いで男達にタックルしていた。
男達が鶏に手を焼いている中。
「何を手こずっておるんじゃ! どけっ、ワシがやる!」
組長が日本刀のようなものを持って、前に出てきた。袴姿と日本刀が画になっている。それに気づいた鶏も、組長の方を向く。
「コケェ……?」
「鳥類風情が! 貴様なぞ、唐揚げにして夕飯で美味しく頂いてくれるわッ!」
恐ろしい形相であんまり恐ろしくないことを言いながら、組長が斬りかかる。鶏は後ろに跳びのいて回避するが、組長はさらに追撃する。
「はあ! えいやっ!」
組長は歳を感じさせない見事な剣技を見せるが、鶏を仕留めることはできない。それでも、少しずつ鶏を追い詰めているように見える。
組長は大きく刀を振り上げる。
「どおおりゃあああ!」
そして、その剣先が鶏に振り下ろされ……!
……振り下ろされる、ことはなく。
「……」
組長は上段の構えのまま固まっていた。そして、ポツリと一言。
「…………こ、腰が…………」
そのまま地面に崩れるように倒れた。
「く、く、組長おおおおおおお!」
「ああっ、無茶して! ヘルニアが悪化したらどうするんですか!」
男達は組長の周りに集まり、大騒ぎしながら組長運び出そうとしていた。何人かが鶏を警戒し壁を作っていたが、鶏はその様子をただ見ているだけだった。
男達が騒ぎながら組長を担いで出ていくと、部屋には鶏のタックルを受け倒れた男達と、俺、住田さん、そして鶏が残った。
「コケコォ」
「ピ、ピーちゃん……!」
立ち上がった住田さんと鶏が見つめ合う。この1人と1匹の間で、どんな心のやりとりがあったかは、俺が知る由もない。飼い主の危機を察知し、颯爽と現れた鶏。暴走状態にあったが、飼い主への深い愛情と信頼がそれを覆したのかもしれない。
鶏が住田さんの元へと駆ける。住田さんは両手を広げ、鶏を迎える。鶏は大きくジャンプして……
「ピーちゃんおかえ──」
「コケエエエエエ!」
鶏のドロップキックが、住田さんの股間へめり込んだ。
「!?」
住田さんの顔が、まるで片思いの相手がサッカー部のキャプテンと2人で下校する場面を偶然見てしまった冴えない男子中学生のように固まり……その表情のまま倒れた。
「住田さあああん!」
ピーちゃんが住田さんのピーチャンをッ!?
いやバカなことを考えている場合ではない。
「コケェ?」
住田さんの去勢完了した鶏がこちらを向く。今、無傷で立っているのは俺と鶏だけだ。鶏の目が語っている。次はお前だ、と。
「待て。話し合おう」
俺は鶏に和平交渉を持ちかける。俺たちが争うのは不毛だ。俺の意思表明に対して鶏は。
「コケコッコオオオオオ!」
「やっぱりかあああああ!」
2度目の鶏と俺の鬼ごっこが、今火蓋を切った。
「ちくしょーめー! 追っかけて来んなよぉ!」
「ゴケエエエエエエエエエ!」
部屋から逃げ出し、薄暗く長い廊下をドタドタと走る。後ろから、鶏がミサイルのように追従して来た。その目はまさしく捕食者の目だった。追いつかれたらどうなるか、想像するまでもない。この世の中は本来、弱肉強食なのだ。俺がいつも美味しい鶏肉を食べられるのは、養鶏農家さんのお陰なんだ。世界中の養鶏農家さん。いつもありがとう。貴方達のありがたみはもう忘れません。鶏肉って豚や牛に比べるとやっぱ味気ないなーとか考えたりしません。唐揚げ大好きです。卵かけご飯も大好きです。だからどうか、どうか……!
「この鶏をなんとかしてええええ!」
「コケコケコケエエエエエエエエ!」
魂の叫びをあげるが、養鶏農家さんが颯爽と現れてくれるはずも無く。
俺は無我夢中で走る。廊下に置いてあって棚や大きな壺を乱暴に倒し、少しでも鶏の障害になるようにする。
俺は後ろを見て距離を確認する。鶏との距離がどれだけ離れたかと言うと。
「あれ?」
鶏は立ち止まっていた。俺が倒した壺が割れて、中に入っていた水が板張りの廊下を濡らしていた。壺の破片が散乱した水たまりの手前で、鶏は動かずにいる。
よく分からんが、今がチャンスだ。俺は鶏を置き去りにして走り去った。
突き当たったところを右に行くと、玄関が見えた。外に出るため、そちらに向かう。
再度後ろを確認するが、鶏が来る気配は無い。電気の付いていない建物の中は、さっきまでの騒ぎが嘘のように静かだった。
何事もなく玄関にたどり着いた。古い日本家屋によくある広い玄関だ。段差の下がコンクリートの土間になっている。ばあちゃんの家もこんな感じだったな。
屋内は相変わらず静かだ。住田さんが心配だが、戻る気にはなれない。とにかく外に出よう。
「そう言えば、靴がないな」
ここへ連れて来られる時、目隠しされながら靴を脱がされていた。しかし、この広い土間には俺の靴は置かれていない。入ったところは別の場所だったのだろう。と思っていると。
「突入ーッ!」
大きな音を立てて玄関の引き戸が蹴破られる。本来の開け方から90度間違ったベクトルで開かれた扉が土間に倒れ、その扉を踏みつけながら大勢の人がなだれ込んできた。
「おわほう! なんだなんだ!?」
あまりに突拍子のない出来事に硬直する俺。その間に、入って来た連中が俺を取り囲んだ。紺色のヘルメットと防弾チョッキ。そして透明な盾で俺の周りを囲んでいる。
「ボサボサの髪! 冴えない容姿! 保護対象2の少年だと思われます!」
「よし。対象1も何処かにいるはずだ。2班は捜索に移れ!」
数人が建物の奥に入っていく。その背中には、『POLICE』の文字があった。
「こちら突入隊。保護対象2の冴えない少年を保護した。対象1は捜索中。以上」
さっき指示を出していた隊長らしき人物が無線で連絡していた。それが終わると、呆気にとられていた俺の方に優しい笑顔を向けた。
「もう大丈夫だ。怪我はないかい、冴えない少年」
「冴えない冴えないって連呼するんじゃねえ!」
「……よし、もう一回最初からいくぞ」
目の前の男がこちらを睨みながらそう言った。俺は表情を崩さず、ただじっとしていた。
俺がいるのは、打放しコンクリートで囲まれた狭い部屋だ。その中央に置かれた机を挟んで、俺と男が向かい合って座っている。
灰色のスーツに身を包んだ40くらいの男は、猛禽類を想像させるような印象の人物だった。顔立ちはシャープで、眼つきも怖い。
ここは警察署の取り調べ室。目の前の男は、刑事だ。機動隊に保護された後に俺は……取り調べを受けていた。
「まず駅でビラを配っていた住田氏と出会って、逃げたペットの鶏の捜索を手伝うために商店街の裏に向かった。間違いないな?」
「はい」
「そこで誘拐され、あの屋敷へ連れ去られた。誘拐目的は住田氏の所有物。君はただ巻き込まれただけ、ということだったな」
「その通りです」
「それで、その後はどうなった?」
今日何度目のこの質問だろうか。俺は機械のように答える。
「突如鶏が現れて、男たちを蹴散らし、住田さんのタマを潰していきました」
刑事が机を思いっきり叩いて立ち上がる。ただでさえいかつい顔を怒りでさらに歪める。まさしく鬼の形相で俺を睨んでいた。
「いい加減にしろ! そんなトンチンカンな話信じるわけないだろ! 大の大人が9人も倒れていたんだぞ! それを鶏がやったァ? ハッ、 もっとマシな嘘を吐け! もう我慢の限界だ。警察舐めてんのかァ貴様!」
刑事は恐ろしい剣幕で怒鳴った。しかし、我慢の限界なのは俺の方だ。俺も机をバンと叩き、椅子を倒しながら立ち上がる。
「だから嘘じゃないと言ってるでしょうがああああ! 好き好んであんなのにストーカーされてる訳じゃないんですよ!あんた鶏に追いかけられたことあるの? ねえあるの? 俺はあるよ!そういうことだよおおお!」
「どういうことだよ! 全然分かんねえよ! ハイテンションでゴリ押そうとしてもそうはいかねえからな! 何でそんな嘘を吐くんだ? 一体何を隠している?」
こんな感じで、俺が事実を話しても全く信じてもらえず、ただ時間だけが過ぎていった。このまま延々と続くのだろうか。そんな不安が続き、苛立ちに変化しつつあった。叫びたくもなるわ。
俺と刑事がいがみ合っていると、扉をノックする音が転がって来た。返事を待たずして扉が開かれる。入って来たのは、驚くほど顔の整った、小柄な少女……
「って天川!?」
さも当然のように現れた天川に俺は驚きを隠せないでいた。こいつは本当になんなんだ。神出鬼没にも程がある。そして、おそらく俺と同じような気分の人間がもう1人。
「お前……どうしてここに!」
刑事が天川を威嚇するように顔をしかめる。この反応を見るに、2人は知り合いのようだ。まあ、天川の方は刑事に見向きもしていないが。
「また面白い事態に遭遇しているね、リョート」
「面白くねえよ。てか何故呼び捨て?」
「おいこらシカトすんなこら」
刑事が突っかかってくるが、天川は無視する。
「そんな顔しなくても。私はキミを迎えに来たんだ」
「迎えに? ここから出られるのか?」
「だから無視すんな!」
刑事が辛抱たまらんといった様子で叫ぶ。それでようやく天川の顔が刑事の方を向いた。
「ああ、いたのか。で、何か用?」
「……ご挨拶だな、オイ。お前こそどうして……いや、どうやってここまで来た? このガキとお前は知り合いなのか? まさか、また俺達のヤマを奪うために結託しているのか……?」
刑事の表情は険悪そのものだ。きっと以前に天川にロクでもないことをされたんだろう。
「私やリョートがこの件に関わっているのは偶然。私はリョートに話があるだけ。そして、私がここに来たのは、キミの『上』に話を通したから」
淡々と語る天川。対照的に、刑事の眉間の皺はさらに深くなった。
「ふざけんなよ! お前はいつも俺達の仕事に横からちゃちゃを入れやがる。あの組織は数ヶ月も俺たちが内偵を進めていたんだ。それを──」
「私は」
天川が刑事の言葉を遮る。決して大きな声ではなかったが、刑事を怯ませるだけの迫力があった。
「私は、話す必要のある人間とだけ話す。そして今、キミはそれに当てはまらない」
天川の目は一切ぶれなかった。刑事は何か言いたげだったが、やがてその言葉を噛み殺すようにキュッと口を締める。そして、仏頂面のまま部屋から出て行き、扉を乱暴に閉めた。
「待たせたね。座ろうか」
「ああ……」
俺たちは椅子に座った。さっきまで刑事に取り調べられていたが、今度は天川なのだろうか。
「なあ、俺イマイチ状況が理解できていないんだが。なんでお前がここにいるの?」
「そう。じゃあキミでも分かるように説明しよう」
余計な一言を挟み、天川が説明してくれた。
俺たちを誘拐したのは、美術品や骨董品を収集、海外に密輸出していた組織らしい。ここで言う収集とは、もちろんありとあらゆる手段をとって、ということだ。その組織が次のターゲットにしたのが、住田さんの所有物だった。その流れに俺は巻き込まれたわけだ。
住田さんの息子と勘違いされて誘拐された俺だが、1つラッキーがあった。それは、誘拐の瞬間を見ていた人がいたことだ。その人の通報があったからこそ、すぐに警察が来たらしい。
そこで俺の中に1つ疑問が浮かんだ。
「あれ? でも誘拐現場を見てたからって、俺たちがあの屋敷に連れていかれたとまでは分からないよな。なんであんなにすぐ警察が来たんだ?」
「ああ、それを警察に伝えたのは私なんだよ」
「……は? お前、あの場所にいたの?」
「いや、その場で通報したのはただの通りすがりの主婦。私はキミに付けたGPSを使って位置を見ていたんだ。そうしたら……」
「まてまてまて」
いろいろと聞き捨てならんことがあった。俺は深呼吸して、頭の混乱をほぐす。
「……GPS? それがどこにあるって?」
「キミが使っているリュックの外ポケットの中」
俺は即座に傍に置いてあったリュックを確認する。ポケットに手を突っ込むと、黒い小型の機器が出てきた。
「い、いつの間にこんなものを」
「初めて会った時、キミが転んで倒れている隙に」
あの時か。俺は愕然とする。最初から俺の行動は全てこいつに筒抜けだったわけだ。俺が固まっていると、天川は勝手に話を続ける。
「キミのことがどうしても気になったからね。制服で同じ高校にいることは分かっていたけど、また出会えるかは別だった。だから、GPSを付けておくのが一番手っ取り早い方法だと思った。GPSは調査活動で役立つから常に持ち歩いていた。ただ、こんな形で活用することはやや想定外だったけれど」
気になる相手にGPSをつけるってどこのヤンデレだよ。まあ天川の言う『キミのことがどうしても気になった』って全然そういう意味ではないがな。誠に遺憾ながら。
「んで、どうしてGPSの位置なんか見てたんだ?」
「やることが終わって暇だったから、不幸体質のキミが面白いことに巻き込まれていないかと思って。そうしたら丁度、キミがあの路地裏から車で移動しているところだった。帰宅するには妙な挙動だったから、おそらく何か事件に巻き込まれたと推測するまで、そこまで時間はかからなかった。そこで、私の知り合いに連絡をとった」
「警察に通報したんじゃないのか?」
「風咲署の上層部に貸しのある人間がいる。事情を話したら、すぐに行動に移してくれたよ。初老の男性と男子高校生が怪しい男たちに連れてかれていたという通報と、私のGPSの情報。これらを踏まえ、すぐ様機動隊が出動した。私があのタイミングでGPSを開かなかったら、どうなったか分からない」
警察の偉い人とのパイプもあるとは。天川には常に驚かされているが、やはり底の知れない奴だ。
「そういう訳で私はここにいられるのだけど。とりあえず、キミの身に何があったか聞こう」
俺は天川に事の顛末を細かく説明した。さっき刑事に何度も話した内容だったから、かなりスムーズに話せるようになっていた。
「そうか。キミはまたしても鶏に追いかけ回された訳ね。ハッ」
「おいこら鼻で笑うな殴り飛ばすぞ?」
「それでその話を刑事に信じてもらえず、ずっと拘束されていたのか。無理もない」
俺だって無茶苦茶な話だとは分かっている。信じてくれる人が稀であることも。天川は俺の話を信じてくれるが、こいつはあくまで俺の不幸能力が欲しいだけだ。おまけに性格もアレだし……などと思ってると、おもむろに天川が俺の顔を覗き込むように身を乗り出した。
「今まで大変だったね、リョート。でももう大丈夫。さっきも言った通り、私は警察に顔が効く。すぐにでもここを出られるよ」
あれっ、なんだか天川がすごく優しい。枯れ果てた大地に降る雨のように、天川の言葉は俺の心に沁みた。しかもここから出られるだって?
「本当か? 本当にここから出してくれるのか!?」
「もちろん。容易いことだよ。今までよく頑張ったね」
これは天川の評価を180度変えなければならない。永遠に続くかと思われた取り調べから救ってくれると言う天川。俺から見れば、天川は救世主……いや天使だ。俺を地獄から救ってくれる、天使だ!
「ありがとう、天か──」
「ああでも、条件付きだ」
感謝を伝えようとした俺だが、天川の言葉を聞いて固まる。
「ジョ、ジョウケン?」
なんとか口を動かす。すると、俺をここから出してくれると言った天使が……悪魔の笑みを浮かべた。
「例の取引だよ。キミの体質で不幸を呼び寄せ、私がそれを払う。2人で不幸になる最高の提案。これに乗ってくれるなら、ここから出してあげる。イヤなら……あとはあの刑事に任せることになる」
「このロリ、足元見やがってえええええ!」
俺は天川に掴みかかろうとしたが、天川は立ち上がってひらりと躱す。俺を助けると言った偽天使は、さらに深い地獄に俺を突き落とした。
「どうしてそんなに怒るの? 例えどんなに凶悪な怪物が襲ってきても、私が守ってあげる」
「今の俺にとって一番凶悪なのはお前やああああ!」
狭い取り調べ室で天川を追いかけるが、天川は身軽に俺を避ける。数分間続いた追いかけっこで、天川を捕まえることはとうとう出来なかった。