表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/50

7-1




 目を覚ますと、視界には見慣れない板張りの天井が見えた。ここはどこかと、寝ぼけた頭が刹那に焦る。が、すぐに思い出した。寝そべったまま、首を横に向ける。


「…………」


 そこには、長い黒髪の美少女が静かに眠っていた。どうやら寝相が悪いらしく、安らかな寝顔を俺に見せながら、右腕と左腕が全く別の方向を向いたなんとも不自然な格好で寝ていた。枕は行方不明。まるで彼女のところだけ嵐でも通ったみたいだ。


「……ん」


「!?」


 彼女の両眼がゆっくり開かれる。ぼんやりと天川を眺めていた俺は布団から跳ね起きた。


「お、おはよう」


「…………」


 半開きの目は俺を捉えることはなく、天川はむくりと起き上がった。黒髪がだらりと顔を覆い、さながら貞子のような動作だ。怖い。


「ん…………」


 天川はのっそりとした動作で目を擦る。ゆっくりと窓の方を見て、朝日が差し込んできていることを確認。その後、首を正面に戻したかと思えば、いきなり浴衣を脱ぎだした。


「ばっ!?」


 天川の白い肩がむき出しになり、そこに黒いストラップがちらと見えたところで俺は部屋から脱出した。


「はあ、はあ、心臓に悪い……」


 まさか俺の目の前で着替えだすとは。あいつには恥じらいとかないのだろうか。ないんだろうな。部屋の扉に寄りかかり、息を整える。廊下の窓の向こうには小さな庭が見えた。朝日を浴びる深緑の葉を眺めながら、俺は今の状況を頭の中で整理する。

 そもそもここ宮関市に来たのは俺の兄、多々羅田隼砥会うのが目的だった。一人旅を満喫し、この国が誇る観光地、天回紅廊を散策していた時に平和な時間は終わりを告げたのだ。天川やこだちさんとの偶然の出会い、そして旗川との遭遇。気付けば天川と同室で寝泊まりすることになり…… 

 ……これ以上思い返すのはやめよう。俺は姿勢を正し、天川の着替えが終わるまで顔でも洗うことにした。






 宿を後にした俺たちは、再び天回紅廊にやってきた。額を流れる汗をぬぐいながら、朝日を浴びる紅の街を見上げる。この煌びやかな街の陰に潜む連中をあぶりださなければならない。これを正義感からやるのではなく、片や暇つぶしで、片や自分の体質の情報を得るためにやっているのが俺たちである。

 早朝ということもあり、観光客の姿が比較的少ないメインストリートを登っていく。目的地は天回紅廊の最上部、紅山神社。ここには龍退治伝説なるものが伝わっているらしい。もしかしたら、旗川がここに現れたのもこれに関連しているかもしれない。


「ふわああああ……」


 階段を上りながら俺は特大のあくびをかました。寝ぼけた体にこの階段は効くなあ。一方の天川は、寝起きの緩慢な動作などかけらも見せない。


「間抜けな顔。たらたら歩くなら置いていく」


 そう言ってきびきびと階段を上っていく。いったい誰のせいで寝不足になったと思っているんだ。

 ようやく階段を登り切ると、その先には何やら人だかりができていた。

 

「なんだ?」


 俺が背伸びしてみると、人垣の向こう側では数人の警察官が祠のようなものを調べていた。観音開きの扉は開けられていて、中には何も入っていない。


「状況がよく分からない」


 隣の天川がやや不満げな声を漏らす。確かに、その背じゃあ見えないだろうな。

 と、天川の目線が突然俺を刺す。


「うるさい」


「何も言っていないぞ」


「考えてはいただろう」


 洞察力が高すぎるのも考え物だな。


「まあいい。大した事態でもないようだし、これは後で調べることにしよう」


 天川はそう言ってさっさと行ってしまう。俺は天川の背中に続き、紅山神社への歩みを再開した。





 紅山神社に到着したのち、天川が約束を取り付けた宮司の案内によって境内の一角にある建物に案内された。応接間として使われているらしい8畳間に通された俺たちは、机を挟んで正座で宮司と向きあった。


「では改めまして。私、この紅山神社で宮司を務めさせていただいております、竹田と申します」


 袴姿の宮司さんは短髪の50代くらいの男性で、目つきがちょっと怖いが所作は非常に丁寧な人だった。相手につられて俺がお辞儀していると、太々しさに関して他の追随を許さない隣の少女はさっそく本題に切り込んだ。


「本日はこちらに龍退治伝説が伝わると聞き伺いました。さっそくお聞かせ願えますか?」


「いいでしょう。私としても、あなたのような若者が民間伝承に興味を持つことを大変喜ばしく思っております」


 机の上の湯呑から緑茶を啜りながら、竹田さんは龍退治伝説を語ってくれた。



 それは、この天回紅廊が建造されるよりも昔。かつて宮関に都があった時代。ある日、都の空に一匹の龍が現れた。龍は都の北部にある山岳地帯に住み着く。龍はその力で嵐を呼び寄せ、都は連日連夜の雷雨に見舞われる。時の帝は人身御供を命ずるが、全く効果はなかった。川が氾濫し、都すべてが水に飲み込まれるのも時間の問題となった時、帝のもとに2人の人物が龍退治を申し出た。一人は、当時最強と謳われた剣士、久世楽座(くぜらくざ)。そしてもう一人は。


「都を騒がせた妖怪、鵺を退治し、帝からも信頼されていた陰陽師、石見麓伝。彼は一度だけ、その龍と戦った経験があったそうです。久世と石見は旧知の仲で、親交も深かったとか。二人は数百もの軍勢を引き連れ、龍の住む紅山に向かったのです」


 知っている名前が出てきた。俺は慣れない正座で足をもぞもぞさせながらも、竹田さんの話に聞き入っていた。


 紅山の頂上にたどり着いた久世と石見は、巨大な蛇のような姿をした怪物、龍を発見した。紅山の頂上で、襲いかかる龍と、人間たちの決戦が始まったのだ。

 攻防はほぼ互角で、人間側は多数の犠牲者を出しながらも、ジワジワと龍の体力を削っていったという。特に貢献したのは石見の封魔の術、そして妖刀『空錆』を振るう久世の絶技であったという。あの博物館で白い刀──空錆に目を惹かれたのは、妖刀の力によってだったのかな。

 二人の活躍により、人間側にも光明が見え始めた時だった。突如として、龍に異変が現れ始めたのだ。


「此処から先を記述する記録はほとんどなく、定かではないのですが。それまでの龍は、どちらかといえば蛇に近い見た目でした。しかし、龍は倒れた兵から生気を吸い取ると、その風貌を一変させたのです。黒いたてがみに、白く光る爪。その威圧感だけで人間側を圧倒した龍は、先程までが子供の遊戯かと思えるほど苛烈な攻撃を繰り出したといいます」


 無意識の内に、手に力が入っていた。あの廃工場での景色と今の話は完全に重なった。現代のような銃器などあるはずもなく、刀や槍であれに挑んだ彼らの勇気がどれだけ讃えられるべきか、俺にはよくわかる。

 

「一つ質問が。記録が少ないとのことですが、この伝承の出典は? 少なくとも、石見麓伝の手記には紅山での決戦については記されていませんでした」


 天川の問いに、竹田さんはゆっくりと答える。


「久世が後に記した手記や手紙に当時のことが書かれています。現在までそれ以外の資料は見つかっていません。ですが、それも当然なのです。紅山の戦いから生きて帰ったのは、久世楽座ただ一人だったのですから」


 長く話していた竹田さんはここで息を入れ、湯呑に手をのばす。その間、部屋は静寂に包まれた。今更確認するまでもないことだが、あの龍は相当危険な霊だったらしい。そして、石見麓伝の殲魔記に龍に関する情報が乏しい理由も分かった。書かなかったんじゃない。書けなかったんだ。


「呼び寄せた嵐による被害も含め、龍は膨大な被害を都に残した後、最後は封印されました。久世が渾身の一撃で隙をつくり、石見が命を賭して封印術を放ったのです。事件の後、英霊たちを弔うためにこの紅山神社が創建され、龍が降りたこの地に『天回紅廊』が造られたのです」


「えっ?」


 予想外の単語が出てきた。龍と天回紅廊に関係があるというのだろうか?


「どういうことですか? 神社は分かりますが、天回紅廊、花街がここに造られたのに龍が関係するんですか?」


「龍は『流れ』を操るとされる幻獣です。水の流れ、大気の流れ、そして気の流れ。風水では幸運の象徴であり、龍が降りた地は人や金が集まり栄えると言われていました。つまり、縁起担ぎのために、このような起伏のある土地に歓楽街が作られたと考えることもできます。あくまで一説ですがね」


 俺は昨日のこだちさんの言葉を思い出す。この紅山神社は有名なパワースポットであるということだ。龍によって多大な被害がもたらされた土地が、後に幸運の名所になるとは皮肉な話だ。


「この説を後押しする証拠もあります。それは、天回紅廊各地に点在する祠です。これらは再びこの地を凶悪な龍が襲ってこないための結界を形成すると言われています」


 俺も何回か見かけた小さな祠。景観以外にも実用的な意味をもっていたらしい。龍退治伝説は、思った以上に天回紅廊と密接な関係があるな……と、平凡な感想を抱いている俺の隣、今まで身じろぎ一つせず傾聴していた天川が、獲物の匂いを嗅ぎつけた肉食動物のようにピクリと動いた。


「祠の話、確かですか?」


「ええ。これに関してはいくつも記述がありますので。それぞれの祠には嵐の神を模した石像が納められています。これらと境内の博物館で保管している、久世の妖刀『空錆』が邪龍からこの地を守っているといわれています」


「もう一つ確認。天回紅廊に存在する祠の数と、所在を知りたい」


「数ですか? 確か……全部で6つだったと思います。場所まではすぐに出てこないですが……」


「ありがとうございます。一つ忠告ですが、くれぐれも空錆の保管は厳重に。リョート、行くよ」


「えっ!?」


 天川はすくっと立ち上がり、そのまま部屋を出ていってしまった。俺は困惑気味の竹田さんにペコリとお辞儀をして、痺れた足を引きずりながら天川の後を追った。


 建物を出て、神社の境内をずんずんと歩いていく天川は、日の高さに比例して増えた観光客の間をスルスルと抜けていく。その後を額に汗を垂らしながら付いていく。

 わけもわからず天川の後を追う俺だったが、神社正面の階段に差し掛かった頃に、意を決し尋ねる。


「どういうことだ? いったいどこに行くんだよ」


「少しは自分で考えたら?」


 だが、冷たくあしらわれてしまった。普段なら何か言い返しているかもしれなかったが、俺は黙って彼女の後を歩いていった。


 天川の目的地は意外とすぐに明らかになった。今朝、紅山神社に来る途中で何やら騒ぎになっていた場所だ。祠の近くに警察官が数人立っていて、物々しい雰囲気になっている。


「なにかあったの?」


 天川が近くの警官に声をかける。図々しい態度に若い男性警官は眉を顰めるが、丁寧に答えてくれる。


「そこの祠の中に入っていた石像が壊されたらしい。祠の扉が開かれていることに気づいた観光客から通報があって、今調べているところ──」


 天川は警官の言葉が終わる前に踵を返し、俺の方へ戻ってきた。


「ちょっと、君!?」


「天川?」


 俺の横を素通りした天川はずんずんと押し進んでいく。訳もわからず連れ回されている俺は、再び天川に尋ねた。


「天川、そろそろ教えてくれないか。やっぱり俺には分からないよ」


「龍を従える旗川が天回紅廊に現れたのと同時期に、龍除けの祠が襲われた。これで分からないならもう喋らないで」


 鬱陶しい、と言わんばかりの天川。普段から鈍いと言われる俺だが、ここまでヒントを出されたら流石に察することができた。


「あれを旗川がやったのか?」


「それ以外にある?」


 天川が角を左に曲がるので、俺も続いていく。行く先にはさっきとは別の祠が見えた。天川の目的はこれだったらしい。

 祠の前に立った彼女は、周囲の目を憚らず観音開きの扉を開けた。その中には、30センチくらいの古びた石像──が無残にも割られた残骸だった。


「ここもやられているか。もしかして、他の祠の位置も覚えているのか?」


「知っているのはここだけ。観光用のパンフレットにも祠の位置は殆ど載っていないし、調べる術を見つけないと」


「なあ──」


 旗川の目的は一体何なんだ? そう言おうとして俺は踏みとどまった。少しは自分で考えろと、天川に言われたばかりだ。今まで俺は頭のいい彼女に頼りきっていたんだ。分からないことがあったら、すぐに彼女に聞くのが癖になっていたことに今気付かされた。尋ねるのは、せめて自分なりの答えをだしてからにしよう。

 混乱したときは5W1Hで整理するのがいいと過去に天川が言っていたので、実行してみる。今考えたいのは旗川の目的。場所は天回紅廊で、被害対象は龍除けの祠。おそらく奴は龍を使ってこの地で悪だくみをしているんだ。それは何だ? 5W1Hってあと何があるっけ……そうだ時間。今日は7月最後の日曜。今、この場所でなければいけないとことだとしたら……?


「…………天川」


「何?」


 隣に立つ天川は、俺の呼びかけに顔は向けずに反応する。


「もしかすると、奴の目的は明日のGサミットなんじゃないか? と、個人的に思うんだけど」


 最後の方は自信がなくなってしりすぼみになった。天川の出方を伺うと、彼女はゆっくりと顔を俺の方に向けて。


「へえ……」


 その口角を、少しだけ上げた。表情変化が乏しい天川の、特にレアな表情だ。これを笑顔と表現するには少々悪役じみているが、俺は不意打ちを食らいドキッとさせられた。


「な、なんだよ」

 

「君の直感は稀に冴える」


「正解ってことか?」


「さあ。情報が足りない時に議論を深めても生産性はない」


 気付けば、天川の表情筋は再び活動を停止していた。曖昧な態度だったが、おそらく天川も俺と同じ考えだったのだろう。ならば俺たちが成すべきことは、祠の防衛だ。旗川の目的が何であれ、観光客があふれる天廻紅廊に再び龍が舞い降りるような事態は絶対に阻止しなければ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ