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6-4

「あまかっ!?」


 突然の暴挙に出た天川。俺は走りながら欄干に寄り下を見た。


 落下していく天川の黒い髪が、流れ星の尾みたいに軌跡を描いていく。俺がいる紅廊は地面からそこそこの高さがあるように感じていたのだが、実は真下に建物があったのだ。天川はその瓦屋根に着地し、受け身を取るように屋根の斜面にそって転がる。だが、そのまま体の回転を止められず屋根の淵から出てしまった。


「!」


 見ていた俺はヒヤリとしたが、無用な心配だったらしい。屋根から転げ落ちた天川は、空中で体を捻り、足を地面へ向ける。そして、つま先から接地して側転するような動作、いわゆる5点着地を完璧に決めた。サーカスだったら観客の拍手喝采を受けてそうな曲芸だった。まあ、たまたま居合わせた男性は拍手どころか、突然目の前に女の子が降ってくるというラノベみたいな状況に腰を抜かしていたが。天川は、どよめく周囲に構うことなく、そのまま行き交う人々の合間を縫って走り出した。もう無茶苦茶だ。

 離脱した天川を尻目に、俺は一人で旗川を追うことになった。木張りの紅廊から、再び石畳の通りへ戻る。店舗が並ぶ大きな通りに出ると、多くの人が行き交っていた。ここは紅山神社に登る時、こだちさんと歩いてきた道だ。いつの間にかこんな所まで来ていたのか。人の波の向こう、細い路地に入っていく奴の背中が垣間見えた。

 後を追うと、路地の先は長い下り階段になっていた。二段飛ばしに駆け下りながら、俺と旗川は拮抗した鬼ごっこを続けていた。


「はあっ、はあっ……! いい加減、諦めて、捕まれよ……!」


「君こそ、諦めたら、どうですか……!」


 しかし、ここまで走り続けていた俺達はもうヘロヘロだ。天川がどこかに行ってからからこの追走劇はスタイリッシュさを失い、合宿3日目の朝ランニングみたいな様相を呈していた。

 階段が終わり、左右を石垣の壁に挟まれた薄暗い路地を進む。持久力にはそれなりの自信があったのだが、旗川もなかなかやる。まずい、そろそろ足を動かすのも限界……!


 その時、いきなり視界の上から黒い影が降ってきた。


「「どわああああ!?」」


 俺と旗川は仰天して急停止。さっきどこかへ消えた天川が、行く先に舞い降りたのだ。飛び降りるのが好きだなコイツ。


「な、なぜ……」


「最短距離で下層まで降りようとしていただろう。あまりに露骨」


 肩で息をする旗川に懐中電灯を突きつける。彼女が離脱したのは、先回りするためだったらしい。今思えば、あそこで下の道に飛び降りたほうが僅かに近道なのが分かるが……。まさか、コイツはこのあたりの道をすべて記憶しているのか? あまりに複雑すぎて正確な地図を作るのが不可能と言われる天廻紅廊だぞ。


 前を天川、後ろを俺に塞がれた旗川は、おとなしく手を挙げた。思えば、こいつらと初めて出会った場所もこんな薄暗い路地裏だったな。あれからまだ3ヶ月しか経っていないのか。これまで旗川とは何度も相対してきたが、それもこれで……


「終わりだな」


 天川が懐中電灯を構えながら言った。ゆっくりと天川が迫るが、後方にいる俺は旗川の表情を伺うことはできない。逃げ場のないこの状況で両手を上げたまま俯いている旗川だったが。


「くくく。終わり、ですか?」


 静かに、不気味な笑みを零していた。俺と天川が身構えると、旗川は顔をまっすぐ前に向けて。


「これで終わり? まさか、まさかですよ天川さん。ゲームは始まりました。退屈はお嫌いでしょう? 楽しい時間はここからですよ!」


 口上の途中、奴の足元に異変が起きていた。まるで波打つ水面のようにぐにゃりと歪んていたのだ。その中で、二つの目玉がパチクリと瞬きをしていた。

 それを見た俺は旗川を捕獲しようと駆け寄るが、もう遅い。伸ばした手が届く前に、旗川の全身が地面に吸い込まれていったのだ。


 俺が旗川の立っていた場所に立つ頃には、地面の異変は消え、何事もなかったかのように硬い地面に戻っていた。


「どうなってんだ……ってどわー!」


 天川が何も言わずにビームを俺の足元に照射。驚いた俺は尻もちをついてしまった。ついさっきまで俺のつま先があった場所に穴が空き、煙を立てていた。


「なにすんじゃい! 俺のつま先に恨みがあるのか!」


「仕損じたか」


 真面目な顔でそう言った天川を見て、ひょっとしたら自分のつま先がとんでもない業を背負っているのかと考えてしまったが、すぐにそうではないことに気付いた。


「あれがカゲヌイ……?」


「だろう。旗川を追い詰めれば、いずれは出てくると思っていたが……」


 俺は立ち上がりながら、さして感情の揺れが現れない天川を見て気付いたことがあった。


「最初から旗川が狙いじゃなかったのか」


「奴だけが狙いではなかった。前回の脱獄は、今見たカゲヌイの力によるものだろう。ならば、奴及び奴の手駒をすべて倒しきらなければ、決着とは言えない」


 天川はそう言って俺を見上げた。その顔を見て俺はゾッとする。彼女は笑っていたのだ。新しいおもちゃを買い与えられた子供のように。しかし俺にはそれが微笑ましいものには感じられなかった。彼女のこの笑顔を見たのは、3ヶ月前──俺と出会い、この関係が始まるきっかけとなったあの提案をした時だった。即ち、これは俺にとっての凶兆。三十六計!


「そ、そうかもな。じゃ、頑張って決着をつけてくれ。俺はこの辺で……」


「何を言っている? キミも手伝うに決まっているでしょ」


 旗川よろしく逃亡しようとした俺だが、天川に服の裾を掴まれた。女の子にこうやって引き止められるのは男子が夢見るシチュエーションの一つだが、なんか思ってたのと違う。




 というわけで、結局は天川の活動に協力することになった俺。平和な夏休みとは一体何だったのだろうか。

 旗川を捜索する前にこだちさんと合流した。俺は気がついていなかったが、携帯に彼女からの不在着信が何度も届いていた。


「なるほど、そういうことでしたか。リョートくんの姿が見えなくなって、すごく焦りましたよ」


「す、すみませんでした……!」


「あ、責めているわけではないのです! 本当に、無事でよかったです、リョートくん」


 優しく目を細めて笑うこだちさん。そんな彼女は、俺にはあまりに眩しかった。


「こ、こだちさぁぁん……!」


「ちょ、リョートくん! 指を組んで拝むのはやめて下さい! なんだか私、怪しい教団の教祖みたいですよ!」


 その後、旗川の行方を捜索することに。こだちさんを通じて、地元県警にも奴が現れたことは伝えてある。俺たちだけでなく、警ら中のお巡りさんたちも、天廻紅廊中で旗川を探し回ることだろう。

 俺は天川とツーマンセルで捜索していた。手分けして探すと思っていたので、なぜかと問うと。


「目を離したら逃げ出すつもりだろう」


 こんな返事が帰ってきた。天川の方も俺の生態を理解してきたらしい。

 俺と天川は比較的人の少ないエリアを中心に歩く。超絶美少女と二人きり、古都を散策。字面だけ見れば夢みたいな体験みたいに思われる。まあ現実を見れば、超絶美少女は愛想ではなくビーム振りまくし、散策の目的は観光ではなく脱獄囚の捜索なので、そこにトキメキや胸キュンがあるはずもないのである。


 そんなわけで、俺は適当に天川と雑談しながら歩いていた。話しかけて返答が帰ってくるかは彼女の気分次第なのだが、今日はそれなりにご機嫌……な気がする。


「それで、オリエンテーション合宿以来カンザシが天川に興味持ち始めたらしくてな。そのうち情報準備室に乗り込んできそうな勢いだよ」


 天川は俺の話を聞いているのかいないのか分からない態度だが、ぽつぽつと返事をしてくれる。


「事件なら歓迎するけど。それにしても、意外だな」


「何が?」


「キミに友人がいることが」


「喧嘩売ってんのか」


「キミの体質的に、あまり他人は寄り付きにくいだろう」


 図星をつかれて言葉に詰まる。同時に中学校の頃の思い出がフラッシュバックした。あれは入学して少し立った頃。仲良くなった友達数人と遊びに出かけた日に、俺は階段から落ち、財布をスられ、立ち寄ったコンビニで強盗事件に巻き込まれた。一日で不運のハットトリックを達成した友人たちはドン引き。以降、2度と一緒に遊びに行くことはなかった。一人だけ、「多々羅田は祟られてるな! タタリダ! タタリダ!」などと絡んできたやつはいたが。悲しき思い出に気分が落ち込んだ俺は、それを振り払うために天川へと切り返す。


「というか、お前こそどうなんだ。友達いるのか?」


「必要ない」


「いないんだな」


 『友達いるの?』と聞かれていらないと答えるやつは、欲しくてもできないぼっちだと相場は決まっている。妙なところで負けず嫌いだ。天川は、俺の方を見て少しムッとした表情をしていた。


「何、その目は? 不愉快」


「ぼっちは寂しいよな」


「ふん、人間なんて究極的には孤独。それに気付くか、気付かないふりをしているかの違いでしかない」


 小さく、ボソボソと呟くような話し方だが、言葉には芯があった。俺が言うのも何だが、随分とこじらせているらしい。彼女の場合、年の近い他人とは見えているものがあまりに違いすぎているのかもな。まあ、今は俺という道連れがいるし、こだちさんもたまに天川にかまっているらしいから、純然たるぼっちではないだろうが。そもそも、天川は俺との関係をどう思っているのだろうか。


 ……いやいや、何を考えているんだ俺は。コイツにとって俺は事件呼び寄せマシン。そんなことは出会った頃から分かりきっている。現に天川はあの時の契約を律儀に履行し続けているじゃないか。俺は利用し、護衛する対象でしかない。万が一、億が一に天川にとって俺が友人に近いものだとして、それを俺がどう思うかなんて……


「……? 今度は何? 顔がうるさいんだけど」


 あれっ、別に違和感はないな。この口の悪さも慣れてきてなんとも思わなくなったし。こっちも遠慮なく思ったことを言えるし。不幸大好きなところを除けば大して嫌ではないのかもしれない。


「表情で人を笑わせる練習なら、必要ないだろう。キミはその一点に関しては群を抜いた才能をもっている」


「誰が面白い顔だコラ」


 仮のことばかり考えても仕方がない。今は旗川を捕まえるという、共通の目的をもった二人。それ以上でもそれ以下でもない。その後も俺と天川はくだらない口喧嘩のようなやり取りを交わしながら、紅い街を歩いていった。





 

 結果から言えば、文字通り旗川の影も形もなかった。奴を目撃した人すらいなかったのだ。あのカゲヌイとかいう霊のせいだろう。

 現在、俺たちは天廻紅廊の麓にいる。日は西の山嶺に沈もうとしており、天廻紅廊は夕日に照らされてまるで燃えているかのように紅く輝いていた。そんな景色を見上げながら、俺はため息をついた。


「これからどうするつもりだ? あまりのんびりしていると、帰らないと帰りの新幹線がなくなっちまう」


 俺の言葉に天川は、何を言っている? と言いたげな顔をしていた。


「キミも明日の調査に参加するんだよ。今日は泊まり」


「………………え?」





 日が沈み街灯がチカチカと光る中、俺は天川と並んで古い旅館の前にいた。瓦屋根の平家の建物は、よく言えば風情がある。悪く言うならば──


「ボロいな」


「安宿だから」


 宿の人が聞いたら出禁を食らいそうなことを言いながら、俺たちは引き戸を開けた。


 天川が受付の女性に話しかけて、手続きを進める。もともと宿泊する予定だった天川はともかく、俺はどうなるのかと思っていたら。


「それでは、お連れ様と相部屋、という形でよろしいでしょうか?」


「構わない」


「!?」


 いまコイツは何と言った。

 とうとう本当に頭がイカれてしまったのかと思いながら天川を見る。そんな俺に意味ありげな視線を送りながら、受付の人は天川に鍵を渡す。そして、どこかおかしな笑顔でお辞儀した。


「それでは、ごゆっくりー。……ちなみに、ここの壁は少々薄いので、声は抑えてくださいね」


「!?」






 宿の廊下をずんずん進んでいく天川。俺はスリッパをパタパタいわせて後に続く。


「あの受付、絶対わざとだろ……。なあ、俺と天川で相部屋って……」


「わざわざ二人別々の部屋にするのは非合理的。心配せずとも、キミの宿泊費ぐらい出してあげる」


 合理性とかお金を気にしているわけではないんだがな。

 これは俺が天川に信頼されているのか、それとも男として見られていないのか。そもそも人間として見られていないのか。ペットやキャリーケースと同格だったら流石に泣く。

 いろいろと悩んでいる間に、部屋に到着してしまった。鍵を開けた天川に続き、中に入ると、そこには畳敷きの一間。左手にはテレビが設置されていて、奥の窓際には、机を挟んで椅子が向かい合った板張りの空間。ああいう場所ってなんて呼ぶんだろうか?

 この8畳と少々の空間で、天川と一夜を共にすると思うと……よせ、妄想するな!


「天川!」


 部屋の隅に荷物を置いた彼女は、唐突に大きな声を出した俺に躾のなっていないペットに向けるような目線を送っていた。


「何?」


「風呂! 入ってくる!」





 大きく息を吐きながら湯船に浸かると、心が落ち着いていく。天川とお泊まりという急展開はあっても、この広い浴槽のお陰か少しばかり余裕が出てきた。

 一度冷静になって考えてみる。女の子と二人きりで夜を過ごすのは確かにハードルが高い。しかもとびきりの美少女だ。ドキドキして、ワンチャンあるんじゃないかと期待するのも男として仕方がない。たがしかし。相手は天川で、俺は受難体質もち。果たしてこの組み合わせでエロい展開になるか? そんなの分かりきっている。どうせ、寝ぼけた天川が放ったビームで俺の頭が焦げるとか、そんなオチになるんだろう。そんな未来が読めているなら、奴の懐中電灯から電池を抜いてさっさと寝るのが利口だ。


「よし」


 心を決めた俺は、湯の中から勢いよく立ち上がった。




 部屋に置いてあった浴衣に着替え、浴場から部屋へ戻る。途中の自販機で買ったコーラを飲みながら、部屋の扉を開ける。部屋の中は電気がつけっぱなしだが彼女の姿はなかった。あいつも風呂にでも入りに行ったのだろうか。


 時刻は9時40分を回ったところ。早めに寝ようと決めたとはいえ、流石に早すぎる。まだ眠気は来てないし。やることもないので、俺はテレビを観て暇を潰すことにした。

 地元とは異なるチャンネルを適当に回し、いつも見ているドラマを観ながらゴロゴロすること十数分。扉が開く音につられて、入り口へと目線を向けた。

 やはり風呂に行っていたらしく、開かれた扉からは俺と同じ浴衣を着た天川が入ってきた。風呂上がりの長い黒髪は普段以上に艶を示し、神様が本気でデザインしたとしか思えないその整った顔は、上気してほんのり赤く染まっていた。

 

 要するに、ちょっとえっちぃ感じになっているのである。


 俺は目線をテレビの方へと避難する。天川は何も言わずに、座椅子に座る俺の後ろを通過し、窓際の椅子に腰掛けた。


「誰?」


「えっ?」


「今、テレビに写っている」


 不意に天川が声を出す。目線だけ画面に向けていた俺は一瞬天川が言っているのか分からなかった。画面を見て、俺は天川が戻ってくるまでドラマを観ていたことを思い出した。


「ああ、橋下蘭奈か……って、知らないのか天川?」


「知っていないといけないの?」


 天川が睨みを利かせてくるが、今の俺にはそんなの効果ない。思わぬところで天川の新しい生態を発見した。


「ちなみに、梨村架純は知ってる?」


「知らない」


「じゃあガッキィは?」


「楽器?」


「笹木野望」


「君の担任がそんな名前だったか」


「…………」


 どこから突っ込めばいいのやら。とりあえず売木先生には今度密告しておこう。興味のないことにはとことん無知なやつだとは薄々感づいていたが、ここまでとは思わなかった。

 天川は仏頂面でテレビに視線を戻す。


「面白い?」


「ああ、これはカンザシにおすすめされたやつなんだが……面白いかどうかは、観てみれば分かるだろ」


「……」


 意外なことに、天川がテレビに興味を示していた。よくわからない内に、天川と二人でテレビを見るという時間を過ごすことになった。





 20分後。


『馬鹿な、奴は逮捕されたというのに、新たな犠牲者だと!? ……模倣犯の可能性は……?』


「あり得ない。現場に残っているトランプの順番は、真犯人にしか分からない」


『その可能性もありますが、手口があまりに似すぎています。元から複数犯だったのでは?」


「複数犯なら動機が不明。しかし、現場に残すメッセージ性から、犯人が快楽殺人者でもないことは明らか」


『ひとまず、現場に行くぞ。何か手がかりが有るかもしれない」


「愚鈍。逮捕された男の部屋の玄関を見れば真犯人は明らかだというのに。あのトランプのメッセージは……」


「天川」


 俺はテレビに向かってブツブツと独り言を言う天川に声をかける。天川は無表情のまま俺に顔を向けた。


「何?」


「お前にテレビを見せたのは失敗だったみたいだな。あのな、このドラマは意外性のある展開が醍醐味なんだ。でも、お前が先を全部言ってくれるおかげで、ちっともハラハラしないんだが」


 テレビを見ている間、天川はその異常な洞察力を遺憾なく発揮してドラマの展開を完璧に読み切っていた。その力をこんなことに使わないでほしい。


「これで意外性のある展開とは笑わせる。キミの間抜けのほうが余程意外性に富んでいるだろう」


 こいつをを説得しようとしたのは失敗だったみたいだな。

 しかし、その後の天川は黙っていてくれていた。俺は彼女の様子をまじまじと観察することはしなかったが、テレビの方をずっと見ていたようだった。

 その後、ドラマは今回のクライマックスを迎えた。今までドラマなどに興味のなかった俺だが、この作品はなかなか楽しめている。カンザシに勧められなかったら見向きもしなかっただろうが。

 

『ごめんなさい……結婚の約束はなかったことにしてください』


『そんな……何故だ!? 待ってくれ! どうして、どうしてなんだ……?』


 主人公が婚約者から別れを告げられるシーンで今回は幕引き。毎回気になるところで次回に持ち越すのもこの作品の憎いところだ。

 俺は天川方を見て言う。


「どうだ、面白かったか?」


「暇つぶしにはなった」


 口ではそう言うが、案外楽しんでいたんじゃないかとも思う。黙っていても、目線は画面から離さなかったようだし。


「しかし、描写不足だった。最後のシーン、なぜ彼女は別れを告げた?」


「そりゃあれだろ。殺人犯の妹である自分が、警察官である主人公と交際するわけにはいかないと、自ら身を引いたんだよ」


「彼を愛していなかったの?」


「愛っ……好きだからこそ、迷惑をかけたくない、傷つけたくないって思うんだろ」


 天川の口から愛とかいう単語がでてくるとはな。ロボットみたいなやつで、人の心には興味がないと思っていたが、年相応に関心はあるのだろうか。こいつも誰かを好きになって、恋人になって、いずれは結婚……


「……フッ」


「その不愉快な笑みは何?」


「なんでもないよー」


 想像したら思わず笑いがこみ上げた。風呂で考えたことと同じだ。ありえないものはありえない。


 その後、再び沈黙が訪れる。天川は画面から目を離さず、椅子の上で体育座りをして動かない。俺と天川がお互い黙ったままなんてのはいつものことなんだが、漠然といたたまれなさを感じていた。俺は机の上に置いてあったペットボトルに手を伸ばす。


「ねえ」


「んー?」


 天川が、呟くような声で沈黙を破った。俺はフタを開けたペットボトルに口をつけながらくぐもった声で返事をして──


「リョートは、セックスしたことある?」


 ──口に含んだコーラを全部吹き出した。





ep.6「天回紅廊に夕日は沈む」

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