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「ここに……ピーちゃんが……」
昼下がりの陽気の中。俺は男と一緒に商店街の路地裏に来ていた。正直あの一件は俺のトラウマになりかけているので、ここには来たくなかったのだが。男があまりにもしつこかったので、仕方なくピーちゃんらしきあの鶏に遭遇したこの場所に案内した。
男の名前は住田誠之助。この辺ではかなりの名士、つまりはお金持ちらしい。今のようにキョロキョロしながら鶏の姿を探している彼を見ると、富豪としての威厳とかは全く感じられない。
唐突に、住田さんの手が俺の襟元に伸びる。
「それで! ピーちゃんはどんな様子だった!?ぶぶぶ、無事なんですか!?」
「おぼぼぼぼ! ゆらすなゆらすな! 大丈夫、元気そうでしたよ!」
そりゃあもう、俺を焼き殺そうと元気に走ってましたよ!
俺の言葉を聞き、住田さんは申し訳なさそうに手を離す。
「すまない、取り乱した。とにかく、ピーちゃんが心配で……」
余程あの鶏を溺愛しているようだ。さっき聞いたところによると、あの鶏はひよこの時から育てているそうだが、特に異常なことはなかったそうだ。一体どうやったら口から火を噴く鶏を育てられるんだと説教してやろうかと思っていたが、残念ながらそれはできない。
「ともかく、昨日ここにいたので、まだ近くにいるかも知れませんよ?」
下を向いている住田さんに、励ますように声をかけた。あの鶏は嫌いだが、住田さんは別に悪くないのだ。
「そ、そうですね。もしかしたら、探せば見つかる可能性もありますよね」
俺の言葉に希望を見出したのか、顔を上げた住田さん。そして、俺の方を向いて言った。
「あの、ピーちゃんを探すの、手伝ってもらえませんか……?」
俺は満面の笑みで答える。
「お断りします」
「お礼はします! 1時間探していただいたら5000円、見つけてくださったら3万円!」
「絶対に見つけましょう」
こうして、鶏探しがスタートした。
謝礼につられて捜索を開始した俺。またあの鶏に追いかけられるのは御免だが、飼い主である住田さんがいれば大丈夫だろう。たぶん。
俺は路地裏をウロウロしながら、鶏を探す。人通りの多いところには行ってはいないだろう。鶏が徘徊していたら騒ぎになるはずだ。
捜索から30分経った頃、一旦俺と住田さんは合流した。
「多々羅田さん、どうでしたか? 残念ながら私は見つけられませんでした」
「俺もです。この辺りにはいないんでしょうか」
鶏の生態に詳しいわけでもないが、そんなに遠くまで行くものだろうか。まあ、そもそも奴はただの鶏ではないが。
俺と住田さんがもう少し広い範囲を探そうかと相談している時。俺の後方で物音がした。そちらに視線を向けると。
「やあ、どうもこんにちは」
黒いスーツ姿の男が、こちらに笑顔を向けていた。20代、いや30代くらいか。短髪の男が笑顔でこちらに近づいて来た。
「探しましたよ、住田さん。こんな所で何をしているんですか?」
男は住田さんの方へ向かって相変わらずニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべている。当の住田さんはと言うと。
「……? 私を探していたのですか。 あの、失礼ですが貴方は……?」
知り合いじゃないんかい。じゃあ、この男は何者なんだ?
「おおっと。失礼、私はですね──」
男は上着の内ポケットを弄る。そして取り出したのは。
「こういう者なんですよ」
真っ黒な拳銃だった。
「なっ」
突然向けられた銃口に俺と住田さんは固まってしまう。物騒なものを突きつけてきた男は、物騒な笑みを浮かべる。
「変なこと考えないで下さいよ。大人しくしてくれれば、危害は加えませんので」
どうにかこの場を切り抜けようと考えていた俺だが、この男に隙は見えない。と言うか……
「そちらのご子息も。私と一緒に来てもらえますか?」
男が指差すその先。路地の出口に、一台の黒い車が止まった。
また面倒な事に巻き込まれたなこれ!
「目隠しを外す。大人しくしていたら何もしないからな」
俺の目隠しがようやく外された。急に目に飛び込んでくる光が眩しい。慣れてくると、隣には住田さんが座らされていることに気付く。住田さんも目隠しを外されていて、怯えた表情をしていた。
黒スーツの男に銃で脅され、車に乗せられた後、俺と住田さんは目隠しをされた。1時間ぐらい走っていただろうか。俺たちはここまで連れてこられた。そのまましばらく目隠しをされていたが、今ようやく自分がどこにいるのか把握できた。
俺たちがいるのは、武道場のような広間の真ん中だ。椅子に座っている俺たちを囲むようにガラの悪い男たちが立っている。20人くらい居るだろうか。俺や住田さんは拘束されているわけではないが、この状況では逃げ出す気にもなれない。
俺は隣の住田さんにこそこそと声をかける。
「住田さん、大丈夫ですか?」
「え、ええ。動悸がすごいですけどね。どうやら、君のことを巻き込んでしまったようだ。申し訳ない」
「いえ、そんな」
「全く、ひどいタイミングですよ。普段は秘書兼用心棒の者がいるのですが……今日に限って、暇が欲しいと。なんでも、ドウジンシ……? という書物を買いに行くとかで」
「ほんとにひどいタイミングですね」
コソコソ話していると、部屋の右奥の扉が開けられ、全員の注目がそちらに集まる。
入って来たのは、袴姿の初老の男性だった。長めの白髪に皺の刻まれた顔。しかし、その目の奥には歳を感じさせないほどに、生命力が燃えているようだった。
「「「お疲れ様です!」」」
周りの男たちが一斉に頭を下げた。まるで軍隊のように統制のとれた礼。袴の男はその様子を鋭い眼光で見渡していた。
「うむ。それで、首尾はどうだ?」
「はい。住田誠之助とその息子、確保しました。特に問題はありません。組長、ご確認を」
黒スーツに組長と呼ばれた袴の男が、俺たちの方に近付いてくる。住田さんと俺の顔を一瞥すると、口を開く。
「貴方が住田誠之助さん、ですな?」
「ええ、そうですが……」
「手荒な真似をして申し訳ない。我々も色々と事情がありましてね。早速本題に入ろうと思う。住田さん、貴方は最近、松島圭一の『魂手箱』を手に入れていますね?」
「!? な、何故それを」
「やはり本当でしたな。我々の目的はそれです。今はどこにありますか?」
「…………」
「住田さん、我々には時間が無いのです。正直に話していただければ、我々としてもこれ以上危害を加えるつもりはないのですがね」
「じ、自宅に保管していますが」
「それを、我々に譲っていただきたいのです。2時間以内に取りに帰って頂きたい。その間、ご子息にはここに残ってもらうがね」
なるほど、状況が掴めてきた。彼らの目的は、住田さんの所有物。その『タマテバコ』とやらと俺の身柄を交換という訳だ。だが……
「あ、あの……」
「何ですかな、住田さん」
「彼は私の息子では無いのですが」
「!?」
組長が驚きの表情でこちらを振り向く。俺は頷き、組長に真実を伝える。
「なっ……どうなっておるのだ?」
組長が黒スーツを睨む。鋭い眼光が刺さった黒スーツはしかし、狼狽える様子もなく言う。
「すみません、住田氏と一緒にいたので息子かと思いました。まあ例え息子じゃなくてもいっかとノリで誘拐してきました」
「……ノリってなあ」
組長が額に手を当てうなだれる。恐らく彼らの計画は、住田さんと息子を一緒に誘拐し、息子を人質にして住田さんに『タマテバコ』を要求するつもりだったのだろう。警察に連絡したら息子の命はないぞ! とか脅して。だがしかし、ここにいるのは遺憾ながら多々羅田家次男である。その次男と住田さんの関係といえば、一緒に鶏を探して商店街裏の路地をさまよった程度だ。
「まったく。つまり、こいつは住田さんの息子ではない誰かなのだな。小僧、名前は何という?」
組長が疲れた顔で俺に質問してきた。それに対して、俺はシンプルに返答する。
「ジェームズ・スミスです」
「嘘つけ! 貴様どう見ても日本人だろ! 名乗りたくないならはっきりそう言えばいいだろう! 何なの? バカにしとるんか?」
「いえいえ、そんなつもりはありませんよ。それよりも、お茶もらえませんか? 誘拐したのにお茶も出ないんですかここは」
「おお、それはすまんかった。……いやなんで貴様に茶を出さんといかんのだ! なんか偉そうだな、誘拐されたクセに!」
おお、なかなか鋭いノリツッコミ。感心している俺を見て、組長の怒りは呆れへと急降下していったらしい。再び疲れた顔になり、ため息までついた。
「……貴様は一体何なのだ? ワシが言うのも何だが、普通の人間がこの状況になったら、もっと怯えたり、パニックになったりするもんだと思うぞ? 何でそんな我が家のごとく落ち着いてるの? ねえ、ほんとに何なの?」
組長の口調からは威厳などはすっかり消え失せ、拗ねた子供のような表情になっていた。何なのと言われても。確かに、隣の住田さんはかなり怯えているようだし、これが通常の反応だろう。一方、なんで俺が落ち着いているか、その理由といえば。
「まあ……俺はこういうのは慣れているから、ですかね」
「「「……は?」」」
俺以外の全員がぽかんとした顔をしていた。組長は慌てて開いた口をふさぐ。
「慣れている……とは、どういうことだ?」
「誘拐されるのにです。もうかれこれ10回以上ですかね。だからもう慣れっこです」
「「「えぇ……」」」
俺以外の全員が驚愕の、いやドン引きの表情で俺を見ていた。
そう。俺の不幸体質をもってすれば、誘拐など年に1回ほどの頻度で起こる。全く怖くないと言えば嘘になるが、もう慣れてしまった。
周りで見ているガラの悪い男たちは、俺の方を見てヒソヒソと話している。
「もしかして……俺たちはとんでもない奴を……」
「一体あいつ、どんな人生を送ってきたんだ」
「やべえよぉ。あいつやべえやつだよぉ」
組長は、俺を憐れみの目で見ていた。
「小僧……今まで大変だったんだな」
なんで俺、誘拐犯に同情されているんだろう。そんな不満を覚えた時。
爆発音のような音が部屋に轟く。何の前触れもなく、部屋の奥にあった扉が吹っ飛んだのだ。
「な、なんだ!?」
全員が大きな音を立てて倒れた扉の残骸を見る。外から大きな衝撃が加えられたのだろうか、無残に折れ曲がっている。そして、扉のあった場所から入ってきたのは……
「コケエエエエエエエエエエエエエエ!」
どうしようもない状況に、どうしようもない奴が乱入して来た。