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4-4




 しばらくして、俺は頭を擦りながら起き上がった。一瞬目の前が真っ白になったが、失神することはなかった。いっそ夢の世界に言ったほうが楽なんだがな。いまだズキズキする頭でぼんやりとあたりを見回すと、ユウキさんが隣で片膝をついていた。


「大丈夫かい? すごい音がしたよ」


「無事っす。血も出てないですし」


 後頭部をさすっていた右手を見ながら答えた。ユウキさんは感心したように笑みを浮かべる。


「頑丈だね。普通の人間なら昏倒してもおかしくない倒れ方だったのに」


「それだけが取り柄なんで。それより、猫又は?」


 ユウキさんは立ち上がって俺の後方に目線を向けた。振り向くと、そこには猫又の姿があった。


「出せっ、出しやがれ! くそっ!」


 見えない壁をガンガンと叩き、くぐもった叫び声を上げていた。ユウキさんの能力で閉じ込められているのだろう。俺たちが近づいてくるのに気付くと、脱出を諦めあぐらをかいて腕を組み、睨みあげてきた。その鼻からは血が流れた跡ができていた。どうやら壁に衝突した後に捕まったらしい。猫又捕獲作戦は成功だ。頭をぶつけたこと以外は特に被害もなし。思ったより早く片付いた。


「ふん、猫耳と尻尾を生やして出直してくるんだな」


「リョートくん特に何もしてないよね。というか、キミが気にしていたのは語尾じゃなかったっけ?」


 ユウキさんが冷めた目で俺のことを見てきた。言われてみれば俺がやったことは猫じゃらし振り回したぐらいなのだが、細かいことは気にしてはいけない。

 そっぽを向いた俺をよそに、ユウキさんは猫又のすぐ隣に座った。


「さて、さっき妙なことを言っていたけれど。僕が君に何をしたって?」


「オマエがけしかけてきた妖怪共のせいで大変だったんだ! よくもそんな白々しく……!」


 やはり、さっきから話が噛み合ってない。妖怪をけしかけるなんてことできるはずもないのだ。ユウキさんが嘘を言っているとも考えづらいし、猫又を追っていた存在がもう一人いたのか?


「僕には身に覚えがまったくないんだけどな。本当にこんな顔だったのかな」


「人間の顔の見分けはつかねえ。でも追い回していたのはオマエだろ。匂いでわかる」


 なにか誤解があるのは間違いない。問題は、ユウキさんの他にこの猫又を追いかけ回していたのが誰かということ。こいつの話を信じるなら、その人物は霊を操る力をもっていることになる。もはや天川以上に霊のことに詳しいかもしれないぞ、そいつは。

 次の言葉を考えるユウキさんと、閉じ込められて苛立つ猫又。刹那の沈黙の中、それに最初に気付いたのは猫又だった。僅かに遅れて、ユウキさんが立ち上がる。俺がその目線を追うと、入り口に人影があることに気付いた。




「……ッ!」


 一瞬、本気で呼吸の仕方が分からなくなった。その光景は、到底受け入れられるものではなかったからだ。ありえない。あるわけがない。あいつがここにいるなんて。




 旗川がここにいるなんて、ありえないのだ。




「こんにちはジェームズ・スミスくん。元気にしていたかな?」


 磨き上げられた革靴をカツカツと鳴らし、廃工場に入ってくる。薄気味悪い笑みを浮かべ、糸目になんの感情も見せない。あの合宿で逮捕されたはずの男が、そこに立っていた。

 4月に会った時のような黒スーツに身を包んだ旗川は、間違いなく本人だ。立ち上がったユウキさんが、俺のことを横目で見てきた。


「リョートくん、彼は……」


「……旗川です。妹から何か聞いてますか?」


「……把握した」


 瞬時に理解したユウキさんが警戒して身構える。旗川は入り口から真っ直ぐに歩き、俺たちの正面に立った。壁際にいる俺たちとの距離はおよそ10メートル。愛想のいい笑顔を浮かべているが、その細い目からは何の感情も見えない。ユウキさんが、息を飲んで言う。


「リョートくん、何と言ったらいいか分からないから、ありのまま言うよ。……彼からは、膨大な霊力…………キミとよく似た気配を感じる」


 旗川の登場でただでさえぐちゃぐちゃだった俺の思考が、ユウキさんの言葉でさらに混乱した。


「は……? どういうことですか!?」


「今言った以上のことは分からない。彼には、旗川には、何かが憑いている。キミと同じように」


 俺と旗川が同じ? 意味が分からなかった。遂に俺に不幸仲間が出来たのか? 冗談にしても笑えない。俺にとっては奴自体が不幸の象徴だぞ。旗川は入り口付近で立ち尽くし、表情を全く変えることなく言葉を紡ぐ。


「どうやらお兄さんの方は感覚が鋭敏らしい。4月のあの時、妹ではなく兄と出会っていたら運命は変わっていたかもしれないね、スミスくん。僕としては今のストーリーの方が好きだけれど」


 奴の言葉を聞いた俺は頭を振った。戯れ言だ。あいつの言葉に耳を貸す必要はない。タチの悪い訪問販売みたいなものだ。無視すればいい。それでいいのだが……旗川が、俺たちの想像もしないことを知っている。そんな気がしてならない。いや、今そんな事を考えるのは意味がない。深呼吸して、隣のユウキさんに小声で話しかける。


「ユウキさん、あいつを捕まえられますか」


「今、霊立方……能力を猫又の拘束に使ってるが、これを解除すれば可能だよ」


 苦労して捕まえた猫又を解放するのは心苦しいが、目の前の大物を逃すわけにもいかないだろう。俺が猫又を一瞥すると、彼女は鋭い目つきで睨んでくる……と思いきや、驚愕の表情で見上げていた。俺の方ではなく、天井を。




 その天井が轟音を立てて崩れ去ったのは、俺が猫又の表情の意味を察するよりも前だった。




 破壊された天井の残骸が俺たちの目の前に落下してきて、俺は反射的に手で顔を庇う。鉄骨やトタンの破片が雨のように降り注ぎ塵芥が立ち込める中、一際巨大な塊が地面を揺らして着地した。それは工場の天井を形成していた人工物ではなく、生物だった。天井を突き破って中に入るという非常識な手段をとったそいつは、外見も非常識だった。


 黒い塊に見えたそれは、よく見ると長い胴体が蜷局を巻いた状態になっていたのだ。一言で表すならば、巨大な蛇。直径1メートル以上もありそうな胴体は、ダークグレーの鱗で覆われている。こちらを向いた頭部はまるで鰐のように長く、鋭利な歯をむき出しにしてぎょろっとした目で俺たちを見ていた。すぐ横に立つ旗川には目もくれることもない。


「この子、ちょっと怖いけど僕の言うことを素直に聞いてくれるんですよ。その猫又に用があるだけです。お二人には下がってほしいのですが」


 愛想のいい営業マンみたいなノリでとんでもないことを言ってくる旗川。この化け物が言うことを聞くだって? 天川が俺の言うことを聞くぐらいありえないと思うぞ。隣のユウキさんに目線を送ると、緊張した面持ちであの巨大蛇を観察しながら小声で言う。


「リョートくん、自分の身を最優先にしてほしい。猫又の霊立方を解除して、この蛇の退治を試みる」


 どうやらユーキさんはあいつとやり合うつもりらしい。俺はどうするべきか迷っていた。そもそもここには猫又退治に来たはずなのに、どうしてこんな事になった。再び猫又を見ると、ユーキさんの能力が解除されたことに気づいていないのか、座ったまま目を見開いて怯えていた。


「おや、残念です。それでは致し方ありませんね」


 旗川が右手をスッと前に出した。それが何かの合図だったらしい。巨大蛇が、巨体に似合わない速度で突進してきた。それと同時に、俺たちの目の前にガラスの壁のようなものが形成される。ユウキさんが両手を突き出し、半透明の壁を生み出したのだ。巨大蛇はその壁に激突し。


 壁をいとも容易く粉砕し、勢いそのまま俺の鼻先まで迫ってきた。


「!?」


 透明なガラスの破片のようなものが宙を舞いながら消えていく。鉄を切り裂く猫又の爪を防ぎ切ったユウキさんの能力が、まさか破られるとは思っていなかった俺は手で頭を抱えることしか出来ず……


「…………?」


 しかし、俺の体は蛇の体に押しつぶされることもなく無事だった。俺の体質的に轢かれるのは確実だと思っていたので、それはそれで混乱するのだが、


「やめろ! 離せぇ!」


 猫又のもがくような叫びが聞こえて、俺は辺りを見回す。目に飛び込んできたのは、猫又が巨大蛇の尻尾に巻かれて捕まっている光景だった。猫又からは黒い霧のようなものが出て、巨大蛇の口元に吸い込まれていく。脳がパンクしそうな状況だが、ひとまず最優先すべきことは。


「ユウキさん、大丈夫ですか!」


 巨大蛇の傍に倒れていたユウキさんの元へ駆け寄った。こいつの突進で弾き飛ばされたのだろう。俺がすぐ側に行くと、ユウキさんは自力で上半身を起こした。肩を貸し、その場からユウキさんを遠ざける。


「ありがとう、自力で立てるよ」


 そうは言うものの、俺の肩から腕を下ろしたユウキさんは足元は覚束ない。猫又の方は未だに巨大蛇の渦の中でもがいている。その様子を、旗川が満足げな表情で見上げている。処理すべき問題が幾つもあってどうすべきか分からない。もういっそ、ユウキさんを連れてここから逃げ出し、全てを忘れて体育祭に戻りたい。しかし、ここで逃げるのはだめだ。


「ユウキさん、電話であま……妹を呼んでおいてください」


 俺はそう言うと、地面に落ちていた鉄パイプの切れ端を拾った。猫又の爪による切り口が鋭く尖り、ナイフとして使えそうだ。それを握りしめ、この場で最も脅威であろう巨大蛇に立ち向かう。


「リョートくん、やめろ……」


 ユウキさんの弱々しい声が後ろから聞こえてきた。俺は息を呑み、巨大蛇を観察する。おそらく、あいつは猫又のエネルギーか何かを奪い取っているのだ。それが旗川の狙いならば、妨害してやる。意を決し、一歩足を踏み出そうとした瞬間だった。


 巨大蛇がスルスルと動き出し、拘束していた猫又を尻尾で投げ捨てたのだ。ぐったりとした猫又の体は放物線を描き、俺の方へ飛んでくる。反射的に俺は鉄パイプを放り、猫又の体を受け止めようと手を広げる。


「おぅえ」


 そして見事に失敗し、俺は猫又に押しつぶされて地面にぺしゃんこになった。猫又の女体が上に覆いかぶさっているが、息苦しくてちっともラッキースケベとか思えない。猫又の腰を掴んでそっと横に下ろすと、ようやく前が見えた。


 そこには、黒い稲妻を体にまとった巨大蛇が浮遊していた。


「なっ…………」


 その光景に俺の脳がついに処理落ちを起こしたらしい。ただ口を開きそれを見守ることしかできなかった。

 空中に浮かぶ巨大蛇の体はあちこちで異変が起きていた。頭部や背筋にたてがみのような黒い毛が生え、額からは鹿のそれに似た角が二本生えていた。鼻先からはナマズのような口ひげ。そして、白く煌めく鉤爪をもつ手足。三本指のそれらを俺が見落としていたのか、それとも今生えてきたのかは分からない。1つ言えるのは、こいつはただの巨大な蛇ではないということだ。


「……龍」


 それはあまりにも有名な伝説の生物。強大な力、高貴さの象徴であり、歴史の教科書や文化財などで目にすることもある一般に馴染み深い霊獣。それがまさか実在し、目の前に現れて自分を凝視してくるなど、歩くカタストロフィーといえど流石に想定できるはずもない。蛇に睨まれた蛙ならぬ、龍に睨まれたヘタレ。本能からの危険信号に俺は逆らうことができず、地面に手をつき腰を抜かしたまま身動きできなかった。


「ようやく成りましたね。どうです美しいでしょう?」


 この期に及んでものんきな旗川の場違いなことよ。奴の緊張感のなさが俺に移ったのか、少し体が動くようになった。俺は横でぐったりしたままの猫又をチラ見しながら片膝立ちになる。


「さて、少々肩慣らしといきましょうか。死なないでくださいよ?」


 旗川が再び右手を前に出す。再び龍が突撃してくると思い身構えるが、そうではなかった。


 龍が纏う黒い雷がより激しさを増したのだ。


「おいおいおい……」


 開かれた龍のアギト。その口にエネルギーが集まり、ブラックホールのような影の球が形成される。球は電流を撒き散らしながら徐々に大きさを増していった。どう見ても危険なそれに、俺は倒れた猫又やユウキさんから離れるように走り出すが……


「──」


 黒い球が俺めがけて発射された。バレーボールのスパイク並みの速度で飛んできたそれは、俺の足元の地面に着弾する。


 凄まじい轟音と共に雷撃が弾ける。衝撃波に襲われ、俺は吹っ飛ばされた。その威力は、林間学校で会った神様の天罰の比ではない。電撃の爆発だった。


 無様に地面を転がされ、肺の空気が押し出される。目を開けると、穴の空いた天井、そして俺を笑いながら見下ろす旗川が見えた。


「どうです、すごい威力でしょう? 今日のところはこのあたりで失礼します。すぐにまたお会いするでしょう。旗川がお待ちしていますと、彼女にお伝え下さい」


「な、何を……ッ?」


 別れの言葉を残す旗川を止めようと手を伸ばすが、奴の足には僅かに届かない。旗川は龍に向かって歩き、龍の後ろ足に掴まった。

 同時に、龍の口が大きく開かれた口から発せられた咆哮が、その空間すべてを飲み込んだ。


「────────」


 その響きは、この黒い龍がこの世の生き物とは一線を画す存在であることを証明していた。空気が、そして自分の魂が揺さぶられるかのような感覚に、俺は何もできなくなってしまった。龍は旗川をぶら下げたまま、自らが開けた天井の穴から一直線に上空へと消えていった。それに突風が伴い、俺は腕で顔を庇う。


 風が収まった頃に、天井を見上げる。丸く空いた穴から見えるのは、澄んだ青空だけだった。


「リョートくん、大丈夫か?」


 ふらつきながらユウキさんが近づいてきて、俺の側に膝をついた。今だに心臓が早鐘のように鼓動しているが、立ち上がることができた。


「俺よりユウキさんのほうがヤバそうですよ」


「そうでもないさ。さて、それよりも……」


 ユウキさんと俺は猫又の傍へ向かう。彼女はわずかに呼吸しているが、昏昏と眠り続けている。その顔からは、さっきよりも生気が失せているような気がする。そもそもこいつは人間じゃないのでよく分からないが、おそらく危機的な状況なのだろう。


「どうするんですか、こいつ」


「害なす霊とは言え、消滅させるのは不本意だ。彼女は話の通じる霊らしいからね。あの旗川と龍に関しても、聞きたいことは山ほどある。そういう意味でも貴重な存在だよ。ただ、さっきの龍に霊力を吸われ過ぎたらしい。このままでは……」


 ユウキさんの目に憂いが帯びる。本当に、妹にはこの兄を見習ってほしいものだ。何もかもを力づくで解決すればいいというものではない。俺は猫又の顔をじっと見ていて、あることを思いついた。これを実行すれば、猫又を助けられるかもしれない。富田を失神させた元凶を何とかするためにここへ来たのに、こんな事になるとは。

 俺は大きく息を吐いて、猫又の手をギュッと握った。


「リョートくん、何を!?」


「殲魔記に書いてありましたよね、こいつは触れた生物から霊気を吸うって。なら、俺のをこいつに分けてやりますよ。俺は霊力をかなり多くもっているらしいので、少しくらいなら……!」


 そう言うと、ユウキさんは戸惑ったように猫又と俺を交互に見る。


「しかし、一歩間違えればキミが危ない。そこまでする理由は……」


「旗川。あいつを捕まえられるならやりますよ。あいつは俺の体質について何か知っているようでしたし。だから、猫又の説得、任せましたよユウキさん」


 俺がそう言うと、ユウキさんはまっすぐ俺の目を見てきた。妹にそっくりな、こちらの内面を見通しているかのようなその瞳で。そして、何かを理解したかのように頷いた。

 俺は猫又へと視線を戻す。さっきより少しだけ、顔色が良くなってきた気がする。これにちゃんと効果はあるようだ。その代わり、少しずつ俺の体にも変化が現れてきた。風邪のひきはじめのような倦怠感が増してきているのだ。俺の体力が尽きるのが先か、猫又が復活するのが先か。相手のいない我慢比べだ。

 そうして、黙って猫又の手を握り続けて数分経過した頃だろうか。僅かに、握っていた猫又の手が動いたのだ。俺は顔色を見る。すると、ずっと閉じられていた瞼がパッと開き──


「にゃああああああ!」


 奇声を上げて上体を起こし、握られていない方の手で俺に殴りかかってきた。無警戒だった俺は避けるのも間に合わない。左ストレートが顔面直撃。猫又の一撃KOであった。

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