1-2
クラス役員が全て決定した後、教科書が配布された。手提げ袋がはち切れんばかりの量に俺は愕然とした。高校ってこんなに勉強するのか。
「連絡は以上だ。では、明日からは授業だからな」
帰りのホームルームが終わる。クラスメイトたちが立ち上がり、ガタガタと椅子の音が鳴る。俺も帰ろうと荷物をまとめていたら、先生に呼ばれた。
「早速君に委員長の仕事をやる」
「あの……本当に俺がやるんですか? 不安しかないんですが」
「大丈夫だ。やることは私が順次教えていく。難しい事ではないよ」
「でも委員長って、クラスのまとめ役ですよね? 俺そうゆうの苦手なんすよ。うまくやっていけるかどうか」
「困ったら四条と協力すればいい。失敗したらしっかり叱ってやる。クラスで問題があったら、それは私が責任を取る。教師とはその為にいるんだからな。君はやるべき事を考え、どんどん実行すればいいんだよ」
「はぁ……まあ、頑張ってみます」
「うん、頼んだぞ」
こうなったら仕方がない。成すべきことを成そう。不安しかないのは相変わらずだけど。
「それで、俺の最初の仕事はなんですか」
「これは委員長の仕事なのか……?」
俺は今体育館方向へ廊下を進む。手には玉ひも付き封筒を持っている。
『この封筒を情報準備室まで持って行ってくれ。南棟2階だ』
これが売木先生から与えられた仕事だった。校内地図を確認すると、南棟はかなり遠くにあった。間違いなく、委員長の仕事という名のパシリだ。
4組の前を通り過ぎるとき、吾妻に声をかけられた。
「ちょうどよかった。今からテニス部の見学に行こうと思ってたんだけど、多々羅田も一緒に行かない?」
「悪りぃ、ちょっと用事があるんだ。後で行くよ」
「おっけー。じゃあ後で」
早くこのパシリを終わらせてしまおう。
体育館横の屋根付き通路を抜けて行く。
「いちにーさんしー」
体育館の開けられた窓からは部活動の声が聞こえてきた。それを聞き流して体育館の裏へ。
体育館裏はひと気がなく、僅かに聞こえる部活動の音以外は静かなものだった。通路の左側は体育館の壁、右側には草木が生い茂っていた。
これ、本当にこっちで合ってるのか? 一応通路は一本道で続いているので、迷うことはないが。
通路に沿って右に曲がると、建物が見えた。
「あれか」
おそらくあれが南棟だろう。2階建ての白いシンプルな建物。壁には汚れが目立ち、俺たちがいる西棟より古い建物であると伺える。
ようやく南棟までたどり着いた。俺がドアノブを回し、金属製の扉を引くと、重い扉が軋みながら開いた。
扉を通り、廊下を進んでく。床は西棟のような樹脂製のものではなく、木のタイルが敷き詰められている。廊下の右側の窓からはグラウンドが見える。左側には、生徒指導室、自習室、そして階段がある。階段の向こうにも教室があるが、そちらにもひと気はない。不気味なほど静かだった。
階段を登って左側に、ようやく情報準備室を見つけた。
扉の磨りガラスからは中の明かりが漏れていた。誰か中にいるのだろうか。一応、ノックしてから扉を開けた。
「失礼しまーす」
それほど広くない部屋だ。俺たちの教室の3分の1くらいか。扉を閉めて部屋に入ると、向かって正面に木製のデスクが構えていた。
そこには、ひとりの少女が座っていた。長い黒髪に、人形と見間違うほど可愛らしい顔立ち。そして、心の中まで見られてるような感覚になるその眼差しを、忘れるはずがない。
「き、昨日の……!」
「ああ、キミ。路地裏で会った覗き魔」
「違う」
「じゃあ足フェチ」
「……違う」
会って早々言いたい放題の少女。女の子に性癖を暴かれるのは辛すぎる。とっとと用を済ませよう。
「これ。売木先生にこの部屋に持ってくるように言われた。君に渡せばいいのか?」
「そうだね。受け取る」
俺が差し出した封筒を少女の小さな手が受け取る。封筒を一瞥して脇に置き、俺の方を見て口を開いた。
「やはり興味深い」
「えっ?」
「いや、独り言。とりあえず座ったら? 話をしよう」
気だるげな、囁くような声で俺に椅子を勧める少女。俺は彼女の顔を見るが、そこから何かを読み取ることはできなかった。
言われるがまま、目の前の木椅子に座る。デスクを挟んで少女と向かい合って座る形となる。なんだか面接を受けているようだ。
「キミに聞いてもらいたい話がある」
「は、はい。なんでしょう」
少女が真面目な雰囲気を出すので、俺も思わず姿勢を正す。少女が口を開くまで、じっと待っていた。
「…………実は、私は霊能者なんだ」
「はあ…………。そうですか」
「…………」
「…………」
「えっ」
「えっ」
少女が真顔のまま素っ頓狂な声を出した。つられて俺も同じような声を出してしまった。な、なんか間違えたか?
「聞いてた? 私は霊能者なんだよ。超常的な力を行使できちゃうんだよ」
「聞いてたって。てか言われなくても何となく分かってたよ。昨日懐中電灯からビームぶっ放してたし」
「…………驚かないの?」
「あー…………。何というか、俺って昔からすごく運が悪いというか、トラブルや厄介事を吸い寄せちゃうんだ。今までロクでもない目にあってばかりだったけど、中には常識とか物理法則はどこに行ったと思えるような、意味不明な事態に巻き込まれたこともあるよ」
超能力者とか魔法使いみたいな人間には出会ったことはないが、いても不思議ではないと思っていた。だから、あまり驚きがなかったんだと思う。
そんな俺に、少女は頬杖をして、売れない芸人を見るような目を向けてくる。
「ふーん、つまんないの。普通の人間はもっと面白い反応をするよ」
「悪かったな、普通じゃなくて。それで、俺にその話をしてどうするんだ?」
少女は息を吐き、背もたれに身を預けた。椅子が大きいので、少女の小ささがより際立っていた。
「キミもお察しの通り、超常的な存在や現象は確かに存在する。私は『霊』と呼んでいるけど。問題なのは、それらが存在することそのものではなくて、存在することがあまり認知されていないこと。私が霊能者と言って、キミはあっさり信じた。しかし、半分以上の人間は、『はあ、何言ってんのこいつ』みたいな目を向けてくるもの」
「そりゃ信じない人の方が多いのは分かる。でも、何で知られていないのが問題なんだ?」
「霊に対処できないから。例えば、昨日の鳥。キミ、あの鳥が火を放つのを見た?」
「うんざりするほど見たよ」
「知らないかな。ここ最近あの辺りで不審火が続いているんだけど、実はあの鳥が犯人の可能性が高い」
「…………マジか」
そのニュースなら今朝もやっていた。先月から続いており、すでに5件ほどあったようだ。
「幸い今まではボヤ騒ぎ程度で、大きな火災には至っていない。しかし、これは深刻な事態。何故なら、まさか鳥が放火犯だなんて誰も思わないから。警察だって、鳥を逮捕する訳にはいかない」
「確かに。間抜けすぎる絵面だな」
鶏を捕まえる手錠なんてないだろうしな。存在が認知されていないことが問題。この子が言っていたことがよく分かった。
「今の警察では霊に対処できない。しかし、私ならできる。霊に対する能力も知識もある。だから私は、霊絡みの事件を調査したり、依頼や相談を受けたり。言うなれば、何でも屋、探偵のような活動をしている。今回の鳥も、私は調査し、後を追っていた。その途中で……」
「俺と出会った。なるほどな、あそこにいたのは偶然じゃなかった訳だ」
結果的に言えば、俺はこの少女に助けられたことになる。改めて感謝の言葉くらい言っておくべきだろう。
「言いそびれていたけど、昨日は助かったよ、ありがとう。しかしすごいな。自分の能力を社会に役立てるために、そんな活動しているなんて」
「いや、この活動は単なる退屈しのぎ。この件だって、面白そうだからなんとなく首を突っ込んだだけだし。まあそもそも、私があの鳥を追いかけ回さなかったら、あの路地裏に行くこともなかっただろう」
「俺の感謝と感心を返せ」
思ったよりロクでもないぞこいつ!
「だって退屈なんだよ。つまらない日常を延々と続けるなんて耐えられない。霊の専門家なんてほかにいないだろうから、様々な依頼が私のところへ集まってくるはず。退屈を紛らわすには最高の活動。もちろん、依頼に対しては誠実に仕事をするし、顧客の満足度も高い。だから、そんな目で私を見るのはやめてほしい」
「まあ、俺は君に助けてもらった立場だし。文句は言えないが」
だんだんこの少女のことが分かってきた。ただ退屈だからという理由だけで、自分から厄介事に首を突っ込む変なやつ。俺とは正反対だ。
「私の事はどうでもいい。本題はキミの不幸体質」
「……そう言えば、昨日も言ってたな。俺の体質がどうって。なんでその事を知ってた? ……もしかして、君が言う霊が絡んでいるのか」
「その通り。キミの体質については、昨日一目見て分かった。霊気の乱れとでも言うべきかな。初めて見るよ、キミのような状態は」
「そうか……」
多少のショックはあるが、ある程度は予想していたことだった。神様に嫌われてるんじゃないかと思うほど、俺は運が悪い。普通じゃない事態に巻き込まれてばかりの俺が、1番普通じゃないのでは? 薄々感じていたことだ。
しかし、そんな俺にもついに希望の光が見えた。この少女だ。
「なあ、キミはさっき、自分なら霊に対処できるって言ったよな?」
「言ったよ」
「なら、俺のこの体質を治す心当たりはないのか?」
言うなれば、この子は霊の専門家だ。それならば、神社でお祓いを受けても治らなかった俺の体質を、なんとか出来るかも知れない。
「いや、それは出来ない」
「そ、そっか……」
しかし、その希望はあっさりと雲散霧消した。期待の分、俺はかなりへこんだ。
しょぼくれている俺に対して、少女が声をかける。
「たとえ心当たりがあったとしても、キミの体質を治すなんて勿体無いこと、しないけど」
「………………は?」
少女が言ったことを理解するのに、幾ばくかの時間を要した。
「え、何言ってんの? 勿体無いってなんなの? 俺言ったじゃん。この体質のせいで何回もエライ目にあってるんだって」
「楽しそう。羨ましい」
俺は呆気にとられ固まった。もはや彼女の意図を考えることすら放棄した。石像のようになっている俺に、彼女は話を続ける。
「私の活動については話した通りだけれど、同業者がいないとは言え、そもそも知名度があまりない。前は顧客の紹介なんかで依頼があったけど、最近は依頼が来なくて、結局退屈なんだよ。そこで、キミの体質。何もしなくてもトラブルを呼び寄せるんだよね?」
「ああ……そうだな」
「つまり、キミの側に居ればトラブルの方から勝手にやってくるということ。退屈せずに済むということ」
語る少女は、前のめりになり、口角が緩んでいた。
初めて見る少女の笑顔。その笑顔は──魔女の微笑みだった。
「ねえキミ、取引しない? 私の活動に協力してよ。 と言っても、基本的に放課後にここに来てくれればいい。その代わり、降りかかる火の粉は私が払ってあげよう」
さっき俺は、少女を変なやつだと思った。
「どうかな? お互いに利益があると思うけど」
訂正だ。変なやつでは到底言い表せられない。
「私と一緒に、不幸になろう」
イカれてる。こんな笑顔でそんなことを言うやつを、それ以外の言葉で表現できない。
「たとえどんな妖怪変化が襲ってこようと、守ってあげる」
今の俺にとって1番の妖怪変化はお前や。
「……お前、怖くないのか? 不幸になるのが」
少女が口を開こうとする。だが言葉が発せられる前に、扉をノックする音が響いた。
後ろを振り返ると、扉の磨りガラスの向こうに人影が見えた。
「どうぞ」
少女が言うと、扉が開けられた。
「失礼します」
開けられた扉から姿を現したのは、1人の女性。セミロングの髪と眼鏡。それくらいしか特徴が挙げられない、素朴な女性だ。
「あの、天川さん。そろそろセミナーの時間なんですけど……」
「そんな時間か。分かりました。すぐに行きます」
「はい、よろしくお願いします」
女性はそのまま出て行ってしまった。
今のはなんなんだ?
「さて、行かなくては。明日もここに来て。返事を待ってる」
少女はデスクの引き出しから手帳とノートパソコンを取り出し、立ち上がって扉の方へ。俺は振り返って、扉を開けて部屋を出て行く少女の後ろ姿に声をかける。
「ま、待って。最後に1つ。君の名前はなんて言うんだ?」
少女は立ち止まり、俺に横顔を見せて答えた。
「私の名前は天川照羽。それじゃあ、また明日」
少女が出て行き、俺は部屋にひとりぼっちになった。
俺はテニス部の見学を軽く済ませ、家へ帰ることにした。折角だから現役部員と打っていかないかと誘われたが、丁重に断った。
家へ帰る途中。電車に揺られながら、あの天川という少女が言っていた取引について考えていた。
天川の活動に協力する代わりに身を守ってもらう。いい話に聞こえるが、要は俺が事件を呼び寄せる餌になるという事だ。彼女はトラブルを望んでいる。結局のところ、俺はますます不幸な目に遭うことになる気がする。
電車が駅に到着する。電車を降り、改札を抜けると。
「すみません、お願いします。お願いします……!」
中年の男性が、必死な顔でビラを配っていた。男は口髭をたくわえ、高級そうな背広の似合うこれぞ紳士といった風貌だった。
「うちのピーちゃんが逃げ出して……! 見かけましたらご連絡下さい!」
どうやら、ペットが逃げ出したようだ。縋るようにビラを差し出すが、受け取る人は少ない。若干同情しつつ、通り過ぎようと思ったら。
「…………あっ」
目が合ってしまった。男は俺の方に近付き、ビラを差し出す。
「ピーちゃんが逃げてしまって……。家族も同然なんです。この写真の子を、どこかで見かけましたらご一報下さい。お願いします」
この状況で受け取らないのは変だろう。俺はビラを受け取る。
「はあ、そうですか。わかりましてえええッ!?」
ビラを見た俺は大声をあげてしまった。それに男はびっくりしたようだった。
「!? ど、どうされました!?」
どうしたもこうしたもない。
ピーちゃんって、昨日のイカれた鶏じゃねえか!
……もうあの鶏とは関わりたくない。俺は何とか冷静を装う。
「い、いえ……。何でもありません、失礼しました」
男は俺の顔をじっと見てくる。その目には、疑いの色が混ざっていた。
「……………………もしかして、心当たりが?」
俺は男の視線から逃れるように顔を逸らす。
「……いえ、なんのことかさっぱり」
「絶対嘘ですよね! わああああああ、お願いしますううううう! ピーちゃんは何処に、何処にいいいいい!」
「は、離せェ! 抱きついてくんなよ! むさ苦しい!むさ苦しい!」
顔をぐしゃぐしゃにしながら抱きついてくる男と、引き剥がそうとする俺。男同士の闘いは、数分に渡って続いた。