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4-1




「ああああああ! 早くしてくれ天川あああああ!」


 俺の名前は多々羅田涼砥。

 どこにでもいる、ごく普通の男子高校生──


「キョオオオオオ!」


「ぉお!? ちくしょうどこいった!」


 ──を目指している男だ。


 すっかり日が落ち、街がひっそりとする時間帯。俺は学校の近くにある廃工場にいた。夜になると薄気味悪くて誰も近づかないような場所なのだが、数週間前から正体不明の甲高い声が聞こえるとの情報が、複数の近隣住民から上がってきた。その正体こそ、逃げ惑う俺に影から襲いかかる存在。


「!? あぶねっ」


 悪寒を感じ急停止した直後、目の前に鋭利な爪が振り下ろされた。前のめりに倒れかけた体を後ろに引き、ソレと距離を取る。窓から差し込む月明かりで、正面に佇むソレの全貌が明らかになった。

 

 猿の頭に狸の胴、手足は虎のように屈強で、尻尾は蛇になっている。そう、こいつは俺も知っている有名な妖怪、鵺だ。

 行く手を阻まれ、俺は逃走経路を思案する。階段は鵺の向こう側、外の階段への扉は錆びて開かない。となれば……。


「ええい、やるしかねえか」


 俺は回れ右して駆け出した。後ろから鵺が追いかけてくる気配がするが、前だけ見て走る。向かう先には、柵で仕切られて吹き抜けになったスペースがあるのみ。一階に降りるための階段や梯子はない。あるのは、天井からぶら下がった鉄製の鎖くらいだ。

 追い詰められた俺は、迷うことなく柵をよじ登る。錆びた柵の手すりを蹴り、鎖に飛びついた。


「ぐっ……よし」


 鎖を握った時少しだけ滑り落ちたが、どうにか掴まることができた。柵の向こう側にこちらを威嚇する鵺の姿を見た。身軽な奴のことだ、いつ飛びかかってきてもおかしくない。すぐに鎖をつたって降下する。

 ところが、ここで俺の特性、受難体質が発動。鎖がギシギシと軋み始めたと思ったら、上方の輪がパキンと割れ、俺は千切れた鎖とともに重力に引っ張られた。


「マジか──ぐへっ」


 2メートルほどの高さから落ち、更には着地にも失敗しコンクリートの地面に尻餅をつく。猛烈に痛いが、自分のケツを心配する暇すらなかった。

 

「──」


 2階から飛び出した影が壁を蹴って回り込んでくる。ハッとして顔を上げると、見えたのは鵺がギラリと光る爪を振りかざし、落下してくる姿だった。俺は為す術もなく、反射的に手で頭をかばいギュッと目を塞ぐ──

 しかし、その爪が俺に届くことはなかった。


「キイイイイイイイイイイ!?」


 身の毛がよだつような、高く響く悲鳴だった。頭の上の方に熱量を感じ、目を瞑ってても分かる光の奔流。俺には、見るまでもなく状況が理解できる。


 目を開けると、鵺は跡形もなく消えていた。俺はゆっくりと立ち上がり、後ろを振り向いた。


「よお、待たせたな天川」


 廃工場の大きな入口に、外の街頭の光を背中に浴びる小さな影があった。絹糸のような黒髪を夜風になびかせ、レーザービームみたいな視線が俺のことを捉えている。右手に持った懐中電灯で肩を軽く叩きながら、その桜色の唇から発せられたのは……遠慮なしの毒舌だった。


「今日は一段と愚鈍だったな、リョート」






 翌日の放課後。情報準備室の扉を開くと、デスクに天川の姿はなかった。ノートパソコンがないことから、多分研究室にいるのだろう。今日は天川に話があったんだが、まあ待ってればそのうち来るか。ソファに腰掛け、本を取り出して栞を挟んだページを開いた。


 丸々一章読み終わった頃、天川が扉を開けて入ってきた。


「おっす」


 声をかけると、天川は一瞬こちらを見るが、何も言わずにデスクへ向かう。相変わらずの無愛想だな。俺は本を閉じ、天川が椅子に座るタイミングを見計らって本題を切り出した。


「あのさ、ちょっと相談があるんだが……」


「自分も霊に対抗する手段が欲しい、という話?」


 何故分かったし。


「昨日の一件がきっかけかな。解散する前、キミは遠くを見て唇を噛んでた。考え込んでるときの癖」


 天川の観察力恐るべしである。確かに昨日の鵺退治の後、依頼主である近隣住民たちに感謝されている天川を見て、ふと己の無力を感じてしまった思春期男子こと俺だ。それを見通していた天川は、俺と目を合わせてキッパリと言う。


「結論から言うと、私はその手段を提供しない」


「……いやな天川? 別に俺は手柄が欲しいわけじゃないんだ。こんな体質だし、最低限の自衛手段はあるべきだろ。そうすれば、昨日みたいに相手の誘導にモタつくこともなくなるし」


「必要ない。私が来たる災いを退ける、これが最初の約束。私は今までも、そしてこれからも、約束を履行する。そもそも、霊的対応力は一朝一夕で会得できるものではない」


 淡々と理由を述べる天川に対し、俺は返す言葉が出てこない。彼女の言葉も視線も、真っ直ぐ俺を突き刺してくるようだった。しかし、俺だって本気で頼んでるんだ。いい加減、『泣き叫びながら逃げ惑う』という芸風は卒業したい。いや芸じゃないけど。


「そこをなんとか、頼むよ天川。ちょっと、ちょっとおまけして」


「何を値切り交渉してるの。必要ないと言っている」


 天川のほとんど睨むような目に俺は怯む。むう、なかなか強情だ。ここは、一度引くのが最善か。


「はいはい。分かったよ」


 体の力を抜き、ソファに体を預ける。ここ最近で俺の体質が本領を発揮し出したのかは知らないが、昨日の鵺のような妖怪や怪物に遭遇する機会が随分と増えた。その度に俺は逃げ惑っていたので、少しは自衛手段が欲しい、と思い始めた次第だ。まあ、しばらく間を置いて聞いてみるか。

 スマホを取り出し時間を見ると、いつの間にか五時を回っていた。いつもより早いが、今日はこの辺りで帰ろう。


 荷物をまとめて立ち上がった俺は、パソコンで作業している天川に声をかける。


「じゃ、俺はこれで帰るわ。……ああ、明日からはあまり来れなくなるかもしれないからな」


「何故?」


「体育祭の準備だよ。天川、本当に高校の行事に興味ないよな」


「私にとって価値も義務もないから。キミにとっては大切なの?」


「まあな。折角のイベントは楽しまないと損だろ」


「そ」


 世界一そっけない返事をして、天川は目線をパソコンに戻す。俺はやれやれという気分で息を吐く。まあいい。これで体育祭が終わるまで、天川とは会わないで済みそうだ。何が何でも、高校最初の体育祭を満喫してやる。決意を胸に、情報準備室を後にした。






「こういう体育祭や文化祭とかって、本番よりも準備や片付けしてた時のことの方が思い出に残ってるよな」


「それは多々羅田が当日の記憶を抹消してるからじゃないか?」


 太めの木材を杉並と二人で運んでいく。応援看板を立てるための柱にする木材を、倉庫からグラウンドに持ってくるのが俺たちの任務だ。グラウンドには同じ任務を負った白組の男子たちのほか、大学方向の斜面前では紅組が応援合戦の練習をしている。普段は陸上部やサッカー部が踏み固めているグラウンドでは、今週の放課後は体操服姿の生徒があちこちで動き回っていた。


「ちがうわ。むしろ抹消できるならいっそしたい。未だにフラッシュバックする」


「特に中二の時は色々ヒドかったよな。今じゃ笑い話だけど。まあ、多々羅田の言いたいことは分かる。体育祭ってものはああいう連中が主役だからな」


 杉並が見てるのは紅組応援団だ。赤い扇を持って演舞を練習する集団の中には吾妻の姿もある。得手して、応援団に入るのは運動ができる人が多い。杉並の言葉はそういう意味だろう。ただ、別に体育祭を悲観してる訳でもないらしい。


「でも、俺のような運動神経のないフレンズでも、楽しみようはあるんだ。冷静に考えて、女子が体操服姿で走ったり踊ったりするのを間近で観られるなんて……胸が弾むだろ? 二重の意味で」


「その前向きさは尊敬するがもっと慎みをもてぇ」


「祭なんてバカになったもん勝ちだろ。迷惑をかけない程度にな」


 杉並がネットリとした笑みを浮かべる。ここ最近気付いたのだが、どうも変態という生き物は軸が全くブレないらしい。


 俺と杉並は看板建設予定地に着いた。今日は仮設置して手順を確認するという話だった。が、そこには資材がビニールシートの上に綺麗に並べられているだけで、設置作業が行われている様子はない。俺たちが疑問符を浮かべ立ち尽くしていると、現場を仕切っていた3年生がこっちに気付いた。


「そこの一年生。今日は仮設置の予定だったけど、少々天候が不安定なので明日に延期にせよと、先生からのお達しだ。支柱はそこに置いて、看板製作の手伝いに回ってくれ」


 確かに、さっきから風が強くなってきているとは思っていた。空を見ると、いつの間にか大きな積乱雲が空の半分を侵略しつつあった。


「あそこですね、りょーかいです」


 杉並が先輩に返事をし、二人で木材を置きに行った。そうしている間にも風が強く巻いている。こりゃ一雨降るかもな。

 木材を下ろし、俺は大きく伸びをする。そこで、教師が一人先輩の方へ歩いていくのが見えた。あの眼鏡をかけた色黒強面の怖そうな中年教師は、我が校の教頭先生だ。


「三崎君、進捗はどうかね」


「はい、大方運び終えました。予定通り──」


 先輩の言葉の途中、一際強い風が吹いた。グラウンドの砂が舞い上がり、俺は反射的に風下へ顔を背ける。偶然にも、その方向に教頭先生がいたのだが……何故か、不自然に頭を手で庇っていた。


 突風が収まると、教頭先生は軽く咳払いをした。


「では、気をつけて作業をするように」


 そして先輩にそう言い残し、そそくさとこの場を立ち去った。俺が教頭先生の背中を目で追っていると、杉並が俺の背後からぬいっと出てきた。


「……なあ、教頭のヅラ疑惑、お前はどう思う?」


「限りなく黒に近いグレー」


 校内ではびこる噂の中で、最も注目度の高いのが教頭先生の頭皮事情である。数年前から噂が立ち始めているらしいが、教頭のもつ威圧感の前に真相にたどり着いた者はいない。が、今のようにかなり怪しい場面は度々目撃されているのだ。いずれ、報道部あたりが真相を明らかにする日が来るかもしれない。




 杉並と俺はグラウンドから撤収し、2年生の教室へ出向いた。机や椅子を全て廊下に出し、広いスペースを確保したこの部屋では、現在応援看板の製作が進んでいる。看板と銘打っているものの、実際にはハリボテで飾り付けるのも認められているので、立体的な作品となる。派手な応援看板は開校当初からの伝統らしい。


 教室に入ると、学年入り混じって作業をしていた。中央付近にカンザシが座ってるのが見えたので、床に散乱している絵具やらハサミやらを避けて向かう。


「カンザシ、お疲れ」


「あれ、リョートくんと杉並くん? どうしたの?」


「看板設置が中止になったから、なにか手伝えないかと思って」


 大きな画用紙に色を塗っていたカンザシが体をこっちに向ける。体操服に絵の具が付着するのを嫌ってか、黒いTシャツに着替えていた。Vネックのとてつもなくシンプルなシャツだが、女の子の普段とは違う格好っていいよな。


「分かるぞ多々羅田」


 俺の心を読むな杉並。俺の斜め後ろにいる杉並の発言にカンザシは『?』という顔をしつつも、俺達に指示をくれる。


「そうね。じゃあ、ハリボテ用の段ボールを切ってもらおうかしら。あっちでやってるわ」


「うぃーっす!」


 杉並が元気に返事をして、カンザシが指差した方へ向かった。俺も杉並の後に続こうとしたら、カンザシに呼び止められる。


「あ、リョートくん。行く前に、足元に落ちてるハケ、取ってもらえる?」


 足元を見ると、未使用のハケが転がっていた。俺はしゃがんでハケを取り、カンザシに差し出した。


「はい」


「ありがと」


 カンザシが身を乗り出し、手を伸ばしてハケを受け取ろうとする。その時、俺はとんでもないことに気付いた。

 カンザシが左手を床について前傾姿勢をとったことにより、シャツの襟と首元に隙間が生まれていたのだ。さらにVネックのシャツだったことも幸いした。結果、正面にしゃがんでいた俺は、その薄暗い隙間の奥に隠された魅惑の峡谷を拝むことができるわけでして。とっても僥倖でありまして。堂々とガン見して早々に記憶する次第でして。


「リョートくん?」


 ハケを受け取ったカンザシが、全く動かなくなった俺を見て眉をひそめた。記憶への保存を完了した俺はスクッと立ち上がり。


「じゃ、ごちそうさま……じゃなくて。行ってくる」


 そのままそそくさと杉並の後を追った。


 俺はコソ泥のようにそそくさと移動し、座って作業を始めていた杉並の隣に腰を下ろし。


「なあ杉並よ」


「なんだ?」


「体育祭……いいな」


 前置きも何もなく呟くように言った。脈絡のない発言に対し杉並は、『何を言っているんだお前は』という顔をしながら親指をグッと立てた。

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