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春の閑話2



 週末の駅前に俺と結由、カンザシが集合した。杉並はと言えば、今朝『胃腸がクーデターを起こしたから鎮圧する』とLINKが送られてきた。腹が痛くて来られないらしい。お陰様で結由とカンザシ、クラス男子の人気投票トップ2を独り占めすることになったのだ。正直杉並の胃腸には感謝が絶えない。今度奴に生牡蠣でもプレゼントしよう。


 3人で喫茶店に入り、席に着いた。メニューを眺めていると、店員さんがおしぼりを持ってやってきた。


「いらっしゃいませ。涼砥くん、お久しぶり。もう注文はお決まりかしら?」


 黒いエプロンを着た、茶髪の若い女性店員の名前は平瀬さん。顔馴染みの俺に対して親しみやすい笑顔を向けてくれた。


「お久しぶりです。俺は決めましたが。二人は決めた?」


「うん。私もカンザシちゃんもカフェオレで」


「俺も同じのをお願いします」


「カフェオレ三つね。畏まりました。ところで……」


 平瀬さんは俺の耳元に顔を近づけると。


「どっち狙いなの? 意外とスミに置けないね」


 ひそひそ声でそんな事を言ってきた。俺が思い切り顔をしかめて身を引くと、平瀬さんはニヤニヤしながらカウンターへ戻っていった。後で店長に言いつけようか。


「……店員さんと仲良しなのね。何を話していたの?」


 カンザシが不審がるような顔で俺を見てきていた。さっきの内容を言えるわけもないもない俺は。


「それより、勉強始めようぜ。何の教科からやる?」


 いそいそとリュックからノートを取り出した。露骨に話題を逸らした俺にカンザシはしばらく冷めた視線を送っていた。





 テスト勉強が好きだと思ったことがある人はいるだろうか。少なくとも俺はない。いくら勉強が大事だと理解してても、面倒臭いという感情は依然として立ちはだかるものだ。

 ところが今、俺は猛烈に勉強会を楽しんでいた。


「カンザシちゃん、ここってどうやってやるの?」


「これはね、xを不等式の真ん中に集めて……」


 結由のノートを覗き込み、数学を教えているカンザシ。俺の正面に座る幼馴染二人は仲睦まじく勉強している。麗しき花園が目の前に咲き乱れていた。もう因数分解とかどうでもいいや。この場にいる幸せを堪能していたら、カンザシが俺のことを見ているのに気付いた。


「リョートくん? ちゃんと集中してるの?」


「あ……いや、ちょっと疲れちゃってな。少し休憩しないか?」


「そうね。ずっと勉強してたし、そうしましょうか。結由ちゃんもそれでいい?」


「願ったり叶ったりだよぉ……。飲み物、おかわりしたいな」


 うーんと背伸びした結由はメニューを開く。飲み物をおかわりしたいと言った割にはデザートのページを熱心に見ている。


「レアチーズケーキ……おいしそう……にゅふふ」


「間食したら太るよ? 結由ちゃん、このあいだ体重が……」


「おわあああ! りょーくんの前で何を言おうとしているの!」


 大慌てで結由が割って入ったので、カンザシの暴露が完遂されることはなかった。少し赤くなった顔で、結由が俺のことを伺ってきた。なんだろう、何か言ったほうがいいのかな。


「べ、別に気にすることないと思うけど。むしろ、ふたりとももっと食べたほうがいいんじゃない?」


 結由もカンザシも太ってるわけではない。カンザシは出るところは出て、しまるところはしまっているって感じ。結由はむしろ華奢すぎるぐらいだろう。小柄な体に細い肩。手も子供みたいに小さい。俺の言葉に結由は苦笑いだ。


「そんなことないよ。お腹が出ても嫌だし……」


「女の子はその辺敏感なんだから。デリカシーないぞリョートくん」


「す、すまん……」


 カンザシが子供に「めっ」って叱る母親のような雰囲気で指摘してきた。俺としては気を遣って発言したつもりだったが、失敗だったか。そもそも体重の話に男が混ざるのがダメなんだ。俺が謝ると、結由はまだ赤い顔のままで俺を見て、おずおずと口を開く。


「……りょーくんは、痩せすぎの女の子は嫌い?」


 まだその話続けるんかい。ていうか、どういう意図でその質問をしているのだろう。女心なんてちっとも分からない俺にとって、この会話は地雷原。下手な返しをしたら爆発しかねない。しかし、結局気の利いた返事は思いつかず。


「……好き嫌いと言うか、健康が第一だろ。太り過ぎや痩せすぎで病気したら元も子もないし。まあ結由は運動部だし、その辺は心配ないと思うけど」


 自分でも何を言いたいのかよく分からなくなってきた。もっと良い返し方あったろうに。本音を言えば「俺はカンザシみたいな体型が好みかな。おっぱいでかいし」なのだが、そんなこと口に出せるはずもない。しかし、結由は何故か納得したようで、


「ふうん……そっか」


 と言って再びメニューに目を戻した。よく分からんが、窮地は脱したらしい。カンザシはジト目で俺を見ていたが。その視線から逃れるように、俺は平瀬さんに声をかける。


「すみません、追加の注文いいですか?」


「はーい」


 顔馴染みだからこそのお気楽な返事が飛んできた。平瀬さんがバインダーを持ってテーブルに来たので、俺は手で示しカンザシたちに注文するよう促した。


「私はカプチーノで」


「えっと、カフェオレ……とレアチーズケーキ」


 結局食べるんだな結由。なんだか恥ずかしげに注文した彼女を見て微笑ましい気持ちになったが、態度には出さない。


「俺はブレンドでお願いします」


「かしこまりー」


 もはや身内のような適当さで接客をこなし、平瀬さんは奥へ去って行った。





 10分くらい経過した頃、トレーを持った平瀬さんが戻ってきて、追加注文した飲み物を持ってきてくれた。俺にはブレンドコーヒーと、ミルクの入った小さな瓶。俺はその瓶に手を伸ばしかけて……ある事を思いたった。ブラックのままのコーヒーを、一口だけ飲んだ。それを正面のカンザシがまじまじと見ていた。


「あれ、リョートくんブラックで飲むの?」


「……っ、ああ、まあこの方が香りを楽しめると言うか? このコーヒー飲みやすいし」


 にっが! やっぱり苦い。しかし天川に淹れてもらったやつよりかはマイルドな感じがする。少々見栄を張ったが、飲みやすいと言うのは本当である。


「そーなんだー。ねえ、一口飲ませてよ」


「えっ!? ……いいけど」


 俺が戸惑いながら許可すると、カンザシは俺のカップの取っ手をもつ。そのまま口に運び……っておい、それじゃ間接……!


「うん、確かに飲みやすいね」


 俺が口をつけた場所からコーヒーを啜ったカンザシは、意味ありげな視線を送りながらカップを置いた。俺が石像のように固まっていると、カンザシは更に追い打ちのような行動をとった。


「ねえ結由ちゃん、ちょっと飲んでみない?」


「ふぇ!? でも、わたしコーヒーって飲んだこと無いし……」


 カンザシは自分の左隣に座る結由に俺のコーヒーを勧めたのだ。やりたい放題である。


「このコーヒーは飲みやすいから大丈夫。ほらほら、挑戦」


「えと、そこまで言うなら……。りょーくん、ちょっともらっていい?」


「ああ……」


 うつろな返事をすると、結由はカップの縁を両手で挟むように持った。取っ手があるんだからそこを持てばいいのだが、これは彼女の癖だ。カンザシが口をつけたところとは反対から、くぴっと一口。


「うぇぇ……苦いよ……」


「ふふ、やっぱりブラックはキツかったかな?」


「うん、わたしは甘いのがいいな……。あ、ありがとねりょーくん」


 結由はカップを俺の方に差し出した。受け取った俺は、湯気立つ黒い液体に、瓶のミルクを投入した。やっぱり俺にもブラックは無理だ。


「あれ、ミルク入れるんだ」


「あ、ああ。やっぱり今、甘いものの気分かなーと思って」


 俺の言い訳にカンザシはニマニマ顔。くそっ、最初から見栄なんて張るんじゃなかった。ミルクの瓶を置き、スプーンで混ぜている時、俺は気付いてしまった。

 二人が口をつけたカップ、どうやって飲もうか。カップを上から見た時に、取っ手がついた部分を北とする。すると東側はカンザシが口を付け、西側は結由が口を付けた。セーフゾーンは南側のみだが、ここから飲むには結由みたいな持ち方をしなければならない。俺がやったら変に思われるだろう。つまりカンザシか結由どちらかとの間接キスを選ばなければならないのだ。

 俺は二人の様子を伺う。結由はレアチーズケーキに夢中。カンザシは相変わらずイタズラっぽい笑みを浮かべながら俺を見ていた。確信犯だな。

 ならばいっそのこと、なんとも無いように飲んでやろう。逆に照れさせてやる。俺は右手で取っ手を持ち、躊躇いもなく口を付けた。豪快に飲み込んでカップを置き、どうだと言わんばかりにカンザシを見た。すると、カンザシは一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべる。切れ長の目で俺を見つめながら──自分の人差し指で、少しだけ尖らせたチェリーピンクの唇をトントンと軽く叩いた。


「……っ! げっほ、げほ」


「だ、大丈夫りょーくん?」


 危うく吹き出すところだった。むせた俺を、口元に食べかすを付けた結由が心配してくれる。平静を装っていた俺もカンザシの色っぽい動作にとうとうボロが出た。カンザシは口に手を当てクスクスと笑っている。ダメだ、勝てる気がしない。


「大丈夫。それより結由、口元についてるぞ」


 俺に指摘され、結由はあわあわとナプキンで口を拭う。カンザシは何食わぬ顔でカップを傾けていた。俺はため息をつきコーヒーを飲む。ミルクを入れたおかげか、想像以上に甘く感じた。今の俺には、ミルク入りが丁度いいようだった。





春の閑話 「コーヒー」

閑話はここまで。


読者の方には心から感謝。

物語はまだまだ続きますので、これからもよろしくお願いいたします。


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