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3-3

 俺は何も見なかったことにして、入口の横に置いてあるカゴを1つ取り、そのまま真っ直ぐ進む。早く買って帰らないと、杉並あたりに文句を言われてしまうだろう。袋詰めのお菓子をパッケージも見ずにカゴに放り込む。続いて冷蔵庫を開け、コーラとオレンジジュースのペットボトルをピックアップ。これで予算ぴったりくらいだろう。俺は踵を返し、レジへ突撃していった。

 店員さんが会計している間、俺は雑誌コーナーの方を盗み見る。旗川の姿はなかった。もう店を出たようだ。俺はほっと息を吐く。




 だが、それはぬか喜びだったらしい。


「ありがとうございましたー」


 店員の言葉を背に受けながら外に出たら、旗川が待ち伏せしていたのだ。


「やあ、ジェームズ・スミスくん。ちょっとお話ししない?」


 ……俺はジェームズ・スミスなんて人は知らないので、そのまま無視して通り過ぎようとする。


「話を聞いてくださいよ。じゃないと君がここに来ていたこと、先生達に言っちゃいますよ?」


 俺はギクッとして立ち止まる。止まらざるを得ない。先生にチクられるのはマズイ。旗川め、嫌なところを突いてきやがる。俺が引きつった顔で旗川の方を振り返ると、奴は腹の見えない笑顔を見せてきた。




 俺と旗川は並んで自然の家へと歩く。天川に、旗川には見つからないほうがいいと言われた直後にこれだ。どのみち時間の問題だったとは思うが、この薄気味悪い男と夜道を歩くなんて状況にはなりたくなかった。


「そんなに警戒しなくても、君に危害を加えたりしませんよ。これを渡したいだけです」


そう言ってビニール袋を差し出してくる旗川。一瞬迷って、俺は受け取った。中を覗くと、一冊の雑誌が入っていた。表紙には扇情的なイケナイ写真が……


「これはっ! ゴクリ………………じゃなくて! 何でこんなものを!?」


「必要だったんでしょう?」

 

 俺は思わず目を見開く。そして、驚きを表情に出してしまったことを後悔した。俺の表情を見た旗川が、再び笑顔になる。これじゃあ図星だと教えているようなものだ。

 まさか、爺さんと俺が話していたあの場にいたのか? 一応周りを確認したつもりだった。だが、この口ぶりだと俺とあの爺さんの会話を聴いていたようだ。木の陰にでも隠れていたのか? 何の為に?




 気がつくと、もう自然の家が見えるところまで来ていた。旗川が立ち止まり、再び俺に乾燥した笑顔を向ける。


「それでは、私はここで。合宿、楽しんでください」


 そう言い残して、旗川は自然の家の方へ消えていった。旗川の姿が見えなくなった後、俺は両手にビニール袋を持ったまま、生垣沿いに部屋の窓まで戻った。ますます大きくなっていく疑念を抱きながら。








 合宿2日目の朝が来た。朝食の味噌汁を啜りながら、俺は考えていた。昨日あれやこれやと悩んでいたが、冷静になると今の状況が分かってきた。

 まずは旗川。奴が例の神様絡みで何か企んでいるのは間違いない。でなければこんなところで自然の家の職員なんてやっていないだろう。その企みの詳細が分からないのだが、実はそれは重要ではないのだ。

 あの神様は、おそらく俺の前にしか現れない。旗川は直接神様に会えたことはないのだ。旗川が目的を果たすためには、俺と一緒にあの祠に行かなければならない。だから、昨日の夜に俺にエロ本を渡し、祠へ行く口実を作った。俺の後を尾けて、あの自称神様に会うために。

 つまり旗川の狙いが何であれ、俺があの神様の元へ行かなければ何も起こらないということだ。最も単純かつ効果的な対策。しかし、それでは俺が困る。神様が俺の体質を治してくてるかもしれないという希望に、賭けない訳にはいかない。


 そんなわけで今日の目標は、旗川に気付かれずに神様の元に行くこと。俺には受難体質もある。慎重な計画、万全の準備が必要だろう。

 とは言え、そもそも俺がこっそり抜け出せるタイミングというのも限られている。今日の予定は、まず午前中に校歌の練習などを体育館で行う。昼食は飯盒炊爨でカレー作り。午後は川釣りやオリエンテーリングなどのレクリエーション。その後、夜のキャンプファイヤーで合宿のクライマックスとなる。


 仕掛けるなら午後か。そう考えながら、俺は残った白米を掻き込んだ。





「木炭の上に千切った段ボールを置きます。適当に置くんじゃなくて、酸素が通るように、井桁型に積み重ねて……そうです。それで、マッチを中央に放り込んでください」


旗川が石かまどで木炭に着火する方法をレクチャーしている。杉並がマッチを擦り、格子状に組み立てた段ボールの破片火をつける。


「おおー。よく燃えてます」


「あとは適度に風を送れば、木炭に火がつきますよ」


「分かりました、ありがとうございます! よし、燃やすぜ燃やすぜ!」


 旗川に礼を言って、うちわで風を送る杉並。旗川は愛想のいい笑みを浮かべる。そして、こっちをチラと見て去って行った。

 今は班ごとに昼食のカレーを作る時間だ。女子たちは水場で野菜を切って、男子は火起こし。それぞれの班を旗川が見回っているので、ここからバレずに逃げ出すのは無理そうだ。となると、やはり午後のレクリエーションの時間に機を伺うしかないか。あまりグズグズして日が暮れても困る。灯りのない神社への道筋は暗くなったら何も見えなくなるからだ。


「ねえ、リョートくん? ちゃんと働いてる?」


いきなり声をかけられ後ろを振り向く。そこには、カンザシが笑みを浮かべ、包丁を手に立っていた。


「やることがないなら、お鍋取ってきてくれる? もうすぐ野菜は切り終わるから」


「取ってくる!取ってくるから包丁ギラつかせるのやめて!」




 色々と苦労しつつも完成したカレーを腹に収め、いよいよレクリエーションの時間になった。いくつかのレクリエーションから選んで参加する方式なのだが、俺は渓流釣り体験になった。参加枠が少ない割に希望者が多く倍率が高かったのだが、何故かクジで勝つことができた。自分がラッキーな目にあうと、逆に不安になってくる。


そして、その不安は現実のものとなった。


「こんにちは。今回川釣りコーディネーターとして皆さんと一緒にやっていく旗川です。よろしくお願いしますね」


 俺は思わず額に手を当て項垂れた。川釣りコーディネーターって何だよ。どこでその資格取ったんだよ。


という訳でニコニコ顔の旗川に釣竿の使い方から教わることになり、いよいよ抜け出すのが難しくなってしまった。やたらと教えるのが上手いのが癪である。


 一通り教わって、次は川で実践だ。大きな石がゴロゴロしている川岸に立つと、あのシャケ達のことが頭によぎる。その光景を振り払い、俺は教わった通りに釣竿を振り、川面に糸を放り込んだ。あとはじっと待つだけだ。


「なあたらちゃん。どっちが先に釣れるか勝負しようぜ」


 俺の隣に立っている富田が勝負を仕掛けてきたので、俺は適当に了承しておいた。今のところ、釣竿に反応は無し。戦いは長くなりそうだ。


「旗川さーん、ちょっといいですか?」


 後ろの方から声が聞こえたので、俺は首を捻って盗み見る。自然の家の方向から、女性の職員が向かってきていた。確か氷室さんだったか。彼女は小走りで旗川の方へ近付く。


 俺は視線を川へ戻しつつ、耳だけ後ろの会話に集中する。


「旗川さん、すみません。夜の準備で少し手をお借りしたいのですが。今大丈夫ですか」


「…………もちろんです。代わりにここを任せても?」


「はい、大丈夫です。倉庫の方に三条くんがいるのでそちらにお願いします」


 会話が終わると、足音が1つ遠ざかっていく。そして、もう一つの足音が左の方向へ。左のほうを見ると、氷室さんが学年主任の上野先生と何やら話している。そして、後方に先程まで居た旗川の姿は無かった。


 千載一遇のチャンスというヤツだ。俺はルアーを引き上げ、釣竿を脇に置く。俺の様子を見て、富田が訝しんだような顔をしていた。


「どうした? 愛しの結由ちゃんに会いたくなったのか?」


「ちっげーよ。腹が痛いからトイレ!」


 若干キレ気味で言うことで嘘を誤魔化す。俺は早足で川岸を後にした。


 砂利道を少し歩くと、自然の家の前まで戻ってきた。ここは昼食のカレー作りをした場所だ。俺は水場の影や自然の家の方を慎重に見回すが、人はおろかねずみ1匹見当たらなかった。

俺は少し外れの藪の方へ向かう。この古びた街灯が目印だ。


「あったあった」


 藪の中に隠してあったビニール袋を回収。これは朝に俺が仕込んでおいたものだ。中身はもちろんアレだ。


 辺りをきょろきょろしつつ、俺は山道へ向かう。誰にも見られていない事を念入りに確認し、木々の間へ入り込んで行った。

 鳥居をくぐると、そこにはボロい祠と巨大な御神木が変わらずに待ち構えていた。静かすぎる境内には、あのスケベ爺さんの姿は見えない。


「おーいじーさんえろほーんだぞっ」


「おお本当に持ってきてくれたのか」


「!?!!!!!??!?!?」


 突然後ろから耳元で声をかけられ、俺は天敵に見つかったバッタのようにその場を跳び退く。驚きで心臓が跳ねる中、俺は背後の存在を目の当たりにした。


「びっくりしたあ。いちいち人の背後に立たんと気が済まんのか」


「いちいち小僧の反応が面白いからの」


 楽しそうに笑い、爺さんは祠の前に立つ。一見すると平日の昼にパチンコ屋とかにいそうな普通の爺さんなんだが。人間じゃないんだよな、この爺さん。


「ほらちゃんと持ってきたぞ。これで俺の体質を直してくれるんだろ?」


「もちろんじゃ。と、その前に」


 おもむろに、爺さんは俺の後ろを指差す。


「そちらは小僧の知人かな?」


「!?」


 俺はバッと振り返る。鳥居の下に、薄気味悪い笑顔を浮かべる男が立っていた。


「は、旗川……」


「こんにちは多々羅田くん。それと、神様とお呼びすればいいのかな?」


 ポケットに手を突っ込みながらふらりとこちらに近付く旗川。結局、恐れていた状況になってしまった。一体どうやって俺を尾けてきたのか。何度も確認したはずだ。

俺の表情に焦りや困惑が出ていたのか、旗川が得意げに口角を上げる。


「何故、という顔をしていますね。フフフ、君の行動は実に予測しやすく、助かりました。背後には注意しないといけませんよ」


 ゆっくりと近寄ってくる旗川に、俺が身構えていると──





「そうだね。背後には注意しないと」





 旗川の言葉を肯定する、静かな声がした。一体、今日の俺はどれだけ驚かされればいいのだろう。旗川の後方から、懐中電灯を突き付ける人影。



 この合宿には来ていないはずの天川が、鳥居の下に立っていたのだ。



 初めて、旗川の顔から笑顔が消える。振り返った旗川が見るその先には、長い黒髪をたなびかせ歩く天川の姿があった。


「その場で動かず、手を上げて」


旗川を睨みつけながら天川が言った。懐中電灯は旗川の腹の真ん中を捉えたまま、じわじわと近付いていく。

旗川の方は、先程までとは打って変わっての無表情。真っ黒な瞳で天川を捉えていたが、やがて諦めたように息を吐く。


「分かりました、白旗ですよ」


 降参を宣言した旗川は、ポケットから手を出し、ゆっくりと手を上げる。妙に素直な旗川に、違和感を覚えるが…………すぐに気付く。


旗川の右手に、何か握られている。最初はスマホかと思ったが、もっと大きい。旗川の真後ろに立っている俺には、それが楕円形の手鏡だと分かった。

 ただの手鏡じゃない。根拠がなくとも確信じみた直感があった。それを咎めるよりも、旗川の方が早かった。


「降参しておきます。今日のところはね」


 そう言って、上げた手に持つ鏡を自分に向けた。





「……あれ?」


 俺は自分の目がおかしくなったのかと本気で疑った。何かの間違いだろう。目をギュッと閉じて開けて、辺りを見回す。だが、何処にもいない。


旗川の姿が忽然と消え去ったのだ。


「おい、天川……!」


「しっ!」


 俺の出かかった言葉は天川の左手に制される。天川は左の方を凝視して微動だにしない。俺もそちらを見るが、ただ草木が生い茂っているだけだ。


 程なくして天川が緊張を解き、視線を前に戻した。もう喋ってもいいようだ。


「な、何だったんだ。マジで一瞬で消えたぞ」


「霊器じゃよ。あの手鏡じゃ」


「!?!!!!!??!?!?」


 突然後ろから耳元で声をかけられ、俺はキュウリを見つけた猫のようにその場を飛び退く。爺さんがいた事をすっかり忘れていた。


「レイキ? あの手鏡が何だって?」


「アレからは強烈な霊力を感じた。原理は知らんが、アレを使って彼奴は透明になったのじゃ。そのような異能の力を秘めた道具を霊器というんじゃ。昔は多種多様な物があっての……」


「リョート」


 天川がこちらに来て、ジト目で見上げてくる。そして、胡散臭いものを見る視線を爺さんに送った。


「これがキミが言っていた神様? こんな怪しいのを頼ろうとしているの?」


「おい、こんなんでも一応凄いんだぞ多分。そうだよな爺さん」


 俺は爺さんの方を見る。ところが爺さんの方はと言えば、血走った目が天川に釘付けになっており、鼻息も餌を前にした犬のようになっていた。


「うぇへへへ。お嬢さん可愛いのぉ。ちょっと、恥辱に顔を真っ赤に染めながらスカートをたくし上げてくれんかの」


 天川がこの上なく嫌そうな目で俺を見てくる。


「もう一度聞くけど、本気でこんなのに頼るつもりだったの?」


「やめとこうかな」


 今の爺さんには神様の面影などなく、完全に只のエロジジイであった。こんなのに自分の人生を任せるのは愚行だったか。そう思えてきたが、爺さんの方はそれでは納得いかないようだ。


「今更何を言っとるんじゃ。ひとまず、そのいかがわしき本を寄越せ!」


 俺の右手から半ば奪い取るようにビニール袋を奪い取り、ピンポンダッシュを仕掛ける小学生のように俺たちから離れる神様。祠の陰に隠れながら、にそにそと本の表紙をめくっていた。

俺は呆れつつ、天川の元へ向かう。


「ひとまずあの爺さんはほっとこーぜ。それよりも……」


「アレを渡したのは、失敗だったようだよリョート」


 天川がやけに真剣な面持ちで爺さんの方を見ている。俺も天川の視線をたどっていくと。


「なんだあ!?」


 エロ本を持つ爺さんから、凄まじいオーラが放たれていた。比喩表現などではなく本当に爺さんの周りが赤く光り、風が舞う。まるで、爺さんからエネルギーが溢れ出ているようだ。当の本人は、本を閉じて不敵に笑う。


「わはははは! 快調快調! 全盛期ほどではないが、力が湧き出てくるわ!」


 右手に持っているのがエロ本でなければ、それなりにかっこいい様相なのだが。


「おい天川、なんかエライことになってるけど、何なの!? エロの力ってあんなに偉大なの!?」


「そんな訳ない。君があの本を渡したことが、信仰の証として供物を捧げる行為に当たったんだと思う。キミが力を与えてしまったんだよ」


 そう言われても、俺はどう反応すればいいのだろう。エロジジイにエロ本を渡すのはそんなに悪いことだとは思ってなかった。


「どうすんのこれ。無害そうなら関わらない方がいいんじゃない? いや、て言うか爺さん。俺の体質治してくれるんじゃなかったのか?」


「そんな話もあったな! ふはは、後で祓ってやろう! この付近におる若い女学生の衣服が全部スケスケになる術式を完成させてからな!」


「なんだと!? 是非お願いします!……あてっ」


 かけまくも畏きエロ神様に、祓え給えスケスケ給えとかしこみかしこみも申したところ、天川に懐中電灯でケツを引っ叩かれた。


「何をお願いしてる。あんな欲望にまみれた神なんて、私が天界に返品してあげる」


「ほほっ、やるか娘よ。よかろう、どこからでも掛かってくるがいい。身ぐるみ全部剥がされてから後悔するでないぞ!」

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