3-2
今この爺さんは、何と言ったのだろう。
「なんじゃ、ボケッとしおって。神様に会えたんだから光栄に思わんか」
どうやら俺の聞き間違いではなく、この人は神様を自称しているらしい。確かに、風貌は神様のイメージそのままだ。そのまま過ぎて逆に胡散臭い。
「あのー」
「なんじゃ?」
「ほ、本当に神様なんですか?」
俺は恐る恐る訊いてみた。この人は本物の神様なのか、それとも神様を自称するヤバイ人なのか。どっちにしたって厄介なのは変わらないが。
「小僧、ワシが神であることを疑うのか?」
爺さんの雰囲気が少し険悪になった。俺はしまった、と後悔した。聞き方が悪かったか。
「いえ、疑っているのではなくて……」
「よかろう、ならば見せてやる。神の力というものを」
俺の言うことには耳も貸さず、爺さんは天に向かって右手を挙げた。とてつもなく嫌な予感がする。一体何をする気だ?
爺さんは空を見上げ、目をカッと見開く。そして息を大きく吸い、森中に轟くような声で叫んだ。
「てんばあああつ!」
刹那、空が光り──
俺の目の前に稲妻が落ちてきた。
襲いかかる衝撃、熱量、轟音。まるで目の前で爆発が起こったようだった。俺は前後不覚になり、その場にへたり込んでしまった。
ハッと気付くと、俺の前方の地面に小さなクレーターが出来ていた。
「なん……だ……?」
「見たかワシの力、すごいじゃろ! なんたって神だから、ワシ!」
呆然とする俺を見下ろし、爺さんはケラケラ笑った。
再び地面を見る。石畳がえぐれて、下の土が丸見えになっていた。さっきの稲妻が俺の頭上に落ちていたらどうなっていたか。
どうやら、俺はとんでもない奴に出くわしてしまったらしい。この爺さん、危険な匂いしかしない。尻餅をついている場合ではない。ここで俺が取るべき行動はただ一つ。
俺はよろつきながらも立ち上がり、爺さんに言う。
「さ、さすが神様。マジ信仰しちゃいます。じゃ、俺はこの辺で……」
俺はその場を立ち去るため、踵を返し……
「待つんじゃ」
……歩き出そうとしたところを、後ろから肩を掴まれた。
「なんでしょうか」
俺は顔を引きつらせながら振り返る。面倒ごとは御免だぞ。
「実はの、最近めっきり参拝者が来なくて困っておるんじゃ。昔はこれでも力のある神として多くの人間に敬われておったんじゃが。今となっては社の威厳も保てておらん。このままでは、ワシという存在がいなくなってしまうかもしれんのじゃ」
爺さんは祠の方を見ながら語った。確かに祠はボロボロだ。これでは参拝者がいないというのも頷ける。
「存在がなくなるって言うのは、信仰心みたいのが集まらないと、神様として成り立たない……ってことですか?」
「そうじゃ。ああ、勘違いせんでほしいが、ワシは消え去ることに関してどうこうしようとは思わぬ。今更再び信者を集めようともな。これも諸行無常というものじゃ」
爺さんは何ともないように言った。自分が消えそうだというのに、焦ったり悲しんだりしていないようだ。人間とは価値観から違うんだろう。神様、かどうかは分からないが、それくらい大きな力をもつ霊に違いない。そう思わせるような威圧感がある。
爺さんは俺の方に視線を戻して話を続ける。
「ただな……。ワシには消える前にどうしても叶えたい夢があるんじゃよ。長年、どうしても手に入れたかったものがな」
神様の夢。なんだかとてつもなく壮大な話になってきた。神様が最期に手に入れたいモノとは、どんな価値のあるものなんだろう。
「じゃが、ワシはこの祠からそう遠くには行けんのじゃよ。それ故に今まで仕方なく諦めておったんじゃ。しかし、やはり消える前に一度は手に取りたいんじゃ。そこでお主に頼みたい。ワシの代わりに、それを持ってきてほしいんじゃ」
そう言って神様は俺の目をじっと見てきた。神様にお願いすることはあっても、まさかお願いされる時が来るとは。ただ、神様が欲しがるような物を俺ごときが手に入れられるのか?
「それで、その持ってきてほしいものって……」
俺は恐る恐る訊いた。爺さんは頷いて答えてくれる。
「あれじゃよ。こんびにとか言う商店の、入って手前側の少し奥にあると伝わる、たいそうけしからん本を……」
「エロ本じゃねえか」
俺は相手が神様であることも忘れてツッコんだ。
俺の緊張が一気にしらけると、爺さんは眉を寄せる。
「何じゃその目は。男がエロを求めて何が悪いのだ小僧」
「あんた本当に神様なの?」
「以前にも似たようなことがあったな。たまに天界から降りてきて、参拝しにきた男に緊縛するのとされるのどっちが好きかと訊いたり、迷い込んだ女学生にスカートをたくし上げてと拝み倒したりしていたら、いつのまにか信者がいなくなってしもうた。不思議じゃのう」
そりゃ信者もいなくなるわ。杉並とかの方がまだ神様に向いてるよ。
さっきの稲妻みたいのを見せられて、この爺さんが神様か、それに準ずる凄い存在であると判断して話を聞いていたが、もうどうでもよくなってしまった。こいつと関わっても百害あって一利なし。やっぱ帰ろう。
「ま、そのお願いとやらはほかの誰かに頼んでくださいな。俺には荷が重いっすよ。じゃあ、俺は帰るんで」
そう言って、今度こそ帰ろうとする俺に。
「持ってきてくれたらお主の体質を治してやろう、と言ってもか?」
爺さんが放った言葉が、俺の背中を引っ張った。
「なんで、そのこと……」
「さっきも言ったろう、神だぞワシ。お主に良からぬものが憑いておることくらい、最初からお見通しじゃよ」
「じゃあ、本当に治せるのか」
「もちろんじゃよ」
爺さんはドヤ顔で言い放った。何という事だろう。ついに、ついにこの日が来たというのか。地元の占い師に「もう二度と占いたくない」と言われたこの俺の、受難体質が治る日が。
……いや、一旦落ち着こう。こういう時こそ、冷静になってよく考えるべきだ。この爺さんが、信用に足るのか。上げて落とすなんて事はよくある。浮かれるのはまだ早い。
「分かった。もし手に入れられたら、持ってくるよ」
「おお! 話がわかるのう」
爺さんは、俺の返答に満足げに笑った。
夕食、そして入浴を済ませた俺は、飲み物を買いに1階の自販機の元まで来ていた。財布から小銭を探し出し、自販機に投入する。
今日はやけに疲れた。昼の山登りもあるが、旗川やエロ神との出会い。気がかりが一気に2つも出来てしまった。爺さんと別れる直前に聞いたのだが、爺さんは旗川とは会ってないらしい。妙な気配が近づいてきたと思って祠から出てきたら、俺が居たとのこと。今後も旗川の動向には注意しなければならない。それと、自称神様爺さんの話も忘れてはいけない爺さんを信じるなら、俺の体質を治せるかもしれない。それは、文字通り夢にまで見たことだ。
まあ、とりあえずはこの合宿を楽しもう。あと2日あるし、せっかく来たのに考え事ばかりでは勿体ない。そう考えながら、自販機のボタンを押す。音を立てて落ちてきたボトルを、取り出し口から掴み取る。
「りょーくんだ、こんばんわー」
聞き慣れた声に振り返ると、階段の方からジャージ姿の結由が歩いてきていた。髪が湿っていることから、風呂上がりであることが分かる。少し赤くした顔で、俺に向かって無邪気に笑う。
……風呂上がりってだけなのになぜこんなにドキッとさせられるんだろう。
「あ、りょーくんのサイダー美味しそうだね。私もそれにしよっと」
俺の手のペットボトルを見た結由は、自販機へ向かう。結由が目の前を通り過ぎると、フワッと膨らむシャンプーの香り……。
アカン! 風呂上がり女子の破壊力高すぎる!
俺は逃げるように体の向きを変える。ボトルのキャップを捻ると、プシュッとガスが抜ける音。そのまま泡立つサイダーを喉に流し込むと、なんだかやけに冷えている気がした。
ボトルから口を離すと、大きく息を吐く。そうしてから、結由の方に体の向きを戻した。
「結由、山頂からの景色は観られたか?」
「うん、凄かったよ! りょーくんも、あともうちょっと居たら観れたのに。あ、そうだ。写真撮ったんだった。見せてあげるね」
結由は持っていたポーチからスマホを取り出す。画面をタッチし素早く操作すると、俺に見せて来た。
「おお……。綺麗だな」
画面に映るのは、あの時雲に隠れていた山脈の景色。高く登った太陽が燦々と降り注ぎ、山の緑をより鮮やかに輝かせていた。
「それでね、班のみんなの写真も撮ってもらったんだ」
結由が俺と一緒になってスマホを覗き込む。近づいて来た結由の頭から漂う香りから逃れるように、画面を注視する。そこに写るのは、肩を組んで弾ける笑顔を見せる結由とカンザシ、そして晴れ乞いの儀式を続けるアホ2人。いつまで続けてたんだこいつら。
「杉並くんと富田くん晴れてもずっと踊っていたんだよ。最後には売木先生に『早よ帰れ』って怒られてた。わたしすごく笑っちゃった」
楽しげに話す結由。ふと、その笑顔が、少しだけ寂しげになって。
「りょーくんも、一緒に見れたらよかった」
俺に聞こえるか聞こえないかという小さな声で、呟いた。
俺はその言葉には反応せず、ただ画面をじっと見た。今のままでは、それは叶わないだろうと思いながら。
結由と別れた後、俺は3組の男子部屋に戻る。この畳敷きの大部屋で雑魚寝だ。部屋に入ると、何故か男子どもが部屋の中央で円を描くように座っていた。俺以外の全員が揃っているようだ。部屋に入ってきた俺に気付いた富田が、手を上げて声をかけくる。
「委員長どこに行ってたんだよ。今、第1回紳士サミットを開いているんだ。早くこっち来い」
委員長はそんなサミットの開催を許可した覚えは御座いませんが。
まあどうせ暇なので、富田がよく分からんことを勝手に始めてくれるのは都合がいいとも言える。俺が円陣に加わると、富田は議長のように一同を見渡してから話し始める。
「さて諸君。今回はクラスの男子のみが集まる初めての機会となった。だからこそ、普段のように女子がいる場ではできない、お下劣な話で盛り上がろうではないか」
こいつにクラスの主導権を渡したのは生涯悔いるべき失敗かも知れん。
「安心してほしい。最初からエンジン全開でピー音必須の猥談を要求するつもりはない。そうだな、クラスの女子で誰が好みか、ぐらいから始めようと思う」
「はい。富田議長、一つ提案があります」
富田が話し終え、すかさず手を上げたのは杉並だった。杉並の顔が、いつも以上にニヤついているような気がする。ヤな予感。
「同士杉並、何か?」
「買い出し部隊の派遣を提案致します。今宵は長くなるでしょう、色々と準備しておけば口寂しくなることもなくなります」
要は飲み物とつまみが欲しいってことか。しかし……
「でも、どこで買うんだ? 確か、少し降りたところにコンビニを見た気がするが、きっと玄関は閉まってるぜ」
俺の反対側に座っている奴が杉並に言った。そのコンビニというのは俺もバスの中から見かけた。しかし、そもそも外に出ることすら難しいだろう。正面玄関からは出られないし、他の出口もおそらく先生が見張りについている。
だが、その辺は全て杉並の想定内だったらしい。
「靴持ってきてそこの窓から出ればいいんだよ。で、生垣沿いに行けば自然の家からも姿を見られない。どうだ? 完璧だろう」
ドヤ顔で言い放った杉並。あいつは悪知恵だけはすぐに出てくるのだ。
抜け出す方法が分かったところで、俺は一番大事なことを口にする。
「で、誰が行くの?」
「チクショウ、杉並め。ジャンケンで決めるとか、俺になるに決まっているじゃねえか」
ジャージ姿で夜道を一人で歩きながら、俺は吐き捨てるようにぼやいた。
杉並の提案により、買い出し部隊は『公平に』ジャンケンで決めることに。男18人、待った無しの真剣勝負は、俺の人差し指と中指以外、誰一人として指を立てないという形で決着した。
杉並は俺の体質を表面上は知っているので、このジャンケンは公平も何もないのだが。ほかのクラスメイトは俺のことを『無駄に運が悪い奴』ぐらいにしか思ってないので、俺が行く流れに違和感などある筈もなかった。
という訳で、俺は山中の真っ暗な道を一人で降っているのだった。ここへ来た時もバスで通った道で、自然の家から公道へ出る唯一の道らしい。ここが周りは深い森に囲まれた、まさしく陸の孤島と言える場所であることを実感する。
ちかちかと点滅する街灯の下を歩くと、何か出てきそうでおっかない。だが、一人きりになったのは都合のいい面もある。俺は携帯を取り出した。今日あったこと、一通り天川に報告した方がいいだろう。
天川はこの合宿には参加してない。曰く、同世代のただの人間には興味がないとか。実にあいつらしい。
SNSアプリのLINKを起動し、天川の名前をタップ。アドレスは流れで登録した。今時このアプリを入れていない高校生はほぼいないだろうが、そこはあいつも例外ではなかったようだ。
通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。数回のコール音の後、天川と繋がった。
『…………何?』
「よお天川、起きてたか。良い子は寝んねの時間かと思ってたぜ」
『…………。ブツッ』
「あっ! あんにゃろ切りやがった」
慌てて再コール。余計なことを言うんじゃなかったと後悔しつつ待つ。さっきの倍のコール音を聞いてから、ようやく繋がった。
『…………くだらないことを言うためにわざわざかけてきたんだったら後で脳天ブチまけるからね』
「すみません、違います。ちゃんと用事があるんです」
電話越しで伝わってくる天川の凄みに、俺は縮こまってしまった。
気を取り直し、俺は天川に今日あったことを細かく話した。何故か自然の家の職員になっていた旗川、神様を自称するヤバイ爺さん。俺の話が終わると、天川は息を吐く。
『何処に行ってもキミは変わらないな。それは置いとくとして、旗川が何を企んでいるか気になる。おそらくキミが会ったという神様とやらが絡んでいるんだろうけれど、狙いが分からない以上対処のしようがない』
やっぱりそうだよな。これはすぐに解決できる問題ではないようだ。折角の合宿だと言うのに、初日から大きな悩みの種を抱えてしまった。
『ひとまず、旗川に気づかれないのがベストかな。密輸組織壊滅の元凶に敵討ち、なんてこともなくはないから』
「実際に壊滅させたのは天川なんだけどな」
『あと、怪しい霊の言うことも簡単に信じないように。人格をもつ霊は厄介。自分の体質を治してもらおうなんて思わないこと』
「はーい」
『……本当に分かってる?』
「分かってるさ。何かあったらまた連絡するよ。もう切るからな。寝る子は育つぞ」
『絶対にブチまけてやる』
俺は通話終了ボタンを押してスマホをしまう。最後、天川が感情のない声で何か言ったのは気にしない。
天川はああ言ったが、俺は諦めていない。俺の体質を治す希望がわずかでもあるのなら、それに賭けてみたい。今後の人生が変わるかもしれないのだから。
ようやくコンビニの明かりが見えるところまで下りてきた。クラスメイトのパシリでお菓子や飲み物を買うのが本来の目的。しかし、俺には買うべきものがもう1つ。エロ本である。これをコンビニで買えれば、晴れて普通の男子高校生になれる。そう思っていた、さっきまでは。
多々羅田涼砥、15歳。俺はまだオトナの領域に踏み入れることは出来ない年齢なのである。
コンビニの前に立つと、聞き慣れたメロディが流れて扉が開く。俺では18禁は買えないので、せめてグラビアぐらいで満足してくれないだろうか、あの爺さんは。そう思いながら、右側の雑誌コーナーの方を見ると。
エロ本を物色する旗川と、バッチリ目が合った。




