3-1
5月初旬。今日はオリエンテーション合宿へ出発する日だ。高校での初めてのイベントとあって、ここ数日は1年生全体に少し落ち着かない雰囲気があったものだ。
合宿所まではバスで向かう。出発の前に、クラス委員長の俺は全員が居るか確認するという任務がある。
校門前に停車しているバスに乗り込む。車内で既に座っているクラスメイトを見回した俺は一言。
「よし、全員いるな!」
「当たり前だ愚か者。遅刻したお前が最後なのだからな」
後から乗ってきた売木先生が俺の背中を軽くパシンと叩きながら言った。
俺はこの遅刻するわけにはいかない日に限って遅刻していた。他クラスのバスはもう出発してしまい、3組のバスだけ待っていてくれていた。しかし、俺が遅刻したのにはれっきとした理由があるのだ。
「先生聞いてください。今日駅の改札で定期盗まれたんです。それを取り返すのに時間がかかったんで遅れたんですよ」
「盗まれた? スリにあったのか」
「スリじゃないです、ハトです。飛んできたハトに手に持っていた定期を盗られました」
「……ハト?」
「ハトです。そいつが定期を咥えたまま電線や屋根の上を逃げ回って俺をおちょくって。困っていると、ハトに餌をやりすぎてハト語を理解できるようになってしまった伝説のホームレス、小石川さんが通りかかって……」
「分かった、もういい! お前の訳のわからん遅刻話はこりごりだ。取り敢えず、待ってくれたクラスメイトに礼でも言っておくんだな」
眼鏡の奥のキツめの眼光で俺を見上げてくる売木先生に言われて、俺はバスのクラスメイトたちに一礼する。
「遅れてごめん、待っていてくれてありがとうな」
「気にすんなよ多々羅田。あとでこのツケは払ってもらうから」
「そーだよー。多々羅田委員長の七転八倒オリエンテーション合宿は、もう既に始まってるんだから!」
「せいぜい、俺たちを楽しませてくれよ」
クラスメイト達が、イヤな笑みで俺を見てくる。すっかりクラスで常識と化した俺の体質は、クラスメイトの娯楽の的になっていた。
「俺の不幸をバラエティーにするんじゃねえ……」
1年3組も、どこかのロリっ子みたいになってしまったようだ。
バスに揺られること合計2時間。途中で休憩を挟んでいたので今は丁度お昼時。高く昇る太陽の元、俺はバスを降りる。ようやく目的地に到着だ。
「んー、やっと着いたぁ。あ、先生。段差結構あるんで注意してくださいね」
「それは私の足が短いと馬鹿にしているのか? 昼飯抜きにしてやろうか?」
やだな、レディへの紳士的な気遣いじゃないですか。
売木先生をからかうのはこの辺にして、俺は正面の建物を見る。ちょっと古めかしい、木造二階建の建物が俺たちがこれから過ごす『自然の家』だ。辺りは見渡す限り山、山、山。空気おいしいです。
大きな荷物を部屋に置き、生徒は食堂に集められた。ここでやることはただ1つ。
「いただきまーす!」
俺は待ち侘びた昼食にがっつく。メニューは牛丼。俺以外の連中もやっとの昼食に嬉しそうだ。お肉おいしいです。
「あー、みんな。食べながらでいいので話を聞いてほしい」
声のする方を見ると、そこに立っていたのは学年主任の上野先生だ。50過ぎの男性で、確か日本史の先生だ。
「自然の家の職員さんを紹介しようと思います。これから様々な場面でお世話になることになると思います。まず、手前の女性が氷室さん」
上野先生の隣に立っていた優しそうなおばちゃんが笑みを浮かべながらお辞儀する。ふと、俺の目がその隣に立っている若い男の方へ吸い寄せられる。
「──ぶふぁ!?」
「なっ!何をするだー!」
男の顔を見た途端、俺は口の中のお米を全て前に座っている杉並にぶちまけてしまう。だが俺には謝る余裕もなかった。理由は、上野先生が手のひらを向けながら紹介する男──
「で、こっちが旗川さんだ。何か困ったことがあったら、こちらの2人にも相談してください」
愛想のいい顔でお辞儀をするのは、黒スーツもとい旗川……ピーちゃん事件で唯一逃亡した密輸組織の一員だったのだ。
これは……とってもマズイです。
なぜあいつがこんなところに? そっくりさん?いや、旗川って名乗っていたしなあ。でもこれって偽名なんだっけ。俺がいることは今のところ気づいていないはず。よく分からんが、あまり接触しない方がいいだろうなあ……
「……くん? りょーくん!」
「うん? うおっ!」
考え耽っていたところで声を掛けられまずびっくり。そして気づくと結由の顔が目の前にあって更にびっくり。結由のまんまるの目が、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫? 疲れちゃったの?」
「いや、大丈夫。行こうぜ」
少し先を見ると、杉並、富田、そしてカンザシが俺たちの様子を伺っていた。俺は結由と一緒に小走りで追いつく。
昼食の後、1年生はジャージに着替え、山の山頂を目指して班行動となった。登山、というかトレッキング程度の気楽なものだ。険しい道を登るわけではない。それでも、木々が生い茂る中を突き進んでいくのは中々楽しい。非日常って感じがするからだろうか。
「りょーくん、りょーくん。山頂は見晴らしが良くて景色がすごいんだって。楽しみだね」
薄水色の上着を羽織った結由が俺の隣を歩きながら無邪気に笑う。そう言えば、あの自然の家の時点で標高はそれなりにあるらしい。だから、それほど遠くない山頂でも大パノラマが拝めるとか。それは楽しみだな。
「わあー、すんごい雲! なんも見えなーい!」
山頂に着くなり、俺は叫んでしまった。
山頂はある程度平らなスペースが確保されており、山道から正面に進むと、手すりのある展望台のようになっていた。だが、そこから見えるはずのすごい景色とやらは雲に隠されてしまっていた。
気の抜けたサイダーを飲んだような気分で手すりの方へ近づく。すると、そこにいた売木先生と目が合った。
「おお、多々羅田か。えーと、4班だな。道中特に問題は無かったか?」
先生が持っていたクリップボードになにやら書き込みながら聞いてくる。山頂に着いた班をチェックしているようだ。俺以外の連中は、雲の隙間から何か見えないかと手すりから下を見下ろしている。
「特に問題なしです。でも、来る途中は快晴だったのに、山頂に来た途端曇ってて驚きました。せっかく登った甲斐がありませんよ」
「いや、実はさっきまでは山頂も晴れていたんだよ。多々羅田たちが来る直前まではな」
ん? それって……
「晴れてた時は遠くの山脈まで見えて、聞いた以上の絶景だった。まあ、運が悪かったな多々羅田。天気は人間にはどうしようもないものだ」
……すいません、多分曇ったのは俺のせいです。
ここまで来て疫病神っぷりを発揮するとは、自分に呆れてしまう。若干憂鬱になりながら班へ戻る。
手すりの前で、晴れ乞いの儀式を執り行っているのは杉並と富田。謎の踊りを披露する2人の横で、雲の方をじっと見てる結由とカンザシがいた。近づいていくと、カンザシがこっちに気づいた。
「リョートくん、お疲れ様。せっかく来たけど、雲で何にも見えないの。残念」
そう言いながらカンザシは苦笑する。俺はなんだか申し訳ない気持ちになる。景色を楽しみにしていた結由も、カンザシと俺に「山の天気は変わりやすいんだねー」と言ってちょっぴり悲しげ。あまりそう思いたくはないが、俺の体質がこの天気の原因なのだろう。ここに俺がいる限り、絶景とやらは拝めない。
つまり……
「俺だけ山降りちゃえばいい訳だよな」
ひとり呟きながら、山道を下っていく。元凶が居なくなった今、きっと山頂は素晴らしい晴れとなっているだろう。
心配をかけないよう、カンザシと結由には「用ができたから先に戻る」と適当に言い訳しておいた。一応個人行動は禁止されていたので、売木先生に見つからないようにこっそりと下山してきた。普通、漫画とかだと林間学校は友人やヒロインたちとの距離が近付くイベントのはずなんだが。俺はぼっちの宿命から逃れなれないらしい。
下山ルートは登ってきた時とは別の道が指定されていて、登りとは別の道を辿っていくことになった。初めて通る道を1人で歩くことになるが、こちらも道がある程度整備されているので、迷うことはなかった。既に木々の間から自然の家の屋根が見えるところまで降りてきた。あと少しだ。
緩やかな坂を下っていく。森の中は静かなもので、まるで自分以外の生き物がいないかのようだった。
と思っていたら、行く先の道に人が歩いているのが見えた。それなりの距離があったが、よく目を凝らすと、それは見知った人物だった。
「旗川……?」
濃緑のポロシャツを着た旗川が自然の家の方向から歩いて来ていた。まだこっちには気付いていないようだが、このままだと鉢合わせてしまう。木の陰に隠れるか、それとも引き返すべきか。焦りながら考えて、もう一度旗川の方を見た。
「あれ……いない」
いつの間にか、旗川の姿は忽然と消えていた。少し様子を伺ってみるが、旗川どころか動くものは何もない。一体どこに行ったのか。もしかして、俺を待ち伏せしているのだろうか。
だが、ここに留まっていてもしょうがない。迷った末、俺は慎重に進むことにした。さっきまでの半分ぐらいのスピードで、ゆっくり、ゆっくりと。
緊張しながら旗川の消えた場所にたどり着いたが、原因は存外に簡単なものだった。木の陰に脇道があったのだ。旗川はこの道に入っていったのだろう。地面に足跡も付いているし、間違いない。
さて、旗川がどこに行ったのかは分かった。問題は、ここで俺がどうするかだ。普通なら素通りしてさっさと自然の家に戻るところだ。しかし、奴はあの旗川だ。ピーちゃん事件の元凶とも言える男が、なぜこんなところにいるのか。まさか改心して自然の家の管理業務にただ勤しんでいるわけではないだろう。また霊絡みで何かやる気に違いない。せっかくの合宿なのだから、あいつがまた事件を起こして台無しにされたらたまったものではない。
あまり気は進まないが、旗川が何をしようとしているか確認ぐらいはした方がいいだろう。俺は脇道に足を踏み入れた。
木々の間を縫うように進んで行く。先程までの登山道とはうって変わり、地面が露出しているだけの獣道だ。木の陰から、熊とか鶏とか旗川とかが飛び出て来ないかビビりながら進む。
5分もしない内に、少し開けた場所に出た。そこにあったのは、色褪せた鳥居と朽ちた祠。神社だ。
「…………」
鳥居をくぐると、道は石畳で舗装されている。しかし、所々凹んでいたり欠けていたりしているためむしろ歩きにくそうだ。参道の先に待ち構えているのが、小さな祠。瓦がところどころ剥げていて、木材も腐食している。全く管理されていないのだろう。
祠の左側には、大きな樹がそびえ立っていた。御神木だろうか、樹齢何百年とありそうな立派な樹だ。手を回しても全く足りなさそうなぐらい太く、見上げても先端が見えないほど高い。
俺は樹から目線を外し、辺りを見回す。人影はない。もしかしたら裏に……と思い祠の周りをぐるっと回ってみるが、旗川の姿はなかった。
旗川の姿を見失ってから、ここにたどり着くまでにそれなりの時間をかけてしまっている。もう既に何処かへ行ってしまったのかも知れない。
再び祠の正面に戻ってきた。ここにはこの古びた祠以外には何もない。相変わらず、森は静かだ。
「なんだってこんなところに来たんだ?」
「こんなところとは失礼じゃのう」
「!?!!!!?!?」
突然後ろから耳元で声をかけられ、俺は縮みきったバネのようにその場を跳び退く。驚きで心臓が跳ねる中、俺は背後の存在を目の当たりにした。
そこに立っていたのは、杖をついた白装束の爺さん。頭は綺麗につるんとしている一方、口周りは白い髭でフサフサだ。シワに埋もれた切れ長の目が、じーっと俺を見つめていた。
なんだかこの風貌、まるで……
俺が何も言えずにいると、向こうが先に口を開いた。
「参拝者とは久しぶりじゃのう。神様であるワシに願い事かの?」




