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2-4

 紛糾した情報交換会も終わり、俺たちは桃農園へと向かった。桃の木が、異常な倒され方をされてるということで実際に現場を見ることになったのだが。


「…………」


 想像以上だった。

 広い敷地に一列に並んでいる何本かの桃の木が、太い幹を引き裂かれ倒れていた。人が爪楊枝を折るかように、何か巨大な力が加わり折れたようだ。無惨な切り口から木の繊維が刺々しく飛び出している光景は現実離れしていた。隣のこだちさんと桃農家の人がそれを見ながら話している。


「これは、酷いですね……」


「未だに悪夢を見ているようです。強風で実が落ちてしまうこともありましたが、まさか木がへし折られるとは思いもしなくて、どうしたらいいのやら」


 途方に暮れたような桃農家の言葉に、天川はさほど興味を示さず倒れた木々に寄っていく。そして、木の傷や、地面の様子を調査し始めた。


「鬼熊じゃ、鬼熊が出たんじゃ」


「!?」


 いつの間にか後ろに誰か立っていた。振り向くとそこにはかなりご高齢と見られるお爺さんが、杖をついて立っていた。


「ちょ、じっちゃん勝手に出歩くなって!」


 桃農家の人が慌てたように側に寄るが、お爺さんは鬱陶しそうに手で払う。


「大丈夫じゃ。鬼熊が出たとなって寝ておれるか。神官を読んで祓いの儀をしてもらわねば」


 なにやらブツブツと語るお爺さんに、こだちさんが問いかけた。


「あの、そのオニグマ? について聞きたいんですけど」


「鬼熊は、極度の飢えに苛まれた熊が、その怨念により怪異化したものじゃ。巨大で屈強な体をもち、鉄をも引き裂く怪力を振るい、神通力すらあやつると言い伝えられ……げほっ」


 話している途中で咳き込みだしてしまったお爺さんに、桃農家が駆け寄る。


「ああ無茶するから。ほら、帰るよ。……すみません、あとはご自由に調査なさってください。私はこれで失礼しますので」


「あ、はい。ありがとうございました」


 こだちさんがペコリと頭を下げると、桃農家とお爺さんは連れ立って母屋の方へ向かって行った。あのお爺さん、何やら重要な情報を喋っていた気がするぞ。天川にも教えてやろう。そう思い天川の姿を探す。


「…………なんでみんな俺の背後をとるんだ」


「鬼熊、ね」


 天川はすぐ後ろにいた。どうやら今の話をしっかり聞いていたらしい。「静かに」のポーズみたいに、人差し指を下唇に当て、長い黒髪を山風にたなびかせながら考えていた。


「それで、何か分かったのか」


「まあね。ついてきて」


 天川に続き、俺とこだちさんも木の近くへ。近くで見ても、木が真っ二つにへし折れているのには只々唖然とする他ない。


「おそらく木は物理的な力で破壊されている。滅茶苦茶に破壊されているからこれ以上は分からないけれど、手がかりはあった」


 そう言って天川は地面を指さした。雑草が生えていて分かりにくいが、直径20センチくらいの微かな窪みがある。それも、あたりに複数。普段天川に鈍いと言われる俺でもピンときた。さっきの爺さんの話と繋げれば、これは……


「足跡か」


「おそらく。大きさは象並だけれどね。あのご老体が言っていたことは、耄碌の譫言ではないのだろう。民間伝承や怪異譚は、霊調査の情報源としてあながち馬鹿にできない」


 御伽噺のような存在でも、目の前に出てこられたら認めざるを得ない。この付近には、化け物みたいな熊がどことも知れずうろついていると考えるべきだろう。ゾッとする話だな。

 足跡をしげしげと観察していたこだちさんが立ち上がり、人差し指を顎につけて思案していた。


「しかしその鬼熊とやらと、あのシャケは関連しているのですかね。シャケって熊の好物だから……なんて考えは安直でしょうか」


「まとめて一つの霊的現象、と考えていいだろう。どうあれ、熊の行方を追うのが先決。この破壊力、到底放置していいものではない」


 天川がこだちさんに答えた。確かに、今のところはシャケは無害だし、逆に人が熊に襲われたらひとたまりもないだろう。問題は、熊の行方が分からないことだ。足跡は山の方に続いているのが、この深い森の中で追跡しても無駄だろう。天川に何か策はあるのか。


「んで、熊をどうやって探すんだ?」


「探す必要はない。飢餓の怨念から霊化したならば、食べ物を求めて動くはず。今ならあるでしょ? 熊にとっての格好の餌場が」


「川のシャケですか。熊の怨念が、あの川にシャケが泳いでいる状況を作り出した……よほどお腹が空いていたんでしょうか」


 なんとも呑気なこだちさんの感想だった。ニュースで見たが、近年の山間ではみんな木材用の杉林になってしまっていて、野生動物が食べる木の実が減っているとか。その辺りも原因なのかもしれないな。


「怨念とやらが強すぎて、シャケが妙なことになっているようだけど。ともかく待っていれば──」


「川端さーん!」


「──向こうから、やってくる」


 天川のセリフの合間に、こだちさんを呼ぶ声が遠くから飛んできた。腹の立つくらいベストタイミングだ。俺たちが声のした方を見ると、猟友会の喜多さんが必死で走ってくるのが見えた。


「喜多さん、どうかされました?」


 こだちさんが俺たちの元までたどり着いた喜多さんに問いかける。喜多さんは走ってきた疲れで、膝に手をつき息を乱していたが、すぐに姿勢を直して真剣な表情で言う。


「今しがた連絡があったんですが、川の方で熊の目撃情報が上がってきたそうです。しかも、どうも様子が普通でないらしい」


 やはり川に熊が現れたか。あとは天川ビームで熊退治すれば万事解決。俺の出る幕はないな。

 熊が出たという報にもほとんど驚かない俺たち3人を喜多さんは不審がっている様子だったが、気を取り直すように首を振った。


「私はこれから猟銃を取ってきます。いいですか、川の近くには行かないでください。絶対ですよ!」


 フラグのようなことを言い終わると同時に、喜多さんは元来た道をどしどしと走って行った。


「意外と早かった。リョートを使って誘き出そうと思っていたが、手間が省けた」


 天川がそんなことを言っているが、俺は妙な違和感を感じていた。何か、大事なことを忘れているような気がしたのだ。


「天川さん、私はどうましょう? 住民の方々に知らせないといけないと思うのですが」


「任せる。私は川で熊を探す」


 なんだっけ? 喜多さんの話を聞いた時からの違和感だ。何を話していた? 川に近付いてはいけない。シャケの泳ぐ川。水をかけてくるシャケ……


「ああっ!」


「!? どうしました?」


 大声でこだちさんを驚かせてしまうが、謝っている余裕は無い。事態は急を要する。


「俺が聞き込みをしている時、小学生の集団に会ったんだが、あいつら、川のシャケを見に遊びに行くと言っていた」


「川……! その子達、まだ居るなら熊が!」


 お昼を回った今、お腹が空いて家に帰ってればいいが……。もし熊と遭遇してしまった場合など想像したくもない。ことの重大さに気づいたこだちさんが目を見開き慌てる一方、天川は表情を変えず突き刺すような視線を俺に送って言う。


「場所は?」


「確かあいつらは、この間俺たちが行った橋に行くとか言ってた気が……おい天川!?」


 言葉の途中で前触れもなく川の方へ駆け出した天川。俺とこだちさんは顔を見合わせ、慌てて後を追った。







 前来た時にシャケを見下ろした橋まで駆けつけた。その橋の中央には、大きな黒い物体が鎮座していた。


「なんだアレ……岩みたいだ」


 全長5メートルほどのソレは、遠くから見た時には黒い岩に見えた。しかし、ここまで近づいてよく見ると、それの表面が真っ黒な毛で覆われており、4本の足でゆっくりと向こうの方へ歩いているのが分かる。その向かう先に居るのは。


「リョートくん、あの子たちですか?」


「そうです! あの子たちです!」


 黒い熊を挟んで橋の反対側に、小学生たちが見えた。三つ編みの女の子が腰を抜かしてしまっているらしく、逃げられないようだ。数人の男の子が三つ編みの子をかばうように立っているが、どの子も怯えた表情をしている。


 天川が、ここまで走ってきた疲れを一切見せず、黒い懐中電灯を構える。しかし、熊につけていた狙いをすぐに下ろしてしまった。


「……ダメ。射線上にあの子供達が入ってしまう。リスクは侵せない」


 一直線の橋の上では、万が一熊に当て損なった場合向こうの小学生に被害が出てしまう。頼みの綱の天川ビームは使えない。だが、今も熊は小学生達の方へ一歩一歩踏みしめながら進んでいる。何とかして、熊の気をこちらに逸らさなければならない。


「そうなれば、俺の出番か」


 こんな時こそ、俺の受難体質を利用してやればいい。俺が近付いていったら熊が脇目も振らず襲いかかってくるとか、どうせそんな展開になるんだろう。とてつもなく嫌だが、あの子達を助ける為ならしょうがない。そう心に言い聞かせ、一歩踏み出す。


 それと同時に、唐突に熊がこちらを振り返った。


「あ、熊がこっちを向きました! リョートくん、一体何をしたんですか?」


「え、いや、その」


 こだちさんが若干感心したように言ってくる。俺はまだ何もしていないんですけど。ただ一歩踏み出しただけなんですけど。もっと近付かないと熊が気づいてくれないと思っていたが……まあ熊の注意が小学生達から離れればそれで良かったのだ。



 そう、注意を引くことだけ出来たら、良かったのだ。



 奴らは橋の下から現れた。次々と浮かび上がったそれらは、まるで重力などないかのようにふわふわと漂い、熊の周りに集まってくる。そして、オールレンジ兵器のように熊を中心に旋回しだした。鱗を水に濡らした奴らが空を浮遊する姿は、まさしくシュールであった。


「シャ、シャ、シャ、が、空飛んで……!」


 驚きのあまりか、言葉が突っかかってしまっているこだちさん。俺もまさか空飛ぶシャケを拝む日が来るとは思わなかった。シャケ達に囲まれた熊は、妖しげな赤黒い光を目に灯し、こちらを睨んでいた。

 小学生の危機は去った。だが、これでは……。


 衝撃で俺やこだちさんが固まっている中、天川がこっちを見て呆れたように言った。


「得意げな顔で、俺の出番なんて言うかと思ったら。状況を良くしたいのか悪くしたいのか分からないな」


「う、うるせえ! 俺はまだ何もしてねえ! ただ、熊の注意をこっちに引ければと思っただけなんだよ! 」


 小学生のピンチは避けられたが、今度は俺たちが大ピンチだ。巨大な熊だけでなく、空飛ぶシャケも相手しなければならない。いや、もしかしたらシャケは飛んでいるだけで無害、という可能性もあるかもしれない。今のところは飛んでるだけだし。

 だが、俺の淡い期待と裏腹に、浮遊していたシャケが全てクルッと俺の方を向き……


「グガアアアアアアア!」


「ですよねー!」


雄叫びをあげた熊と共に俺の方へ突っ込んできた!

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