62 オリヒメのお願い事
オリヒメがクルルの目の前を浮かんでいる。その眼差しは熱く燃
えるような紅玉とはいかずに、病んでいた。
「あの時、蠅が見えなかった……否、気づく事すらできなかった。
私は弱い弱い弱い弱い。マスターに嫌われる嫌われる嫌われる」
頭を両手で庇うようにしてイヤイヤをしているオリヒメの姿は、
病ん(やん)でいた。
「……あのっ。俺はオリヒメを嫌いにならないし、オリヒメは弱く
なんかないと思うよ」
(逆に、今のオリヒメのほうが嫌いになちゃいそうだよ)
そっとオリヒメの頭を撫でる……。いつものオリヒメなら嬉しそ
うに頬を赤く染めるのだが、ヤンでるのでそんな行動には至らない。
「私はヴィヴィアンの襲撃の時も守れませんでした。今回のベルゼ
バブで二回目です……三度目はありません」
「大丈夫だと思うぞ! テラスだったら四回でも五回でも許してく
れるぞ」
「いえ……マスター。仏の顔も三度です。三度目はないのです」
「おーい、テラス。許すと言ってあげてよ」
「ごめんねユウマ。仏の顔は三度なの」
「……で、オリヒメはどうしたいんだ?」
「もう一度……タケミカズチ様に修行をつけてもらいたいと思って
ます。その間、マスターの護衛から一時離れたいと……お願いしま
す」
オリヒメが土下座をして額を擦り付けていると「クルル様、お願
いします。オリヒメちゃんのお願いを聞いてあげて」と可愛い声が
聞こえてきた。
ひょいっと小さな女の子が、オリヒメの横に座り込み土下座した。
(ああ……俺はそんなに畏まるような存在じゃないのに)
「コロンもオリヒメも頭を上げてね。オリヒメの気持ちは分かった
よ、行っておいで。強くなって帰ってくるのを待ってるよ」
がばっと二人が顔を上げると、クルルに飛び付いてきた『ありが
とうございます』と同時に喜びを分かち合う。この二人はいつから、
こんなに仲良しになったのだろうか? まあコロンはともかくとし
て、オリヒメがそこまで悩んでいたのなら修行のひとつやふたつ構
わない。
話は解決に向かったと思った時だった。
「すまんが……期待に応えることができない……すまんなオリヒメ」
申し訳なさそうな顔でクルルの肩を叩いてきたのは、タケミカヅ
チだった。
「すまん……クルル、オリヒメ……今は少し激しい運動を控えたい
のだ」
「そっか……なら仕方ないな〜。食べ過ぎか? 無理するなよタケ
ミカズチ」
「……あっいや、そのな、食べ過ぎじゃないぞ」
意味が分からんぞ? とクルルが怪訝な顔をしていたが「ユウマ
! 乙女心を察してあげなさい」とテラスがプンプンと怒り顔だ。
「懐妊に決まってるでしょ!」
「……懐妊!?」
「ユウは気がついておらんかったのか? ふふふ、相変わらずのニ
ブチンじゃな」
テラスに怒られ、ミーコにからかわれてしまったクルルだが、今
回のことはかなり心に刺さったようで会場の隅でヘコんでいた。
そんなクルルをテラスが優しく諭していたのだが、そこで新たな
問題が発覚したのだ。
「そう言えば……テラスも妊娠してたよね」
「ええそうだけど、何かあった?」
平然と答えを返すテラスに頭を抱えてしまったクルルが――――
土下座した。
クルルの突然のDO・GE・ZAに会場がざわついた。
「ちょっ、ええっ、いったいなんなの?」
「ごめんねテラス、妊娠中なのに悪魔と戦闘させたんだ……俺も大
概だな」
「ふふふ、そうね大概ね。でもそんなの大丈夫よ。私は四大神の一
人なのよ、強いのよ」
「だが……本当にすまなかった」
「ありがとう。ユウマのそういうとこも大好きよ」
クルルの頬にテラスがチュッ! とする。
瞬間、ギロギロとプレッシャーが発せられたようだが、そこは…
…気づかないふりで。
結局、これがきっかけで心配したクルルが医療班にスクナビコナ
を任命して高天原でクルルと繋がった女神の健康診断という名目の
妊娠調査をすることになったのだ。
「そんな訳で、すまないがオリヒメも健康診断を受けてからだね」
「マスター、私は大丈夫です。残念ですが妊娠はしていません」
「決意は固いんだね」
「はい」
「ならば、あそこにいる人に頼んでみろよ」
そう言いながらタケミカヅチが指を指した人物を見てオリヒメが
驚きの声をあげた。
「ノブっ! 信長様ですかああああ?」
「ん? なんだ、オリヒメの知り合いか。ならちょうどいいじゃん
か! あいつは強いぞ。俺から見ても、相当やるぞ」
「えっと……その、強いのは知っていますけど……信長様は人間で
すよ(半獣人)」
「こらっ! オリヒメ。強いに神も人間もないぞ、逆に人間だから
こその技というのがあると思うぞ」
「人間だからこそ……ですか……」
「ああ、人間は脆くて儚い存在だ。力まかせや魔力でゴリ押しでき
ないのが人間だ。だからこその技があると俺は思うぞ」
「儚いからこその……ですか」
「ああ、だが……それがいい……ってやつだよ。ムフフ」
「タケミカズチ様……最後のセリフは言いたかっただけですよね」
まあ見てろとタケミカズチが信長に近づいて――――シュッ、シ
ュッシュッ! と三発の手刀を繰り出したのだが、お猪口を片手に
酔っぱらいの信長にあっさりと躱されてしまった。
「なっなっ! こいつすげーだろ」
「ん? 誰だよ。この女性は?」
オリヒメが「ハァァァ」と長い溜め息を吐くと。
「タケミカズチ様、こいつではありませんよ。黒姫ちゃん、白姫ち
ゃんの父ぎみですよ。それと……信長様、こちらの女性はタケミカ
ズチ様ですよ。女神様です」
「なぬっ」
「まじっか!?」
タケミカズチと信長が挨拶を交わそうと同時に頭を下げるとゴチ
ッと激しい音がして二人ともに尻餅をついてしまった。そのまま爆
笑している……余程息があったのだろうか、それとも武人として惹
かれるものがあったのか? そのまま楽しそうに話を始めてしまっ
たのだ。
オリヒメが、どうしましょうか? とクルルに視線を送ってきた
のだが話が終わるまで放っておいて後でもう一度お願いしに行こう。
そういうことにしたのだった。
だがその時は、クルルも一緒に頼みに行くから呼びにくるように黒
姫にお願いしておいた。
クルルはその間に四大神と相談したいことがありミライラにお願
いして別室を用意してもらったのだ。
で! なぜかそこにはコロンも同席していた。四大神が目の前に
座っている……すでにコロンの意識は飛ぶ寸前だ。
「クッ、クルル様、こっ、これはなんの苛めですか?」
涙目のコロンが震える声でクルルに聞いている。
「やだな〜。可愛いい姪っ子を苛める訳ないじゃん。ちょっとコノ
ハナノサクヤビメを呼んでほしいんだ」
「…………」
「大事なお願いがあるんだよ。頼むねコロン」
「そんなー! 女神様の呼び方なんてしらないです。それにアマテ
ラスオオミカミ様がいらっしゃるなら、別に私が呼ばなくてもいい
のでは……ママ、助けて……」
「ユウマ、コロンちゃんの言うとおりよ」
「え〜! だってこの前テラスにお願いしたらダメって言ってたじ
ゃんか」
「この前はダメだったのよ」
「なんだよそれ! 意味分からないよ」
「ですよね〜!」
「本当だよねーって!? 誰?」
「クルル様! コノハナノサクヤビメ様ですよ」
「は〜い。よびましたか〜?」
コロンの背中を抱きしめるホンワカとした女神が笑顔で降臨した
のだ。
※※※
「これで今回は終わりワンか?」
「お盆中で神も忙しいらしい……」
「黒姫っ。忙しいのはご先祖様じゃないのかワン?」
「……問題ない」




