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学寮について

・江戸城の西の丸に各地の大名家の子息らを集めて行われている学び舎。

 慶長十七年に天下に号令が掛けられ、集められた大名家子息は西の丸で寝食を共にする共同生活を送ることになった。実質、徳川への人質のような存在。


・江戸に幕府を開いた徳川家康の鶴の一声で作られた場所であり、学寮の上役は皆家康の家臣ばかり。現在の将軍・秀忠の側近らとは派閥が異なる。


・主に将軍の指南役やその紹介などで推薦されたその道に長けた人間が生徒らの教師として授業に当たっている。

 教師らは中奥の御広敷におり、そこに個別に部屋を貰っている者もいる。

 生徒らが暮らす御殿と御広敷は直接繋がってはいないため、大奥や表を迂回してしか行けない。


・生徒らの住居は中奥にある【御殿】。東西南北の四つに分かれた御殿で、三、四名で一つの寮を形成している。


・寮には寮監督が一人ずつおり、生徒らの生活の指導やメンタルのケアなどにあたる。寮によっては主務という護衛役がおり、生徒らの警護や護衛の任にあたる。主に徳川の一族の生徒らのいる寮に配置されることが多い。


・西の丸は、表(主に授業を行う)、中奥(生徒らの住まいである御殿と教師らのいるお広敷がある)、大奥(学寮で働くお目見え以下の人間たちがいる)に分かれている。


・西の丸以外にも紅葉山に武道場や茶室があり、そこで授業が行われる。


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