ep7/25「紫瞳に映る敵」★
太陽系内のとある宙域。真空の闇を背景に、何かが反射光を放つ。
そこには、確かに物体が漂っていた。
しかし、惑星と惑星との間を満たす圧倒的な空白の前では、それは塵にも等しいデブリの一つだ。海に漂うイカダよりも小さく、砂の一粒よりもちっぽけでありふれた鉄塊。そんな矮小な物体が放つ光はどこまでも儚く、ともすれば目の錯覚と片付けられてもおかしくないほどに頼りないものだった。
本来、人が足を踏み入れてはいけない孤独の海。
宇宙空間の空疎を前にしては、人間のスケールで表すところの『巨大さ』などもはや何の意味も持たない。夜よりも深い闇を漂うのは、全高150mのちっぽけな人型でしか無かった。
真空を突き進む弩級の鉄塊、その名は巢襲機〈エルンダーグ〉。
おおよそ一か月半前に起こった人形捕縛事件の末、エルンダーグは一人の生贄を得て真空の海へと漕ぎ出していた。
そして、今や火星よりも遠い宙域に手を伸ばそうとしている。
地球から遥か1億5000万km。太陽と地球を結ぶ正三角形の頂点に存在する、重力均衡点の一つ。太陽と地球の重力が拮抗する〈ラグランジュ4〉に、エルンダーグが進入しつつあった。
「相対速度、進入角よし。オートガイドシステム、全て作動状況良好」
宇宙を映す壁面モニターに囲まれながら、春季がコンソールパネルに手を伸ばす。片手に握り込んだ操縦桿と、両脚に踏み締めるフットペダルの感触。その重みに神経を尖らせながら、春季はシミュレーターでしか体験した事のない減速シークエンスを実行しようとしていた。
モニターからの僅かな照り返しで、彼の額にはうっすらと汗が光る。
右手でスロットルレバーを押し込んでいく。カウントダウン開始。
「背面スラスター、戦闘推力で点火。3、2、1……減速シークエンス開始」
合図と共に、春季の両脚が思い切りフットペダルを蹴り込んだ。
すると、背面の二基、左右腰の二基のスラスターを前方に向けていたエルンダーグから、4本の鮮烈な光柱が噴き出していく。対消滅エンジン由来の膨大な出力で機体を押し出すスラスターは、数万tという旧時代の戦艦にも匹敵する重量物を減速させていった。
しかし、4本の光柱は、前触れも無しにふっと消え失せる。
減速開始から五秒と経たない内に、四つのスラスターは全て沈黙していた。数秒間の減速、今はそれだけで十分だったのだ。
「減速シークエンス終了。軌道要素確認……問題無し」
パネルの数値を睨んでいた春季は、ふぅと息をつく。ひとまず減速は成功していた。エルンダーグは重力制御システムを駆使して、強引に地球と同じ軌道上を回っている。だから、減速シークエンスを実行したのは、軌道変更を行う為では無い。
既に春季は、前面モニターの奥に現れた光点に視線を向けていた。
「あれが……? あそこに本当にシャトルがあるのか」
かつて推進された、第四次超長距離遠征打撃計画。その計画内で打ち上げられたシャトルの数は、数十機にも及ぶ。
エルンダーグ用の補給物資を積載したシャトルは、まるでマイルストーンのように太陽系各地へと送り出されていたのだ。計画凍結前に打ち上げられたシャトルは殆どが撃ち落とされていたが、幾つかは未だにラグランジュポイントに留まっている――――はずだった。
春季は事前に知らされていた地点を目指し、エルンダーグに慣性航行をさせていく。
大気の抵抗が無い宇宙では、減速しない限り速度は維持される。徐々に近づいて来る指定ポイントとの距離は、およそ1000kmになろうとしていた。地球上なら未だ遠い距離、しかし宇宙では既にシャトルが視認出来ていてもおかしくない距離だ。
だが、モニターを見つめていた春季の表情は、徐々に落胆の色に染まっていった。
エルンダーグのセンサーが捉えていたのは、どれも10mに満たない破片の雲。外訪者の手で木っ端微塵にされたであろうシャトルの姿は、既に凍てつく残骸と化していた。
「駄目、だったな」
ここまでで既に一か月半の道のり。ラグランジュ4での補給が受けられないと知れば、春季の顔にも疲労の色が滲む。
最初の一週間は、虚勢で耐えられた。
次の一週間には、囁き声が聞こえるようになった。
次の一週間が終わる頃には、常に生々しい気配を感じるようになっていた。
孤独に苛まれた心はもはや正気を失っているのかも知れない。そう自覚できるだけの正気はあるというのに、頭の中に響く声は止まない。耳を塞いでも、瞼を閉じても、喉が潰れるほどに叫んでみても、遂に幻聴から逃げることは出来なかった。
あいつは、聞こえて欲しくない時に限って話し掛けて来るのだ。
そして、また姿無き声がやって来た。
『ただの無駄足じゃないか』
――――静かにしていてくれよ。
『こんな計画が上手くいくなんて、思っていないよな』
もし、今振り向けば、そこに皮肉気な態度で嘲笑っているあいつが見える。本気でそう思えるほどには、肌にかかる吐息の温度が生々しかった。
「だったら、何なんだよ」
噛み締めた奥歯がギリと鳴る。
〈あいつ〉は、代弁者だ。いつだって春季が抱えている疑念を、一つ一つ丁寧に代弁するかのように囁いて来る。だからこそ、認める訳にはいかない。
固めたはずの決意の隙間を突いて来る言葉など、もう聞きたくはなかった。
「フユの為にやるって決めたんだよ、僕は……!」
エルンダーグは躊躇わずにデブリの雲へと突っ込むと、相対速度数km/sにも及ぶ破片の嵐に身を晒す。
宇宙におけるデブリの脅威とは、機体に無数の砲弾を撃ち込まれるようなものだと言っても良い。しかし、エルンダーグの周囲では、機体表面に触れようとしていたデブリが無音のうちに霧散していく。
エルンダーグの全身から放たれた無数の青色パルスレーザーによって、接触しかねないデブリは閃光となって真空中に散っていった。秒間、数万本ものパルスレーザーが漆黒の真空を切り刻み、さながら流氷船のようにエルンダーグの航路を切り開いていく。
紅い装甲に包まれた150mもの巨体は、千の線香花火のように爆ぜる破 片を纏ってデブリ密集帯を通過しつつあった。
この後に待っているのは、四基のスラスターを駆使しての再加速プロセスだ。
推進系の出力設定を弄ろうと、春季の指が正面のコンソールパネルを叩き始める。しかし、その時鳴り始めた警告音が、鋭い危機感で以て指の動きを止めた。
「外訪者がこんなところに……? 距離700、動体反応までっ!」
気付かれた。春季の背を冷気が滑り落ちていく。
700km先に浮かぶ青い肉塊。それらは揃いも揃って二等辺三角系、蠢く薄皮に鉄の内臓を詰め込んだような造形だ。見ている間にも、-270℃近くで凍り付いていたはずの肉塊からは、微弱な赤外線が漏れ始める。急激に温まって来た肉塊の数々は、まさしく休眠していた外訪者の一群だった。
数は5。つまり、ちょうど外訪者の一戦闘単位が集まっていることになる。恐らくはシャトルを襲った一群が、付近でそのまま休眠状態に入っていたに違いなかった。
もはや数百kmという近距離では、戦闘を回避することなど出来ない。
ここでやるしかない。意を決した春季の手は、エルンダーグの戦闘準備を整えつつあった。どうすればいいかは脳内で勝手に想起される、手順は身体に植え付けられている。それでも、パネルを叩く手付きに漂うぎこちなさは、彼が未だ付け焼刃のパイロットであることの証明だ。
「|609.6mm試製甲型電磁投射砲、破砕投射形態で展開」
エルンダーグの右脇をくぐるようにして、背中側から長さ100mほどの砲が回り込んで来る。全高150mを誇るエルンダーグと比べてもなお巨大な、規格外の電磁投射砲。だが、20階建てビルをも超える砲身は2つに折りたたまれており、これでもまだコンパクトに収まっている方だった。
そして、折りたたまれていた砲身が徐々に起き上がっていくと、タンカー級の超重量を誇る二つの砲身は一直線に伸ばされた。鐘を突くような衝撃と共に、破砕投射形態への移行完了。砲身長150mを誇る砲と化した〈ブリッツバスター〉は、砲身内部に莫大な電力を溜め込み始める。
初弾装填、照準固定。揺れる十字線に外訪者の一体が重なる。
「発射!」
砲弾重量2tにも達する609.6mm徹甲弾が、マッハ50以上の初速で撃ち出された。地球における隕石の落下速度はおよそマッハ20以上、爆発的な電磁加速を経た鉄塊はそれすらも凌駕する。莫大な運動エネルギーを込められた砲弾は、小型の隕石にも匹敵する質量弾となって突き進んでいった。
発射から一秒、二秒。
強烈な発射反動にシェイクされたコックピットの中で、春季は弾頭の行方を見守っていた。エルンダーグの存在に気付いた外訪者は、射線をさかのぼるように近付いて来る。春季が命中を確信したその時、先頭の一体が突如として真っ白に爆ぜた。
マッハ50にも及ぶ鉄塊に貫かれた外訪者は、その膨大な運動エネルギーによって一瞬で四散していた。蒸発し切らなかった着弾面は大きく抉り飛ばされ、超高速で撒き散らされた破片となって周りの外訪者に襲い掛かる。他の4体は混乱するようにパッと散開すると、エルンダーグへの接近速度を増して来た。
敵は、本格的に距離を詰めようとしている。
そう理解した春季は、背面のフレキシブルスラスターを左方向へと向けた。光柱の莫大な推力に押し出されて急激に軌道を変えたエルンダーグ、その傍を極彩色の線が駆け抜けていく。
「これが線孔……!」
触れれば機体ごと消し飛ばされかねない線孔、その怪しげな輝きを前に春季は呻く。基本的には人形が使う空孔と同じものだが、戦闘機クラスの個体はそれを線状に引き延ばしているのだ。最大で亜光速にも達する線孔を避けるというのは、本来不可能に近い芸当だった。
だが、敵の反応は僅かに遅れ、狙いも甘い。外訪者が次々に放つ線孔も、エルンダーグには当たらない。
極彩色の網を縫うように、数万tの超重量物がらせん状の回避機動をとっていた。
強大な加速Gに押し潰されながらも、春季はエルンダーグを上下左右へ振り回し続ける。僅かに遅れる敵の反応をあざ笑うかのように、紅い魔神はその加速性能で敵を攪乱していた。激しい機動の最中、エルンダーグが再び電磁投射砲を構える。
機体を貫く発射反動と共に、再度発射。膨大な電力を込められた徹甲弾は、凄まじい初速で瞬く間に真空を切り裂いていった。だが、外訪者も今度は回避運動をとり、二射、三射と続けて放つ砲撃も敵には当たらない。
「長過ぎる……これじゃ当たらない!」
春季は150m近かった砲身を折りたたませると、自らは再びトリガーボタンに指を張り付かせる。
重々しい衝撃と共にロックが解除。ちょうど中央から2つに折れていく電磁投射砲は、砲身長が70m程度にまで縮められていた。重心が手元に寄ったことで取り回し易くなったそれを、エルンダーグは難なく片手で扱ってみせる。
そして発射。軽々と狙いをつけた砲口は、動き回る外訪者の一体を的確に撃ち抜いていた。超高速の弾頭を吐き出し終えた砲身は、赤熱した放熱フィンにうっすらと照らされる。
残りの敵は3体。
獣の如き眼光で暗闇を睨む春季は、次に撃ち抜くべき敵の姿を探し求める。怯えを怒りに変える春季の脳髄は、投与薬剤によってさらに加熱されようとしていた。どこまでも狭まっていく思考が、脳髄の深奥に眠る破壊衝動を沸騰させる。身体が熱い。
敵を引き裂いて、撃ち抜いて、バラバラにしたい。
次の敵はどこにいるのかと、文字通りの血眼がモニター画像を舐めていく。
「次は、そこか……!」
敵を倒す。
ただその一点に向いた意識は、春季に躊躇いなくフットペダルを踏み込ませる。苛烈な加速Gが身体を苛むのも構わず、彼は外訪者の一体へ向けてエルンダーグを猛進させていた。50階建てビルにも匹敵する鉄塊が砲弾と化し、光跡をひきながら外訪者の背後につける。
人の目では追うことすら難しいほどの超高速。旋回する度に数十Gが襲い掛かるような速度域で、人ならざる外訪者と魔神が鋭角的なドッグファイトを繰り広げる。
勝負を決したのは、エルンダーグが煌めかせる右爪の一振りだった。
外訪者を追い越しざまに振るった右爪は、さながらビルを叩き付けるような衝撃で肉塊を砕き散らす。一つ一つが軍艦の衝角にも匹敵する爪は、たった一撃で外訪者の背面まで貫通。その強靭極まりない肉体組織を、エルンダーグの右腕は爆発的な唸りを上げて力任せに引き裂いていった。
その勢いを殺さないままに、エルンダーグのスラスターから更に激しく光柱が噴き出す。バラバラになった外訪者には目もくれず、エルンダーグは前方に捉えたもう一体へと迫っていた。凄まじい勢いで減っていく相対距離メーターが警告を発するも、更に加速し行く機体は豪腕を振り上げる。
一閃。振り抜いた左拳は、外訪者の背面を破城槌の如く抉り飛ばしていた。
クレーター状に散った破片が装甲表面を打ち付ける、カメラアイが体液に濡らされる。だが、エルンダーグはそれを意に介することもなく、殴り飛ばしたばかりの外訪者へ向けて電磁投射砲を構えていた。
「逃がさない」
トリガーボタンに指を掛けた春季は、獲物を捉えた獣のような眼光を放つ。
今すぐ撃ちたい、吹き飛ばしたい。どこか子供じみた破壊欲求が指をくすぐり、ウズウズするようなムズ痒さが身体の底から湧き上がって来る。
どうせなら派手にやりたかった。
欲求の赴くままに選択したのは、破砕投射形態。
150m以上にも達する砲身を構えたエルンダーグは、もはや動かない肉塊へ小型隕石にも等しい砲弾を撃ち込む。まるで笑むように揺らめくカメラアイの先で、外訪者は無慈悲な狙撃の餌食となって爆ぜて行った。
「残りは、一匹……!」
体内で幾つもの補助心臓が脈打つ中、春季は加速Gで血走った眼を虚空に向ける。その紫の瞳が向けられる先には、残り一体となった外訪者が突進して来る様があった。最後の一体は、虹色に煌めく線孔を撃ち放ちながら、エルンダーグに組み付こうと触腕の二本を広げている。
外訪者との相対距離、40km。
瞬きする間に詰められてしまう距離を見て、春季はフットペダルを限界まで叩き込んだ。一瞬、飛び掛けた意識。その狭間から息を吹き返した春季は、人工血液循環システムによって保たれる意識を敵に集中させる。
闘争本能の赴くままに、対消滅機関の膨大な出力を引き出していく。
触腕で組み付こうとする外訪者、それを真っ向から迎え撃つエルンダーグ。猛烈な加速で真空を切り裂く魔神は、光柱の莫大な推力を真っ向から外訪者にぶつけていた。数万tの超高速物体、人型の隕石と化した渾身の体当たりが、強引に肉塊を引き裂く。四方へ飛散した肉片は、破裂するかのような勢いで蒸発していった。
瞬間的に数百Gに達する減速に晒されたエルンダーグは、瞬間的に耐G保護機構を作動。なおも襲い来る加速度で、春季の身体は数tの重りと化して嫌に軋む。大き過ぎる自重に、全身の筋組織までもがぶつりと引き裂かれる。
コックピットに拘束されていた体内では、減速の衝撃で幾つもの血管が破れていた。網膜からは血涙が滴り、食道を逆流して来た血液が口元を濡らす。破断した骨が内臓に突き刺さるも、人工血液循環システムが即座に再生修復を開始する。
壮絶な衝撃が収まった頃には、春季の身体を引き裂かんとしていた加減速も、ようやく収まっていた。意識が途切れたと錯覚するほどに、静かだった。
もはや辺りでエルンダーグ以外に動くものは無く、千切られた肉片以外に漂っている物も見当たらない。
戦闘開始から六分弱、エルンダーグは5体全ての外訪者を殲滅していた。
だが、春季は勿論、機体自体が負った損傷も決して小さくはない。装甲隙間のフレームシリンダーは排熱でうっすらと赤熱し、胸部装甲は外訪者への体当たりによって少々ひしゃげている。外訪者の青い肉片がこびり付いた全身は、既に歴戦をくぐり抜けて来たかのような風貌となっていた。
「うう……っ」
コックピット内で静かに頭を振る春季は、ようやく戦闘が終わったことを認識する。
薬剤による覚醒効果も既に切れ始め、代わりに強制的な沈静物質の投与が開始されているところだった。
そして脇腹のコネクタを通して、傷付いた身体に万能細胞と再生賦活剤が流し込まれていく。これで目覚めた頃には加速Gによる損傷も治っている、という訳だった。パイロットの身体さえも修理可能な部品として扱う、それこそがエルンダーグの真価。
どこまでも機体にコントロールされる宿命を自覚しながらも、春季はどうあってもエルンダーグという魔神に身を委ねるしかない。
だが、それでも、彼の心は先の見えない戦いに悲鳴を上げるのだ。
――――これからどれだけ、こんな戦いを繰り返せば良いんだろう。
『死ぬまで、だろ』
答えは出ない。〈あいつ〉以外に誰も答えようとはしない。
鎮静剤で朦朧とする意識の中、春季はあざ笑うかのような声を聴いていた。他には何もない、誰もいない。たった一人、棺の如きコックピットで孤独に閉じられていく意識は、そのままコールドスリープの闇へと呑まれて行った。
―カクヨムにて連載中(設定集あり)―
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882126599
 




