ep16/25「光無き帰途」
針路、地球へ。
冬菜を救うという希望さえ見出せないままに、春季は帰途につこうとしていた。
「……もう、帰らなきゃ」
春季は静かに、憔悴した顔を上げていく。
彼が前方と左右のモニターを見渡すと、半径30km以上の荒野一面がびっしりと波打っていた。まるで蟻のように蠢く点の数々、エルンダーグ周辺の地域を埋め尽くしている物体は、一つ一つが地面から湧き出して来た人形だ。
その数、実に数千万。大都市の人口にも匹敵する人形の群れが、エルンダーグに取り付こうと迫って来る。
しかし、パルスレーザーの軌跡がパッと大気を貫く度に、瞬く間に数十体もの肉塊が蒸発していった。エルンダーグがハリネズミの如く纏う光線に阻まれて、人形は決して一定の距離に入って来られない。魔神が張る結界に触れる度に、轟々と打ち寄せる肉の津波は、見えない岩場に当たったかのように砕け散っていく。
そう、こいつらさえ居なければ。
心中に渦巻くどす黒い感情が、圧倒的な力を背景に春季の心を昂ぶらせていた。
「消えろよ……!」
背面スラスター二基、そして腰部スラスター二基を一斉に点火。エルンダーグから吐き出される超高温のプラズマ流が、地をも震わす轟音と共に大気を焼き始める。
あまりに膨大な熱量で、見渡す限りの地面を飲み込んでいく灼熱の爆風。遥か遠方に見えていた青い岩塊の街並みさえも、核爆発めいた衝撃波に晒されて一瞬の内に砕け散っていく。幾千の鉄が織り成す悲鳴と共に、高さ数百mにも達する構造物が地平の彼方でゆっくりと宙を舞おうとしていた。
眩い光柱と化した超高温プラズマの前では、強固な岩盤でさえ、溶接バーナーに炙られるバターのようなものでしかない。白熱するスラスター炎は軽々と周囲を熔かし尽くし、膨大な熱量で地盤奥深くまで穿っていく。足場を瞬く間に真っ赤な泡で煮え立たせると、エルンダーグは一つの山に匹敵する量の岩塊を蒸発させていった。
業火にちりちりと燃え出す大気を纏い、眩い光を背負ったエルンダーグがゆっくりと巨躯を起こしていく。陽炎に揺らめく六本の眼は、翡翠色の光を宿していた。
もはや、エルンダーグの周囲に動くものは無い。
荒れ狂う暴風と炎の嵐に飲み込まれた人形など、もうとっくの昔に蒸発し切っている。しかし、その地獄の釜のような光景を見てもなお、春季の心は晴れない。あれだけ鬱陶しかった化け物を薙ぎ払っても、晴れやかな気分になれるはずがなかった。
「くそッ!」
やり切れなさを誤魔化すように、春季の手はスロットルレバーを押し込む。
エルンダーグは綺麗になった荒野を、灼熱の溶岩の海と変えながら飛翔しようとしていた。
真っ赤に煮え立つ海からの照り返しの只中で、紅い装甲を纏った魔神が爆発的に加速。空中で大爆発が起こったかのような轟音が轟くと、上空へと駆け出すエルンダーグは瞬時にその場から消え失せていた。
恐るべき勢いでの飛翔。断熱圧縮で加熱された大気が、直視できないほどの眩い光となって機体を包み込む。地表から天に落ちていく隕石のような速度で驀進するエルンダーグは、夕焼けの空を貫く一筋の光線と化していた。
放たれた矢のように空を突き抜け、音さえも置き去りにして、高層ビルにも比肩する鉄塊が大気を一直線に貫いていく。紅い魔神は瞬く間に天へと駆け上がっていった。
外訪者核に空いていると思しき穴までは、あと数十km。
そこへ近付くにつれ、機体の加速が徐々に鈍くなっていく。
機体の僅かな減速を感じ取ると、春季は加速振動で震えるフットペダルを更に強く踏み込む。エルンダーグから噴き出す光柱は更に勢いを増すも、春季をコックピットシートに抑え付ける加速Gは確実に弱まっていった。
直後、機体にかかる重力異常を検知したシステムが、無機質な警告音を発し始める。重力に抗い続けるエルンダーグは、既に高重力地帯へと突っ込みかけていた。
「そうか、あの穴の周りだけ重力が!」
耳をつんざくような電子音の中、春季は異常な重力分布が検出された穴を見上げる。夕焼じみた空の中に、ぽっかりと口空ける穴。その先に広がる虚空からは星の光が瞬いているが、それらはどれも微妙に歪んだ像を映している。
目と鼻の先の空間は、ほんの僅かとはいえ光すら歪めるほどの高重力地帯だ。
「それでもさ……!」
意を決した春季は、躊躇わずにエルンダーグの高度を上げていく。
地表付近に比べれば明らかに鈍った加速の中、エルンダーグは空中で見えない壁を押しているかのようだった。それでも、数十m単位で確実に穴へと近づいていく。
一分以上かけて穴の真下に到達した頃には、猛烈な重力が機体を抑え付けていた。
あらゆる物体を地面へ叩き付けようと働く高重力場。およそ1kmにも達する光の柱を噴き出して上昇しようとするエルンダーグ。今にも割れそうに震える大気を挟み、両者の間では莫大な力のせめぎ合いが繰り広げられている。
激震するコックピットに揺られながら、春季は猛烈な推力で今にも明後日の方向へと弾き飛ばされそうな機体を抑え付けていた。
あと数km、あと数百m、エルンダーグは重力制御システムをフル稼働させながら、強烈な重力場が分布する穴の只中をゆっくりと上昇していく。人が歩く程度のスピードを叩き出す為に、四基あるスラスターから凄まじい勢いでプラズマ流を噴き出していく。
潮汐力で歪んでいく機体が悲鳴を上げるも、春季は徐々に広がる宇宙空間へと手を伸ばそうとしていた。踏み込み続けるフットペダルからは、機体奥深くの軋み音さえ感じられる。それでも踏み込む。加速を止めない。
「あとっ……一歩!」
ギリギリと軋む機体を押して、エルンダーグが遂に穴から頭頂部をのぞかせる。続いて胸部、腰部と、徐々に抜け出ていく機体の全貌が真空へと晒されて行った。
すると、突如として機体に働いていた高重力が消滅。瞬時に隕石にも迫る飛翔速度で弾き出されたエルンダーグは、外訪者核から急速に離脱していった。
唐突な加速に潰された春季の口元は、内臓からの出血で赤黒く汚される。しかし、そんな事に構っている暇もなく、春季は機体後方を振り返っていた。
真っ暗な真空の海に浮かんでいるのは、視界を埋めるほどに広大な外訪者核の表面だ。表面には大渓谷のような溝が幾つも刻まれ、宗教画のような曼荼羅模様が脈打つように発光。惑星一つを包んで余りある偉容を、これ以上ないほどに禍々しく飾り立てている。
エルンダーグが更に離れていくと、それは段々と全貌を表していった。
充分に離れたところから見れば、春季はその正体にゾッとせざるを得ない。宇宙に漂う外訪者核は、遂には人間の脳としか言い表せない形状となって、彼の視界を覆い尽くしていた。極低温の宇宙空間で唐突に浮かんでいる脳は、まるでスケール感を間違えたホルマリン標本か何かのようだ。
「どうしてこんなっ……人の脳を真似るなんて」
悪趣味にも程がある。あまりにグロテスクな造形に肌を粟立たせていた春季は、背に強烈な気配を感じながらも前方へと向き直る。
既に敵襲は始まっていた。
モニター中には無数の光点が乱舞し、点の一つ一つに対応する外訪者の群れがエルンダーグの前方に展開している。敵数、およそ二万。まるで火星ゲートを突破して来た時の戦闘を繰り返しているような錯覚に陥る。それほどの膨大な数だった。
しかも、今はアローヘッドが無い。
エルンダーグ単体で突破しなければならない敵陣を前に、春季は内臓を鷲掴みされたかのようなプレッシャーを覚える。だが、それでもやらなければならないのだと、本能的に竦み上がる身体へ言い聞かせる。
「……いくぞ!」
エルンダーグは電磁投射砲を展開しつつ、背面からは包帯のような保護布に包まれた鉄柱を引き抜く。片手には砲身長150mもの巨砲、片手には機体全長にも匹敵するほどの鉄柱。それぞれ高層ビルにも匹敵するほどの長物を携えたエルンダーグは、豪雨のように降り注ぎ始めた線孔の中へと突っ込んでいった。
純粋な速度が足りないならば、運動性で突破するしかない。
鋭角的な回避機動で線孔の雨を躱していくエルンダーグは、さながら針山の合間を縫うような緻密さで真空を突き進んでいく。雨の一粒一粒を避け続けていれば、どんな豪雨だろうと濡れることはない。そう言わんばかりの小刻みな機動を繰り返しながら、エルンダーグは数千という極彩色の光線の隙間を潜り抜けて行った。
「う……ぐッ!」
強烈な旋回を行う度に、瞬間的には数百Gにも達する負荷が身体を引き裂く。
ぶつり、ぶつりと断裂していく身体組織の音を聞きながら、全身を血に濡らす春季はそれでも操縦桿にかけた手を離そうとはしない。
神速で踏み切られるフットペダルでスラスターの向きを調整すると、その直後には操縦桿を押し込んでアクロバットじみた回避機動を実行させていた。
停止しては音速の数十倍という速度にまで加速し、次の瞬間にはその超高速を殺し切る。恐るべき加減速の繰り返しで全身を軋ませながら、エルンダーグは鋭角的な機動で線孔の驟雨をさかのぼろうとしていた。
極彩色に切り刻まれる宙域を抜け、外訪者の群れの只中へと突っ込んでいく。
「まずは、そこの奴からさァ……!」
エルンダーグが、数百体規模の群れから狙いを定めた一体へと肉薄。
襲い掛かった外訪者の一体へ向けて、まずはブリッツバスターを発射する。着弾、目の前で派手に撃ち抜いた肉塊を踏みつけると、それを足場にしたエルンダーグは弾かれたように加速。大きく振りかぶった鉄柱をすぐ傍の外訪者に叩き付けると、殴り付けた勢いを利用して群れの中を駆け回る。
覚醒剤で昂ぶる破壊衝動。獰猛に見開かれた紫瞳の中に敵を捉え続けながら、春季は常人では有り得ないような刹那の世界を走り抜けていく。
上下左右、見渡せば外訪者ばかり。どこに撃っても外訪者に当たるような敵の只中で、エルンダーグは砕き散らした肉塊を蹴り出しては、次々に外訪者へと襲い掛かって行った。
「次ィ!」
紅い豪腕に振り抜かれた鉄柱が、野球場よりもなお広い面積を薙ぎ払って外訪者に叩き付けられる。破片を散らして吹き飛ぶ肉塊を尻目に、エルンダーグは間髪入れずに発射したブリッツバスターでもう一体を仕留める。
だが、全天を埋め尽くそうかという敵の軍勢は、途切れる気配を見せない。数百体、数千体と、次々に後衛から押し出されてくる外訪者は、即座に肉壁の隙間を埋めていった。
――――キリが無い!
遂に捌き切れなかった外訪者に背後をとられ、春季は咄嗟に身構える。
直後、突如として背後から突き飛ばされたエルンダーグは、苛烈なGで機体を軋ませていた。エルンダーグが向き直る間も無く、外訪者二体が背後から突進して来たのだ。したたかに打ち据えられたエルンダーグの装甲は抉られ、その激震するコックピットの中で、春季は咄嗟に操縦桿を弾き倒す。
「こんのオオォ!」
途端に振り抜かれたエルンダーグの豪腕が一体を突き刺し、続く鉄柱の一撃で残りの外訪者をも殴り飛ばす。敵を無理矢理に装甲から引き剝そうとしたものの、外訪者に食いつかれた部分では千切れた肉塊が蠢いていた。
エルンダーグが見せた隙に乗じて、周りの外訪者も次々に突進を仕掛け出す。
全てを回避し切ることなど到底不可能な波状攻撃、エルンダーグは全方位から突っ込んで来る敵の突進で次々に抉られて行った。
外訪者に食いつかれては爪で引き裂き、また別の外訪者に食いつかれては豪腕で薙ぎ払う。人間的な尊厳を捨て去ったような、どこまでも獣じみた肉弾戦。野蛮極まる乱戦の最中で、エルンダーグの装甲表面には千切れた肉塊と体液がこびり付いていく。
「装甲から、離れない……!」
春季は交通事故めいた衝撃に打ちのめされつつも、機体システムの警告内容に目を見開く。機体曰く、外訪者に食いつかれた部分から、装甲の自己修復システムが制御不能になりつつあるらしかった。
エルンダーグの自己修復システムは、元を正せば外訪者の代謝機能を摸倣したもの、それ故に外訪者の侵蝕を受ければ混乱が生じてしまうらしい。この期に及んで仇となった修復システムを恨む暇もなく、春季は徐々に外訪者に侵蝕されつつある機体を振り回し続ける。超高速の機動戦の最中、弾丸のように突っ込んで来る敵を捌くだけで精一杯だった。
「このままじゃ、外訪者に……」
――――喰われる。
そんな冷たい予感が、鉛の重さを伴って胃に落ち込んで来ていた。
―カクヨムにて連載中(設定集あり)―
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882126599




