ep10/25「魔神が征く地獄(後編)」
火星軌道を行くアローヘッドは、膨大な光の嵐に飲み込まれようとしていた。
前方の闇を埋め尽くして殺到する、極彩色の線孔。
小回りが利かず運動性など皆無に等しいアローヘッドに、その全てを避ける術など無い。燐光がアローヘッドに触れる度、まるで見えないアイススプーンで掬われるように被弾箇所が抉られていく。真っ黒い装甲表面に、円形の窪みが生じていく。
射線の数は実に数千本、戦艦にも匹敵する巨躯はそれを避けようがない。
線孔が着弾する度に、およそ1tもの劣化ウラン塊が光の中に消え去っていった。無音の内に刻まれていくクレーターの数々は、アローヘッドの超質量をいとも容易く削り取るのだ。
右に回避すれば良いのか、それとも左に回避すれば良いのかが分からない。
ここは地面無き宇宙、上下どちらへ舵を切るべきなのかも分からなかった。
「くそっ……こんなのどうしろって!」
春季の内で、ショート寸前の自問自答は尽きない。真っ白にホワイトアウトして行く思考は、ごく平凡な高校生のそれへと戻りかけていた。いくら記憶移植処置を受けたとは言っても、所詮は戦いを知らなかった少年に過ぎないのだ。
もしかしたら、これだけの力があれば、本当の失敗など有り得ないと思っていたのかも知れない。心の底にこびり付いていた甘えを噛み締めると、春季は自らを呪う。
脳髄を焦がす混乱の中で放たれた絶叫は、狭いコックピットの中で悲痛に響き渡る。
「失敗したのかよ……僕はッ!」
一瞬、冬菜の姿が脳裏をよぎっていくと、彼の心臓は不規則に脈打った。極度の焦りが脳波を乱し、無限にも思える敵のプレッシャーで内臓が押し潰されそうになる。
だが、そんな春季の体内を、不意に氷水が巡って行った。
血管という血管が凍てついていくような錯覚の中、脳髄を満たしていた熱が消え去る。沈静系の薬剤の投入が開始され、視界を狭めていた枷が外れたように感じられた。
――――どうして気が付かなかったんだろう。
さながら氷のような光を帯びた紫瞳が、機体左モニターへと向けられる。画面全体を埋めていた赤茶色の大地に視線を落とす春季は、そこに活路を見出していた。
行くべきは、下だ。
強引に減速を掛けつつ、光柱を噴き出すアローヘッドは火星表面へ舵を切る。
外訪者側へ晒すことになった上面に線孔攻撃が集中し、ブレードは根元から虫に食われるように抉られて行った。高層ビルがミシミシとへし折れていくかのような破断音、断末魔のような激震と共に捻じ切れて行ったブレードは、小爆発に押されて徐々に高度を下げていく。
4枚あったブレードの内、1枚が希薄な火星大気圏に捕まろうとしていた。
超巨大タンカー程もある劣化ウラン合金塊が、薄い火星大気を切り裂きつつも減速していく。ボロボロに刃こぼれした弩級の刀身は、早速、赤い炎を纏い始めていた。戦艦級の矢羽が焔の剣と化し、赤く錆びた大地へ向けて振りかざされる。
人類史上最大最重量の刃は、もはや誰にも止められない。
一度減速すれば落ちる、落ちれば更に増速する。加速度的に速度を上げていくブレードは、遂に火星大気の底まで走り切っていた。
軌道上からも見えるほどの破滅的な激突。白光が視界を染めた。
地球ならば小国一つを舐めていくように広がる衝撃波が、綺麗な円となって大気を走る。ごく薄い大気でさえも落着の轟音に震え、錆びた大地もまた、数十万tもの刃に深々と叩き割られていた。エネルギー総量にしてマグニチュード8以上。轟々たる大地震に砕かれて行った岩盤を背景に、宇宙空間にも達する壮絶なキノコ雲が立ち昇っていく。
衝突で宇宙へ弾かれた岩の噴水は、もはや二度と地表には戻ってこない。それほどの衝撃だ。
数十万tクラスの質量物体の落着は、今まさに火星全土を揺るがしつつあった。
「大気圏突入開始……保ってくれよ!」
降下開始。弩級の矢じりもまた、ブレードの後を追うように落ちていく。
地球の1/100近い希薄さとはいえ、大気を切り裂く感触は決して軽くない。激震で舌を噛まないように堪える春季は、まるで狂ったように数字を膨らませていく速度計に背筋を冷やす。
もう、どうにでもなれ。
ある種、諦めたように口元を歪める春季は、恐怖をも圧倒する薬剤の高揚感に身を任せる。速く、速く、更に速く。火星大気圏内へ推進落下するアローヘッドは、自由落下に加えてスラスターの加速をも上乗せしていく。
大気を裂き行く轟音など、とっくの昔に引き離していた。
たった数秒足らずで大気上層を抜け、次の数秒で下層へと突っ込む。
猛烈な衝撃波を引き連れながら、数百万tもの鉄塊が光球と化して落下していく。航空機事故など比較にもならない過激な落下劇だった。
一瞬でも判断が遅れれば、火星には新たな一大クレーターが産まれるかもしれない。そうなってしまえば、これはもはや人智の域を超えた天体ショーになるのだ。地形をも変え得る破滅的な力に、全身の震えが止まない。
怖い。
気持ち良い。
得体の知れない愉しさに、無意識の笑みが浮かぶ。
視界全てを埋め尽くした赤い大地には、あと一瞬で――――。
狂気的なチキンレースに血液を沸騰させる春季は、その時操縦桿を押し込んだ。
「上がれエエェ……ッ!」
噴射角を偏向、さながら大爆発のように一帯が吹き飛ぶ。
爆煙から飛び出て来たのは、地表を舐めるように飛翔するアローヘッドの光だ。
赤さびに覆われた大地を鮮烈に照らし、灼熱の鉄塊が隕石よりも速く突き進む。轟々と大地を砕いていく衝撃波は、砂塵を飲み込んでは高波に変えていった。
「緊急回路開放、自己点火モードで起動完了。ブースター噴射開始……!」
アローヘッドの後端部を飾るノズルから、絞られた白光が噴き出し始める。
効率は著しく低いものの、エルンダーグが自力で再点火させたブースターには再び火が入っていた。直後、ノズルから噴き出ていたプラズマ流は膨れ上がり、山をも包む白炎となってアローヘッドを加速させていく。
もはや一本の光線と化した矢じりは、秒速数十km/sの高速、地球で言えばマッハ200近い超高速で地表を抉り取っていった。
宇宙から降り注ぐ線孔は、光線の後を追うように次々大地を刺していった。
まるで幾千の投げ槍が突き立てられるように、1万体にも及ぶ外訪者からの苛烈な攻撃が火星大気を貫いていく。
一瞬でも気を抜けばその餌食となるのだ。
だが、アローヘッドの加速度に、軌道上からの砲撃はまるで追い付けていない。
「このままゲートの下まで……」
春季は不規則な振動に晒されながらも、モニター上面の空を見やる。
火星の大気を通して霞んでいるものの、遥か上空には光門が浮かんでいる。太陽よりも遥かに小さな輝きは白く、まるで昼の地球から見る月のようだった。
地表を驀進している内に真上近くまで来ていたゲートを見て、春季は叫ぶ。
「上昇、開始っ!」
地表を這うように進んでいた様から一転、アローヘッドは垂直上昇に転じようとしていた。打ち上げシャトルよろしく吐き出された白炎は、地表へと向けられる。まるで脈動するように広がる業火を足場にして、アローヘッドが勢いそのままに空を駆け上がっていく。
地球の半分にも満たない重力では、引き止める事すら叶わない。
更にアローヘッドからもう一枚のブレードが分離。敢えて切り離されたブレードが盾となり、身軽になった本体を守って幾つもの穴で穿たれて行った。
高度150km、300km。線孔の暴流をさかのぼるように上昇していくアローヘッドは、幾千もの燐光を切り拓いて大気圏を脱しようとしている。
重力井戸を這い出て来てもなお、その速度は衰えを知らない。
2枚のブレードを残すのみとなったアローヘッドは、真空を突き進む。超高熱で融けかかった先端部を舳先とし、揺るがぬ進路をゲートに向け続けるのだ。
「敵数、12時の方向……ッ!」
骨が軋むほどの加速度に晒されるコックピットの中、春季は苦し気に声を絞り出す。だが、その加速度すら気にしていられない程に、敵の数は圧倒的だった。
数1万近く。今まで見たことも無いような数の赤点が、レーダーを埋め尽くす。ゲート周辺を囲むように群がる外訪者は、まるで青い肉壁のように立ちはだかっていた。
一段と濃密に降り掛かって来る線孔は、無音の内に装甲を抉り取っていく。
アローヘッドは、それでも構わずに加速を続ける。
そのコーンを思わせる装甲がスライドしていくと、装甲間に生まれた隙間からは次々に円柱が突き出していった。およそ電柱ほどの円柱が2800本、劣化ウラン合金製の外殻から突き出した柱には、全て同じマークが刻み込まれていた。
それはかつて人類自らが生み出し、恐れた兵器の証。
その内に、禁忌の業火を宿していることを示す刻印だ。
ミサイルに捕捉された数千の外訪者。そして、モニター上に映し出された〈N-weapon〉の文字列を見据えつつ、春季は目一杯トリガーボタンを押し込んだ。
「この距離なら……核ミサイルユニット全開放、発射!」
アローヘッド全体が一瞬光に包まれると、その外殻から無数の絹糸が伸びていく。
美しくも無駄のない軌跡が数千本、一つ一つに核の炎を封じ込めたミサイルは揃って飛翔していた。そして数秒後には、視界を埋め尽くすほどの肉塊へと次々叩き付けられる。
ほぼ真空の軌道上で爆発が花開き、青白い閃光が無数に連鎖していく。
ここがもし地上なら、幾つの国が焼き払われたとも知れない核爆発の連鎖。
しかし、強靭な肉体組織を持つ外訪者が相手では、ほとんど目くらましに過ぎない。
閃光が闇に溶け去る傍から、核に炙られたばかりの肉塊は蠢き出す。
二等辺三角系をなしている戦闘機型、電車くらいの太さを誇る筒型。他にも未だ分類されていない雑多な外訪者が、揃いもそろって害意を剥き出しにしていた。
「お前らが……お前らが、その気で向かってくるならさァ!」
血走らせた紫瞳に核の閃光を映しながら、血に塗れた春季は自らを奮い立たせる。
極光じみた光を浴びながら、満身創痍のアローヘッドが轟々と唸るプラズマ炎に押し出されていく。そして核爆発の熱量で熔融しかかった肉塊へと、容赦なく突っ込んでいった。
どんな達人が振るう刀よりも速く、肉塊へ叩き付けられていく全長200mの双刃。たとえ刀身が人の背丈より厚くとも、何の問題にもなりはしない。
隕石をも凌ぐ超高速でタンカー級の重量を叩き付けてしまえば、もはや切れ味など関係が無かった。叩き切る、という表現でさえ足りない弩級の斬撃は、進路を塞ぐ外訪者を次々に血祭りにあげていく。
数十体、数百体と、超高速で擦過する肉塊が刃先を加熱し、灼熱したブレードは赤白く輝き出していた。シューシューと無音の内に炙られていく青い肉塊は、刀身にへばり付いて離れようとしない。
アローヘッドは白煙を撒き散らしながら、肉壁に打ち込まれた楔と化していった。
だが、城壁のような装甲を纏う超弩級装備といえども、無敵にはほど遠い。
常に数百、数千と豪雨のように打ちつける線孔は装甲を抉っていた。既に数千tもの質量を失っていたアローヘッドには無数の亀裂が入り、脆くなった装甲が自らの加速で軋みをたてる。もはや自壊寸前の矢じりへ向けて、線孔攻撃は更に苛烈さを増していく。
先端に着弾。強度を失ったコーン型の装甲がひしゃげた。
続けて着弾。遂に装甲全体が不気味な震えと共に捩じ切れ出した。
限界が近い。自らの速度でアローヘッドが千切れかけていく。
「……発射!」
爆炎。突如として、アローヘッドのコーン型装甲が内側から弾けた。
隕石の如き鉄塊に撃ち抜かれた装甲板はいよいよ弾き飛ばされ、光柱を噴き出して驀進する矢じりに置き去りにされていく。
内側からの砲撃で吹き飛ばされた空隙からは、全長70m以上を誇る二つ折りの砲身が煌めいていた。
ブリッツバスターを撃ち放ったばかりのエルンダーグは、無音の咆哮を上げて排煙する。脱皮して殻を破るかのように蠢き出す魔神。刃こぼれしたブレードの影で、その眼には翡翠の光が灯っていた。
もはやコーン型装甲を失った矢じりは、エルンダーグを覆い込んでいない。
ブースターノズルを支える強靭極まりない骨組み、そして数十万tクラスのブレード二枚を携えるエルンダーグは、枷から解き放たれたかのように爛々と装甲を艶めかせている。紅い両腕が、砲身長150mもの得物を構えていた。
瞬く間に10発以上の連射、俵ほどの鉄塊がコンマ数秒おきに撃ち出される。
エルンダーグが速射砲よろしくレールガンを連射した先で、弾ける肉塊、閃光を放って蒸発する外訪者数十体。自ら肉壁を切り拓きながら、灼熱するブレードで敵を切り伏せながら、アローヘッドの残骸を纏うエルンダーグは光門へ突き進む。
そのまま無数の外訪者がなす、厚さ10km以上もの青い肉壁を穿っていた。
「あと、少し……!」
虚空に浮かぶ光の皿、まるで平たく潰した月のような光門が見える。
ゲートまでの道のりを塞いでいた外訪者も、もはやまばら程度にしか見当たらなかった。真っ向から向かって来た一体を灼熱のブレードが斬り付けると、遂にエルンダーグとゲートの間を埋める者は消え失せる。
不意に肉塊を裂き続けていた振動が消え去ると、束の間の静寂が訪れた。
瞬きする間にも突っ込んでしまうゲートを前に、春季は言葉を失う。
内部に極彩色の雲が渦巻く様は、まるで光の絵具を水に溶かしているかのようだった。狂気に熱せられた心にも、その美しさが突き刺さる。
そして、幻想的な輝きに目を奪われた春季の脳裏を、唐突に一つの言葉がよぎっていく。
『一度ゲートを潜れば、主観的には20年近く時間が飛ぶと計算されているわ』
凱藤の言った言葉は、恐らく正しい。それでも構いはしなかった。
白熱して輝く疵だらけのブレード、ハチの巣に抉り抜かれた装甲の残滓を纏いながら、エルンダーグは光の水面へと飛び込んでいった。
―カクヨムにて連載中(設定集あり)―
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882126599




