火と花 2
「火と花」二
壊れやすいものは美しい。そう思うのは日本人だからなのかもしれないけれど、昔から日本人は儚いものや、散ってゆくものに美しさを感じていたとか言う。だから私がそんな風に感じるのは、私のせいじゃなくって、日本っていう世界のせいにしておくことにした。環境のせいなんだろうって。「周囲の環境に影響を受けないで成長できる人間はいない」って何かの本にも書いてあったんだから間違いない。そして、人の美しさを一言で表すなら、死。
「悲劇」も、「薄幸」も、「散り際」にも全部、死がついて回っている。だから死は舞い散る桜のように、人の情を動かす力を持っているに違いないのだ。だから、かわいそうな死は私を美しく殺してくれると信じ込んでしまったのだって仕方が無い。私はなんにも悪くない。死に憧れるのは私のせいじゃない。
それに私には、かわいそうになれる資格のかけらが、この血のめぐる体のどこかに埋まっているような錯覚を感じていたから。それは傲慢なのかもしれないけれど、そう思わずにはいられなかった。自分だけ不幸ぶるなって怒られそうだけど、私が幸せじゃないことだけは確かなはずだから。
「と、私は我ながら馬鹿みたいな方程式を、脳神経総動員で展開したのでした」
かっこ良さげな哲学ごっこから我に帰ると、恥ずかしさを覚えて、第三者の語り風に脳内で独り言を締めくくる。自分の思考に他人のふりをしつつ溜息をつくと、急に風が涼しく感じられて、手首の傷にしみた。でも、反対に紅茶の缶を握る手を伝って、じん、と心地いい熱も手を包む。痛みや不安が、正反対の優しい熱と混ざり合って、手首の辺りに重たくぶら下がっていた。
「美しくなりたいな。」
私は誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。夏と秋のすきまで、都会のわりに澄んだ空気が流れて行く。
失っていく夏。
さびしげな夏。
秋に季節を明け渡してしまって、あんなに元気だった夏は何かを言いたそうな微笑みで、悲しげに私から遠ざかって行く。世界に流れる空気さえも、やさしく何かを失っていく。歌も世界も喪失の美しさを持っているのだ。
淡いさびしさが世界を包んで、街並みも、公園の木々も、星空も、繊細なガラスの街へと変わって行く。そんな世界で、私は美しくいられるんだろうか。そんな不安にはさまれて、私はどうしようもなく震えていた。美しくなかったら、この世界では生きて行けない。まだ十五か十六年の人生だけど、私はそれを知ってしまった。
星がいつもより見える空の下。少し肌寒い空気の中で誰もいない公園のベンチに腰を掛けて、安物の紅茶の熱を寂しく感じている、自傷行為に走る精神疾患の私。
そう思うと、なんだか自分がほんの少しだけかわいそうな人間に思えて、今日の散歩は満足だった。
だって私を満たすのは、儚げなセンチメンタルなのだから。