「骨をかじりたい」とその人は言った
カテゴリーをホラーにしようかエッセイにしようか迷ったけど、とりあえずエッセイで。
母が亡くなった。
当時わたしは妊娠中で、周りが気づかっていろいろと動いてくれたけれど、それでもしなければならないことはたくさんで、悪阻をごまかしごまかし今日は役所、明日は銀行と忙しくしていた。
それもなんとなく落ち着いてきたある日、母の友人だという人から電話があった。
「もしもし、○○子さん(母の名前)はおられますか?」
「申し訳ありません、母は少し前に亡くなりまして……」
母の生前の希望で葬儀は身内のみ、連絡も最低限ですませていたため、当時、このようになにかの用事で電話してはじめて母のことを知る人は多く、お互いに失礼を詫び、お悔やみのち関係の深い人は後日線香をあげに訪問――だいたいこのような流れであった。
そしてこの人――仮にAさんとでもしておこうか――も例に漏れず、母のことに驚き、悲しんでいた。
「お母さんにはもうほんとにお世話になって、この前も主人の病気のことでね、相談に乗ってもらって――まあ、なんてこと……」
「ええ、急なことだったので家族もまだ戸惑っているんです」
聞けば、Aさんはここしばらく体の調子を崩していて、手を合わせに行きたいが行けそうにない、元気になったら伺いたいとのこと。
「そうですか、またいいときにおいでください。母も喜びます」
「ええ、ほんとにお母さんにはよくしてもらって――あなたのお母さんは仕事もなんでもできて、優しくて、ほんとにもう神様みたいな素晴らしい人だったから」
「あ、はい――」
「わたし、あなたのお母さんのことがほんとに大好きで、仲良くしてもらったから、もう悲しくて悲しくて」
電話の向こうでAさんの声は暗く沈んでいた。
「ほんとに悲しい、お母さんの骨をかじりたいくらい」
「え、ええ……」
「あの、お骨はもうお墓に納めてしまったんですか?」
「はい、そうですけど」
「そうですか、お家にないんですか……」
またそのうち連絡すると言って電話は切れた。
もしこのAさんが本気で言ってるなら――いや、本気でなくても怖いね、また電話があったらどう対応しようか、と夫と言い合い、母とは職場が一緒だったとのことだったので、そこで一番仲がよかった人にもきいてみたが知らないと言う。
怖いし薄気味も悪いのだが、だからといって実害があったわけでもなし、こちらからなにかするようなことでもないしと、日々の暮らしに紛れてAさんのことは記憶の片隅に押しやられていった。
それからしばらくたって、お腹がはた目からもだいぶ目立つようになってきた頃――。
家に一本の電話が鳴り響いた。
「もしもし、以前電話させてもらった○○町のAですけど」
「あ、どうも、ご無沙汰しております――」
「お家に伺いたいと言っておいて今までこれなくてすみません、わたしずっと具合が悪かったものですから」
「いえ、お気になさらず」
「もうね、お母さんが亡くなったってきいてから毎日が辛くて辛くて、わたし毎日のように泣いてるんです、ほんとに、あなたのお母さんは素晴らしい人で、なんでもできて、まるで神様みたいな人だったから。わたしもほんとによくしてもらって――あの、お骨はもうお家にないんですか……?」
「そ、そうですけど……」
「そうですか――お宅はどこにお墓があるんですか?」
ここで、どうしようもなく気持ち悪くなってしまったわたしは、この会話を一刻も早く打ち切りたい、Aさんには悪いけど家にも来てほしくないと、今は出産を控えてあわただしくしているのでと、遠回しに断り、Aさんはじゃあ落ち着いた頃にと言った――わたしは問題を先送りにしたのだ。
家族が一人増えた。
目の回るような日々――睡眠不足でふらふらしながら、しかし目を離した隙になにかあったらどうしようと眠るのが怖い、上の子の習い事や用事は待ってくれない。
「あのう、○○町のAです、ご無沙汰してます……」
Aさんから電話がきた。
「あ……はい、こんにちは――」
「もうお子さんが産まれた頃だと思って……それで、今日近くまで出る用事があるものですから、お宅に寄れたらと思いまして」
「あ、あの、申し訳ないのですが、今日はこれから出かける用事があるので……」
「そうなんですか、わたし、お母さんが亡くなってからもう毎日が真っ暗な中にいるようで……ほんとに悲しくてずっと泣いていて……あの、今度お墓にも行きたいと思うんですけど――もう納骨はされてるんでしたよね」
ぞわりと背中をなにかが這い上がってくるような感覚。
「あの! すみません、もう出る時間なのでそろそろ失礼します」
それ以来、Aさんから電話はかかってこない。
わたしはときどき考えるのだ。もし母の遺言で葬儀のあとすぐに納骨しておらず、遺骨が家にあるタイミングでAさんがやってきてしまったとしたら。
彼女は、ほんとうに骨をかじろうとしたのだろうかと――。
彼女のことを思い出すたびに、脳裏をよぎるイメージがある。
夜中、誰もいない霊園を明かりもなく歩き、目当ての墓を探し求める老婆の姿。玉砂利の鳴る音。
やがてたどり着いた一角で――どこにそんな力があったのか――拝石を動かし、地の底に潜り込むようにしてそれはうずくまる。
木立も風も息をひそめる暗闇の中、かすかに響くその音は――
ああ、骨は、いったいどんな音で鳴るのだろうか。
こむる作「お弁当を一緒にいかが?」の後書き(130話)を読んだことのある人は、答えあわせをしてみるのもいいかもしれない。