「俺が死んだらハードディスクを破壊してくれないか」
「俺が死んだらハードディスクを破壊してくれないか」
古参オタが交わしていた、かつての約束。
あいつが言い残していた言葉。
「死んでも死に切れない」
二〇十八年の暑すぎた夏。
約束は予想より早く現実になった。
遺言で指名された形見分け。
容量重視の分厚いハードディスク。
透明のストックバックに封印されていた。
事件の証拠品のようで。
ねじ止めされた遺骸のようで。
青白く黙っていた故人の部品のようで。
差し出すご遺族の前で破壊はとてもできず。
私は数珠袋をクッション代わりにして持ち帰った。
クローゼットを開くついで、その金物を仕舞った。
夜分、怨霊は意外と早く到着した。
クローゼットを内側から開けるネイルした指先。
フローリングに新品の革靴で降り立つ少女。
LEDが灯る個室の闇に咲き開くゴスロリの衣装。
長い睫で修飾された瞳で私を捉える。
売れそうな可憐な声で私を責めた。
「壊してくれと言ったじゃないか」
「死んでも死に切れない」
怨霊の少女に小一時間問い詰められた。
退屈はしなかった。
声がいい。
いい匂いもする。
床に靴が写り込む。
スカートを触ると柔らかい。
蹴られると当たり判定もある。
「ビバ、二〇十八年ッ!」
「怒られた意味を理解しろッ!
怨霊になったおっさんのスカート触るとか地獄かッ!」
怒り疲れた相手は誘導しやすい。
「鏡、見た?」
「はっ?」
「いいから、見てみ?」
私は髭剃り用の鏡を差し出した。
えっ、私の作画、可愛すぎ?
あいつは、そんな仕草をした。
「声も聞かせてやろう」
私はスマホを構えて録画ボタンを押した。
ピッ。
「はいっ、どうもー♪」
少女はノリのいい声で動いた。
死んでもオタクか。
ピッ。
はいっ、どうもー♪
二人で画面を覗いて確信した。
「かわいい」
二人でレースゲームしたり。
「往生せーやーっ!」
ブラウザを使って久々にログインボーナスを稼いだり。
「ただし、友情ポイントはカンスト」
「ああ、途切れると一日目になるのか」
数年ぶりに発売された単行本を読んだり。
アカウントを使い分けてリメイクのアニメの感想を書いたり。
「帰ってきたーっ!
黄泉の国から戦士たちが帰ってきたーっ!」
オマエモナー。
Vtuberデビューしたり。
それとは別に素の姿でも記念に動画を撮ったり。
「凄く声が似ている子、ってことであとで流そう」
「炎上するぞ」
そんなことをして十二話ぐらい過ごしたか。
一人の買い物の帰り、スマホに通知が割り込んだ。
あいつは成仏するという。
「お前は何を言っているんだ」
「別れが直接じゃなくて、すまん。
もし赦してくれるなら。
このアカウントは『友だち』のままにしておいてくれ。
約束な?」
「了解」
スタンプを返した。
走り出さない自分が意外だった。
そういうところはアニメとは違う。
帰宅すると確かにあいつはいなかった。
ベッドに匂いと暖かさ。
それと少女の長い髪の毛が一筋残っていた。
一人になったことをいいことに。
私は試しにハードディスクを繋げてみた。
ハードディスクは壊れていた。
なんとなく予想通りだった。
金物には寿命がある。
業者にも見せてみた。
意外なことを言われた。
「これ、ちゃんと消されてますね。
専用のソフトを使った痕があります」
ご遺族の常識にいまさら気づく。
遺品のコピーは試みて、でもダメだったのか。
じゃあ、どうしてあいつは現れた。
「死んでも死に切れない」
事件の証拠品のようで。
ねじ止めされた遺骸のようで。
青白く黙っていた故人の部品のようで。
帰り道、浦島太郎の宣伝が妙に目に付いた。
自分の老いを思い出したのかも知れない。
平日を五日、乗り越えた。
自分で診る限り私は平常だった。
特に泣き出したりもしなかった。
あいつを弔ったということなのかも知れない。
金曜、夜更かしに備えて早めのシャワーを浴びる。
目を閉じてシャンプーを頭の上で泡立てて気づく。
あいつのメールアドレス。
あいつの口癖。
何度か目撃していた、生前のパスワードを打つ様。
英数字から変わっていく伏字の妙な長さ。
もしかして。
一人暮らしの部屋、全裸でデスクトップを立ち上げる。
クラウドストレージのログイン画面。
メーラーからあいつのメールアドレスをコピーする。
パスワード欄に推理通りの英数字を打ち込む。
ブラウザに開かれるのは業の深いフォルダの一覧。
「なるほど。
クラウドか。
それで怨霊を再度召喚したわけだ」
「サイン院」
背後から声に私は応えた。
おっさんの裸から目を逸らした少女が嫌な顔をしていた。
「服を着ろ。
まったく誰も嬉しくない」
ゴスロリの少女は同窓生のおっさんを軽蔑した。
ハードディスクに未練が残るなら。
クラウドストレージはどうするんだ。
それが私の疑問だった。
死んでも死に切れない。
さすが二〇十八年。