霊感マイナス少女 晴野茉莉 ~学校の七不思議編~
霊感……それは人ならざる者を認識できる力である。
幼い頃より、俺は自らの強い霊感によって日々の平穏を脅かされていた。
金縛り、ポルターガイストは日常茶飯事。
街を歩けば必ず霊に遭遇し、怨嗟と悔恨の入り混じった声が歩みを進めるたびに聞こえてくる。
憑りつかれ、殺されかけたこともしばしばあった。
霊という存在は自らの思念と、他者の認識と恐怖によって力を増す。
つまりは霊感の強いものほどその影響を受けやすく、またそういう人物の周りでは霊たちも力を増すのだ。
他人よりもはるかに強い霊感を持っていた俺は、幼いころからその現実を実体験として理解し、物心ついた頃には既に悟っていた。
すなわち、自分は長生きできないだろうということを。
病気がちで、体も弱く、運も悪い。そのうえ悪霊も呼びつけてしまうような俺は、絶対に近い将来死ぬだろう。
そんな風に思い、日々を過ごしてきたのだ。
隣に彼女が引っ越してくる、その日までは――
*************
「さて、やって来たぞ、夜の学校に。とても良い雰囲気ではないか。今にもなにか出てきそうだ」
草木も眠る丑三つ時。
街灯もなく月明かりだけが照らす夜の学校。その校舎を目前にして、にやりと不敵に笑う人間がいた。
昼間と同じ、夏用の制服に身を包み、ヘッドフォンを首に掛けた背の低い少女。
短く切りそろえられた黒髪が月の光を艶やかに反射する。同じく月明かりを反射する白い肌。
月光に淡く包まれる彼女の名は、晴野茉莉。
恵蘭高校二年A組の生徒である。
「今日こそは幽霊に会える気がするぞ。なあ、おばけくんもそうは思わないかい?」
そして、彼女が声をかける先にもう一人、恵蘭高校二年A組の生徒がいる。というか、俺だ。
「おばけって呼ぶなよ。俺の名前は大葉景だ」
茉莉の質問には答えず、変なあだ名を拒絶してみせる。
しかし、彼女は意に介した様子も見せずに校舎のほうを指差した。
「まあ、いいじゃないか。似たようなものだ。それよりもほら、どうだい? 校舎に幽霊はいるかい?」
好奇心で目を輝かせながら、茉莉は俺に尋ねてくる。
「いるかいないかで言えば、まあ、いるよ」
「本当かい? それは重畳。学校の怪談なんてものは眉唾ものだと思っていたが、案外こんな身近にもオカルトは存在するのだな」
「身近っていうか、幽霊なんて割とどこでもいるぞ。ただ見えるかどうかの違いだけだ」
「言ってくれるね。自分が見える側の人間だからって、随分と余裕を見せつけてくるじゃないか」
「余裕っていうか、できれば見たくないんだけど」
「なんという贅沢。幽霊が見えるのにできれば見たくないとは。代われるなら代わってもらいたい立場だというのに」
「俺も代わって欲しいもんだ」
もう何度も繰り返したやり取り。
茉莉は生粋のオカルト好きなのだ。
十年前、隣の家に引っ越してきたときからずっと一つの志を持っている。
すなわちオカルト的存在を視認すること。
そのための幽霊発見係として、霊感の強い俺は毎回茉莉に連れ出されているのだ。
そして、今回もまた、そのうちの一つ。
「まあ、ないものねだりをしても仕方がない。切り替えていこう。まあとにかく、オカルト研究部、夏の課外活動『学校の七不思議の調査』を開始するぞ!」
「おー」
無駄にやる気のある掛け声と、やる気のない声が宵闇に木霊する。
張り切る茉莉には悪いけど、どうせ今回もダメだろう。
そもそも本来であれば、霊感が馬鹿みたいに強い俺と一緒に外出している時点で、幽霊に遭遇していなければおかしいのだ。
霊感が強いというのは周囲の霊が活性化するということなのだから。
だけどこの十年間、茉莉は一度も幽霊を見ていないし、金縛りもポルターガイストもラップ音も経験していない。
どうしてか、それは簡単だ。
茉莉は持っているのだ。
霊障をかき消し、すべての霊を無に帰す、マイナスの霊感を。
***********
マイナスの霊感とは何かと問われた時、一言で説明するなら、それは『現実の強制』だ。
霊感がない人間は、幽霊を認識できない。触れず、干渉できず、そこにいないのと同じ。
ゼロはそれなら、マイナスはどうなるのか。
答えは簡単だ。
「まず、一つ目の七不思議は『一段増える階段』だ。おばけくんよ、知っているかい? この階段は昼間には十二段らしいが、夜には十三段になるらしいぞ」
「俺はおばけくんじゃない。まあ、それくらいなら聞いたことがある。確か、女性の幽霊が十三段目として現れて、通った人間を異世界へ連れてくんだっけか?」
「その通り。一つ目ということで、わかりやすくシンプルな怪談だな。確認もしやすい。さて、それでは一段ずつ登って数えていこうか。一、」
〈あああああああああああああああああああああああああああ!!!!〉
「あ、消えた」
一段目に茉莉が足を掛けた瞬間に、断末魔の叫び声をあげて階段に宿る幽霊は成仏した。
そう、マイナス霊感は触れた幽霊を問答無用で成仏させるのだ。
いないのと同じではなく、いなくなる。
「――十、十一、十二。なんだ、十二段のままじゃないか」
「今日はいないんだろうよ」
「むう、簡単に幽霊に会えると思ったのだが、やはり一筋縄ではいかないようだ」
茉莉は不満げに溜め息を零す。
自分がその階段に宿っていた幽霊を踏み潰し、成仏させたことになど気づいていない。
「気を取り直して次に行こうか」
「おー」
************
「二つ目は、『動く人体模型』だったが……動いてないな」
「そうだな」
部屋の隅でガタガタ震えている男子生徒の幽霊を見ながら、茉莉に同意した。
その幽霊の姿は、三角頭巾に白い着物。いかにも幽霊といった感じだ。
それに身体が透けているということと足がないこと以外は普通の人間に見える。
本来ならこんなテンプレチックな姿で幽霊を見ることはない。
不気味でおぞましく、怨嗟を詰め込んだような姿になるはずなのだ。
なら、どうしてこうなっているのか。答えは簡単、茉莉のせいだ。
強大な霊感が自分以外の人間にも影響を与えるように、マイナスの霊感も他者に影響をもたらす。
様々な形で影響が現れるが一番わかりやすいのは、周囲の人間の霊感が弱くなることだ。
茉莉の周りにいる人間は、幽霊と相互不干渉となるのである。
俺のような稀代の霊感の持ち主ですら、完全に見えなくなるということはないものの、その影響を受けてしまう。
現に茉莉が隣に引っ越してきてからというもの、俺の世界は一変した。
悪鬼羅刹、百鬼夜行、魑魅魍魎。俺の視界からはそうとしか表現できなかった、幽霊だらけの世界。
それが、幽霊とのほのぼの日常系アニメと化した。
霊感低下による認識阻害によって俺は幽霊を正しく見れず、幽霊自身の霊力低下によって姿が変化する。
恐れられて力を増す幽霊は、逆に言うと力が減れば恐れられなくなるのだ。
あんな『いらすとや』に描かれていそうな幽霊でいったい誰が怖がるというのだろう。
「なんというか……やはり動いてないとしか言いようがないのだが……どうするべきか」
「あっちにこの人体模型を動かしていた幽霊が蹲っているぞ」
「何!? それはどこだ!? こっちか!? こっちか!?」
〈や、やめ、くるなくるなぎゃああああああああああ!〉
「よっし、消えたな」
茉莉が理科室の中を縦横無尽に駆け回ったせいで、あの幽霊くんと衝突。彼は成仏していった。
どうか安らかに眠ってくれたまえ。
「はぁ……はぁ……どこにも、いないじゃないか……」
「そうだな、逃げちゃったのかもな」
「くそっ、次に行くぞ、次!」
********
「三つめは『無人のピアノ』だ。夜になると音楽室のピアノが勝手に『月光』を弾くらしいのだが、これは……?」
「シューベルトの『魔王』だな」
音楽室の前の扉で、茉莉と俺は立ち止まる。
中から聞こえてきたのは、なにかに怯えるようなピアノの旋律だった。
まあ、幽霊たちからしてみれば茉莉は魔王みたいなものか。
「事故で発表会に出れなかったとある女子生徒が、無念から課題曲である『月光』を弾いていると私は聞いていたんだが……『魔王』も課題曲だったのか?」
「幽霊もたまには違う曲を弾きたくなるんだろ」
「うむむ……まあ、いいか。曲は違うが、心霊現象を直接体験するのは初めてだ! これなら、この流れできっと幽霊にも会えるだろう!」
そう言って、茉莉は勢いよく音楽室の扉を開けた。
「さあ! ピアノの幽霊よ! 私に姿を見せて……く、れ……?」
そこにあったのは、鍵盤蓋の閉じた黒いグランドピアノ。
そして、『魔王』を流し続けているラジカセだった。
「そういえば、今日の音楽の授業は『魔王』の鑑賞会だったな」
「た、タイマーの切り忘れ……」
がっくりと肩を落とす茉莉。
その傍らを女子生徒の幽霊がそろりそろりと細心の注意を払いながら抜けていく。
ふと、彼女と目が合った。
涙目がよく似合う、薄幸の美少女だった。
〈お願い……言わないでください……〉
……まあ、彼女は悪霊ではないみたいだし。別に無理に成仏させなくてもいいか。
俺が小さく頷くと、彼女は思いっきり頭を下げたのち、その場を去っていった。
……別に美少女だから見逃したわけじゃないぞ? 本当本当。
「……おばけくん」
「おばけじゃない。で、なんだよ?」
「次に行こうか……」
「おー」
************
「四つ目の不思議! 『体育館から時々聞こえるボールの跳ねる音』! 私の調査によると、これは事故にあったバスケ部員が――」
「あー、あれは天井に挟まったボールが落ちてきてるだけだとさ」
「……次だ!」
************
「五つ目! 『帰れずの放送室』! 丑三つ時に放送室に入ると、扉が開かなくなり二度と出てこれなくなるというらしいぞ!」
「なるほどな」
「さあ、入ったぞ! もう出れないな!」
「そうか。じゃあ、茉莉。どうぞ」
「よし!」
〈にギャア嗚呼ア亞アアアああアああああぁ!〉
「普通に開いてしまったぞ! 次ぃ!」
************
「六つ目! 『午後四時四十四分の屋上』! 午後四時四十四分に屋上へ行くと、自殺した女子生徒が道連れにしようとしてくるらしい! これは怖い!」
「ところで今、何時だい?」
「午前二時半だ! 次ぃ!」
************
そんなこんなで六個目までを検証した俺たちは校舎を離れ、校庭に出ていた。
どっぷりと更けた夜は相も変わらず闇を湛えており、見上げれば行き場をなくした浮遊霊が漂っている。
「はぁ……今日もまたダメだったか……」
隣にいる茉莉は月夜の校庭にて落胆の溜め息を吐く。
その様子に俺は少し疑問を持った。
「なあ、茉莉。まだ七つ目を確かめてないんじゃないか?」
「あー、それなんだが。どうにも七つ目は候補がたくさんあってどれが本当なのか、わからないんだ」
「へー」
「候補に上がってるのは『二年A組でこっくりさんをするとバグる』とか、『消えた花子さん』とかそんな感じだな」
「それって……」
「ん? どうかしたか?」
「……いや、なんでもない」
込み上げる笑いを堪えながら、俺は茉莉に背を向けた。
それって、茉莉。お前のことじゃね?
こいつ、七不思議に入れられてんじゃん。
しかも今日の散策でいくつか七不思議を潰したから、繰り上げで語られるようになる可能性が高いじゃん。
ダメだ、堪え切れん。
「あっはっはっはっは」
「なにを急に笑っているんだ? おばけくん」
「おばけくんじゃない。あっはっはっはっは」
「ツッコミだけ素に戻るとか、器用だな、君は」
感心するように、呆れたように、茉莉も笑った。
――マイナスの霊感を持つ少女、晴野茉莉。
彼女のおかげで今日もまた、楽しい日を過ごすことができた。
いつ死んでもおかしくなかった俺の人生。今は彼女のおかげでなにも起こらないけれど、それがいつまでも続くわけじゃない。
俺と茉莉は、永遠に一緒にいるわけじゃないのだから。
だから、そうだな。後悔しないように。
また明日も楽しく過ごせたら最高だな。
「お、見たまえ、おばけくん! 点滅しながら星間を移動している物体があるぞ! あれは幽霊か!? それともUFOなんじゃないか!?」
「おばけくんじゃない。茉莉、あれは飛行機だって」
二人で星降る夜空を指差しながら、あーだこーだと話し合う。
そんな感じに、俺たちの(非)日常は続いていく。