15
全ての記憶を取り戻した時、僕は先ほど詩織が言ったことの意味を理解した。
いや、違うな。
彼女は詩織ではない。
この島で初めて出会ったときから彼女は……、
「あなたは記憶なんて失っていなかった。試されていたのは僕じゃなかったんだ。最初から、あなたの中に僕はちゃんといたんですね、先輩」
僕はそう言って、少し離れたところに立つ先輩を見つめた。
先輩は風になびく髪を手で押さえ、「はぁ」と息をしてから口を開く。
「ええ、私は君の事を忘れてなんていなかったわ。初めから、一つとして」
「恐らくあなたは、僕が『彼女』から与えられたルールと同様のルールを課された。だから僕と他人のように接するしかなかったんですね」
「でも、もうそんなことをする必要もなくなったわ。改めて、お久しぶりとでも言うべきかしら」
冗談っぽく言った先輩の表情は痛々しいほどに悲し気だった。
ルールは破られた。
先輩は僕に記憶の手がかりを与えてはいけなかったのだ。
そして僕は全ての記憶を取り戻した。
先輩の言葉によって。
「あのね、私…」
「先輩、いいんです」
僕には先輩を咎めることなどできなかった。
彼女の苦しみは僕の苦しみでもあり、ここまでいかに苦しんできたか、それが良く分かっていたからだ。
「先輩は僕以上の苦痛に耐えていた。僕が先輩なら同じ選択をしていたでしょう。だから、これはしょうがないことなんです」
「でも私……」
「だから、いいんですよ先輩。こうして会えただけで、僕は自分の命を使った意味がありました。これ以上の奇跡を望むなんて、最初から欲張りだったんです」
そう言ったのだが、先輩は両手で顔を覆い肩を震わせていた。
僕はその涙を止めるために彼女の元へ歩み寄る。
「お礼を言わなくてはいけませんね。今まで僕のために頑張ってくれて、苦しんでくれて、ありがとうございました。結果はどうあれ僕は嬉しいんです」
「……」
「だから悲しまないで、顔を上げて下さい」
僕の言葉に、先輩はグスッと鼻をすすって、覗き込むように僕を見た。
涙で濡れた瞳が夜の闇で煌めく。
「……私も君に伝えたかったの。こんな遠い場所まで会いに来てくれて、約束を守ってくれて、本当にありがとう」
「前に言ったじゃないですか。たとえ途方もない別れがやってきても、必ず先輩に会いに行くって。だけどここは少し遠すぎますね」
「ふふっ、そうね。ここは私たちがいた世界からは、あまりにも離れすぎているわ」
先輩がようやく笑ってくれたことに僕はほっとした。
先輩の笑顔はいつでも綺麗だった。
この島のどんなものよりも、どの世界のどんなものよりも。
でも、僕はもうこの美しさを感じることができなくなってしまうのだろう。
終わりが近付いているのだ。
「ねえ先輩、僕たちは一体これから…」
僕がそう言った瞬間、突如として遠くの空が眩く輝いた。
先輩と僕がその方向へ目を向けると、空を覆う雲が掻き消され、大きな光の玉が姿を現した。
光の玉は島全体をまるで昼間のように照らしながら、水平線へとゆっくりと落ちていこうとしている。
「あれが落ちたら、とうとう終わってしまうのね」
「…はい」
やけに落ち着いた先輩の言葉を、僕は受け入れた。
僕たちに出来ることはもうない。
全てを受け入れるほか、もう、なにも…。
「最後にお話しをしましょう、イツキ君。ほら、ここへ座って」
そうだ、僕は春野イツキというのだ。
だが、自らの名前を思い出したことに対して衝撃を受けることもなければ懐かしさを感じることも無い。
きっと先輩は『彼女』に定められたルールの中、心の奥でずっと僕の名前を呼び続けてくれていたんだろう。
僕たちは今、何者にも縛られることなく話ができる。
この限られた時間だけは。
僕は先輩が座る波打ち際へと足を進めた。
「うふふっ」
僕が隣に腰を下ろすと、先輩はまた小さく笑った。
その表情はやはり美しく、この世界の最期にふさわしく儚げで、僕は見蕩れたまま涙を流してしまいそうになる。
先輩とは、笑ってお別れがしたい。
だから悲しい気持ちなんて悟られないように、慌てて遠くに輝く光へと顔を向けた。
スローモーションで落下する光には優しささえ感じるが、どうしても止まってはくれないみたいだ。
慈悲深く、同時に無慈悲な光が僕たちを照らす。
僕は横に置かれた先輩の手を取った。
追憶の孤島。
先輩と僕だけの理想郷が、緩やかに終わろうとしている。
読んでいただきありがとうございます。
残り三話で完結する予定です。




