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memory.Ⅸ-②

 僕は言われた言葉の意味を全く理解できなかった。


 先輩に会わせる?

 今までの話の流れで『彼女』はなぜそんな提案をしてきたのだろう。

 疑問はたくさんあるのだが、それが多すぎて何から聞けばいいのか分からない。


 立ち尽くす僕を見かねてか、『彼女』は続けてこう言った。

「たった今、新しく一つの世界を創った。とても小さな世界だ。そこにはまだ誰も存在していない。これからお前と、そして一条詩織だけがその世界に存在することを許す」

 おそらく必要な情報だけが含まれた簡潔な説明なのだろう。

 しかし『彼女』の言葉は僕をさらに困惑させるのだった。


「…どういう…、何のために…」

「その世界の一条詩織は、お前のことなど一切覚えていないし、自身に関する記憶すらおぼろげだ。つまりはお前と過ごしたすべての時間は無かったことになる」

「どうしてそんなことを…」

「証明するのだ。私に知り得ないなんてものが、本当に存在するのか」

「どうやって…?」

 質問ばかりの僕に、『彼女』は一つずつ優しく答える。

 まるで慈悲深い神様のように。

 しかし『彼女』は神なんかじゃない。

 知的好奇心と言えば聞こえはいいが、その根源的な欲求に従って、僕へとんでもない要求をしてきている。

 それだけは理解できるから僕はこんなにも怯えているのだ。


「二人だけの、唯一無二の愛というのは、たかが記憶を消されただけで失われてしまうものなのか?そうではないはずだ。何があっても、お前たちの愛は不変でなくてはならないはずなのだ。私さえ知らないのだ、さぞ尊く、さぞ偉大なものなのだろう」

「つまり…」

 僕は考えた。


 新しい世界で、『彼女』は僕と記憶を失った先輩とをもう一度会わせようとしている。

 僕のことなど何も知らない先輩と。

 信じられない話だが、『彼女』の口ぶりからきっとそれが出来てしまうのだろう。

 それよりも、僕は証明することを強いられている。

 何があっても、先輩と僕の愛は失われることは無いということを。

 しかし、どうやって…。

 確かに、僕たちはどんなことがあっても一緒にいることを誓い合った。

 そうなのだが、先輩が僕のことを全く知らないとなると、果たしてそんな誓いなど意味を持つのだろうか。


 記憶を消されてもなお、あの日交わした約束を思い出すなんてことが……。


「…あなたの言いたいことが分かりました。あなたは僕に、先輩との約束、それを彼女に思い出させることが出来るかを試すつもりですね。その約束こそ僕たちの絆と言えるから」

「死が二人を別つとも、だったな。死で別たれた二人がもう一度出会ったとき、記憶を失ってもなお、同じ約束を交わすことが出来るか?」

「それが出来れば、あなたは僕たちが本当に愛し合っていたこと、人が人を愛するということを理解できるのですね」

 僕は『彼女』にそうい言うのだが、いまいち納得していなかった。

 たとえ先輩が僕のことを思い出しても、それが『彼女』に対する愛の証明になるとは思えないからだ。


 記憶を超越した魂の繋がり。

 それが『彼女』の思い描く愛であるというのか。

 僕には分からない。

 きっと、『彼女』は僕以上に何も分かっていない。

 だからこそこんな試練を与えるのだ。


「分かりました。先輩に会わせてくれるというのなら、僕は喜んであなたの要求を呑みましょう」

「ふふ、ここまで来たらお前に拒否権は無いようなものだがな。しかし、そうだな、これではあまりに我儘が過ぎるか…。それなら、もしお前が私に人を愛することの欠片でも教えることが出来たなら、一つだけ望みを叶えてやるとしよう」

「なんでも…?」

「そうだ」


 どんな願いでも。


 突然に告げられた『彼女』からのもう一つの提案。

 何を願うか。

 そんなの決まっている。


 はじめから願いは一つ。

「先輩と一緒にいたい。記憶を取り戻した先輩ともう一度、同じ世界で」

「聞くまでもなかったか。分かった、もしお前が一条詩織の記憶を取り戻すことが出来たなら、その願いを叶えよう。しかし、条件がある」

「条件?」

「お前から一条詩織へ記憶の手がかりを与えることを禁ずる。お前たちがもと居た世界でどのように過ごしたかの一切を言ってはならん。もちろんお前自身のことも手がかりとなるから言ってはならない。これから向かう世界でお前たちは共に生き、その中で一条詩織は自身の力で記憶を取り戻さなくてはならない」

 ここへ来て、僕は足元をすくわれたような気持ちになった。


 果たして記憶を失った人間がそれを取り戻すことが出来るかなんて分からなかったが、それでも今まで僕たちが重ねてきた思い出を先輩へ話せば、少なからず可能性はあると思っていたからだ。

「それじゃあ、先輩は何を失ったのかさえも分からないじゃありませんか。僕は記憶の無い彼女と、まるで赤の他人のように過ごさなくてはいけないのですか!」

「そうだ。もし禁を破れば、お前たちの魂はそれぞれ別の世界へ転生させる。つまりは未来永劫、お前たちは結ばれることはない。まさか無理だと言いたいのか? ここで私に、愛なんて物は存在しないと早くも証明するか?」

「……」

 僕は歯噛みをして、姿の無い『彼女』を睨んだ。


 知らないものを知りたいがあまりに、僕に過酷な条件を突き付ける。

 『彼女』の創った世界に意味がないと言った僕を罰しているのではない。

 むしろ、過酷な条件だからこそ、それをクリアした先にある真実に期待しているのだ。

 ただ知りたいだけなのだ。

 先程から『彼女』から感じる、言い知れない寂しさ、その理由を。


「やりますよ。先輩を取り戻すためなら、僕はなにがあっても耐えて見せます」

 やけになったからか、それとも『彼女』に対する同情の念を抱いたせいか、僕は語気を強めた。

「その意気だ。楽しみしているよ」

 『彼女』がそう言った瞬間、僕の目の前にひとつの扉が現れた。

 特に装飾も施されていない、木製のシンプルな扉だ。


「その扉の先に新しい世界がある。じきに一条詩織もその世界に送られるだろう。さあ行け」

 躊躇など許されないような物言いに僕は黙って従い、ドアノブに手を掛けた。

 僅かに開いた隙間から、光が溢れ出す。

 そしてドアを開け放つと、僕はその光を全身に浴びた。

「行ってきます。これからの事、ちゃんと見ててくださいよ」

「心配するな」

 『彼女』の返事を聞き、僕は一歩踏み出した。

 ドアの向こう側は、目を開けていられないほどに眩しい。


「お前たちの約束、もう一度交わすことが出来ると良いな」

 体が光に溶けていくような感覚の中、『彼女』の声が聞こえた。



 約束?

 先輩と僕が交わした?

 ……。





 そんなものあっただろうか。


 僕はただ、これからの世界で先輩を取り戻すだけだ。


 より一層強まる自身の消失感に、僕は身を任せた。

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