memory.Ⅷ-①
「お疲れ様です」
いつものように、僕は決まり文句である挨拶と共に部室の扉を開けた。
返事はない。先輩は来ていないようだ。
部屋に入った僕は窓際の席にリュックを置くと、流しへ向かいお茶の準備を始める。
少し前までは先輩が淹れてくれていたのだが、最近では僕の方が先に部室へ来るから、すっかり僕の役割となっている。
ヤカンに火をかけてから、椅子に座ってお湯が沸くのを待つ。
それから僕は正面に見える扉を見つめた。
ドアノブは動く素振りも見せず、しばらく先輩が来る気配も無い。
凍り付いたような静寂の中、ただ待つ僕の耳にヤカンのけたたましい音が突き刺さる。
僕は急いでコンロの火を止め、急須にお湯を注いだ。
待ち時間は一分三十秒から二分。
いつも先輩がお茶を淹れているのを見ていたから覚えている。
頃合いを見て、先輩の湯呑み、それから僕のマグカップへとお茶を注ぎ、それぞれいつもの席へと置いた。
僕はまたもとの椅子に腰かけてから、湯気の上がるマグカップを持ち上げてゆっくりと口を付けた。
熱い感触が口の中から喉へ、そして胃に伝わるのを感じる。
僕はマグカップをそっと机の上に置き一息ついた。
お茶の葉とお湯の量、急須に注ぐお湯の量と待ち時間、すべて先輩がやっていたのと同じのはずなのに、どうしてだろう、僕が淹れたお茶はあまりおいしくない。
なにか忘れていただろうか、先輩が来たら聞いてみよう。
そう思いつつ再びマグカップに手を伸ばした時、部屋に向かって来る足音が聞こえてきた。
僕はお茶を飲むことをやめて、来るべき人物を待った。
やがて沈黙を保っていたドアノブが回され、扉が勢いよく開かれる。
「やっぱりここに居たんだね」
姿を現したのはこの大学で僕と最も仲の良い友人。
なんだか久しぶりに彼の顔を見たような気がする。
「どうしたの? 何か用でもあった?」
「どうしたのじゃないよ。最近は全く授業に出てないじゃないか。それなのにこんな場所にばかりいて…」
「僕は民研の部員なんだから、この部室に居てもなんらおかしなことじゃないだろ? 確かにこのところ授業には出られていないけど、もし僕がいない間に先輩が来たら心配を掛けてしまうかもしれないからね。だからここで待っているんだ」
「……しっかりしてよ」
「どういうこと?」
暗く沈んだ表情の彼へ、僕は尋ねた。
固く握られた彼の拳は震え、何かを僕に伝えようと葛藤しているように見える。
「…本当はちゃんと分かっているんでしょ?」
「なにを」
「何をって…、決まってるじゃないか。一条先輩は、彼女はもうすでに」
「やめろ!」
彼が言い終える間もなく、僕は無意識に叫んだ。
「ごめん、それを言いに来ただけならもう出て行ってくれないかな。もう君の話は聞きたくないよ」
僕が言うと、彼は俯いたままその場に立っていたが、やがて僕に背を向け静かに部屋から出て行った。
閉じられた扉に目を向け、僕はゆっくりとマグカップを持ち上げた。




