10
肌に冷たい風を感じて、僕は顔を上げた。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
太陽は水平線のすぐ上で橙色に輝いている。
「一人で屋根を作って、疲れたのね」
「せん…」
隣にいる詩織の優しい表情に、危うく彼女のことを先輩と呼んでしまうところだった。
僕は寝起きの頭を覚ますように大きく息を吸うと、改めて彼女に答える。
「そうみたい。それにしても、やっぱり夕方になると冷えて来るね」
「ええ。昨日は贅沢は言えないだなんて言ったけど、焚火でも出来たら助かるわね」
「僕もそうは思うけど流石に一から火を起こすなんて、やったことないよ」
「私も。仕方ないわ、屋根で少しは風よけになるから、夜は我慢しましょう」
「うん、こればっかりは、あれ……」
言いかけ、僕はシャツの胸ポケットの辺りに違和感を感じてそこに入っている物を取り出して見た。
手の中に収まるほどの大きさのそれは。
「……ライターだ」
赤色の百円ライターが夕日を受けて、さも当然のように煌いている。
都合が良過ぎるなんてものではない。
僕が眠ってしまう前はこんな物はポケットに入っていなかった。
「そんな物を持っているなんて、どうして言わなかったのよ」
不思議そうにライターを眺める僕に、詩織も困惑した様子で聞いてきた。
誰かがポケットに入れたとしか説明できないのだが、ここには僕と詩織の二人以外に存在しない。
どんな言葉を使って納得させようとしても詩織を混乱させてしまうに違いない。
「ごめん、すっかり忘れていたんだ。でもこれで焚火が出来る」
「そうね。さっそく枝と落ち葉を集めましょう。今度は私も手伝うわ」
詩織はそう言って足早に森の入口へ向かった。
彼女の後ろ姿と重ねるように、僕はライターを目の高さに掲げてもう一度よく見た。
この島では願えばどんなものでも手に入る。
それは突然に湧いて出るものではなく、僕たちに与えられた慈悲に他ならない。
「それにしてもやりすぎだよ」
僕は暗んでいく空へ向けて言い、詩織のもとへと歩いた。
炎はパチパチと心地いい破裂音を立てながら揺れ、僕達を優しく温める。
暗闇の砂浜でこうして唯一の灯りを囲んでいると、この島には本当に僕達以外の誰もいないのだと改めて実感する。
詩織は膝を抱えて、揺蕩う柔らかな光を瞳の中に映していた。
憂いを帯びているようにも見えるその目は美しく、でもすぐに壊れてしまいそうなほど危うい繊細さを感じさせる。
聞いてみようか。
彼女は今なにを想っているのかを。
いや、そんなことをする必要はない。
僕が聞きたいのは「先輩」からの答えなのだ。
星空の下、誰もいない砂浜で先輩とこうして過ごせたら、あの人は一体どんな言葉をかけてくれるだろう。
「怒らないで聞いて欲しいのだけど」
不意に、詩織が呟いた。
震えているように見えるのは、きっと揺らめく火のせいだろう。
僕はとりわけ返事もせずに彼女の言葉に耳を傾けた。
「あなたが大切に想っていたその人、きっと会えるわ」
「どうして?」
「この場所ではどんなことも上手くいくような気がするの」
「死んでしまった人とまた会えるなんて」
「心から願うのよ。その人と過ごした時間を思い出して、もう一度会えると信じるの」
「急にどうしたの。僕はいつだって彼女とまた会いたいと思っているよ。でも、いくら思い出したところで無駄なんだ。虚しくなるだけで」
「それはあなたが忘れているからよ」
詩織の言葉はやけに冷たくて、刺々しさがあった。
それに、忘れているというのは何を指して言っているのだろう。
僕が失ったものは、僕自身の名前だけだ。
そんなものを思い出したところで、先輩と会えるはずがない。
「なんだかおかしいよ。記憶を失っているのは詩織なのに」
「……ごめんなさい。とても寂しそうな顔をしていたから」
そう言った詩織も悲し気に目を細める。
僕には分からなかった。
失われてしまった先輩のことは取り戻したい。
それは確かに僕が望まない限り成し得ない。
しかし、真に望むべきは詩織だ。
詩織が彼女を見つけなくてはいけないのだ。
僕は願うことしかできない。
恐らく詩織は今も僕を見て心を痛めているのだろう。
ならばいっそのこと言ってしまおうか。
課せられたルールを破り、あなたこそ僕がずっと会いたいと願い続けてきた先輩なのだと。
そしてこの島での生活も終わらせてしまおうか。
「……寝るよ。今日は少し疲れた」
出来るはずがない。
最初に決めたはずじゃないか。
たとえ詩織を悲しませたとしても、僕は先輩を諦めない。
「ありがとう。詩織が言うように、僕もここはどんな願いも叶う場所だと思う。だから願い続けるよ。叶うまでね」
背を向け横になる僕に、詩織からの言葉はなかった。




