memory.Ⅳ
「ふあ~ぁ」
午前の授業が終了すると同時に、僕は抑えきれず欠伸を漏らした。
それから、教壇から先生が降りたのを確認すると頭の上に手を組んで堂々と伸びをする。
「昼はどうする?」
僕は筆記用具をリュックにしまいながら、隣に座っている友人に向かって言った。
「今日はサークルのみんなと食べに行く約束をしているんだ。ごめんね」
「そうなんだ。それなら僕はどこかで適当に食べるよ。じゃあ、また午後の授業で」
唯一の友人である彼はリュックうを背負うと、もう一度ごめんねと言ってから少し急いだ様子で教室から出て行った。
少し間を置いてから僕も教室を後にする。
仕方ない、昼は学食で済ませることにしよう。
講義棟を出て、まだ若干残った眠気を引きずりながら学食を目指す。
昼休みの構内は束の間の解放感に満たされ、多くの学生で騒がしいくらいだ。
僕はその中に、つい先輩の姿を探してしまう。
『あら、■■君も一人なの? なら一緒に学食へ食べに行きましょうよ』
『いいですね、今日は確かカレーの日だから僕はそれにしようかな』
有りもしない現実を頭の中に展開しているうちに、目的地まで辿り着いた。
学食の中は外以上にたくさんの人でごった返しており、誰もが仲の良い友人同士で楽し気に話をしながら食事を摂っている。
僕はこういった場で一人でいることに対して取り立てて抵抗を感じる人間ではない。
そうなのだが、大学というのは学食で独りぼっちというだけで可哀想な人種に思われる風潮があり、そのため僕が一人でいることで周囲にいらぬ心配をかけてしまう危険性があるのだ。
そういうわけで僕は学食を後にすると、二階の購買でパンをいくつか買って外へ出た。
しかしこれをどこで食べようか。
構内の隅にある裏庭はどうだろうか。
あそこなら人通りも少なく静かだ。
「待てよ…」
あの場所はこの時間になると恋人同士が過ごしているのをよく見る、と人づてに聞いたことがある。
「はぁ…」
自分の内向的な性格が嫌になる。
いろいろと考えにふけっていると、僕の足は自然とサークル棟へ向かっていた。
立て付けの悪い扉をこじ開けて階段を上り、廊下を一番奥の部屋へ進む。
民俗学研究会。
今はようやく見慣れたドアプレートの文字を一瞥し、扉を開ける。
「え…」
そこには、いつもの窓際の席でお弁当を食べる先輩がいた。
当然僕は驚いて金縛りにあったように動けなくなってしまったのだが、それは先輩も同じのようだった。
自分で作って来たのだろう、小さめの弁当箱にはいくつかのおかずとご飯が詰められており、彼女は今、箸で卵焼きをつまんだまま固まっている。
とにかく何か言わなければ、このままでは気まずいどころの話ではない。
「あの、今日は一緒に食べる友達がいなくて、ここは静かで誰もいないし丁度いいと思って……」
思わず弁解するように先輩へ説明する。
「そう、偶然ね。私も今日は一人だったからここで食べることにしたの。学食はなんだか騒がしくって」
「そうなんですか」
「ええ」
そう答えた先輩は卵焼きを口に含むともぐもぐと味わった。
僕もその隣に腰を下ろし、買ってきたパンを机の上に広げる。
こうして見ると先輩の昼食と比べて僕のはなんとも寂しいものだ。
「よくここで食べるんですか?」
聞いてから、僕はしまったと思った。
それは以前の、野外調査での先輩との会話を思い出したからだ。
つまり今日は仕方なくこの場所にいるのではなく、この場所にしか居場所が無いのだとしたら。
けれども先輩は卵焼きを飲み込むといつもの涼しい表情で答えた。
「ええ、ここにはよく来るわ」
もしかしたら気分を悪くさせてしまっただろうかと心配になったが、普段と変わらぬ様子の先輩に僕は安堵する。
しかし妙に淡々とした口調はこれ以上の詮索を拒絶しているようにも感じられた。
僕はそれ以上何も聞かずに無言でパンを頬張った。
静かすぎる部屋には、外からの生徒の声だけが聞こえてくる。
やはりさっきの質問は不味かっただろうか。
先輩がもし一人でいることが好きな人だとするなら、余計なことに首を突っ込んでしまったことになるし、僕は今彼女にとっての安らぎの時間を邪魔していることになる。
「あの、僕これ食べたらすぐ行きますんで」
「まだ時間はあるじゃない。お茶を淹れるから飲んでいったら?」
先輩はそう言って、急いで口にパンを詰め込む僕を引き留めた。
断るはずもなく、僕はやがて目の前に置かれた湯気の上がるマグカップを手に取りお茶をすすった。
先輩も同じだ。
立ち上る湯気に目を細めながら、湯呑みに口を付けている。
湯呑みが机に置かれるコトッという音の後、部屋は再び純度の高い静寂に包まれた。
僕にとって静寂は苦ではない。
むしろ先輩と二人、ゆっくりと流れるこの時間を共有できることに喜びを感じる。
もう一度マグカップを持ち上げ、先輩の横顔を盗み見る。
彼女は何を想って僕にお茶を淹れてくれたのだろうか。
もちろん深い意味などないことは知っている。
それでも、もしかしたらという形の無い期待を抑えることが出来ない。
「私、お昼はこれくらいゆっくりしているのが好き」
先輩が不意に口にした言葉は、静まり返った部屋に浸透していった。
それと同時に、僕の心は雨粒を感じた砂漠の民のように喜びで満たされるのだった。
「僕もです。僕もお昼は落ち着いたところで食べたくて」
「ここはいつも静かでいいわ。あのね、私の友達ってなかなか忙しい人だから、一緒に食べるってことがほとんど無いの。だからお昼はだいたいここに来るわ」
「そうなんですか。僕の友達もサークルのほうへ行っちゃうんで、いつも一人なんですよね」
「それならお昼はここへ来ればいいわ。一緒に食べれば少しは楽しくなるでしょ?」
少し、なんてものじゃない。
毎日ここで先輩とご飯を食べられるなんて、それを大学へ通う理由にしてもいい位だ。
お昼はいつも一人というのは嘘だが、それは誰も悲しまない善良な嘘の筈。
一瞬頭の中に浮かんだ友人の顔を掻き消し、僕は先輩に答える。
「そうします。先輩さえ良ければ」
「ふふ、明日からは寂しくなくなるわね」
「寂しい?」
「いや、■■君がそう感じていると思って」
先輩は若干取り繕うように湯呑みを持ち上げた。
何も読み取らせまいと目を閉じる彼女には、今まで見せたことのない幼い健気さがあった。
僕はそれを可愛らしいと感じると共に、様々な想像をしてしまう。
僕がこのサークルに入る前は、もっと多くの部員がいた。
恐らく、昼休みなんかは皆で楽しく過ごしていたのだろう。
先輩が寂しいなんて言葉を使ったのは、その時のことを思い出していたからだと思う。
いつも一人で。
「先輩、去年までここに居た先輩ってどんな方々だったんですか?」
「どうしたの、突然」
「いえ、なんとなく気になって」
「そうね…、みんな個性的で、特に部長なんて…」
懐かしそうに、それでいて少し哀しそうに喋る先輩の話に、僕は静かに耳を傾けた。
そうすることで少しでも彼女の孤独を理解したかった。
そして、明日からのこの時間を僕との新しい思い出で埋めることが出来るなら。
先輩が大切にするこの場所を、過去のものにしたくない。
正直それは建前でしかないのだろう。
ただ、今は僕がいるこの部屋が先輩にとっての居場所となってくれたら嬉しい。
そんな僕の想いは出過ぎた我儘だろうか。




