09 没頭と会得
「勇者さま、今日はこちらでおやすみください」
オムスビ担当の女に案内されたのは、家だった。
村の中心部にある家で、この村の中では広くしっかりした作りだ。
「いや、いらん」
「もちろん、その、女もご所望とあれば、ご用意いたします。夜をともにしたいという者も多くおりますので、お好きな相手を」
「女?」
なんの話だ?
「はい」
「私は家では眠らん。そのあたりで十分だ」
「もしわたしどもに気を遣ってらっしゃるのでしたら」
「修行のうちだ」
「そ、そうでしたか、では、もし家が必要でしたら、お声をかけてください」
「うむ」
村の女たちは私にあいさつをし、それぞれの家に入っていった。
私は村の近くの林に入り、周囲の気配をうかがう。
魔物はいるが、離れている。
「ミュラー」
「はい、魔王さま」」
ミュラーはコウモリの姿にもどっていた。
「女を用意、というのはどういうことだ」
「交尾について言っているのではないでしょうか」
「ああ」
人間は繁殖をするために交尾を行う。
だが交尾は、快楽を得る手段としての側面もあるようだった。
そのため暴力や魔法で自由を奪い、交尾をするという者もいるという。
「感謝の気持ちのひとつだと思われます」
「なるほどな」
少しでも私を喜ばせるためのもの、として提供しようとしたわけか。
「あるいは子が欲しいのかもしれませんが。人間は女だけでは増えません」
「魔族と人間で、子ができるのか?」
「できるという報告もありますが。間の性質を持った子が生まれるそうです」
「ほう。では、私と勇者の子はどういう性質を持つだろうな」
「! なにを」
「冗談だ」
相反する性質なのだから、子ができた瞬間に消滅するのかもしれない。
そのとき、娘勇者の気配が動くのを感じた。
音を立てずに移動すると、ある家の裏手に姿を見つけた。
娘勇者だ。
私は近づかないまま、目に意識を集中して様子を確認する。
娘勇者は、石を拾っては砕き、拾っては砕き、とやっていた。
そこにためらいや調整といったものはない。
力はまったく入っておらず、ただただ急所を探していた。
もはや流れ作業だ。
「あれは……」
ミュラーが私を見る。
「即殺だ」
「魔王さまは、勇者を暗殺者として育てるおつもりですか?」
「それもいいな。私を暗殺させるか」
「魔王さま。以前も申し上げましたが、勇者をあまく見てはなりません。あの者は危険です」
「危険なくらいがちょうどいい」
「魔王さま」
「問題ない。私の体のことは知っているだろう」
私には、体の重要な器官が複数ある。
一撃の即殺では死なぬ。
それに……。
「む?」
近くに魔物の気配があった。
だが動かない。
あれは……。
「バルバロロックか」
ちょうどいい。
「おい」
呼びかけると、娘勇者が振り返った。
「勇者さま!」
「ちゃんとやっているようだな」
「はい!」
「では実戦といくか」
「はい?」
「ミュラー。村を頼む」
私は娘勇者を抱えてまっすぐ崖を飛び降りた。
着地した場所からすこし歩けば川原だ。
「よし、ここでいいだろう。……どうした」
「はあ、はあ、はあ」
娘勇者は胸をおさえて、あらい呼吸をしていた。
「急に、飛び降りたので、びっくりしました」
「そうか。昼間、お前が落ちた場所か」
「もう、平気です」
娘勇者は背筋を伸ばした。
「あれからずっとやっていたのなら、今日はやめておくか」
「いえ。やらせてください」
「ならば、あれをやれ」
私は目当ての岩を指して言った。
「あれを砕いてみろ」
石ころの多い川原で、腕が回らないほどの大きさの岩があった。
「バルバロロックという魔物だ。硬さだけは魔物の中でもトップクラスだが、目立った攻撃をしてくるわけではない。即殺の練習にはいいだろう」
「動かない魔物なら、普通の岩でも……」
娘勇者が言葉を止めた。
「わかるか」
「はい」
体は動かないが、バルバロロックは目まぐるしく急所の位置を変える。
「急所をつけば死ぬ。やってみろ」
私は木の枝をわたした。
「はい」
娘勇者はバルバロロックに向かった。
朝日が見えてきても、まだ娘勇者はバルバロロックを攻略できなかった。
それはそうだ。
バルバロロックは相手を見て、急所の位置を変えられるからだ。
右を突かれそうになれば左に急所を移せる。
娘勇者の動きなど、バルバロロックからしたらふざけているような遅さだろう。
娘勇者が咳をする。
「もうやめるか」
「やります」
私が言い終わらないうちに娘勇者は言い、バルバロロックへ枝を突き始める。
気持ちの強さはかなりのものだが、ここで今後、戦いができないほど消耗されても困る。
「お前は体が強くないのだろう」
「勇者さまも、お疲れなのに、一緒にやっていてくれています……」
「疲れなど感じぬ」
そう言ってはみたものの、強がっているように聞こえてしまいそうだ。
「勇者さまがいてくれる間に、強く、なりたいです」
娘勇者はバルバロロックへ、枝を突く。
きちんと休むべきときに休んだほうが、安定した成果がのぞめるだろう。
そのとき、勇者の体がぐらついた。
二歩、三歩と歩いてふんばり、立ち止まった。
だが体は限界を迎えているようで、ゆらゆらとゆれている。
体から立ちのぼる、勇者としての存在感も薄まり……。
はっとした。
ほんのすこしの時間だけ、私は、じっと見ていたはずの娘勇者を見失っていた。
そしてバルバロロックが砕けた。
娘勇者が座り込んだところに、青い宝石が落ちてきた。
手のひらほどの大きさがある。
「バルバロロックは魔力を多く含んだ宝石にとりつき、成長する。成長する前にバルバロロックを破壊すればそれが手に入る」
勇者は、手にした呆然とラージジュエルを見ていた。
「それ自体が魔力を帯びている。掲げてみろ」
娘勇者はラージジュエルを掲げた。
朝日を受けてきらめいたラージジュエルから、淡い光が勇者に降り注ぐ。
「体が、楽になりました」
「回復魔法だったようだな。村で使うのもいいだろうし、街へ行けば高く売れるだろう」
「ありがとうございます!」
娘勇者はふりむき、笑顔で言った。
回復したせいか、存在感がもどっていた。
「それに、わたしの武器もわかりました」
娘勇者は言う。
「私は、体力を失えば失うほど、存在感を消せるんですね」
「そうだな」
「いま、ちょっと、その感覚がわかりました」
娘勇者が言うと、姿が消えた。
背中に枝が当てられた。
「こうですね?」
背後から娘勇者の声がした。
姿も、気配も、足音も。
注意していたのにすべてが消えていた。
理解したか。
私は振り返り、娘勇者と向き合った。
「私の急所が見えるか」
娘勇者はうなずいた。
「突いてみろ」
「でも」
「私を殺してしまうか?」
娘勇者は、うなずいた。
笑いがこみあげる。
「やってみろ」
「本当に……?」
「私は死なぬ。お前は、自分が私を超えたと思うのか?」
娘勇者は首を振った。
「ならばやってみろ」
「はい」
娘勇者は棒を無造作に構え。
消える。
そして突き出した棒の先を、私はつかんでみせた。
「わっ」
「わかったか?」
「やっぱり勇者さまはすごいです!」
そう言ってから、娘勇者は何度か咳をした。
「もどるぞ」
「はい」
私は娘勇者を抱き上げ、ジャンプして崖の上までもどり、村へと走る。
走りながら、いまの娘勇者の動きを振り返っていた。
娘勇者の動きを追えたのは、地面に魔法陣を張りめぐらせたからだった。
その上を歩く者の動きを察知したからにすぎない。
もはや、私の感覚だけでは追えない。
空を飛ばれたら無理。
不意にやられても無理だ。
腕の中の娘勇者は、まだただの小さな人間だ。
いますぐ殺すことなど造作もない。
戦ったとしても、このあたりを爆発させれば一緒に死ぬだろう。
だが、収穫の時期にはそれほど遠くないと感じさせる。
飛躍的な成長を遂げることは明らかだった。