14 正面暗殺
「いまから魔物がやってくる。動く魔物を倒してみろ」」
「え?」
「もうじきあそこからやってくる」
私は林の入り口を指した。
「ジャイアントグリズリーという、この前のグレートグリズリーをかなり小型にしたような魔物だ」
「そんな、大きな魔物、無理です……」
娘勇者の顔が緊張にこわばる。
「もちろん私もいる」
「でも……」
「私がいるいま、やらないというのなら、いつやるのだ?」
「誰もが傷つき、お前が立ち上がるしかない、そんな状況が来るまで待つのか? 危機を脱するより、危機をつくらない未来を目指しているのかと思ったがな」
とはいえ、勇者なら適切なタイミングでそういう場面がやってきて、劇的な成長をしそうでもあるが。
娘勇者は林の入り口に向き直った。
「やらせてください」
「いいだろう」
重い足音が近づいてくる。
娘勇者は短剣を握りなおした。
林の中からジャイアントグリズリーが現れた。
すでに私たちの姿を認めていたようだ。
口の端からよだれをたらしている。
娘勇者に狙いを定めていた。
娘勇者が短剣を持つ手に力が入っている。
「気配が強い」
「はい」
娘勇者から、煙のように体力が抜けていくのが見えた。
すっ、と気配が薄まる。
ジャイアントグリズリーの様子が変わった。
首を伸ばし、やや周囲を見回す動き。
見失ったようだ。
娘勇者は、ジャイアントグリズリーから離れたまま、ゆっくり横にまわっていく。
ジャイアントグリズリーは私を見た。
本当になにも見えていないようだ。
そのとき娘勇者が落ちてる枝を踏んだ。
ジャイアントグリズリーが体をひねって、ぱっ、と見る。
娘勇者と完全に目が合った。
と見えたが、ジャイアントグリズリーは他へ視線を向けた。
娘勇者はゆっくり、ジャイアントグリズリーの背後にまわっていった。
「一撃でやれ」
声を出すと、またジャイアントグリズリーが私を見て。
そのタイミングで娘勇者が接近した。
ジャイアントグリズリーが目を見開いた。
ジャイアントグリズリーは、なにも発さず、そのまま前に倒れた。
娘勇者の持つ短剣は、不思議なことに血に濡れていなかった。
「はあっ……!」
娘勇者が大きく息を吸った。
ジャイアントグリズリーはぴくりとも動かなかった。
「よくやった」
「はい」
「もう1体やっておくか」
「え?」
重そうな足音が、近づいていた。
2体のジャイアントグリズリーが横たわっている。
どちらも目を見開いて倒れていた。
背中の急所を正確に貫かれたせいで、まだ生きているかのように体が新鮮なままだった。
「その剣、やはり相性が良いな」
娘勇者が存在感とともに捨てた体力を、剣がすぐ補給してくれる。
捨てるのと補給されるバランスさえつかめれば、死にかけた状態を維持することができた。
3体目のジャイアントグリズリーがやってきた。
「行ってきます」
娘勇者は早々に存在感を消し、林から出てきたジャイアントグリズリーに向かっていく。
走っていっているのにジャイアントグリズリーは知覚できていない。
また娘勇者はまわりこんで。
「いかん」
ジャイアントグリズリーが、たまたま振り返った。
慣れで近づきすぎていた娘勇者に、前足が当たった。
倒れた娘勇者。
見下ろすジャイアントグリズリー。
触れたことで気配消失の集中が解けていた。
ジャイアントグリズリーは速やかに前足で娘勇者の体をおさえつけた。
口を開け、腹にかぶりついた。
「グウ……?」
と思っただろうが、ジャイアントグリズリーがかぶりついていたのは、飛びこんだ私の腕だった。
「調子に乗ると死ぬぞ。よく見ろ」
私は娘勇者に言った。
「あの、勇者さま……、腕が」
「問題ない」
血がしたたり、娘勇者の顔に落ちる。
赤いので人間かどうか疑われることはない。
「捕獲した」
ジャイアントグリズリーはとまどったように顔を動かす。
だが口は開かない。
私は腕に噛みつかせ、牙を食い込ませた上で筋肉に力を入れていた。
牙は腕にしっかりと食い込み、抜けない。
腕を上げ、娘勇者からジャイアントグリズリーの体をどかす。
牙をとらえられたジャイアントグリズリーは私の腕についてくるしかない。
そのまま引きずって離れてから、腕の力を抜いた。
ジャイアントグリズリーは口を開け、立ち上がる。
せっかくの練習台だ。
「もう一度やれ」
私の腕に目がいっていた娘勇者だったが、剣を構えた。
気配を消す。
そしてジャイアントグリズリーの動きに充分注意しながら急所をついた。
3体目のジャイアントグリズリーが倒れた。
「うむ。よくやった」
「勇者さま……、ごめんなさい……」
「いや、よくやったほうだぞ」
「ケガを……」
娘勇者は言ったが、目をこらして私の腕の傷を見直す。
当然、すでに治療魔法は終えている。
「傷は問題ない。それより課題が見えただろう。どう感じた?」
「あの、ぶつかったら、どうしたらいいかわからなくなりました」
「うむ」
娘勇者の体は、人間としてもあまり強くない。
接触によって集中が解けやすくどころか、ふいに当たった爪が致命傷になることもあるかもしれない。
「お前の存在はもっと消せる。触れたくらいでは気づけないほどにだ。だが、体の強さというものも、もっと欲しいな」
「鍛えます!」
しかし鍛えることで生命力を高めれば、気配を消すという能力に反する。
それは娘勇者独自の形ではなく、私に近づく行為だ。
そして、追いつく前に寿命で死ぬだろう。
それよりも娘勇者の能力だ。
存在が、存在していた記憶がゆらぐほどの効果があった。
こんなことができる者はどこにもいない。
唯一の存在だ。
「いきなりすべてできるようになるわけでもない。今日のところは、さっきの、ジャイアントグリズリーを倒したときの感覚を覚えておけ」
「はい……」
技自体は、完成している。
だがそれについていく体がない……。
勇者の剣では足りない……。
それなら……?
「ちょっと出てくる」
「え?」
「お前はすぐ他の女たちのところに行き、一緒にいろ。絶対に単独行動はするな」
「はい。あの、勇者さまはどちらへ……?」
「気にするな」
ミュラーの気配をさぐって、そちらへ。
「ミュラー」
「魔王さま、どうされました?」
「ちょっと街へ出てくる」
私は異空間で街の中へ。
例の建物の中に移動した。
この前の部屋に入ったが、いまはがらんとしていて誰もいない。
「ライトフィールドは……」
気配を探ると、ちょうどこの建物の、上の階にいるようだった。
階段をあがり、ドアを開けた。
「よいか?」
「な!」
他にも人間がいた。
大きなテーブルに何人もの人間がついて、話をしていたようだった。
「ちょっと」
ライトフィールドが大急ぎで走って出てきて、私を連れて廊下に出た。
「魔王さま、いきなり来られては困ります!」
小声で怒鳴るという器用なことをする。
「いやな、用意したいものがあるのだが、お前なら知っているかと」
「街の警備方針を会議中なんですよ!」
「悪いな。すぐ終わる」
「お前、他に、勇者の装備は持っていないのか?」