出会い
「兄さん! 聞いてるんですか?」
スカッとするような、気持ちの良い怒声を浴びながら、カイトは苦笑いをしていた。
怒っているのは淡い栗色の髪で、一見穏やかそうな垂れ目の少女だ。
「エミル……これには理由が……」
「理由って何ですか! こんな時間から幼い少女にぴったりくっついて食事ですか? 妹として見過ごせません! いえ、見損ないました兄さん!」
口いっぱいに何かを含んだ様に頬を膨らませ、プンプンと怒りを露わにしている愛くるしい小動物のような少女は、カイトの二歳年下の妹であるエミルだ。
冷や汗を垂らしながら目を反らし言い訳をしようとしたが、まったくと言っていい程通用しなかった。
「カイト……悪くないよ、ご飯くれた」
そう言ってカイトの腕にギュッとしがみつき、エミルにジト目を向けている小柄な少女が、エミルの怒りの原因だ。
「ちょ、ちょっと! あ、当たってるって……」
透き通るような白銀の髪を肩口で揃え、襟足だけを長く伸ばし白いリボンで縛っている、どこか神秘的な少女。
小柄な割にしっかりと女性らしさのある胸をしていて、しがみつかれるとその柔らかな感触が腕に押しつけられた。
そんな状態のまま顔を赤くし、エミルの方を見ると、
「何を……しているんですか? 兄さんっ……フフッ」
エミルが、先ほどまでの可愛らしいプンプンとした顔ではなく、額に青筋を浮かべニコッと笑みを浮かべていた。
「ま、待ってよ! これ僕が悪いの? ねえ!」
自分は悪くないはずだ、不可抗力なんだとばかりに喚いてみた。
慌てて少女から離れようとするが、少女の力が思いの外強く、中々離れてくれない。
「なるほどぉ……兄さんはその二つの柔らかい凶器に懐柔されたわけですね? 随分単純な頭をしているんですね? 大きければ何でもいいんですか?」
「そんなわけないだろ! 僕はそんな単純な頭はしてないつもりだよ? 普段女の子と仲良くすることはあんまりないし、それに僕は、む、胸に懐柔されるような人間じゃないと思うんだ! た、確かにエミルよりは大きッ……」
カイトが口を滑らせきる寸前、プチッと何かが切れる音がした。
気がつけば満面の禍々しい笑みで固まっているエミルから、負のオーラのようなものを感じる。
「それより! おじいさんも黙ってないで何か言ってくださいよ! 誤解が誤解を呼んで大変なことになります!」
直感でこれ以上は本気でまずいと感じたカイトは、少女と一緒にいた老人に助けを求めた。
「これはこれは、申し訳ございません。微笑ましい光景でしたので、つい……」
背筋の真っ直ぐに伸ばした、礼儀正しそうな執事服の老人。
そんな老人はエミルが爆発寸前になるまで、まるで自分は無関係と言わんばかりに、黙って今までの光景を眺めていた。
「えっと……どちら様でしょう……? というか、執事さん?」
関係のない老人だと思っていたエミルが、突然のことに驚きながらも質問を投げかける。
「失礼致しました。私、ヴェルフと申します。そちらのアイリお嬢様の付き人をさせて頂いております。名乗るのが遅れてしまい申し訳ありません」
「は、はぁ。それでどうしてこの状況に……?」
困惑顔のエミルが現在の状況の説明を求める。
老人の動きは、とても洗練されていて、どこか典雅さを感じる仕草だった。
そんな老人に目を奪われかけたエミルだったが、相変わらず胸を押しつけられているカイトを見て、殺意が湧いたのか、より強く睨み付ける。
「フフフッ。お嬢様、一度カイト様から手を離してさしあげてください。このままではカイト様のお命が危ないかと」
「んっ……。仕方ない」
老人の一言で少女は素直に腕を解放してくれた。
エミルに本気で殺されるのではないかと焦っていたカイトは、ホッと胸をなで下ろした。
「それでは私の方から説明させて頂きましょうか」
そう言ってヴェルフは、この状況に至るまでの経緯を語り始めた。
*
二時間ほど前、カイトは家の手伝いで外出していた。
カイトとエミルの母親は花屋を営んでおり、二人も十二歳になり学校を卒業してからは、店の手伝いをしていた。
この日もカイトは、店の手伝いで注文のあった花々を宅配していたのだ。
配達は順調に進み、残すは町外れに一人で住んでいるお婆さんの家だけで、最後の家ももう目の前にあった。
「いつもありがとうねぇ。気を付けて帰るんだよ」
「お婆さんも、体には気を付けてね。また来ます」
優しく微笑むお婆さんとそんな挨拶を交わして、外に出る。
お婆さんの家は小さな林にある細道を十分ほど歩いた所にあるのだが、カイトはその帰り道に、林で倒れている小柄な少女と執事服の老人を見つけた。
「だ、大丈夫ですか?」
まさか死んでいるのではないかと、恐る恐る近づき声をかけ確かめる。
声をかけてしばらく経っても反応はなく、本当に死んでいるのではないかと疑い始めた頃、
「グ、ググゥー」
「ん? 今の音って……」
突如聞き覚えのある音がして、首を傾げていると、倒れていた少女に突然腕を勢いよく捕まれた。
「うわぁ!」
突然のことに驚き捕まれた腕を見下ろすと、少女が竜胆色の瞳でカイトを見上げていた。
少女の瞳は、吸い込まれそうなくらい澄んでいて、カイトは思わず見惚れてしまっていた。
うるうると今にも泣き出しそうな少女を見て、一瞬でも可愛いと思ってしまった自分が恥ずかしくなり、カイトは慌てて頭を振った。
「お腹減ったッ」
お腹が減ったと言われて思わず頬が引きつるカイトだったが、もしかして行き倒れなのかな? と思うと微妙な哀れみの苦笑を漏らした。
「お腹減ったの……? 何も持ってないのかな?」
「ない。ご飯も、お金も」
食料を持っていないのか聞いた所、なんと無一文だと発覚して更に頬が引きつる。
完全に行き倒れであった。
「じゃ、じゃあ僕今からお昼食べに行くから一緒についてくる・・・・・・?」
このまま放っておくのも可哀想だしと、カイトがそう言った瞬間であった。
力無く倒れていたはずの少女と老人が、それまでの姿からは想像もできないような機敏な動きで、動きをシンクロさせ素早くシュッと立ち上がった。
「いく!!」
「ご一緒させて頂きます!!」
ビシィ! と、効果音が聞こえてきそうな勢いで手を挙げる二人。
「私、アイリ、ご飯食べる!」
「私、ヴェルフと申します! ご厚意に甘えさせて頂きます!!」
食事がとれるとわかった瞬間、露骨に元気になる二人に苦笑しつつも、「仕方ないなぁ」と二人に食事をごちそうしようとするあたり、カイトがお人好しだとわかる。
「僕はカイト。よろしくね」
「カイト……。よろしく!」
お互いに名前だけ名乗って、三人は定食屋に向かったのであった。
「というわけでございます。長旅で行き倒れていた私どもをここまで連れてきてくださったわけです」
ヴェルフの説明を聞いて、難しい顔をしてエミルが、
「まったく……兄さんはお人好しすぎます。見知らぬ行き倒れをほいほいと」
「でも、放っておけないじゃない?」
「そ、そうですけど……まったくもぅ、兄さんは人の気も知らないで」
呆れ顔で「ブー」と、文句をいうエミル。
「ホホホッ。カイト様に女が寄りついたら困りますものな」
ヴェルフがそういうと、エミルが笑顔でヴェルフを睨み付けた。
「ま、まあそういうわけでさ、宿もないらしくて今晩は家の空き部屋使ってもらおうかなぁなんて思ったりしてたんだけど……。どうかな?」
ビクビクしながらまたもやお人好しな発言をするカイトを見て、エミリも諦めたのか「もう知らないです」と言いながら、母親に伝えるために家に戻っていった。
「というわけで、二人はあまりエミルを刺激しないようにお願いします」
ため息交じりにカイトが言うと、二人は素直に頷いた。
三人もエミルに軽く町並みを見ながら帰ると伝えてあったので、早めにカイトの家に向かうことにした。
「早めに帰るというのは三時間以上も時間を潰して、日が暮れてから夕飯の時間に遅れるということだったのでしょうか? 兄さん」
家に着くと、満面の笑みのエミルが玄関に立っていた。
あの後すぐに店を出た三人は、町並みを見るという名目で軽く散策していたのだが、問題は散策中に起きた。
水車が壊れてしまったのだが直せないだろうか、雨漏りが酷いのだけれど直せないでしょうか、飼い犬が脱走したから捕まえてくれないかと、その他色々な雑用を頼まれたカイト。
もちろん、今すぐにしてくれという以来はほとんどなかったが、カイトがお人好したる所以なのか、全てすぐに取りかかってしまった。
「カイト、すごかった。起用なんだね」
感心した顔でアイリが顎に握った手をあて頷く。
「そうでございましたね。カイト様は中々に器用で町の人にも頼りにされているようでございました。少々何でもすぐに引き受けてしまうような、エミル様にもお人好しと言われるのもわかるような性質をお持ちですが」
知り合ったばかりのヴェルフにまでお人好しと呼ばれることになるとはカイトも思っていなかったのか、困惑した様子だ。
カイトは自分がお人好しと呼ばれる理由にまったく自覚がなく、とりあえず困った人を見たら放っておけない質なのだった。
「倒れていた私どもを助けて頂いたのがカイト様であって良かったと、私は思います」
しみじみと言うヴェルフを見て、エミルも軽くため息をついて、
「仕方ないですね……仕方のない兄さんです。夕飯もできあがっていますので、どうぞお上がりください。狭い家ですが……」
そう言われ、三人はゾロゾロと中へ進んだ。
中ではカイトとエミルの母が待っていた。
「まあ可愛らしいお嬢さんね。いらっしゃい。今料理を出しますから、どうぞ座ってください」
そう言われ、アイリを含めた四人は五つある木の椅子に座った。
ちなみに席順はと言うと、エミルの隣にカイト、その向かい側にアイリとヴェルフが並んで座るという形だ。
先ほどのようにアイリとくっついて座ってしまうと、今度こそエミルが爆発すると思い、この形で自然に座った。
町の様子の話や、昼に食べた定職屋の料理の話など、たわいない会話を続けていたら、母親が料理を持ってやってきた。
「お待ちどおさま。さ、たくさん食べてくださいね!」
夕飯はシチューと焼きたてのパンだった。
「おぉ、随分とたくさんの種類の野菜が入っておりますな! しかも一つ一つが大きめにゴロゴロと切ってあって食べ応えもある。シチューや煮物は家庭の個性が出て良いですな」
「喜んでもらえたようでよかっです。私はカイトとエミルの母のナチといいます。二人がお世話になったようで、ありがとうございます」
エミルの双子かと思うくらい似ているナチだが、胸は大きく、話し方や仕草もどこか柔らかく、女性らしさが前面に出て主張しているような女性である。
ちなみにカイトは二人と似ていない。
カイトは二人のような栗色の髪ではなく、もう少し暗めの茶髪をしており、体もどちらかというと小柄な方で線も細めだ。
「パン、おいしい」
アイリがパンを食べながら呟くと、エミルが自慢気に腕を組み、説明を始めた。
「お母さんは《花の祝福》を受けているのよ。その力でパン生地に花の香りを練り込んでいるの。色んな香りのパンがあるから食べ比べると楽しいわよ」
「《祝福》持ちでしたか……なるほど、こういった使い方もあるわけですね」
感心したのか、ヴェルフがいつも細めている目を見開いて驚いている。
《祝福》とは、神や精霊などの高位存在から授かる力と言われていて、常人には不可能な事を可能にしたりしてしまう程の異能だ。
基本的に同じ《祝福》は存在しないが、祝福を受けた者が命を落としたり、高位存在が所有者を移さない限り一人の人物に定着するらしい。
ちなみに、ナチの《花の祝福》はその名の通り花に関係していて、地面から様々な花を生やしたり、ナチは好まないが花を硬質かさせて武器や盾にもできてしまう。
「お母さんはいいなぁ。私は何もないからなぁ……」
エミルが羨ましそうに人差し指を唇にあてて言う。
「私が生きている間は、エミル達のことはちゃんと守ってあげるから、その間は安心してね」
「その間に何か身につけたいな」
「エミルならきっと何かできるわ。私が死んだ後に《祝福》がうつるかもしれないし!」
縁起でもないことを言うなと思い、苦笑するカイトとエミル。
家族のやりとりを目にして、ホコホコしているアイリとヴェルフ。
そんな光景を見ていて、カイトは先ほど疑問に思っていたことを口に出した。
「そういえば、二人はこの国の人じゃないよね? 何か目的があってきたのかな? 観光とか?」
「それは……」
アイリが言い辛そうに俯いて口籠もると、ヴェルフが切り出した。
「私からお話し致しましょう」
「ヴェルフ……」
申し訳なさそうに小さな体でヴェルフを見上げるアイリ。
「よいのです、お嬢様。誤解のないように私から説明致します」
そういってヴェルフは、ほとんど開いていないように見える瞼を、薄く小さく持ち上げ話し始めた。
「まず、皆さんは人間と人獣の戦争については、ご存知ですか?」
全員静かに頷く。
「詳しく話しますと、人獣の国【イェーグネヒト王国】と人間至上主義の国【アブソラ帝国】、この二つの国の長きに渡る戦争のことです。」
皆この話は当然のように知っていた、何と言っても何百年も続く戦争なのだから。
「この長きに渡る戦争に終止符をうつため、ここ【プレイア公国】の公爵様に助力を頂けないかと、旅をして参りました」
「それは、どうやって……?」
そう言ってカイトは思案顔で、ヴェルフに目を向ける。
「詳しい事は明日、公爵様にお目通りが叶えばその時に申します……」
「そ、そっか! じゃあ今晩はゆっくり休んで明日に備えなきゃね!」
ヴェルフの答えに、上手く話が進むといいなと思いながらカイトは言った。
【プレイア公国】の公爵は、元々は【アブソラ帝国】の公爵だったのだが、長く続く戦争と人間以外の種族を差別する国風に異を唱えたのだ。
しかし、国民にはある程度受け入れられたものの、皇帝や爵位を持つ者には中々受け入れられずに、国内での活動を中止して独立国家を作っらしい。
現在公国内では、種族間での差別を禁止しており、人間だけでなく獣人や、少数ながらエルフも生活をしている。
そういう理由もあって、アイリ達が戦争を止めるために【プレイア公国】に協力を要請しにきたのだろうと、カイトは納得した。
この日は、翌日公爵の屋敷まで案内をする約束をし、余っている部屋を二人に使用してもらうことにして、いつもより少し遅めに就寝した。