血だまり
――その場所は、死に満ちていた。
パチパチと木材が爆ぜる音、それらが焼ける臭い、それらに混ざる死臭……。
熱によって気化した血液と、焦げた肉の吐き気を催すような臭いが、あたりに漂っていた。
建物の木製部分は焼け焦げ、石造りの家屋もひび割れ、軋み、悲鳴をあげている。
それらから生まれたどす黒い煙が、空を覆っていた。
自分もこのまま、一面に広がった地獄に点々と転がる死体と同じように、全身を焼かれて死ぬか、崩れた建物にすり潰されて死ぬのだろうと、少年は感じていた。
煙で喉と肺を燻られ、呼吸すら許されず、段々と意識が遠のいて行く。
唯一の救いがあるとすれば、大きな怪我もなく、あまり痛みを感じずに死ねることだろうか。
生きることを諦め、死を覚悟した時だった、少年は軽い浮遊感を感じた。
汗と灰にまみれ、もうほとんど開かなくなった瞼を弱々しく開くと、一人の鎧姿の男が視界の端に写った。
右腕で自分を抱えた男は、苦しそうに顔を歪めながら駆けている。
「諦めんな……! 俺が必ず助けてやる」
男は歯をギリギリと食い縛り、何かを堪え必死に微笑みを作り、少年に囁く。
(何かを我慢しているのだろうか)
必要な酸素も供給されず、回らなくなった頭でそんなことを考えながら、少年は男に身を委ねていた。
どれくらい走ったのだろうか、数分のようにも感じられたし、数時間のようにも感じた。
身体中の感覚が虚ろなのだ、時間の感覚など既に当てにならない。
男が不意にドサリと地面に倒れ込み、その勢いで少年も投げ出され、固い地面をゴロゴロと転がった。
「すま……ねぇな……。どうやら俺はここまでのようだ……」
息も絶え絶えに男は口を開く。
少年はゆっくりと男の方に首を回し、目を向ける。
驚くことに男は全身傷だらけで、左腕に至っては肩から先が存在していなかった。
「おじ……さんは……ハッ……カフッ」
どうして助けてくれるのかと、疑問を持った少年は、声を絞り出して聞こうと思った。
しかし、喉が焼かれたように熱く、声がかすれてしまいうまく言葉にできない。
「おじさんか……ハハ、まあそうだな。ちょっくら無理しすぎちまったよ」
悔しそうに下唇を噛みしめながら、男は言った。
「助けられなくて悪いな……」
最後にそう呟くと、男は動かなくなった。
自分もそろそろ動けなくなるのだろうなと、そう少年は悟った。
体も既に動かすことは叶わず、視界に靄が掛かり、音がぼやけて響いてくる。
まるで体に鉛を巻いて、深海を漂っているような、酷く曖昧な感覚に少年は襲われていた。
『諦めんな』
もうほとんど聞こえていないはずの耳に、もう言葉を発することができないであろう男の声が、何故か強く鳴り響いた。
実際には男が口を聞けるわけもなく、ただ最初の言葉を少年が思い出しただけだろう。
何故諦めてはならないのか、何故生き延びなければならないのか、そんな事を少年は考えた。
しかし、何故かその言葉を思い出すと、「諦めてはならない」という、使命感のようなものに突き動かされた。
(生きなきゃ。生き延びなきゃ。まだ終われない!)
何故そんな想いに突き動かされているのか、男が何を思って自分を救おうとしてくれていたのか、少年には理解できなかったが、必死に意識だけは繋ごうと抗った。
死んでなるものかと、瞼を開けるだけ開き、腕を上げ手を伸ばす。
固い地面を爪で抉り、少しでも前に進もうともがいた。爪は剥がれ、土にまみれ、意識が薄れても、唇を噛み切り痛みで繋ぎ止めた。
そんな少年の悪足掻きにも、遂に終わりがやってきた。
体から何かが抜け落ちていくような感覚。
痛みも感じなくなり、心地良い眠気のような感覚。
そんな感覚が、少年を襲った。
そんな時だった。
「いたぞ! こっちだ!」
「この子……かなり煙を吸ってる! 急がないとまずい!」
複数人間の声が聞こえてきた気がした。
幻聴かもしれないと思いつつ、少年は必死に耳をこらした。
若い女のもの、年老いた男のようなもの、色とりどりの声が響いてくる。
誰かに抱きかかえられているような気はしたが、もう感覚もなく、実際自分がどうなっているかなど、少年にはわかるべくもない。
しかし、幻聴ではないようだと、少年は心のどこかで気付いていた。
「ロイは? ロイはどうした!」
「こちらです……しかし……もう」
どこか貫禄のあるように感じられる男の声の問いかけに、悲痛な女の声が弱々しく答えている。
(ロイ……もしかしてさっきのおじさんの事かな。やっぱり、死んじゃったのかな)
少年は鎧姿の男の顔を思い出し、胸が痛くなる。
悲しそうな声が、いくつも聞こえ、中には泣いているものもいるようで、嗚咽混じりの鳴き声も聞こえた。
自分に諦めるなと言った人は、どうやら先に逝ってしまったようだと、少年は理解した。
自分を助けようとし、自分より先に死んでしまった男のことを思い出し、少年は理由もわからず胸が痛くなった。
「ごめんなさい」と、小声で言うと、少年も瞼を閉じた。
「ロイがこの子を・・・・・・この子だけでも……!」
暖かい光に包まれているような心地良い感覚と共に、深い深い水の底に沈んでいくように、少年は意識を失った。
書き溜めてからちょこちょこ更新したいと思います。