3.アクナート、太陽みたいな美人と出会う
「はーい、リヒト。なにか用?」
華やかなウエーブがかかった赤毛を揺らしながら、とっても美人なおねえさんがこちらに向かってきた。
――でも、違う。
確かに、凄く美人だ。肩まである髪も、澄んだ瞳も、余裕のありそうな笑みも、とっても、とってもキレイだ。ラフに着崩している作業着でさえ、彼女のために拵えた舞台衣装みたいだった。
でも、この人は歌声の女神じゃない。女神は、こんな太陽のような直視できないキレイさじゃないんだ。もっと、もっとお月さまみたいに、静かで、薄ぼんやり明るくて、一度見たら目をそらせなくて、でもずっと見ていると頭がおかしくなっちゃいそうな感じなんだ。
「悪いなルビー、作業中に。熱血天使パーマ君が、『美人はいないか』って訊くから、とりあえず美人の君を呼んだ」
「まあ、貴方があたしを美人って呼ぶなんて、珍しいじゃない」
ルビー、と呼ばれている美人さんはリヒト先輩に自然な笑みを向けた後、ぐりんと顔をオレの方に向け、たっぷり2秒くらい見つめてから、
「……あなたが、『熱血天使パーマ』君?」
と呟いた。
「キャー、カワイー!! なに、お肌つるつるじゃない!? 顔も女の子みたいだけど、眼は男の子らしい熱い想いを秘めてそうね……素敵!! 名前は? え、アクナート? アクナート君、お姉さんになにか用? お姉さん、可愛い男の子の頼みだったら何でもきいちゃいそうよ。だから後で顔の型とらせてくれない?」
そして爆発した。
「ルビー、落ちつけ。アクナート君がたじろいでる」リヒト先輩は、ルビーさんの頭を丸めた紙の束で軽く叩いてから「アクナート、こいつはルビー。俺と道具作りのペアを組んでる研究生だ。美術や小道具を専門としていて、彼女作った道具は国立劇場でも使われている」
と、説明してくれた。
「ああ、ごめんね、アクナート君。あたし、綺麗なものを見ると、つい興奮しちゃって」
そう言って謝るルビーさんは、美人さんなのにとっても親しみやすそうだ。きっと良い人なんだろう。
「それで、アクナート。君は『美人』に用事があるんじゃなかったかな?」
「……ごめんなさい。人を探しているんだけど、ルビーさんじゃなかったみたいだ」
さっきはちょっと期待しちゃったけど、まさか製作科ではじめてあう女の人が歌声の女神だったなんていう都合の良い展開がそうそうある訳がない。
「ねえ、アクナート君はなんで美人を探しているのかしら?」
ルビーさんが、気さくに訪ねてくる。
オレは、当時の事を思い出しながら、答える。
「……今から2年くらい前に、じいちゃんにはじめての演劇に連れて行ってもらったんだ。はじまってすぐにオレは寝ちゃって、目が覚めたら……」
今でも、その瞬間の衝撃が思い出せる。
「歌声の女神がステージで歌ってた。遠くてちゃんと見えなかったけど、すごく、すごくキレイな人だった」
今でも、目をつむればその光景が浮かんでくる。
「その時から、彼女の事が頭から離れないんだ。その時から、彼女の夢ばっかり見ちゃうんだ。良く分かんないけど、きっとオレ、恋しちゃったんだと思う」
今でも、歌声が聞こえる。
「……後からじいちゃんに聞いたけど、演じている人は分からなかった。分かったのは役名の『歌声の女神』と、学園の外部向け発表会だったから、ここの学生だってことくらい」
彼女の事を思い出すだけで、頭がふわふわする。顔も熱をもって、なんだか風邪をひいたときみたいだ。
「へー、素敵ねぇ……! でも、見たことの無い美人さんよりも、見たことのある美人の方が良いと思わない? ねえ、お姉さんアクナート君なら五年くらい大切に育ててあげるよ!」
……育てる? 育てるってなんだろう。
「おいルビー、年下をからかうんじゃない。……それに、恋人持ちがあんまり他の男を口説こうとするな。彼氏が妬くぞ」
「あはは、リヒトは堅物ねぇ。それに、あの人はこれくらいじゃ妬かないわよ。……ちょっとくらい妬いてくれてもいいのに」
ルビーさんには恋人がいるのか。あの人、と口にした時のルビーさんはなんだか少し幸せそうで、見ているだけでオレまで嬉しくなる。
でもその反対に、なんとなく工作室の雰囲気が悪くなっている気がする。前に飲み屋のおっちゃんに教えてもらった「独り身の前でのろけ話をしちゃいけない」ってこういうことだろうか? でも、みんなイライラしているというよりは、ハラハラしているって言う感じが近いみたい。何を心配しているんだろう。
「……ルビー、その人もいつも色んな女性と歩いているんだ。そもそも嫉妬なんてする性質じゃないんだろうよ」
「やあねえ、あの人が浮気しているみたいじゃない。……確かに気が多い感じはするけど、あれで優しいし繊細な所もあるのよ?」
「……まあ。君が、その関係に満足しているのなら、俺から、口を出す、必要は無い」
リヒト先輩は、そう言った。
そして、俺の方を振り向いた。本当に石像になったかと思うくらい、無表情だった。
「すまない、話がずれてしまってたな。これが持ってきてもらいたい資料だ。……急ぐ資料じゃないから、ついでにゆっくり資料室でも見てくると良い。製作科は台本の執筆や広報なんかも含んでいるから、過去の公演の記録も見つかるはずだ」
手渡された紙には10冊ほどの本の名前と、図書資料室までの分かりやすい道順が記されていた。
分からないことがあったら司書に聞くと良い、というリヒト先輩の声を背に、オレはやや気まずい雰囲気の工作室を後にした。
――過去の公演資料。
もしかしたら、歌声の女神の名前が分かるかも知れない。名前が分かったら、後はその人を見つける。
見つけるだけで良いんだ。
次の更新は明日(2015年10月20日)の予定です。