1.アクナート、説教を食らう
今日ほどクーンツ先生に文句を言いたくなった日はない。
じいちゃん譲りの潔さはオレの自慢だ。だから、自信満々で提出した課題の点数が低ひくくても、文句を言うつもりはない。
課題の点数は別にいい。クーンツ先生の昨日のお説教が間違っていた、ってことだけは、強く主張したいんだ!
「アクナート。おまえさん、なんで呼び出し食らったかわかるか?」
「クーンツ先生、オレどっちかっていうとエメ茶よりもラキ茶のが好きなんだけど」
「おまえはこれから、説教される立場だ。お茶を出してもらえるだけでもありがたいと思ってくれ」
「……えっ? てっきり褒められると思ったのに! どうしてさ、面白かったでしょオレの台本!」
「……ああ、サイコーだったよ。俺も採点しながら思わず笑っちまう程度にな」
そう言いながら、紫がかったぼさぼさの茶髪をかきあげるクーンツ先生の顔は穏やかな笑みだった。穏やかな笑みのまま石像のように固まって動かなかった。
そのまま一呼吸。
ぐわっ、と効果音がなったかと思うくらい急に眼を見開いて、先生は低い声で言う。
「誰が! コメディーを書けと! 言った! 今回の戯曲の課題は『シリアスな推理もの』と指定しただろう! アクナート、おまえは毎度毎度、指示を無視するんじゃねー!」
おお、先生がこんなに顔をゆがめるのは珍しい。オレはバツの悪い思いをしながらも、でも先生の言っていることがよくわからなかった。
「センセー、オレちゃんと『シリアスな推理もの』書いたじゃん! あれ、何人死んだと思ってるのさ!」
「殺人事件が起これば『推理もの』と呼ばれると思ったら大間違いだ!」
「犯人も何人捕まったと思ってるのさ!」
「その発想自体がコメディーだっつてんだよ! 20分の芝居で7人も犯人を登場させるな!」
「わかったよー……。確かに、あの長さで登場人物が30人ってのはやりすぎたとオレも思う。でもクーンツ先生、そんなぴりぴりしてたら禿るよ? まだ34なのに」
空気が、変わった気がした。
先生の表情が消えた。
あ、この感じ何回か体験したことがある。自覚はないけど、だいたいオレが下手なことを言った時の空気だ。ヤバい、やっちゃったかな。
「……3ページ、開け」
こういう時は、下手に逆らわないほうが良い。オレは素直に課題の写しを開く。
「なんだ、これは。『男4、全身から淡い水色の光を放ちながら空を飛び、尻から炎を出す。』」
「あ、ここはね、後半に登場する男13が男4にかけた呪いが発動して絶命するシーンだよ。なかなかインパクトあると思ったんだけど……」
「インパクトのでかさは否定しない。……だが、照明魔術と浮遊魔術と発火魔術――それも尻から――、すべての魔道役者がこんな器用な真似をできると思ったら大間違いだぞ。」
「でも、この前国立劇場で見た魔道役者さんは、空飛びながら左手と右手で違う魔術を使ってたよ。たしか一緒に音響魔術を使ってセリフを言ってた」
「国立劇場の魔道役者を基準にするな。あの人たちは、国内外から集められた、何千倍という倍率を勝ち取った天才たちだぞ。そもそも、おまえさんもこんな風に器用に魔術つかえる訳じゃないだろ?」
「あたりまえじゃん! 先生、オレの成績しってるでしょ?」
オレの、前期の演技魔術の成績は10段階評価で3だった。進級できなかったら、どうしようかなー。
「……。……俺は、いい大人だから、20も年下の子どもの言うことで、マジ切れなんかしない……」
先生の食いしばった歯の隙間から呪詛のような言葉が漏れ出している。
「うん、クーンツ先生はオレがいままであった大人の中でも、かなりいい大人だよ。オレ先生のこと、好きだよ!」
オレの中で“一番の大人”は、オレのじいちゃんだ。これだけは譲れない。でも、こう成績の悪いオレのことを本気で心配してくれるクーンツ先生も、じいちゃんに負けないくらい、良い人だと思う。
「……アクナート、おまえは見た目と素直さだけなら天使みたいなのにな。あとは、成績さえちゃんとしてくれれば、まったく文句ないんだが。……次、5ページ。なんだここは、『歌声の女神、天空から現れて歌い、去っていく』。全く意味がわからん」
「あ、ここはオレの趣味。どうしても『歌声の女神』だけは譲れないんだよね」
「……次、5ページ後半『女8、全身が水に変化して、地面にしみこむ』」
「これは、男2の呪いにかかってしまうシーンだよ。トリックは後半に出てきてるでしょ?」
「おまえは〈舞台法律論〉の授業を真面目に聞いていたのか? 水は基本的に管理が難しいから、管理者がいない場合はご法度だって教えてるはずだぞ」
「あっ。……えっと、ちゃんと舞台監督を、専門の人に頼めば……」
「……まあ、いい。何よりも、だ」
それまで大理石の彫刻みたいに冷たい顔だった先生が、ふっと表情を緩めた。すごく疲れた顔をしている。
そのまま一呼吸。
ふいに顔を上げて、オレをまっすぐに見つめる先生の目は、徹夜明けみたいに濁っていた。
「なんで10ページしかない台本に『大変だ! ○○が××したぞ!』というセリフが13回も出てくるんだ!」
「次々に事件を起こして、どんどんとストーリーを進めろって言ったのは先生じゃん!」
「『事件』ってそういう意味じゃねー! それに、現実に『大変だ! ○○が××したぞ!』っていう言葉から事件が起こることなんてほとんどないだろ!」
「あるって!」
「ない! 起こってたまるか!」
「あるってば! オレ見たことないけど!」
「見たことないんじゃねーか! リアリティを追及するばかりが戯曲じゃないが、だからと言って適当していい訳じゃないぞ!」
「あるって、これから起こるって、絶対! 今度大事件が起こるときには『大変だ! クーンツ先生が何者かに殺されたぞ!』とか言いながら誰かが部屋に飛び込んでくるって!」
「おまっ、俺を殺すな! よーし、そこまで言うんなら、覚えとけよ。大事件が起こったとき、絶対そんなセリフ誰も言わねーって。もし言ったら晩飯おごってやるよ。絶対覚えておけよ」
そんな、クーンツ先生の大人げない叫びで説教がグダグダになっていったのが、昨日の夕方の話。
***
「大変だ! 国立劇場のシャンデリアが落下したぞ!」
オレが、演技演習室Aでストレッチをしながら授業が始まるのを待っていると、クラスメートのユウが珍しく大声を出しながら教室に飛び込んできた。ユウはいつもなんとなく気だるげな雰囲気を出しながら、やれやれ、なんて言っているようなやつなのに声を張るなんて珍しいな。
ユウの叫びを聞いたクラスメートたちが、ざわざわと何事が話しているみたい。確かにシャンデリアが落ちたら大変だろうけど。「……主演のケイジさんが……」「……代役……」なんて断片的に声が聞こえてくる。本当に一体どうしたんだろ。
沢山けが人でも出たのかな、なんて考えながら不安を振り払うように腕をぐいっと後ろに回す――とん、と何かがっしりしたものに当たった。振り向くと、キラルが立木のようにぴいんと背筋を伸ばして、オレを見下ろしていた。
「おっはよー、キラル!」
「よう、アクナ。聞いたか、シャンデリアが落ちたって」
キラルはオレよりも頭ひとつ分くらい大きくて、見上げていると首が痛くなりそうだ。でも、堀の深い顔立ちも、宝石のように深い色合いの茶色の瞳も、男のオレでもほれぼれするほどカッコよくて、なによりキラルはとっても気のいい奴なのだ。首が痛くなっても見上げる価値はあると思う。
「さっき、ユウがなんか叫んでたよなー。大変だな、シャンデリアって高そうだよな」
「……ただシャンデリアが落ちた、ってだけじゃすまないかもしれない」
キラルがいつも通りいい声でつぶやく。でもいつもよりもなんだかやけに不吉な感じに響いて、オレは少し怖くなってしまう。
「授業が始まる前におまえらに連絡がある。ちょっと集合してくれー」
クーンツ先生が演習室に入ってくるなり、珍しく口早に言った。クーンツ先生は戯曲の授業担当だから、本来この教室に来るはずがない。本格的に何かが起こったらしい。
「……おいおい、好奇心丸出しって顔してるな、おまえさんたち。もしかして噂くらいは聞いたのかもしれないが」
そういって、先生は一時無表情になった。大切なことを話す時の先生の癖だ。
「おまえさんたちには、二か月後に舞台に立ってもらうことになった」
先生は無表情を解くと、にちゃりと音がしそうなほどに悪い笑みを浮かべた。これはきっと意地悪な笑いじゃない。目が笑ってない。きっと笑うしかないってやつだ、きっと本当にヤバいんだ。
「先生」とキラルが手を挙げる「あえて『舞台に立ってもらう』というからには……いつもの学内発表とは違うんでしょう?」
キラルとオレは一歳しか違わないはずなのに、なんでアイツあんなに落ち着いてて大人っぽいのだろうか。オレにも弟とか妹とか幼馴染とかいれば、こんなしっかり者ハンサムになれたのかなー。
「……ああ。お前たちには学園主催の演劇祭の演目に出演してもらう。普段の発表会とは違う、金をとる舞台だ。一般のお客さんはもちろん、新聞会社から国内のスカウト、海外の視察、果ては貴族や王族まで見に来る可能性がある」
オレたちはまだ一年生だから、学内発表や有志の公演には出たことがあるものの、公的な舞台には立ったことがない。早くても二年生、通常なら三年のカリキュラムを終えた後の研究生になってから出演するのが普通、だったはず。
「昨晩、稽古中に国立劇場のシャンデリアが落ちた。怪我人が多数出たそうだ。トップスターや主役級を含めてな」
クーンツ先生が、たんたんと語る。
「その穴埋めとして、我が学園から優秀な学生・研究生を派遣することになった。――結果、演劇祭に出演する予定だった人員が、ごっそりいなくなった」
普段は演技の声や、靴が床とこすれる音で騒がしい演習室が、しいんとしている。ワックスを塗ったばかりの床も、壁に張られた大きな鏡も、温度を失ったみたいだった。
「……おまえら、チャンスだと思え。偶然とは言え、舞台に立てる機会が降ってきたんだ!」
停滞した空気を打ち壊すように、クーンツ先生が声を張る。
「これから台本を配る! 配役の相談をして、読み合わせは4日後だ。さらにその後、キャストを本決定するためのオーディションを行う。……いくら人手が足りないからと言って、全員に役が当たる訳じゃないが、皆自分が主役をもぎ取るつもりで練習しておいてくれ」
固まっていた教室の雰囲気が、火をつけた蝋燭のようにほどけた。皆小声で何やら話しあっているけど、抑えきれない興奮がなんとなく伝わってくる。
「あー……、あと一点だけ」
クーンツ先生が、先ほどまでより幾分か柔らかい表情で――でも、少しだけ眉をひそめながら声を発した。あ、この表情、先生が「苦労人」とか呼ばれている時にしてる顔だ。
「製作科の方も人手不足だそうだ。確かこのクラスは、2年から演劇科を志望している学生のコースだから居ないと思うが、大道具と小道具の制作修繕を手伝ってくれる奴は……」
いないよなぁ、と先生は大きくため息をついた。
エトーレ王国魔道演劇研究所付属学園は、一年生は皆同じカリキュラムで学び、二年以降で専門のコースに分かれることになっている。志望者の人数が多い順に演劇科、製作科、舞台効果科、だったと思う。
製作科、かぁ……。そう言えば一度も見に行ったことが無かったっけ。演劇科をこれだけ探しても居ないって言うことは、もしかして――。
「先生、オレ、お手伝いに行きます!」
「お、済まないな……ってアクナート、おまえは他の科の手伝いにいっている余裕なんてあるのか? 演技魔術どころか、演技自体の成績もギリギリじゃないか。……今回の演目は、おまえさんのキャラ的にあんまり重要な役は回ってこないかもしれないが」
「大丈夫ですって、先生! オレ、いきますよ!」
――演劇科に居なかったのなら、もしかして他の科に居るかもしれない。
「……アクナ、もしかして」
キラルが後ろから声をかけてきた。振り返ると、捨てられた大型犬みたいな顔をして、キラルがオレをじっと見ていた。
キラルは、オレの目的を知っている。
「アクナート、そう言ってもらえるのは嬉しいんだがなぁ……。少しくらい人手が足りなくたって、製作科のやつらの睡眠時間が少しばかり短くなるだけだ。おまえさんは自分のやるべきことをやったほうが良いんじゃないのか?」
「先生、昨日のお説教のこと……」
「ん?」
「『大変だ! ○○が××したぞ!』って言いながら、ユウが教室に飛び込んできましたよ……」
「えっ、マジで?」
「うん、マジです」
先生は呆けた顔をして、ユウを見た。ユウも何の事だか分かっていないみたいだけど、とりあえずうなずいてくれている。
「先生」
「……」
「御飯奢ってくれなくていいから、製作科の手伝いに行かせてください」
――あれだけ演劇科を探しても、見つからなかった。2年、3年の先輩方の教室から、研究生さんたちのところまで訪ねても見つからなかった。もう、他の科を探すしかない。
「……なんで、そんなに手伝いたいんだ?」
「えっと……」
オレが口ごもっていると、キラルがちょっと呆れたような顔をしながら口を挟んできた。
「先生、こいつ、アクナは『歌声の女神』を探しているんですよ」
歌声の女神。
名前を唇に乗せてみるだけで、顔が赤くなるのが分かる。もしかしたら耳の先から胸から背中までも赤くなっちゃっているかもしれない。
歌声の女神。本当の名前は知らないけど、オレの一目惚れの相手。オレの初恋の人。
彼女は、きっとまだこの学園にいる。何故かわからないけどそんな気がするんだ。
次回の更新は明日(2015年10月17日)の夜の予定です。
書き貯めがなくなるまでは一日一話ペースで。