第一章 能力者たちの覚醒
能力者――そんなものの存在自体、山上達男は知らなかった。まして自分が能力者だとは。十七年間、知らずに生きてきた。そして自分たちが戦いに巻きこまれるなど、夢にも思っていなかった。
夏休みに入って五日目の朝。県立春日高校二年生、山上達男は「じゃあ、行ってきまーす」と元気よく母親に声をかけた。今日から四泊五日で、進学塾の合宿なのだ。
達男は勉強のできるほうだったが、スポーツは苦手だった。身長一六三センチ。クラスで一番背が低い。
「気をつけていきなさいよー」後ろから母の声が追いかける。
達男は母一人子一人で暮らしている。
塾の前に午前九時集合だ。今朝もよく晴れている。昼間は暑くなりそうだ。
「おはようございます、山上先輩」振り向くと、木下ありさの顔があった。
ありさは達男と同じ学校で、一年後輩。二人とも、図書委員会に属している。
達男は読書好きで、図書委員なのは納得できるが、ありさはスポーツ万能で、むしろ女子サッカー部にでも入ってるほうが似合っていた。
達男は、活発なありさに、ほのかな恋心を隠し持っていた。
「よう、おはよう」と達男は応える。「今日から合宿だな」
「そうですね」
「みっちり勉強させられそうだな」
「ええ」とありさがうなずく。「がんばっていきましょー、先輩」
達男の通う進学塾は、小学校六年生から高校三年生まで、幅広く勉強を教えていた。夏休みの合宿には希望者だけが参加するので、総勢二十五人が合宿に加わった。
皆でバスに乗り込んだ。平日なので、道はそう混んではいなかった。達男たちを乗せたバスが、目的地に向かう。観光地にあるホテルが合宿所だ。田上温泉と呼ばれていて、けっこうひらけている。夏休みの休日ともなれば、家族連れでにぎわうことだろう。
バスに揺られること二時間近く。ようやく目的地に到着する。
達男たちがめいめいの荷物を持ってバスを降りる。四泊五日の荷物ともなると、着替えや勉強道具など、けっこうかさばる。達男はスポーツバッグをしょってバスから降りる。
合宿を引率するのは進学塾の塾長だ。それに三人の講師が同行している。塾長がチェックインの手続きを済ませる。
さすがに二十五人ともなると、ホテルのロビーはざわついている。
時刻は正午前。まずは部屋割り表を渡される。
「自分の部屋に荷物を置いたら、少し休憩して、昼食をとる」と塾長が言った。
達男たちは部屋に向かう。達男の部屋は二人部屋だ。
相部屋の相手にあいさつをする。
「やあ、ぼくは山上達男。県立春日高校の二年生です」
相手が応える。「オレは花房良隆。市立八雲中学の二年生」
ぶっきらぼうなものの言い方だ。とても年上の人に話す言い方とは思えない。
良隆は中二にしては背が高い。達男よりも高く、一七〇センチはあるだろう。ブルーのTシャツを着ている。
それでも達男はにこにこしながら、「五日間、よろしくね」と話しかける。
良隆は黙ってうなずくだけだった。
昼食をすませると、午後の講習が始まった。小学クラス、中学クラス、高校クラスに
分かれての勉強だ。達男とありさは当然一緒のクラスだ。講習と言っても、学年が違うので、一斉に講義を受けるのではない。自習の形で、みな黙々と問題集を解いていく。わからないところがあれば、講師に訊く。
休憩時間になる。達男とありさは自動販売機で飲み物を買う。達男は缶コーヒー、ありさはオレンジジュースだ。
「これから五日間、勉強が続きますね」とありさが言った。
「ぼくは勉強きらいじゃないから、平気だよ」と達男が応える。
「さすが先輩。気合い入ってますね」
「そんなんじゃないよ」
ありさは身長一六〇センチといったところか。白いポロシャツに、普段どおりジーンズをはいている。
ちなみに達男たちの通う高校には制服はなく、自由服である。
達男もジーンズをはいていたが、もっぱら楽だという理由だけで、特によく動き回るというわけではなかった。達男はグリーンのポロシャツ。
初日の勉強は無事終わった。夕食は大広間でとる。
達男と良隆は並んで食事をとった。達男は少食だが、良隆はごはんのお代わりをしている。
「きみ、なにかスポーツやってるの?」達男が良隆に訊く。
「柔術を少々」
「柔術ってなに? 総合格闘技みたいなもの?」
「……です」あいかわらず良隆は愛想がない。
夕食後は入浴タイムだ。温泉なのがありがたい。一日の疲れがとれていく。ゆったりした気分で過ごし、自分たちの部屋でごろごろしている。部屋のテレビをつけると、ローカルニュースをやっていた。「ここ何日か、近隣で不審火が相次いでいます。みなさん、火の元とあやしい人物には十分気をつけてください」
すると、ノックの音がする。ドアを開けると塾長が立っている。
「山上くん、花房くん、ちょっと来てくれないか」と塾長に声をかけられる。「小会議室にきてほしい」
二人は「はい」と応えて、塾長と一緒に小会議室へ向かう。
小会議室には先客がいた。「あれ、ありさじゃないか」達男は軽く驚く。
「あっ、先輩も呼ばれたんですか」
「いったい何が始まるんだろう」
小会議室にそろったのは、達男、ありさ、花房良隆、それと中学生くらいの女の子二人。
塾長が口を開く。「今夜は大事な話がある。その前に、みな一人ずつ、自己紹介してくれ」
「ぼくは山上達男。県立春日高校の二年生です。読書が趣味で、図書委員をやっています」風呂上りなので浴衣を着ている。
「あたしは木下ありさ。県立春日高校の一年生です。あたしも図書委員です」ありさはショートヘア。ありさも浴衣に着替えている。
「オレは花房良隆。市立八雲中学校の二年生」あいかわらずぶっきらぼうだ。ジャージを着ている。
「私は沢田恵美。花房くんと同じクラスです」恵美の髪は肩のところで切りそろえられている。身長は一五五センチくらい。この子は親しみやすそうな子だな、と達男は思う。恵美も浴衣姿だ。
「私は遠野由香里。市立第三小学校の六年生です」髪はロングヘア。身長は一四五センチくらいといったところか。
達男は「この子、小学生なのか。小学生から合宿はきついだろうなあ」と思う。由香里は無口そうに見える。ロングスカートをはいている。
塾長はおもむろに口を開いた。
「これから話すことは大切なことだ」みなが真剣な表情になる。
「実は、きみたち五人は『能力者』なのだ」聞き慣れない言葉に、みな顔を見合わせる。
「きみたちはみな、母子家庭で一人っ子だろう」みながうなずく。
「きみたちの父親はこの世界と魔界をつなぐゲートキーパーだったのだ。そして私も同じ仕事をしていた。今から二〇年も前のことだ。あるとき――そのときは別のゲートキーパーが担当をしていたのだが――、一人の魔術師がゲートキーパーを倒して、この世界にやってきたのだ」
「『魔界』ってなんですか?」達男が口を挟む。
「この世界では信じられないような、魔術の進んだ世界だ。魔術師のほか、魔獣も多くいる」
「この世界にやってきた魔術師の名前はイーノックという。きみたちの父親と私はイーノックを追いかけ、この世界に来て、イーノックと戦った。そしてイーノックの魔力を封印したのだ。きみたちの父親は、この世界で五人の子どもを授かった。きみたちは異母兄弟というわけだ。そして十年前、きみたちの父親は病気で亡くなった」
達男は、父親のことについて母親からくわしく訊いたことはなかった。母親が達男を産んでから、父親は行方不明だと教えられてきた。
「そして私は一人でこの世界にとどまってきた。先日、夢の中にイーノックが現われた。
なんらかの力で魔力の封印がとけてしまったのだ」
「なんらかの力って?」ありさが訊く。
「それは私にはわからない。ここ数日、この街で不審火が相次いでいる」
達男は、そういえばテレビのニュースでやっていたな、と思いだした。
「おそらくイーノックのしわざだ。まず小手調べに不審火を起こしているのだ。イーノックの本当の力はそんなものではない。イーノックを倒すのはきみたちしかいないのだ。きみたちは父親の血をひく『能力者』なのだよ」
「待ってください」と達男がさえぎった。
「『能力者』っていったいなんのことですか? ぼくは平凡な高校生ですよ? それに戦えって言われたって、魔術師相手にどうやって戦えばいいんですか」
他の四人もにわかには信じられない、という顔をしている。
「これから私の力を使ってきみたちの能力を覚醒してあげよう。残念ながら私自身は戦いには参加できない。きみたち五人の戦いなのだ」
「まず達男。お前はガンマニアだったな」
「まあ、銃が好きだといえば好きですが」
「お前には本物の拳銃を与えよう。そして魔力の付加された銀の弾だ」
「ありさ。お前は攻撃魔法の力を覚醒させる」
「はい。魔法使いですね。ワクワクしてきます」
「良隆。お前には加速能力と柔術の覚醒を行う」良隆は返事をしない。
「恵美。お前には自動的に魔法円を描く杖を与えよう。魔法の力を覚醒させるのだ」
「はい。ありがとうございます。いろんな魔法が使えるんでしょうね」
「由香里。お前にはインドの宗教書、アタルヴァ・ヴェーダから呪文を使う能力を覚醒させよう。おもに治癒呪文だ」
「わかりました」由香里も必要最小限のことしか言わない。
塾長の声には反論できない威厳がやどっていた。みな半信半疑ながらも、塾長が嘘をついているとは思えない。
「今日から五日後に、皆既月食が起きる。それまでにイーノックを倒さないと、再びゲートキーパーが襲われて、魔界から魔獣どもがこの世界に流れ込んでくるだろう」
達男が言った。「じゃあ、この合宿期間内に、そのイーノックとやらを倒さなければいけないんですね」
塾長が応える。「そのとおりだ。さあ、明日からイーノックと戦う訓練を行う。今晩はゆっくり休むように」
五人はそれぞれ自分の部屋に引き返す。達男は良隆と部屋に入る。
良隆は「おやすみなさい」も言わずにベッドに入った。数分後、寝息をたてている。
達男はなかなか寝付けない。
バルコニーに出てみる。夜風がそよと吹いている。昼間の熱気が残っていて、クーラーの効いた部屋の中のほうがすごしやすい。
夜だったが、街には明かりが点いているところがたくさん見受けられる。きっと温泉客目当ての飲み屋の明かりなのだろう。
「この世界に魔術師がいて、『能力者』がいるなんて……」
そこにはいつもと同じ街並みが見える。みな、何も知らないで生活しているのだ。
「なんてこった」達男はひとりごちた。
塾長が本当のことを言ったのだとすると、ぼくたちはいやでも戦わなければならないのだろう。
塾長が言ったことを、心の中で反芻してみる。
確かにぼくは銃に興味を持っている。しかしそれは、あくまで小説の中での話だ。実際にモデルガンを買ったことすらないし、ましてや拳銃が扱えるなんて思ってもみたことがない。
良隆の寝顔を見つめる。あどけない寝顔だ。
「こいつはほんとうに信じているのだろうか」
「まあ、考えても仕方ない。ぼくも眠ることにしよう」達男は何度も寝返りをうつ。そのうち、うとうとし始め、眠りに入っていった。
第二章につづく
作者初めての連載小説です。短編小説とは違ったむずかしさがありました。全5話で完結です。感想などありましたらよろしくお願いいたします。