5枚目 兎と追いかけっこ(涙)
この話のために動物虐待はしておりません。なんか最近そんな注意書きっぽいのあるような……。
大幅な修正と加筆をしました。
2014.10.29
2014.12.06
★
コインが役に立ちません。
何のためのコインですか?
☆
コインの真価を問うべく投げてみたものの、全く兎には通用しなかった。
むしろ怒りを買っただけのような気がする。
激オコプンプン丸というやつだ。
【やられたらやり返す。倍返しだ】の理論が、果たして兎の世界でも通用しているのかは分からないが、はっきり言ってピンチだ。
どうすればいいか、必死に考えるも良い案が浮かんでこない。
攻撃手段であるコインは、見事に役に立たない。銭投げの効果は期待できなかった。
兎が突進してくる。
琴花はすかさず身体を横にして回避するも、兎は器用に後脚で琴花を蹴飛ばした。
「きゃー」
頭からズジャーと倒れこむ。
「いったーい」
だが、痛みに苦しんでいる場合ではない。
兎がピョーンと跳び、琴花に目掛けて落下してくる。
紫色の人参を下にして……。
すぐに琴花は、芋虫ゴロゴロの要領で回避する。
するとさっきまでいた所に紫色の人参がドスッと突き刺さるのが見えた。
「人参がそんなに綺麗に地面に突き刺さるわけないじゃんかッ!」
先ほどの草を斬ったのは人参で間違いない。
だが切れる人参って何だ?
普通は切られる側は人参のほうだ。
琴花は立ち上がり様に、掴んだ砂を兎に投げつけた。目潰しのつもりだったが、全く効果がない。
荒い呼吸で、兎と対峙する。
兎は突き刺さった人参を、聖剣の勇者のようにスラリと抜く。
近くに武器か、それに準ずるアイテムがあればいいが残念ながら落ちてはいない。仮に武器があったとしても勝てる保証があるかは分からない。
あんな大きくてぶっとい人参にやられたら、お嫁にいけなくなってしまう。
虫ケラみたいにジワジワなぶり殺しにされてしまう。間違いなく綺麗な身体ではなくなる。
琴花はジリジリと後退する。
少しでも兎から距離を置くしかない。
後退しながらもどこかに活路がないか考える。
まだ諦めるわけにもいかない。
こんなところで人知れずに終わるわけにもいかない。
視線を兎に向けつつ、バックの中に手を忍ばせる。
これが青いタヌキが出す取り寄せバックなら、どんなに有難いか……。
身体能力も特殊能力も何もないのだから、せめてバックだけでも何かしらの能力を付与して欲しいものだ。
しかし、コインの無能さに琴花は溜息をつきたくなる。 何のためのコインなのか。
わざわざ綺麗に磨いたというのに……。
あのコインは戦闘用ではなく、買い物用だったということだろうか。
それならば、村や街などに転送してくれたらありがたい。武器や防具、そして道具など準備をしっかりとしてから挑む。
スタート地点と初期装備は本当に本当に重要なのだと。
「どうする? あたし」
しっかりするんだと琴花は、おのれを奮い立たせる。兎を睨みつけながらも鞄の中を探る手を止めない。残念ながら武器らしきものはない。ないと分かっていても探る手を止めないが、やはりない。
「三十六計逃げるに如かず……戦略的撤退しかないか」
短時間の間に色々考えた結果、琴花は兎から背を向けて逃げ出すことにした。
兎が追いかけてくる。
今は逃げるしかない。
逃げるが勝ちだ。
逃げるのも立派な戦術の一つ。
もしかしたら逃げたその先に打開策があるかもしれない。武器でもいい、助けてくれる誰かでもいい。その走った先に変化があればいい。
これは一種の賭けだった。
まだ死にたくない、生きたいと。
この兎を倒すための活路がその先にあることを願いながら、琴花は走り出した。
ちなみに三十六計逃げるに如かずという故事は、兵法三十六計に記されている兵法とは全く関係がないことを、琴花は知る由もなかった。
☆
もうどこをどう走ったのか、覚えていない。
出口に向かっているのか、より奥深くに向かっているのかは琴花には全く分からない。
徐々に琴花と兎の距離が縮まる。
呼吸が乱れてきた。
走るのもそんなに速いわけでもない。
足場も悪いうえに、日頃の運動不足。
そこに付け加えて、未知なる生物との一方的な命のやり取りで体力的にも精神的にも疲労が蓄積している。
一瞬でも油断すると足元を救われかねない。
兎が加速する。
すぐ傍を通り抜けていく。
「ッ!」
右太腿に熱を感じた瞬間、琴花はバランスを崩したかのように無様に転けた。
右大腿部に一直線に斬られた後がある。
傷は浅い。でも痛くて立ち上がれない。
「あ……ぐぁ」
薄皮を割かれたようなものだが、痛いものは痛い。
琴花は目に涙を浮かべた。
迫り来る兎。
琴花の右太腿を斬った人参を携えて。
「こ、こんなところでッ!」
琴花は痛みを忘れたかのように立ち上がり、逃げ出そうとする。
が、そこで兎の眼がキュピーンと光る。
兎の一閃ッ!
背中に熱が走った。
言うまでもなく斬られたと実感する。
しかも、右大腿より深くッ!
背中から血が噴き出す。
琴花は声をあげる間もなく、倒れ込んだ。
あまりの痛さに涙が溢れ出した。
倒れた拍子だろうか、眼鏡とコインが転がっているのが見えたが、残念ながらそれらに手を伸ばす気力も体力も残されていない。
(わ、私……死ぬの……)
少しでも遠くへ逃げようと、身体に力を入れようとするも、うまくいかない。
(死にたくない、死にたくない死に、たくない死にたくない死にたくない)
火事場の馬鹿力という言葉があるというのに、全く身体が言うことを聞いてくれない。
兎がピギァァァァと鳴き声をあげる。
それは勝利を確信した鳴き声のように聞こえた。
薄れゆく意識、兎がこちらに迫って来るのが見えた。
【――……っかりしろ】
(……こ、こんなとこ……ろで)
【しっかりしろ、琴花ッ!】
どこかで声が聞こえるも、周囲には誰もいない。
幻聴か、ヤバイなと自覚する琴花。
こんなところで自分の名前を呼ぶ人間なんているわけないのに……。
(…………)
瞼が重く感じた。
瞼を閉じる瞬間、視界の隅に白い何かが動いているのが見えたような気がした。
コイン 4枚
逃げるという戦術は兵法三十六計に存在するそうです。最後の計で、それは走為上というそうです。
うん、勉強になるね。
まぁようは勝てねぇなら逃げるしかねぇべってことですよ奥様。
いつも読んでいただきありがとうございます。感謝です。