魔海王と悪魔騎士とその事情
魔海王クレイクロウは自らの役割を果たしたことに安堵した。
『……これでもう、私がやるべきことはありませんね』
もし彼が人間だったら哀愁に満ちた顔で笑っていただろう。今回の騒動の結果に満足したようにハサミで万歳している一方で、ワシャワシャさせている口元はどこかさびしげだ。
つい先刻まで奇岩城では戦勝祝いが行われていた。
参加者たちが各自持ち寄った食料や樽酒などが振る舞われ、海獣島全体が宴会場になるほどの盛り上がりを見せていた。
海の魔物、陸の魔物が関係なくその宴会場に集まっていたが、正確にはクレイクロウさんたち魔海王陣営は負けた方である。魔海のすべては今、【魔人王】の領地となっていた。
これでもう、人間たちが海獣島にやってくることが激減するだろう。なにせあの魔人王が魔海の新たなる支配者になったのだ。
かつて魔海を支配していた先代の魔海王【暴君 リヴァイアサン】は圧倒的な体格と強さ、そしてその凶暴性により人間たちに恐れられていた。近隣の船乗りたちには魔海へ行くこと自体が禁忌とされるほどだ。
しかし十数年ほど前、クレイクロウさんの手違いにより暴君は撃破されてしまった。
暴君が倒されてしまったことにより、魔海近海に迷い込んだ船の生存率がぐっと上がり、さらには本拠地である海獣島まで辿り着く冒険者たちまでもが現れ始めた。
そして冒険者たちは海獣島の遺跡で発見してしまったのだ。【竜化石】を。
「魔海に眠る秘宝」とも呼ばれる巨大な魔石を求めて、魔海に侵入する人間たちの数が激増した。
彼らは夢とロマンと莫大な富を手に入れるために危険をいとわなかった。暴君を失った魔海だが、クラーケンやサーペントといった巨大海魔がまだ健在であったにも関わらず、冒険者たちは海獣島を目指して次々に出航していた。
数多くの冒険者たちが一斉に海獣島に向かってきた。それにより手が足りなくなった魔海王の陣営は、海獣島への上陸を何度も何度も許してしまう。
そして冒険者たちが目的である竜化石を手に入れた。とはいえ、竜化石本体はあまりにも巨大すぎるため、彼らが持って帰ったのはそのほんの一部を砕いたり削り取ったモノである。
だが、おそらくそれがいけなかったのだろう。
竜化石は、いわば「暴君の無念」が生み出した残滓のようなものである。
ほんの一部とはいえ、その身を砕かれ削られれば怒るのも当然だった。かつて暴君だったモノが、再び動き出したのである。
動く竜骸と化した竜化石を封じるために【人魚姫】が協力してくれるようになった。一時しのぎとわかってはいたが、それでなんとかなったのだ。
同時期にその頃になるとようやく、新魔海王であるクレイクロウさんの方針が浸透してきたのか、海獣島目指して侵入する人間たちを生かしたまま撃退することにみんな慣れていった。ただ追い返すことに集中したため、人間が上陸する可能性をかなり減らせたのである。
クレイクロウさん自身も見知らぬ海域で暮らし、そのに棲まう海魔たちと仲良くなり、「魔海王」と呼ばれることに少しずつ慣れていった。
すべては上手くいっていたのだ。
だが驕りと過信の報いは、なんの前触れもなく突然やってきた。
海獣島にやってくる冒険者たちの強さがどんどん上がっていった。船上での戦いや、巨大海魔との戦い方を覚えていった冒険者たちが魔海に再挑戦してきたのだ。クラーケンやサーペントの奮闘がなければ今頃、海獣島への安全な海路が拓かれてしまっていたかもしれない。
竜化石が復活する間隔もどんどん短くなっていった。魔力が蓄積され過ぎていたのだ。さらに不定期ではあるが、どうしても冒険者たちが中央遺跡まで辿り着いてしまうことを防ぎ切れない。完全に戦力が不足していた。
そしてクレイクロウさんが知る限り、もっとも【魔王】の称号にふさわしい者がこの魔海にやってきた。なぜかその時、魔人王は漂流者のような恰好だったが。
数々の問題を拳ひとつで解決した【魔人王ソルレオン】は魔海の支配者に申し分ないだろう。周囲に無理やり押し付けられた現海魔王とは比べ物にならないほど立派な本物の【魔王】だ。
「強き者が頂点に立つ」という魔族本来の支配に戻るだけだ。
クレイクロウさんからは悔しさなどはみじんも感じられない。【魔海の王】という称号にふさわしくないことは彼自身が一番よく知っている。
弱くて、臆病で、仲間に頼らなければ船一隻を撃退することさえできない。船底に張り付くので精一杯だ。唯一、クセの強い特殊な攻撃が使えるが、それでも敵によって効果があったりなかったりと信頼性に欠ける始末。本来であれば縄張りの主と呼ばれるのもおこがましいほど影の薄い存在なのだ。
『……これでようやく私も、普通の海魔に戻れるのですね』
その心中は実に複雑だ。魔海王という重責から逃れられる喜びや解放感がある一方で、ほんの少しだけさびしさが残る。
『自分はあくまで代理』とかたくなに思い込んでいたが、意外にも「魔海王」と呼ばれることに慣れ親しんでいたようだ。それにもともと所属していた【水の六魔将】のところへ戻るために、海獣島のみんなとは別れなければならないだろう。
「おお、クレイクロウさん。こんなところにいたのであるな」
噂をすればなんとやら、みんなから離れた場所にいたクレイクロウさんのところへ魔人王ソルレオンがやってきた。悠然と歩み寄るその姿に、思わずかしこまってひれ伏してしまいそうだ。これが格の違いというものなのだろうか。
『これはこれは魔人王さま、わざわざ出向いていらっしゃるなんて……なにか話がおありでしたらこちらから参りますのに』
「うむ。いや、よいのだ」
ソルレオンは行動力がある。こんなほんの些細なことでも魔海王とは違っていた。
『それで、なにか御用でしょうか?』
「うむ。クレイクロウさんに引き続き魔海を統率してもらいたいのだ」
『………………はい?』
「だから、クレイクロウさんには今まで通り【魔海王】でいてもらいたいのだ! 続投である」
『………………はい? えっ?』
「だーかーらー、貴様は【魔海王】のまま、このまま海獣島に君臨するがいい」
『………………えっ? ええっ?』
「ううむ、また即答するものだろうと思っていたのだがな……」
ソルレオンは決断力もあった。あと強引さも。
こうして【毒と渦潮の魔海王 クレイクロウ】は、引き続き【魔海王】に任命された。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
悪魔騎士デュラハンは妖しい満月に照らされながら静かに佇んでいた。
その姿はどこか満足そうに見えなくもない。彼の視線?の先には酔いつぶれた悪魔たちや海魔たちが並んで寝息を立てていた。
「サスガハ魔王サマ、コウモアッサリト魔海ヲ征服シテシマワレルトハ……」
敵味方の陣営に一体の犠牲もなく、たった一発の攻撃で戦争が始まる前に終わらせてしまった。ついでに上陸していた人間どもを追い返すことにも成功している。
しかも海獣島をただ征服して占領しただけではなく、そこに棲んでいた海魔たちをも取り込んで仲間にしている。魔人王の軍勢はさらに確実に強化された。
「虹ノ魔女カラ聞イテハイタガ、コレホド心踊ル壮大ナ『計画』ガアルダロウカ……ッ! 素晴ラシイ、サスガハ魔王サマッ!」
虹の魔女セラが語っていたことを思い出し、デュラハンは武者震いが止まらなくなった。
「ツマリ魔王サマハ、コノ旅ガ終ワル頃ニハ『魔王ヲ超越シタ存在』トシテ……ッ! コノ世界ヲ……ッ!!」
それ以上言葉にならなかった。それほど感極まっている状態だ。
しばしの間、打ち震えていた(ように見える)デュラハンは冷静な判断力を取り戻した。
「ソレニシテモ、アノ魔海王ヲソノママ海獣島ニ配置スルトハ……サスガハ魔王サマ! ソノ辺ニイル王侯貴族トハ器ガ違ウ!」
冷静になってもソルレオンを持ち上げるのは変わらない。
「シカシ、念ノタメニ部下ノ悪魔ヲ何体カ海獣島ト奇岩城ニ配置シテオコウ。ソレト後デ魔婆ドノニ『ゲート』ヲ創ッテイタダカナケレバ」
大雑把な魔人王とは対照的に、悪魔騎士デュラハンは慎重派だ。細かいところまで気が回るため、勢いだけの上司とはお互いにカバーし合って、ちょうどいい具合に噛み合っているのだ。
魔人王ソルレオンがこれまで真っ直ぐ前だけを見続けることができたのは、セラフィムやデュラハンのような忠実な臣下が背中を守ってきたからである。
「……魔王サマヲ直接オ守リデキナイ今、コノデュラハンニデキルコトハコノ程度…………。
シカシ魔王サマガ戻ラレルソノ日マデ、魔王城ト魔人王軍ハコノ命ニ換エテモ必ズヤオ守リシマス」
彼の魂の中核ともいえるところには、昔から『守る』という感情があった。これはデュラハンが悪魔に成り果てた当初からすでに持っていたものだ。
デュラハンはその『守る』という感情の出所を知らない。だが彼にとってそれがすべてだった。
ふと、ある人物のことを思う。
デュラハンにとっては、たとえ同じ【六魔将】であっても魔人王のことを任せるには若干の不安が残る。ソルレオンが魔王城にいた頃、自らぴったりと張り付いて警護していたのはこのためだ。
だが唯一、彼女になら魔人王のことを任せてもいいと思っていた。
魔王が内密に大陸を巡っているこの旅でも、途中から同行して陰ながら彼を守り支え続けていた。彼女が魔王とともにいるから、デュラハンは安心して魔王城の留守を引き受けたのだ。
しかし今現在、彼女は一人違う場所にいる。
「【虹ノ魔女セラフィム】ヨ、貴女ハ今ナニヲシテイルノダ……?」
デュラハンは満月に向かってそう問いかけた。




