[短編]例えばそんな恋の始まり方
「明日は家にいなさい」
すべては父のこの言葉から始まった。
<1>
「嫌よ。友達とカラオケいく約束してるんだもん」
当然だと私は主張させてもらう。
約束なんか先した方が優先に決まってるじゃないか。
「むむ…おまえは一体誰に似たんだか…人の言うことをまったく聞かない…」
そりゃ間違いなくあんたよ。
口に出すとあとが面倒なので心の中で悪態をついた。
「ゆかり、今回だけはお父さんの話をまず聞いて上げてくれないかしら?」
「…お母さんがそういうなら」
滅多に私とお父さんのやりとりに口を挟んでこないお母さんがいつになく真剣だったから、私は不請不請話だけでも聞くことにした。
「それでだな…」
お母さんという味方をつけたお父さんはこほんっと咳払いして私に向き直る。
「見合いをしてほしいんだ」
「は…?誰に?」
「おまえに」
「誰と…」
「父さんの会社の社長の息子さんとだ」
ほうほう、つまり私になんの関係もない会社の御曹司とお見合いして結婚しろと?
「ってなんでやねん!」
ついつい関西人でもないのに突っ込みを入れてしまうのも仕方ないと許して欲しい。
「お、落ち着け…」
「これが落ち着けるわけないでしょ!私は一般人の娘よ。その私がなんでお見合いなんかしなきゃいけないのよ」
もっともな言い分でしょ、と、睨み付ける。
「か、母さん…」
おい、情けないぞ親父。
「何よ、まさかお母さんまで私にお見合いしろっていう気?」
「…はっきり言えばね。」
「何で…」
「お父さんの会社の立場、わかるでしょう?」
…それか。大人って汚い。
「社長さんが今ね、息子さんのお嫁さん候補を探していて、今重役についている社員の娘さんに声が掛かって来ているの」
「だったら他の子でいいじゃん」
「そうも行かないのよ。他の方の娘さんはまだ小学生の子やすでに恋人のいる子たちで、今条件に一番合ってるのが貴方なのよ」
「私だって恋人くらい…」
「いないわよね。居たら友達とばっかり出かけたりしないもの」
うっ。
さすが母親だけあって痛いところをついてくる。
どうしようかと歯噛みするけど、生憎本当に私は彼氏の一人もいない。
「別れてもらえば…」
「可哀相だと思わないの?」
じゃあ私は可哀相じゃないの?
曲がりなりにもあなたたちの一人娘なのよ?
「……わよ」
「え?」
二人の視線が集中する。
「わかったわよ…」
私は二人とは目を合わさないように残りのご飯を掻き込んだ。
「は?あんたマジでお見合いするの?」
明日の約束を断る時に理由を話したんだけど、それに対する美香の反応がこれだった。
「私だってしたくないわよ」
「じゃあなんでするの」
「……」
「まさかいい子ちゃんみたいに親のためとか云うんじゃないでしょうね。しばくわよ」
美香が目を細目て私をみる。
これは美香の怒っているときの目だ。
「だ、大丈夫よ、お見合いしたからってすぐ結婚じゃないんだし。社会勉強だと思って。それに場所が有名ホテルだから美味しいものを…」
「ゆかり」
「…ごめん、心配かけて…でも、本当に大丈夫だから、一応してみてもいいもとは思ってるし…だから、心配しないで」
「…あんたがそこまでいうなら私はもう何も云わない。けどね、あんたが犠牲になって一人で背負う理由はないんだからね。」
「ありがとう…」
私は出来るだけの笑顔を作って美香に向けた。
学校から帰り道、私はいろんなことを考えた。
明日にはお見合いがあること。
恋人がいればこんな思いしなくてよかったのに、とか、誰か私をさらってくれれば良いのに、とか。
「あーあ、逃げたいな…」
ふいに口から出た呟き。
でも、これは紛れもない私の本心だ。
決して誰にも云えない本心。
「くすくす、何から逃げたいの?」
突然、どこからか声が降ってきた。
「え?」
予想外のそれに、私は思わず辺りを見回す。
「誰もいない…わよねぇ?空耳…?」
「違う違う、ここだよ」
再び聞こえたその声に、今度こそどこからその声がしているのか分かった。上からだ。
「な、なんでそんなとこに人がいるの…」
上を見ると、木の上に人が居た。
よく見ると、その手には猫が抱かれている。
「よっと。」
掛け声と共に、その声の主はそこから飛び降りてきた。
「あ、危ないっ!」
思わず叫んで、目を閉じてしまう。
でも、覚悟していた声や音は無かった。
軽くタンっとというのが似合いそうな靴音が聞こえただけだ。
恐る恐る目を開くと、目の前に先ほど頭上で木に登っていた人が降りてきていた。
その様子から、どこにも怪我もないようだ。思わずまじまじと見てしまう。
「ごめんね、驚かせて」
猫を抱いて、にこっと笑顔で謝ってきたその人は、今までそうやって笑っておけば何でも許されてきたんだろうなと思わずにはいられないような見目麗しい容姿をしていた。
なんていうか、顔が甘ったるい。その辺の女の子なら、ぽーっと見ほれちゃうんじゃないかしら。
テレビでも中々見られないような綺麗な顔立ちだった。
------------ニャア
かくいう私も、その顔に見とれてしまった口なんだけど、それも何とかこの猫の鳴き声で目が覚める。
「け、怪我は!?」
はっとして、ついでたのは、この台詞だった。
言ってから気づくけど、笑ってるし、立ってるし、悲痛な声も聞こえなかったし、無いに決まってるじゃん!
そんな私の反応に、目の前の彼は一瞬目をぱちっとさせて、次の瞬間、大爆笑した。
「っあっはははは」
いや、そんなに笑わなくても…
その人はひとしきり笑った後、再び自己主張気味に鳴いた猫の声に反応して「あ、ごめんね」と言って、開放させてやる。
どうやら飼い猫だったらしく、首輪がついていて、去り際、ちらっとこっちを見て、首輪についた鈴をチリチリ鳴らしながら走っていった。
「もう、降りられないようなとこ上るんじゃないよ〜」
人間の言葉を猫が分かるのかは疑問なんだけど、そんなことも考えないのか、目の前のその人は猫が去るまで手を振って見送ってやっていた。
そうして、猫が去ってから、ようやく再び私のほうに顔を向きなおす。
改めてその顔を見て、思わず胸がどきっとしちゃった。
ほんと、心臓に悪い顔だよ。失礼だけどさ。
「えっと、いきなりごめんね、驚かせて」
「え、いえ」
どういっていいのか分からなくて、思わず私は口ごもってしまう。
女子高育ちだから、お父さん以外の男の人にあんまり免疫無いのよ…
しかも、こんなカッコイイ人目の前にして普通に話すなんて無理!
「あー、うちの近くの女子高の子?」
尋ねられて、気づいたというのも間抜けな話だけど、そういう彼は私の通う女子高のすぐ近くの男子校の制服を着ていた。
そこの男子校は、偏差値が高くって、ちょっとした難関校として有名。
うちの女子高もそこそこレベル高くって、ちょっとしたお嬢様学校って言われているから、そこの学校の男の子と付き合っている友達も少なくない。
「そっか、何年生?」
「一年です…」
って、私、何素直に答えてるのよ!
いくら見た目いいって言ったって、初対面の人なのに。
「じゃあ、俺よりイッコ下かぁ、。俺二年だから。俺は翔っていうんだけど、君は?」
「えっと…ゆ…ゆかり…」
「ゆかりちゃんね。俺のコトも好きに呼んでくれていいよ」
そういってまたにこって笑う彼は本当、カッコイイとしか形容がない。
ここまで笑顔の似合う人って希少価値よね。
それにしても、警戒心無くす人だわ。
「で、ゆかりちゃんはどうしてさっき『あーあ、逃げたいな…』なんて言ってたの?」
うわー、この人しっかり覚えてるし。
どうしようかと、考えてみるけど、どうせ知らない人だもん。
話聞いて貰うのもいいかもしれない。
この人も聞きたいみたいだし、いいよね。
「実は、私、お見合いすることになってしまって…」
普段の私なら初対面の人にこんな話絶対しないんだけど、なぜかこの人には素直に話してしまった。
この人、聞き上手っていうか、ちゃんと話聞いて、相槌も打ってくれるし、話をせかしたりしないから話しやすい。
「ふーん、その歳でお見合いかぁ」
しかも、なんか真剣に考えてくれてる。
「えっ、いえ、ごめんなさい。つい愚痴っちゃって。一応納得してるからいいんです…」
慌てて付け足すけど、愚痴った時点で完全に納得してないのはばれちゃってるんだけどね。
「良くないでしょ?お見合いって結婚前提にするんだよ?ゆかりちゃんなんてまだ16歳くらいだろ?女の子なんだから、これからちゃんと恋して好きな人と一緒にならないと、お見合いしてずるずる結婚なんてことになったら一生後悔することになるよ」
それは、親さえも言ってくれなかった台詞。
本当は誰かにそういって欲しかった。
だから、その言葉はすうっと私の中に入ってきて、思わず胸に熱いものが込み上げてくる。
「ご、ごめんなさい…」
零れた涙を拭うけど、それはとまるどころか、後から後から零れてくる。
初対面の人の前で散々愚痴って挙句泣くだなんて…
自己嫌悪もしちゃうけど、でも、涙は中々止まってくれなかった。
「いいよ、思いっきり泣いちゃいな」
ぽんぽんっと頭に軽く触れて、彼は優しい笑顔で私を見た。
そんな優しさに、またどんどん涙がこぼれてきて、とうとう私はしゃっくりを上げて泣いてしまった。
「ひっく…っく…」
どれだけ泣いたんだろう。
彼が優しいのと、誰も通りかからなかったことをいいことに、私はかなりの間泣いていたと思う。
やっと涙が落ち着いて、顔を上げたときも、彼は側にいて優しく笑ってくれていた。
「落ち着いた?」
気遣うような優しい声。
「は、はい…ご、ごめんなさい」
「くすくす、今日謝ってばかりだね。謝らなくていいよ。俺が無理やり聞いたんだから」
「そんな…」
「それよりさ、さっきの話だけど、ゆかりちゃんが選ばれたのは恋人がいないからなんだよね?」
「え?ええ、まあ…」
「前もいなかったの?」
「?はい…うちの学校はご存知の通り中学から高校のエスカレーター式ですから、ずっと女子高ですし…私は…」
本当は、そんな中でも彼氏がいる子だっている。
校則に男女交際禁止なんて書いていないから。
「ふーん、そっか。じゃあ、余計に何も知らずにお見合いなんかしちゃうのは勿体ないね。」
そう、本当は私だって恋愛に憧れてるし、本当に好きになった人といろんなことしたかった…
「だからさ、今日は暇でしょ?俺と遊ぼうよ」
「はい…?」
いきなりの脈絡のない提案に、私は思わず聞き返してしまう。
「暇じゃない?」
「暇ですけど…」
「門限ある?」
「特には…」
「だったら問題ないよね。ゆかりちゃんさえ良ければ、遊びに行こうよ」
そういって手を差し出してきた。
決めるのは私。今なら拒める。
けど…
私はその手を取ってしまった。
どきどきと、まるで悪いことでもするかのような緊張と、どんなことが起こるのだろうとわくわくとした期待。
こんな感覚は今まで味わったことがないと思う。
その手を取った私を、彼---翔くんは、にこっと笑ってぎゅっと握り返してくれた。
「それじゃあ、行こうか」
<2>
さっき、手を繋いだときから私と翔くんの手は繋がったまま。
初めてのお父さん以外の手の感触に、私の心臓はどきどきのオンパレード。
本当、大胆なことしちゃってると思う。
こんなことが出来たのは、翔くんの持つ雰囲気がとってもやわらかくて暖かかかったからだろうな。
翔くんにつれられて、しばらく歩いて来たのは、ゲームセンターだった。
中をきょろきょろと見る私を翔くんが笑う。
「ゲームセンターは初めて?」
「うん…普段はプリクラ撮るくらいだから、何か怖い雰囲気あるし、近寄りがたくて…」
「そっか。確かに女の子だけでくるのは危ないかもね」
そういいながら翔くんはぐいぐいと私を先導してくれる。
初めて入ったゲームセンターの中のクレーンゲームの景品は、どれも私の心を揺さぶった。
「わぁ…いつも外にあるのしか見たことないけど、中にはこんなにいっぱいあるんだ…」
思わず、声が零れる。
「あ、これ見たことない…え?ゲームセンターってキャラクターグッズの非売品もあるの?」
全前知らなかった未知の世界に、感動したり、関心したり。
そんな私に色々説明してくれながら側にいてくれる翔くん。
前方からあの人怖いなって思うような人がいたら、すっと場所を替わってくれる。
会って短時間なのに、新しい発見がいっぱいあって、本当に、優しい人だなって思う。
「そうそう、ゲーセンには店で売ってないようなのもあるんだよ。ゆかりちゃん、あのぬいぐるみ気に入ったの?」
「えっと、あの白黒のブタのキャラクター好きで、ストラップにも…」
私はポケットから取り出して、携帯電話を翔くんにみせる。
「ほんとだ。よっぽど好きなんだね。よし、お兄さんが取ってあげよう」
そういって茶目っ気たっぷりにウィンクして、翔くんはコインを投入した。
どきどきしながらその操作を見ていると、手馴れているなって思う。
二回ほど、位置をずらすように動かして、三回目で見事そのぬいぐるみをゲットしてくれた。
白と黒の二色とも。
「ほんっとうにありがとうございます!」
私はその戦利品を貰って、両手に持ち、交互に見比べてご機嫌だ。
「くすくす、やっと笑った」
「あ…」
「ゆかりちゃんは笑っていたほうが可愛いね」
「ええ…!?」
可愛いなんて男の人に生まれて初めて云われたから、思わず真に受けて顔を真っ赤にして過剰に反応してしまう。
そんな私の反応がまたツボだったらしく、翔くんはぷっと吹き出した。
「そ、そんなに笑わなくても!」
恥ずかしさを誤魔化すように思わず声が大きくなる。
「いや、ほんと可愛いなぁって」
それだけ笑われた後に言われても全然説得力ないんだから。
私は私より頭一つ分上にある翔くんをねめつけた。
「もう」
「まあまあ、じゃあ次はあれしよう」
私の睨みなんかちっとも答えてない翔くんは、さっさと次の物色に移っていた。
「あれってなんですか?」
そんな翔くんが嫌いではないから、私は苦笑を漏らしてのってあげることにする。
「シューティングゲーム。最近のは凄いよ〜」
「最近のも何もしたことないんですけど…」
「あー、そっか。でも、ま、教えて上げるから行こうよ」
そんな感じで、ゲームセンター内を散策しながら楽しんだ。
大画面の迫力満点の映像にびっくりして、迫ってくる敵にきゃあきゃあ騒ぐ。
意地になって、両替してまでコイン投入して翔くんに笑われた。
そうして、いつしか私の口調も敬語から砕けた口調に変化していた。
「あー、もう8時かぁ」
すっかり楽しんでしまっていたから気付かなかったけど、もうそんな時間なんだ…
こんなに時間を忘れるくらい楽しかったことって中々ない。
もう帰っちゃうのかなと名残惜しく見ていると、翔くんがこっちに気付く。
「よかったらご飯でも食べない?俺、腹減っちゃった」
お腹を擦るジェスチャーに思わず笑ってしまうと同時にほっとした。まだ一緒にいられるんだって。
「うん、私もお腹空いちゃった」
「よし、お兄さんが奢ってあげよう」
「え、いいよ、さっきだってこのぬいぐるみ取って貰ったし…」
「いいのいいの。女の子はこういう時は素直に甘えるもんだよ」
「でも…」
忘れてたけど会って数時間の人に奢ってもらうなんてやっぱり気が引ける。
「くすくす、ゆかりちゃんは遠慮深いねぇ。ま、女の子は無遠慮な子よりゆかりちゃんみたいな子の方が可愛いかな」
翔くんのそんな言葉に何故か胸が痛む。
翔くんの周りの子なら上手に甘えられるんだろなって。
そんな私の気持ちを知らない翔くんは、来たときと同じように私の手を引いて外に出た。
冬の8時はもう真っ暗で寒いけど、翔くんと繋がったその手は暖かかった。
「手、あったかいね」
翔くんも同じことを考えていたみたい。
「うん…」
照れ臭くって、私はそう答えるのが限界。
「何が食べたい?」
「…マック」
「くす。安いねぇ。遠慮しなくていいのに」
「いいの。マック最近行ってないから行きたかったの。新メニュー食べたかったし」
遠慮してるってのもあるけど、これも本当。
それに、翔くんと二人だったらなんだって美味しく食べられると思うもん。
「いらっしゃいませー」
自動ドアから明るい装飾の店内に足を踏み入れると、すぐに店員の女の子が声を掛けてくる。
私から翔くんに視線を移した店員さんは、その後私に視線を返す事無く、終始翔くんに話掛けてた。
翔くんを見たとたん目の色を変えた店員さん。気持ちは分かるけどね。
気付かないようにしてたけど、今日ずっとこんな調子で見られてたんだもん。
「ポテトが上がり次第お持ち致しますので6番のカードを持ってお待ちください」
やっぱり翔くんに渡されたそれを持って私たちは空いてる二階の席に座った。
ふう。ずっと立てっていたからやっと休めた気がする。
「翔くん、モテるでしょ?」
私は何の脈絡もなしに翔くんに聞いてみた。
「え?何で?」
「だって、さっきの店員さんもそうだけど、皆翔くんを見てるんだもん」
今もそう、女子高生とか、ちらちら見てる。
「気のせいだよ」
翔くんはそういって否定するけど、絶対気のせいなんかじゃない。
女の子にも優しいっぽいし、この容姿、モテないって言ったら嘘だよ。
普段の私だったら相手にもされないような人だもん。
「お待たせしましたー」
そういって店員さんの声がした。
えっ、嘘、もう持って来てくれたの?
ここって、待たされるって有名なのに…翔くん効果凄い…
「ありがとう」
そう言ってにこっと受け取るもんだから、店員さんも嬉しそう。
「また来てくださいね」という言葉も忘れない。流石だわ。
しかも、ポテトがいつもより多いんですけど!
「さ、食べようか」
「う、うん…」
そういって、翔くんが、トレーに食べやすいようにバーガーと、ポテト、飲み物を置いてくれる。
冷めないうちにと、私たちは食べ始めた。
「モテるって言えば、ゆかりちゃんのほうがモテるんじゃない?」
食べてる途中、さっきの続きから翔くんが話を始める。
「いや、モテるわけないよ…モテてたら、今頃彼氏いるはずだもん」
パクッとハンバーガーに噛りつく。
相手が女の子だったら食べるときあんまり意識しないのに、相手が男の子だから、なんだかいつもより随分一口が小さくなっちゃう。
ハンバーガーって男の人と食べるのに不向きなのね。知らなかったわ。
「モテるからって恋人いるとは限らないよ?」
「んー…そうかなぁ?」
「そうそう。今日ゲーセン行ったときだって、ゆかりちゃんのこと見てる男結構いたよ」
「え…嘘だぁ」
「ホントホント。ああいうとこ、今まで行かなくて正解だね。行ってたら危なかったかも」
「そんな。大げさだよ、くすくす」
「ゆかりちゃんの所の女子高も有名だろ?俺らの学校から見ても高嶺の花って感じで」
「それをいうなら翔くんの学校のほうがそうだよ。私たちから見てもそうだもん」
「んじゃあ、お互いそう思ってるのかもな」
「そうかも。変なのー、くすくす」
そんな感じで、私たちは食べながらもいっぱい喋った。
お互いの学校のこととか、好きなものとか、良く行く場所とか。
こんな短時間で、翔くんのコトをたくさん知って、知るたびに、私の中で翔くんの存在が大きくなっていく。
「あ、もう9時だよ。そろそろ帰らないと、お父さんたち心配するね」
このままこの夢みたいな時間がずっと続けばと願ってしまっていたから、翔くんのこの言葉で一気に夢から覚めた気がする。
「そう…だね…」
本当は、お父さんたちに心配掛けたっていいって思うけど、ここまで付き合ってくれた翔くんに、これ以上わがままはいえないから、だから頷いた。
「家は、近いの?」
「えっと、近くの駅から3つ行ったところ…」
「そっか、じゃあ、送るよ」
「え、そんな、いいよ」
「女の子なんだから、危ないでしょ」
そういって翔くんは当たり前のように手を差し出してくれる。
でも、今度は私はその手を取らなかった。
だって、もう、夢を見させてもらうには十分な時間を翔くんに貰ったんだから。
今まで楽しくて忘れられていたけれど、私は明日知らない人とお見合いをする。
これ以上、翔くんに優しくされたら、私、きっと…
「ううん、ごめん、ありがとう。でも、私一人で帰るよ…。今日はホントに楽しかった。翔くんと会えてホントによかった。ありがとう…じゃあね」
「え、ゆかりちゃ…」
そういって私は翔くんに背を向けて走り出した。
街中をこんな風に走ったのは初めて。
改札口まで走って、急いで電車に乗り込む。
そこで、やっと気が抜けた。
「っ…」
涙腺がゆるんだ。
もう、ここに私を知っている人はいない。
翔くんも、いない。
だから、私は思いっきり泣いた。
電車の中の人が、不振そうに横目で私を見るけど、そんなのを気にしている余裕はなかった。
だって、家に帰るときにはいつもの私に戻らないといけないんだから。
そう、もう夢の時間は終わったんだから。
<3>
「あら、似合うわね」
今日、私が着せられているのは、お母さんの振袖だ。
一応、社長の息子さんとのお見合いだからと、今日の見合いの場のホテルで無理やり着せられた。
「ゆかりが成人式の時には新しいのを作ってやるからな」
お父さんがそんなことをいってるけど、私は何にも返事しなかった。
ずっと心あらずで朝から髪のセットのときも、お化粧のときも、着付けのときも、私はされるがままだ。
そんな私に、両親は心配そうに目を向ける。
「あのな、ゆかり」
こほんっと、お父さんが咳払いをして真剣な顔を向けてきた。
「ん…?」
「見合いのことだが、すまんな」
すまないと思うなら、最初から持ってこないでくれたらよかったのに…
でも、そしたら私は翔くんと出会えることも無かった…?
やだ、私、昨日からずっと翔くんのことばかり考えてる。
自分からあんな分かれ方したのにね…
「今日、見合いをしてくれるだけで、父さんは助かってる。だから、今日はこれも一つの出会い方だと思ってお見合いしてくれればいい。そこで、相手が気に入らないようだったら、断りなさい」
「え…でも、そんなことしたら、父さんが…」
「ゆかり、あなたは何か勘違いしてるみたいだけど、お母さんたちは無理にあなたに結婚してくれとは言ってないわよ。お見合いだって、一つの出会いだからすすめたの。でも、そこであなたが気に入らないって思うなら、断っていいのよ。あなたの人生はあなたのものなんだから」
「母さんの言うとおりだ。父さんと母さんはな、実はお見合い結婚なんだ」
「そんなの初めて聞いた…」
「だって、聞かれなかったから」
いや、お母さん、今その返し方はどうかと思うの…
「まあ、だから、なんだ。だからってお前にお見合いで結婚しろっていうわけじゃないんだ。父さんと母さんはお互いにお見合いしてこうやって出会えてお前もいて、今幸せだ。だから、そう堅くならずにいなさい。お父さんだってそれなりに仕事で信頼を得てここまで来てるんだ。だから最後はお前の好きにしなさい」
横でお母さんも頷いてる。
そっか、二人ともそんなこと考えてたんだ…
「すみません、高倉様が御着きになられました」
私が、お父さんたちと話していると、ドアのほうからノックがかかり、支配人らしき人が私たちを迎えに来た。
「あら、先方がもう見えられたの…急がないと」
案内されたのは飛天の間というところだった。
「お待たせ致しました。社長。家内の幸子と、娘のゆかりです」
お父さんが、先頭に立って入り、お母さんと私を紹介する。
私とお母さんは、それに倣って頭を下げた。
「良く来てくれたね、谷口くん。うちの家内の桜と、貴史、24歳だ。」
あの人が私のお見合い相手…目があって、互いに会釈する。
私の前の席に座るその優しそうな人は、どこか翔くんを思い出させる容姿をしていた。
翔くんを知る前の私だったら、貴史さんと呼ばれたその人を見て、もしかしたら心が動いていたかも知れない。
だけど、今の私の心の中は…
「あと、もう一人紹介したいんだが…」
社長さんが、きょろきょろと、出入り口のほうを伺っている。
誰の事?
ふと気になって顔を上げたのと同じくらいに、出入り口の扉が開いた。
「え…?」
そして、私の顔は一転して驚愕したものに変わる。
でも、それも仕方ない。
だって、そこから入ってきたのは何とあの…
「こら、遅刻するなと云っただろ。こっちに来て座りなさい。…皆さん、これが息子の翔です」
「しょ、翔くん!?」
社長さんが紹介してくれたのと同時くらいに、私はその場を立って叫んでいた。
だって、何で、翔くんが…え?え?あんまりにも考えてたから幻覚でも現れたの??
もう、私の脳内はパニックでショート寸前だ。
でも、そんな私の様子にうちの両親や先方のご両親、もちろん貴史さんも目を丸くする。
「お前たち、知り合いなのか?」
お父さんの声に私はハッと我に返った。
「え、えっと…」
つい、立ち上がってしまったけど、私の今日のお見合いの相手は貴史さんだ。
その貴史さんを目の前にして翔くんの名前を呼んじゃうなんて…
貴史さんを見ると、驚いたように私たちを見ている。
そんな中で、唯一飄々(ひょうひょう)としているのは、まだ立ったままでこっちを見ている翔くんくらいだと思う。
「父さん、兄さん」
一番落ち着いている翔くんが、ちらっとこっちを見てから、私のほうに進んできた。
「悪いけど、彼女は俺が貰うよ。いいよね」
そういって、翔くんはくすっと笑うと、強引に私の手を取ってそこから駆け出した。
「しょ、翔くん?」
私は、驚きながらも、引かれるままに翔くんに引っ張られていった。
ドアから出るとき、後ろのほうから我に返ったお父さんとお母さんの呼び声が聞こえた気がしたけど、私は構わず走ってしまった。
<4> /Epilogue
はあっはあっ。
息が弾む。
「もういいかな」
私と比べて、全然息の切れてない翔くんが、後ろを振り返ってからこっちに向いた。
「ちょっ…しょっ…なっ…んで…」
私は息が上がって、上手くしゃべれない。
着物で走ったから、締め付けで息も余計に上がっちゃう。
そんな私を落ち着けるように翔くんは背中を擦ってくれる。
「あ、ありがと…」
って、違うでしょっ!
「だから、なんで翔くんがここにいるの!」
「何でって…俺、今日の見合い相手の家族だもん」
翔くんは何でもないことのように言うけど、それって私からしたら大問題よ。
「知ってたの…?」
「うん、まぁ…兄貴の部屋いったとき、偶然見ちゃって。顔だけは知ってた。うちに見合い写真きてたから」
…いつの間に。
「じゃあ、何で最初に言ってくれなかったの…」
「言ってもよかったけど、言ったら俺の事警戒しただろ?」
「それは…」
確かにそうかもしれない。けど…
「それに、俺は兄貴の見合い相手としてじゃなくて、ゆかりちゃん自身に興味を持ったんだ。だから、あの時も兄貴の弟としてじゃなくて、俺自身を知ってもらいたかった」
「翔くん…」
「昨日、ゆかりちゃんが帰った後、ずっとゆかりちゃんのことが気になった。だから、本当は今日来る気も無かった兄貴のお見合いにも来て、ゆかりちゃんを連れ去った」
夢見たい。
誰かに連れ去って欲しいって思ってたけど、そんなの夢だと思ってた。
でも、本当に翔くんは私を連れ去ってくれて…
「ゆかりちゃんは?俺に会いたくなかった?」
「私は…会いたかった…昨日分かれた後、すっごく寂しかった…」
「うん。本当は昨日も逃がす気はなかったんだけど、ゆかりちゃん思いの他足速かったからね、くすくす」
無我夢中だったからかな…裏道はいっちゃってたし…
「あの…連れ去ってくれてありがとう。また翔くんに会えてよかった」
私は、心からの笑顔で翔くんに向いた。
本当に、ありがとう。
「いえいえ。それよりね、ゆかりちゃん」
「はい?」
「ちょっと番狂わせもあったけど、俺と恋愛しませんか?」
再び目の前に差し出された手。
その手を取るか取らないか、決めるのは私。
もちろん、答えは決まってる。
私は返事の変わりにとびっきりの笑顔でその手を取った。
「よろしくお願いします」
こんな始まり方も、あってもいいかも知れない。
そう思った矢先だったんだけど…
「じゃあ、これでゆかりは俺のものだね?」
突然、振ってきた言葉は予想外のものだった。
「え」
「大丈夫、俺が一から教えて上げるから」
そう言って笑う翔くんの顔が、なぜかいろんな意味を含んでいるみたいなんだけど…
「これで、手だけじゃなくて、いろんなところ、触れるしね」
ってちょっと待って!
翔くんってそんなキャラだったの!?
思わず、ずさっと一歩引いた私の手をぐっと引いて、翔くんは、胸の中にしまってしまう。
「これから、じっくりお互いを知っていこうね」
くすっと耳元で笑ってそう言う翔くんは、心なしか、昨日の翔くんより表情も声もちょっと意地悪で。
私は、まだまだこの人のことをわかっていなかったんだなと、新しい発見に引きつった。
「何分、初心者なんで…お、お手柔らかに…」
「くすくす、了解。今はこれで許して上げる…ゆかりが好きだよ」
翔くんはそういって、少しぎゅっと強く抱きしめてくれた。
私は、初めて男の人に抱きしめられて、どきどきしながら、そっとその耳元に小さな声で返した。
-----------私も好き…
初めて恋した人はびっくり箱のような人だった。
全然予想のつかない、宇宙みたいな人。
だけど、彼が彼であることに代わりはなくって。
むしろこれからもどんどん新しい彼を知って、そんな彼に私は引かれていくんだろうなって思う。
だから、こんな恋の始まり方も、案外いいのかもしれない。 …多分ね