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 私立謳歌おうか学園高等学校在学の高校三年生である、平平軒並ひらたいらのきなみこと僕は、謳歌学園本校舎の屋上で、朝日の昇る早朝の空を眺めながら、その肌寒さに両腕を擦り合わせていた。

 時期としては十月の中頃であるため、爽秋の頃合なのだろうが、しかし現在の時刻は早朝六時前。いかに爽秋の季節と言えども、肌寒さを感じずにはいられない時間帯だ。

 僕は暫くその寒さから両腕を擦り合わせることを続けていたが、次第にそれを淡々と続けることが馬鹿らしく思えてきて、苦笑混じりに息を漏らしてみせる。

 これから自殺しようという人間が、何を淡々と肌など擦り合わせているのだ。

 僕は早朝の空を仰ぎ見ながら、頬を二度ほど叩いてみせる。

 決意なら長い間をかけて固めてきただろう。臆病者の僕だけど、自殺()ぬことにすら恐怖する僕だけど、断固たる決意だけは、絶対なる意志でもって固めてきたはずだ。

 感受性が強いばかりに決断力に欠ける僕だけれど、それでも自殺()ぬ決意だけは固める他なかった。自殺さえ選択出来ない人間になってしまえば、いよいよ僕は薄藍に満ちた希望の無い人生を無為に無駄に、絶望的に全うせざるを得なくなってしまうから。

 それだけは嫌だった。繊細な心を持ち合わせながら、機械のような心許ない日常をこなすのだけは、絶対に嫌だった。ゆえに僕は自殺という絶望的に堕落していて、究極的な敗北に他ならない選択肢を選んだのだ。敗北さえ選べず、泥沼を這いずるような人生を送るならば、あるいは早々に敗北を選択するほうがまだ賢明に違いない。

 僕は屋上の縁近くにあるフェンスの前まで駆け寄り、そこから地面(した)を覗き込む。

 謳歌学園はその敷地面積の雄大なことが唯一誇れる売りなわけだが、その雄大な敷地面積の中に点在する建造物の中でも、この本校舎が最高の高さを誇っている(実際は時計塔が最も高い建造物だが、鍵がかけられ進入禁止になっているため断念した)。

 各学年、全科目の教室が集結しているうえ、職員室やその他施設が充実しているこの本校舎は八階層にも渡り、その高さは四十メートルと相当な高度である。ちなみにこれは十階建てのビルに相当する高度だとも説明すれば、その高さが僕がこれから実行せんとする飛び降り自殺において、十全な高度であるという解説も理解に難くないだろう。

 僕はそんな凄まじい高度から、相変わらず地面(した)の世界を覗き続ける。その最中(さなか)で無意識に喉が鳴った感覚を、直後の僕は確かに感じ取った。

 緊張しているのだ。今から飛び降り自殺をするという覚悟を前に、打ち震えているのだ。しかし、僕はその臆病な感情を訂正することはしない。むしろ、その臆病は人間の心理として当然のものであると確信しているからだ。

 その時の僕は愚かにも、自身に残留した人間の素養を垣間見て、安堵の感情を抱いていた。人間失格にとって人間らしさというものは、羨望の対象に違いないからである。

 僕はそんな、今においては余計である感情を強引に振り切り、右手を胸に当ててみせた。

 昂ぶった感情を静めろ。自殺に余計な感情はいらない。容易に揺らぐ程度の覚悟ならば決意する必要もないが、覚悟を揺らがせる要因もまた、残留させる必要などないのだ。

 元より僕は絶望的に臆病なのだから、尚更要因を排除しておくに越したことはない。

 僕は地面(した)を覗き込むことをやめ、一旦その場で目を瞑る。

 焦燥を煽る要素は一切に排除してしまおう。それくらいが臆病な僕には丁度いい。

 現時点で焦燥を煽る要素と言えば、この場面で第三者が偶然にも屋上を訪れることだが、その焦燥は杞憂というものだ。昼休みや放課後の時間帯ならいざ知らず、今は早朝六時前。屋上を訪れるどころか誰も登校していない時間帯だ。それでも教職員なら幾人かは職員室で職務をこなしているかもしれないが、その程度の要素ならば懸念する必要もあるまい。要するに、この場面、この局面において、自殺()ぬか自殺()なないかの選択は僕次第というわけだ。

 焦燥を煽る要素は全て排除した。自殺を妨害される懸念は消滅したんだ、躊躇う必要もなくなっただろう。……なのに、なぜ僕は依然として打ち震えている。

 意志と矛盾して緊張の収まらないことに一種の欲求不満(フラストレーシヨン)を覚え、僕は歯を軋ませる。

 どうして緊張が収まらない。覚悟は確かに揺らいでないし、決意も確かに歪んでない。焦燥を煽る要素は全て排除したというのに、なぜ全身の震えが収まらないのか。

 感情が昂ぶる最中、覚悟と決意の間隙に僅かばかりの懸念を垣間見た。

 確かな覚悟と決意を決めた自分に残留する懸念があるとすれば、それは母親のことに他ならないと気づいた瞬間、自身の矛盾した感情ががちりと音をたてて、理解の枠に収まった。

 把握に至れば何てことはない。僕の胸中に沈殿していた母親を想う感情が、自身の意志に歯止めをかけていたわけだ。僕は思考の矛先を母親に向ける。

 僕の母親は苦労人だった。少々過去を顧みるが、僕の父親は結構な乱暴者だったらしい。仕事は着実にこなす人間だったため、金銭的に困窮することはなかったが、仕事場では優男を気取る反面、家内では暴力が酷かったらしい。簡潔に説明すれば二面性というやつで、仕事場での優男気取りで溜め込んだ鬱憤(うつぷん)を、家内で母親を相手に晴らしていたというわけだ。

 それでも暴力に耐え続けて笑顔を絶やさなかった母親は、本物の優女に違いない。

 そんなある日。丁度僕が三歳の誕生日を迎えた日だったそうだ。

 父親が交通事故で亡くなった。

 仕事の帰り、ある場所に寄るために徒歩で横断歩道を渡ろうとした直後、車と衝突事故を起こしたらしい。最も、事故の原因は父親の信号無視であるため自業自得に違いないが、ある場所というのが僕の誕生日を祝うためのケーキショップだったと言うのだから、当人である僕としては心境の複雑なところだ。

 話題が少々脱線したがともかく、そういう経緯があって父親は事故死に至ったのだ。誕生日が父親の命日というのも縁起の悪い話だが、これで母親は晴れて父親の呪縛から解放されたわけだ。しかし、母親は父親の死後、非涙を流して暫く気を病んだらしい。日頃から暴力的だった父親が死んで何を悲痛に思うのか、僕には甚だ理解出来なかったが、母親いわく、『瞳の奥には孤独な優しさが潜んでいた』らしく、僕はますます理解に苦しむばかりだった。

 そんな私的な感情はさておき、父親が事故死した以上、それ以降の生活は僕と母親の二人暮らしになるわけで、母親の真なる苦労はここからの始まりだった。

 まず、金銭的に困窮した。元々我が家は父親の稼ぎに依存していたため、母親は早急に職へ就いたが、それで稼げる給料はあまりに心許なく、僕らは貧相な生活を強いられた。また、当時幼かった僕は病気になることが多く、その度に母親は看病するために仕事を休み、それが原因で職場内の人間関係を悪くしたり、最悪の場合は職を失うこともあった。その一方で数少ない休日は僕と遊ぶために時間を割いてくれていたのだから、立派な母親だったと思う。だからこそ、僕が正義感を放棄し、自身の本質を隠すことを決意した後も、母親にだけは自身の本質を隠すことはしなかった。精神的に狼狽(ろうばい)して悩む時があっても母親にだけは相談出来たし、母親も親身になって相談に乗ってくれた。僕にとって母親は唯一にして絶対に信頼出来る存在であり、また、尊敬に値する人物だったのだ。

 僕は静かに瞑っていた目を開く。

 早朝の冷風が吹き抜けるなか、フェンス越しの景色が僅かばかり霞んで見えた。

 駄目だ!! 母親を想う感情に胸中を委ねるな。長期間をかけて精練した覚悟を、一抹の感情に破棄してどうする!? 確かに僕が自殺すれば母親は悲しみ、嘆くだろう。だけど僕は限界じゃないか!! 幸先の絶望的な僕にとって、人間失格である僕にとって、藻掻けば藻掻くほど埋没して窒息しそうになるこの世界は、蟻地獄に他ならない。僕の行動及び思考は無常なほどに無為で、蟻地獄の一層嵌まるだけの愚行。微塵の希望に期待しては、絶対的な現実に粉砕される連続。そんな絶望的に行き詰まった日常の中で、何の光明を見出せと言うのだろうか。

 自殺は滑稽だと罵る人間に、自殺する人間の苦悩を譲渡してやりたい。絶望的に困窮した人間失格の人生を譲渡してやりたい。

 この世界に無間地獄は存在する。それに気づかず安穏を生活する幸せ者が羨ましく、同時に憎い。不幸せ者の苦悩も理解出来ない幸せ者の嘲りは、胸が(ただ)れ、腸が煮えくり返る心地だ。

 感受性が僅かばかり強いがために抱く葛藤など、誰が理解してくれるものか。信頼し、尊敬していた母親にも、この鬱屈した価値観だけは語れなかった。僕の根底に沈殿する暗黒の感情だけは語れなかった。

 信頼や尊敬以前の問題だ。人間失格の本質など、人間相手に語れるものか。

「畜生!!」僕は溢れかえる感情に歯を軋ませ、自身の顔面を自身で殴り飛ばす。

 屋上に鈍重な衝撃音が響き渡る中、僕は両手をついて崩れ落ちた。

「畜生……畜生!!」霞んだ両目から涙がぼろぼろと落ちるのを眺め、僕は唇を噛み締める。「僕は親不孝者だ! 母親を残して自殺を目論む僕はとんだ親不孝者だ!! 母親の苦労を顧みず、憂鬱を言い分に自殺する僕は最低の親不孝者だッ!!」

 僕が自殺した後、母親が極限の絶望に晒されるのは想像に難くない。婚約者に続けて息子を失う絶望など、それは究極の苦痛に違いないのだから。

 だから僕は最悪の親不孝者で、最高の人間失格なのだ。

「そこまで理解しながら、自殺の衝動を抑えきれない自分が情けない……!!」

 僕は鮮血が溢れ出すほど唇を噛み締め、服の裾で涙を拭った。フェンスを乱暴に握り締めて立ち上がり、その場で淡々と深呼吸してみせる。。

 暫く深呼吸を続けて落ち着いた僕は、冷静な調子で遠くの景色を見据えた。

 もう迷わない。もう迷えない。

 極限の葛藤が究極の決意に昇華した。最悪の親不孝者でも、最高の人間失格でも構わないと決意した瞬間、数多くの些細な懸念が無為な懸念と化したのだ。

 覚悟は定まった。決意を極まった。迷う道理など、無い道理。

 僕は胸を強く叩き、自身に渇を入れる。表情が引き締まったのを感覚的に認識して、フェンスを両手で握り締めた。適当な位置に足をかけて両腕を伸ばす動作を繰り返し、頂上部まで登りきった僕は、慎重にフェンスの反対側を下り、屋上の(へり)に足の(かかと)を乗せて、後ろ手でフェンスを掴む。この時点で両手を離せば飛び降り自殺が成立することを意識すると、心臓が自然と跳ねた。

 自身の意識一つで自殺が可能な段階まできてるんだ。緊張しないわけがない。僕は朝日を眩しく思いながらも、遠くの景色を見据え続ける。

 朝日が羨ましいな。あんな風に臆面もなく光り輝くことを僕がそれほど羨望したことか。誰からも厭われることなく光り輝ける事実(こと)が、心底羨ましく思われる。

 僕はそのまま視線を落とし、世界の地面(そこ)を見据える。

 地面が遠い。確かにこの屋上は相当な高さだが、実際の高度以上に地面が遠く感じられる。常に地面を這いずってきた僕が、最期は地面に墜ちて生涯を終えるんだから、この飛び降り自殺は悲劇というより喜劇に違いないのだろう。人間失格、最期のお道化だ。

 そして僕は、母親のことを想う。

 最期の最期まで駄目な息子で御免なさい。母親を残して自殺を敢行する僕は、最低最悪の親不孝者なのでしょう。しかし僕は、限界なのです。無間地獄に嵌まり、人生に盲目した僕の幸先は、絶望的な暗黒なのです。この暗黒を理解してほしいとは願いません。ですからどうか、僕のような人間失格の自殺に傷心なさらないでください。それが僕の唯一願うところです。

 ……最低だな。願うだけ願って自殺するなんて、僕は最低な野郎だ。

 そう、僕は生涯、最低を歩み続けてきた男だ。腰を低く据え、世界を億劫に思い続けてきた男だ。果てには辞世まで最低なのだから、最高の人間失格に違いない。

 僕は悲観的な感情を切り替え、世界の地面(そこ)を見据え続ける。

 緊張も適度に緩んだ。最善の頃合だろう。

 僕はフェンスを握り締めた後ろ手を意識する。機は熟した。躊躇う必要はない。

「Good bye world(さようなら、世界)」両手を離すと、屋上の縁に踵だけ乗っている僕は前のめりになり、そのまま体勢を崩す。「Good bye mother(さようなら、母親)」踵が縁を離れた直後、世界の地面(そこ)に墜ちていく。

 凄まじい速度で屋上から落下する最中、僕の脳裏には鮮明な走馬灯が過ぎっていた。

 正義感溢れる小学生の頃。本質を隠蔽(いんぺい)する中学生の頃。無間地獄に嵌まった高校生の頃。回顧するには膨大すぎる情報量が、走馬灯となって瞬間の間隙に展開されていく。

 死の直前など、集中力が最高潮に達した時、時間の経過が緩やかに感じられるとはよく聞く話だが、体感してみて事実だと確信した。屋上から地面に落下する時間など数秒足らずだろうが、僕は現時点で相当量以上の思考を巡らせている。更にはまだ地面にはほど遠い高度なのだから、脳は超高速で機能しているに違いない。

 走馬灯の展開を終えてもなお、僕の脳は高速かつ鮮明な機能を持続している。

 せっかく時間が残されてるんだ。最期くらい、切実な我が儘に浸るとするか。

 断末魔の辞世。

 この絶望的な世界を、飄々とした面構えで器用に生き抜く人間が羨ましかった。

 絶望的に不器用だった僕は、軽妙で器用な人間を羨望した。

 そして僕は最期に思う。


 皆のように生きたかった。皆のようになりたかったと。


 不器用な僕が器用な人間どもに思う、人生最期の反定立(アンチテーゼ)

 直後、頭蓋骨に強烈な衝撃が走り、僕の意識は終焉の暗黒に墜ちていった。

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