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普通の人間より少しばかり感受性が強かった。それだけの差異だと思う。
しかし、それだけの差異が着実に僕を蝕んでいた。遺伝子が僅かばかり食い違うと、それだけで重大な疾患が発生するように、価値観が僅かばかり食い違うと、それだけで僕の心は着実に蝕まれていった。
感受性が強いとは、簡潔に言えば『物事に感情を揺さぶられやすい』ということだ。それが『喜劇を見て馬鹿のように転げる』類の強さならば前途洋洋なことなのだろうが、『悲劇を見て悲愴な気持ちになる』類の強さなのだからたまらない。
いや、楽観的にとらえればそれは正義感の強いことであり、人間として誇らしいことなのかもしれないが、悲観的にとらえれば心が脆いということにも違いない。脆くて傷つきやすいくせに、中途半端な正義感を抱いていたなまじ者。それが僕だ。
しかしそんな正義感も、小学生の頃はある程度の輝きを放っていたのかもしれない。
当時の僕は、やはり感情のままに確かな正義感を抱いた少年で、いじめを絶対に許さないような、酷く純粋な生き方をしていた。当時の僕にはいじめという行為が酷く劣悪な行為に思えたのだ。いや、劣悪な行為であることは確かだが、その劣悪な行為に対して正義感を振りかざすのに微塵の躊躇いも抱いていなかった。正義が悪行を正すのは当然の行為。当時の僕は自分を正義の使者とでも錯覚していたのだろうか、相手の気持ちも考えずに平気な面で差別や暴力を行使するやつらを前にして、いつもいじめられっ子を護っていた。
もちろんそんな擁護的な行為を続けてきたもんだから、時には敬遠されて浮くこともあり、感受性の強い僕にとってはそれが酷く苦痛だった。
『だったらいじめられっ子なんて護るなよ』と思われるかもしれないが、当時の僕はその純粋な正義感から、いじめられっ子を護ることに微塵の間違いも感じていなかったんだ。その正義感ゆえに酷い苦痛を覚えているのに、正義が間違いだとは思わない矛盾。そしてその矛盾にさえ気づけていなかった僕は、更なる苦痛を覚えることとなる。
周囲が敬遠するなか不当な悪事に正義を行使し続けていると、遂にはいじめられっ子たちまでもが僕を敬遠するようになったのだ。彼らは僕がいじめから護ってやると決まって『ありがとう』と言って微笑みを零したが、その瞳の奥は冷酷で、まるで異常者を観察するような視線で僕を訝しげに眺めていた。おおかた僕のその異常な正義感にある種の驚異を覚えたのだろう。その視線が絶望的に苦痛だった。苦痛とともに疑問だった。『なぜいじめから護った僕が敬遠されるのか』、『なぜ僕の正義を理解してくれないのか』。正義の行使に微塵の疑問も抱いていなかった僕にとって、それは無間地獄に他ならなかった。
周囲からもいじめられっ子からも敬遠され、苦痛と絶望の狭間に呑み込まれた僕は、その最中でようやく現実というものを悟っていった。何てことはない。護る対象を失い、正義を行使しない時間の経過するうち、僕の周囲との交友関係は自然と回復していったのだ。
『なるほど。執拗な正義感は厭われる原因になるわけだ』。その時、僕は思った。
だったら正義感など棄てればいい。僕の正義感は異常だ。振るえば必ず執拗なものとなる。ならばそんな感性など放棄してしまえばいいのだ。金輪際、僕は正義を振るわない。
僕が正義を放棄した瞬間である。感受性の強く、傷つきやすい僕は、正義を振るうが為に周囲から敬遠されることを恐れたのだ。安全牌に一度嵌まると、その安心感から抜け出すことをしなくなる。その瞬間をもって僕の正義感は、僕の心の内底に丁重に押し殺されたのだった。
中学生になる頃には、随分と価値観に変化が生じていた。
精神的にも大人への階段を踏み始め、社会の現実や裏の仕組みが自然とわかるようになってきた頃、自身の正義感が極端に恐いものに思われた。既に丁重に押し殺していた正義感を更に奥深く押し殺し、絶対に自身の自惚れた正義感を表に出さないことを誓った。
感受性が強く、臆病な僕にとっては、社会という超規模な輪そのものが恐怖にたり得るように思われたのだ。超規模な輪から弾き出されて孤立することが、非常に絶望的なことのように感じられたのだ。
そこまでくると僕の日常生活は決定的で、いじめの現場を目撃しても見て見ぬふり。時にはいじめる側に回る機会もあったが、僕は断腸の思いでその禁忌を犯してみせた。
感受性が強いんだ。それが苦痛でないわけがない。差別を受けてその場で泣き出す少女を見れば胸が痛むし、暴力を受けて表情を歪める少年を見れば心が締めつけられる。そんな日々を送る最中で僕の心は廃り、腐っていった。小学生の頃の純粋な正義感などそこには微塵とて見受けられず、当時の僕に見受けられたのは社会に対する猜疑心と恐怖心だけだった。
『適当に周囲と同調していればいい』、『無難に生きるのが最善の生き方』。そう言い聞かせる僕の心は常に怯えていた。
いじめる側といじめられる側の差は紙一重だ。つい最近までいじめる側に堂々と君臨していた人間が、気づけばいじめられる側に追い遣られているということは少なくない。僕はそれを恐れたのだ。下手に感情を表に出すことで相手に不快感を与えてしまうことが恐くて、それで社会の輪から弾き出されて再起不能になることが絶望的に恐くて、遂に僕は自身の本質を表に出さないようになってしまった。
強い感受性が拒絶反応を起こすのを抑え込みながら、僕は自分の本質を徹底的に押し殺した。正義感を表に出さないのは当然のこと、相手を不快に思わせる可能性のある感性は徹底的に排除した。皆が不快感を覚えない、さながら八方美人のごとき存在になるために不必要な感性を放棄した結果、僕に残ったのは嘘と愛想笑いだけだった。嘘で塗り固めた表情で愛想笑いを浮かべる日々は、確実に、しかも猛烈な勢いで、僕の心を蝕み続ける。嘘で全身を塗り固めてしまった僕は、皮膚呼吸ができずに窒息するような心地で毎日を過ごし、藻掻き、苦しんだ。この頃から僕は心臓に針の刺さったような痛みを覚え、それは次第に悪化していった。その痛みの根源の何たるかは理解していても、解決のしようがないのだから、僕は苦悩に塗れた日々を飄々とした面構えでやり過ごすに他ならない。
高校に入学する頃になると、精神的な衰弱も甚だしく、志望校への進学にも失敗して凡百の生徒の通う私立の学園に入学する折になった時は、酷く衰弱したものだ。その時は母親に連日の励ましを受けてなんとか立ち直ったが(今思えば僕が自身の本質を漏らせたのは母親の前でくらいだったかもしれない)、それでも自身の本質をひた隠しにして毎日を過ごすことは酷く苦痛の伴うもので、僕の心は枯渇していくばかりだった。
しかし、例え心が枯渇しようと、精神が発狂寸前に追い込まれようと、本質を漏らすことだけは究極の禁じ手だった。正義感を漏らすことだけは絶対の禁じ手だった。心が枯渇するより、社会から弾かれる可能性のほうが恐い。精神が発狂するより、社会から不要の烙印を押される可能性のほうが恐い。多少なり強かった感受性が、自身を擁護する日々によってより敏感なものとなり、繊細なものとなっていたのだ。極端なまでの臆病。それも表面的な臆病ではなく内面的な臆病。周囲の前ではへらへらと愛想笑いを浮かべながら、周囲に誰もいないところでは恐怖と脅威に悶絶している辺り、いよいよ僕という人間は絶望的に詰み始めていた。
その頃になると心臓の痛みが悪化したのは当然のこと、痛みに加えて胸の奥になまりがぶらさがっているかのような錯覚まで覚えてきた。図太い針が刺さったような疼痛に加え、心臓がもげんばかりの圧迫感を覚えていたのだから、僕の胸中の暗黒は常時冷めやらなかった。
暗黒からなる絶望の最中で『いっそ機械にでもなったほうが幾分かは幸せなんじゃないだろうか』と懸念を覚える頃には、頭痛とはまた違う、脳髄が絞られ、枯渇するような錯覚を覚え、突発的に襲いくる胸の絞られるような感覚に、嘔吐を予感することも少なくなかった。
人生とは、絶望なのか。
人間とは、堕落なのか。
自身の絶望的すぎる見解に、やはり僕は絶望するより他なかった。
周囲の評価を落とさないように愛想笑いを常時絶やさないのが人間なのか。適当に話題の合う連中を友達と称するのが人間なのか。周囲からの適当な評価を維持し、適当に惜しまれながら生涯を終えていくのが人生なのか。
そんなわけがあるものか。それが勘違いだと理解することは、あまりに容易だ。
周囲からの評価を意識しつつも個性を貫き、話題の合う友達と親睦を深めて親しくなり、ひたすら夢に猛進して生涯を遂げていくのが人生なのだ。
なのに僕の思考ときたら絶望的だ。それが人間の正しき道徳だと理解しながら、それを実践出来ないのだから情けない。安全牌の安心感にある種の心地よさを覚えて抜け出せない自分がいる。僕は人生の過程で絶望的に冒険心を消失していた。現在収まっている必要最低限の環境に安定を覚え、そこから抜け出せないでいる。周囲はより優れた環境に到達するために日々奮闘しているというのに、僕は臆病なばかりにそれが出来ないでいるのだ。
悲しきかな。周囲の顔色を窺わないと不安を覚え、周囲と同調しないと異常なまでの孤独感に苛まれる僕は、人間として詰んでいた。普通の人間との差異を挙げるならば、少しばかり感受性が強かっただけなのだろうに、その僅かばかりの差異が僕という人間を絶望的に追い詰めてしまったのだ。ほんの些細な正義感と、ほんの些細な臆病が、僕という人間の価値観を一緒くたに掻き混ぜて、台無しにしてしまった。
詰まるところ、その差異は僕という人間が、人生に対して不器用だったということなのだろう。社会という超規模の枠組みをしたたかに生き抜くことは、不器用よろしくな僕にとっては到底不可能な話だった。器用な人間の生き様が羨ましくてしかたがない。
さようなら、人間。僕は人間失格。人間になれなかった人間さ。
もう戻れない。もう戻れない。表面的には愛想笑いでお道化に徹している僕だ。もし僕がこれから行う『行為』を周囲の人間が知ったら、なぜそんな程度でその行為に及んだのかと、眉を顰めて肩を竦めることだろう。しかしそれは勘違いも甚だしいことだ。表面的な僕に魅せられて、内面的な僕を微塵として理解しちゃいない、お間抜けの妄言に違いない。
凡百の人間に理解できるだろうか。周囲と同調し、無難に生きることしかできなくなった人間の苦痛が。否定的な意見を発せられることに酷く恐怖し、身を震わせる人間の苦悩が。
凡百の人間には、この胸に図太い針が刺さったような疼痛はわからない。胸になまりがぶらさがったような鈍痛はわからない。なまりが鎖を纏ったようにして心臓を締めつけてくる激痛はわからない。凡百の人間は、僕という人間失格を微塵も理解しちゃいない。
今にも心臓が破裂せんばかりの激痛の最中、僅かな嗚咽すら漏らしてはならないんだ。嗚咽を漏らすことは本質の発覚に繋がるのだから、そんな愚の骨頂は絶対に許されない。
その究極に窮する苦痛がいかがなものか、察してほしくあまりある。
人生が究極に行き詰まるというのは、確かに極悪ないじめに晒されるより暴力的ではないし、不意な事故で身体に障害をわずらうより絶望的ではないし、奴隷として地獄同然の生活を送るよりは侮辱的ではないのかもしれないが、しかし、極悪ないじめに晒されるより窮屈に耐え難く、不意な事故で身体に障害をわずらうより暗黒に満ち、奴隷として地獄同然の生活を送るより屈辱的なのだ。
無難な生き方は酷く窮屈で億劫で、慢性的だ。
人間は自由を渇望するゆえ、不自由に苦痛を覚える生き物だ。その点で語るならば、人生が究極に行き詰まるということは、人間における極限の苦痛に違いない。
ならば、と自身を変えることに躍起になっても、長い時間をかけて築き上げてきた人間性なのだから、そんな理想像への変革など、土台無理な話なのだ。
しかし、そんな僕でも唯一この苦痛から解放される方法がある。それは人間の所業のなかでも最も愚かで、絶望的な堕落と究極的な敗北に他ならない愚行だが、それ以外にこの無間地獄から解放される方法が無かったのだから、僅かばかりの共感程度は抱いてほしく思う。
僕がこれから自殺することに。