何度も浮気をされ続けた令嬢がどうして婚約破棄しなかったのか
「エヴィ! もう、あの男は駄目よ! この婚約が貴女を不幸にするのは明らかだわ!!」
親友のロッティが怒りを抑えきれない様子でそう息巻いた。
くるりと巻かれた愛らしい栗毛──それを容赦なく掻き毟る姿に、近くの紳士がギョッと目を剥くのが見える。
だが、幸いなことに、紳士以外の人々はパートナーと踊ったり、それを眺めるのに夢中で、こちらを気にしてはいない。
「ハリエットにローズ、エリザベスにサラ、今度は王女殿下! その上、貴女の親友であるこのあたしにまで、声をかけてきたのよ? 隣に立っている貴女を無視してね!」
しかし、そんな紳士には目もくれず、ロッティは更に声を荒げた。
「本当に信じられないわ!」
その憎々しげな瞳は王女殿下の腰を抱いて踊る公爵令息、私の婚約者ライリーへと向けられている。
以前からロッティは私の婚約者が気に入らないようだったが、最近は彼に怒りすら覚えているらしい。
「お願いだから、落ち着いてロッティ。あの人のことなんて気にしなくていいわ。お祝いの場なんだから、楽しみましょうよ」
声を落とし、ロッティを宥めようとしたが、無駄だった。
彼女の眉間の皺が深くなっただけである。
「いいえ、落ち着いてなんていられないわ。そう、お祝いなのよ、エヴィ。今日はこの国で一番大切な祝祭なの!
婚約者がいるのに、毎回ファーストダンスをあの生意気な幼なじみと踊るなんて、信じられないことよ。だけど、それ以上に、今日は祝祭よ、祝祭! 国中の貴族が集まるこのパーティーで、アイツは婚約者じゃなく、幼なじみをエスコートしたの! 最悪のクソ野郎よ! この国にアイツほどのクソ野郎はいないわ!」
ロッティが手に握っている扇子がミシミシと不穏な音を立て始めた。
わざわざ祝祭のために誂えた扇子だというのに、酷い扱いである。
「あー・・・・・・落ち着いて、ロッティ、いつものことよ。いいじゃない、あの人のことは」
いつもの癖で頭を掻こうとして手を止める。
今日はいつもの髪型ではない、祝祭の為に生花を編み込んでいるのだ。
一度崩れてしまえば、直して貰うのにはとても時間がかかるだろう。
「そう、アイツはいつだって最低野郎よ! でも、祝祭よ! 祝祭ですら婚約者を放っておくだなんてことある!? 怒りなさいよ、エヴィ!!」
「いいの、本当にいいのよロッティ。気にしないで」
「気にするわよ・・・・・・ちょっと、アイツ、王女にもっと密着したわよ! 本当に信じられない!」
パシンと背中を叩かれ、思わずそちらの方を見る。
彼女の視線の先では、確かにライリーが王女殿下と腰を密着させていた。
未婚の男女、しかも婚約者がいる身であそこまで密着するなんて──しかも、顔だけは良いライリーに何か囁かれ、王女殿下の頬が赤く染まっている。
ライリーと視線が交わった。
その瞳にいつもの見下したような光が見える。
まるで「どうせ、俺が何をしても文句なんて言えないだろう」と言っているかのようだ。
「あそこまで密着する必要──いいえ! まず、婚約者以外と踊る必要なんてないはずよ!」
ライリーを見ていた私の腕がぎゅっと握られた。
握ったのはもちろん、隣にいるロッティである。
彼女の顔は怒りで赤く染まり、髪まで逆立っているようだ。
「婚約破棄よ! 今度こそ、婚約破棄なさい! 祝祭で婚約者にこんな扱いをしたのよ!? 婚約破棄しない方がおかしいわ!」
鼻息荒くそう言ってのけるロッティ。
だが、駄目だ。
駄目なのである。
「ロッティ。何度も言っているけど、ライリーとの婚約は王命だし、家と家との契約だから破棄できないのよ」
「いいえ、今回こそはおじさまだって、分かってくれるはずよ! どんなに契約が大事だろうが、娘より大事なはずがないもの!」
「心配してくれて、本当にうれしいわ、ロッティ。でも、これも貴族の責務なのよ」
「いいえ、いいえ、破棄よ! 破棄するべきよ、エヴィ。あんなに酷い男に嫁ぐ必要なんてないわ!」
「本当にごめんなさいね、ロッティ」
眉を下げる私を見て、ロッティが顔をぐしゃりと顰めた。
しばらく沈黙し、彼女の視線が何度も往復していく。
いつも率直な彼女が、珍しく何か迷っているようだ。
しかし、やがて意を決したように、その口が開いた。
「・・・・・・本当にいいたくなかったの、エヴィ。でも、こうなったらあたし言うわ。いいえ、もう言うしかないの。
えぇ、そう、そうなの、それだけじゃないの。アイツは本当に屑よ! アイツ、アイツが、エヴィ、貴女のことをなんて言っていたか!」
そこまで言うと、彼女は扇子を開いて口元を隠し、顔を寄せてきた。
先程までとは打って変わった小さな囁きが、私の耳へと届く。
「アイツ、仲間たちに『顔と身体は悪くないから、我慢して結婚してやるんだ。所詮伯爵家令嬢だから、俺がなにしても文句言えないしな』なんて言ってたらしいの。
アイツはそういう奴なのよ、エヴィ。おじさまは『結婚したら男は落ち着くものだ』なんて言っていたけど、アイツに限ってはそんなんじゃないわ。
お願いだから、目を覚まして」
ロッティの言葉に思わず、瞳を丸くする。
まさか、自分の婚約者をそこまで悪し様に言うとは思わなかった。
公爵に伝わったら・・・・・・いや、彼の父なら特に気にしないだろう。
──顔と身体。
どうやら、私の婚約者は私の価値をそこに見出していたらしい。
いや、そこにしか価値を見出せないというべきか。
なにせ、あちらは公爵令息、こちらは伯爵令嬢だ。
家格については、位も領地も比べるまでもない差がある。
きっと、公爵も王命でなければ受けなかっただろう。
『王命だから、受けるが、もっと価値のある令嬢を迎えたかった』と公爵が考えているのは私ですら分かる。
そういう思いがあるからこそ、公爵も息子の素行を咎めないのだ。
「ありがとう・・・・・・でも、ごめんなさい。私にその資格はないわ。だって、これは私たちが【選んだ】ことですもの」
「資格!? 何言ってるの!?」
私の言葉に、ロッティの声が裏返る。
「資格とかそういう問題じゃないわ! エヴィ、あたしたち、貴族女性にも幸せになる権利があるのよ!
いいえ、そもそもあたしの友人にこんな扱いをするなんて、あたしが許さない! エヴィ、貴女がやらないなら、あたしがアイツをヤってやるわ!!」
ロッティの剣幕に、顔を青ざめた紳士がついに尻尾を巻いてどこかへ逃げていった。
きっと、彼は私たちが近いうちに殺人をすると思っているだろう。
「おいおい、ロッティ。君、まさか目出度い祝祭の日に、公爵令息の暗殺の計画なんてしていないだろうね」
どうするべきかいいか迷っていると、両手で三つのグラスを持った紳士、ロッティの婚約者レジナルドが戻ってきた。
彼は慣れた仕草で、ロッティと私にグラスを差し出す。
「暗殺の計画ですって? もちろん、立ててなんかいないわ。えぇ、あたし、暗殺なんてしません。堂々とヤるつもりよ。堂々と」
そう言って、グラスを奪ったロッティの目は完全に据わっている。
もしも、彼女が猫ならば、その尻尾まで膨らんでいただろう。
「勘弁してくれよ、ロッティ。公爵令息だぜ、あれでも。一応」
「知ったこっちゃないわよ!」
「知っていてくれよ。君の親友を思う気持ちは最高だけど、貴族社会ってのは、相手がどんなカス野郎だろうと程々に付き合うことが大事なんだって、君も知ってるだろ?」
「最っ悪!」
ロッティが怒りにまかせて、グラスを一気に呷った。
「ありがとう。ちょうど、喉が渇いていたの」
「いいさ、俺も飲みたかったんだ」
私もグラスを受け取り、軽く礼を述べる。
レジナルドが軽く肩を竦めてみせた。
姉が三人いるからか、彼はよく気が回る。
「ほら、お姫様たち。とにかく飲もう。今日のドリンクは帝国からわざわざ取り寄せてあるらしいぞ。一息ついたら、三人で庭園に行こうじゃないか。ケーキもフルーツもたっぷり取って、祝祭を楽しもう」
「えぇ、そうしましょう。エヴィ、婚約者なんて忘れて、とことん楽しむわよ! アイツの好物って、チョコだったわよね? チョコは全部私たちで食べ尽くしてやりましょう」
「おいおい、俺のことは忘れないでくれよ、ダーリン」
レジナルドが大袈裟に肩を竦め、情けない声を上げる。
私はそんな二人の変わらない様子に微笑んでみせた。
**
「本当に俺は不幸だ」
それがライリーの口癖である、と私は思っている。
普段の彼を知っているわけではないのが、私の前では常にそう口にしているからだ。
そもそも、ライリーは私には会いたがらない。
姿は見せるが、それは私を浮気相手と一緒に見下す時のみだ。
それは、婚約者と会ったうちには入らないだろう。
だが、王命で婚約した私たちには、定期的に王城の一室で会う義務があった。
会う、いや、王家主導の面談と言うべきだろうか。
そんな日には、彼はいつもその口癖をいうわけだ。
「本当に俺は不幸だ」
そして、やはり今日もその言葉から面談は始まった。
「俺ならば王族とも結婚できるのに、お前みたいな顔だけの女と結婚させられるなんてな。きっと、俺が有能すぎて、放っておいたら王女を降嫁する羽目になると国王陛下がお考えになったからだろう」
ライリーは大きな溜め息を吐いてみせた。
王女殿下は産まれた時から、隣国の王子殿下との婚約が決まっている。
ライリーが王女殿下に手を出して、婚約が破棄されれば、この国もただではすまないだろう。
しかし、彼にはそんなことは関係ないらしい。
──本当に、国王陛下が私の【婚約者】に選んだだけのことはある。
「それにしても、王女の代わりがお前(伯爵令嬢)はないだろう。家格が全然違う。陛下は好きにできる他国の王女、いやせめて公爵令嬢を俺に与えるべきだった。それが、俺みたいな有能な男が、ただの一臣下に納まっているせめてもの報いだろうに。
婚約者だっていうのに、未だに抱かせてもくれない。たかが伯爵令嬢のお前に一体なんの価値があるんだって、俺の仲間は皆言ってるんだぞ。本当に俺は不幸な男だ」
「・・・・・・でしょうね、貴方は本当に不幸だわ」
私は彼の長い長い愚痴に同意してみせる。
これは心からの言葉だ。
私はいつだってライリーに同情していた。
「そうだろう? お前はそうやって、俺にへりくだって言うことを聞いてればいいんだ。早速、抱いてやるから──・・・・・・」
得意げに続けようとしたライリーの口が閉じる。
さすがに違和感を感じ始めたのだろう。
「祝祭での行動は不味かったわね」
「は?」
ライリーが呆気にとられた瞳を私に向けた。
私(たかが伯爵令嬢)に行動を咎められるとは思わなかった、という顔だ。
「・・・・・・なんだ、平気そうな顔ですましてたけど、本当は嫉妬してたのか? なら、情けなく縋りついて泣きわめけば、俺だってちょっとは相手をしてやったかもしれないのに、お前はどうしてそう素直じゃないんだ」
だが、すぐに勝ち誇った顔になって、また得意げに喋り出した。
どうやら、先程の違和感など忘れてしまったらしい。
「お前はいつもすまして、可愛げがないのが駄目だ。他の女を連れてきても、眉一つ動かさないのが、お前の悪いところだぞ。そんなお前じゃ、癒されないから、俺も他の女に行かざるを得ない。
俺が他の女に惹かれるのは、全部、お前の魅力がないせいなんだから、何もない自分に何ができるのか、しっかりと考えておけよ」
心底、見下したような顔でライリーが笑った。
彼はきっと私を対等な存在と思ったことがないのだろう。
そして、これからもずっとそうに違いない。
私はそれに酷く安心した。
彼が酷い人間であればあるほど、私は安心するのだ。
「いいえ、そうじゃないわ。不味かったのは、国王陛下もいる前で王女殿下に近付いたことよ」
「はぁ?」
ライリーが人を小馬鹿にしたような声を出す。
「お前は本当に可愛くないな。素直に「ライリー様を愛しているから、王女様の元に行くのはやめてください。お願いいたします」と言えばいいのに」
「私が貴方を愛したことなどありませんよ」
そんなライリーに私は正直な言葉を返す。
「また意地を張って、そんなくだらない嘘を・・・・・・お前は俺を愛しているから、俺が何をしても婚約破棄の為に働きかけないんだろ? 父上も仲間たちも、皆もう気付いてる。くだらない嘘をつくなよ、もうバレてるんだから」
ライリーが呆れたように肩を竦めてみせた。
どうやら自分が愛されていることを、強く確信しているらしい。
「いいえ、それは貴方の勘違いです。私が貴方を愛しいと思ったことなんて、一度もありませんよ」
そう、彼を愛したことはない。
彼と婚約しているのも、結婚するのも、王命だからだ。
そして、私たちがこの国で生きるために【そういう一族】であることを選んだからである。
それ以外の理由はない。
「私が今まで婚約破棄しなかったのはね、その資格がないからです。王命は絶対ですが、特に【私たちの一族】へ下された【この王命】は覆すことはできない。元々、そういう契約でこの国に招かれ、庇護されてきたんですから当然です。
それに、貴方にどんな扱いをされても、仕方がないと思っていたんですよ、私。
──だって、どうせ貴方は私の手で消されるんですもの。
正直、貴方が私に酷い扱いをするような【どうしようもない】人間であればあるほど、私は心が楽になりました。こういう人間なら、私に消されても、仕方がないなって。むしろ、今までの貴方の行動に感謝したいくらいだわ」
「・・・・・・は?」
ライリーが間抜けに口を開く。
何を言っているか分からない、そんな顔だ。
私が馬鹿なことを言っているとすら、思っているのかもしれない。
そんなライリーに私は丁寧に説明していく。
この男ともこれで最期だ、と思うと少し優しくなれた。
いや、わざわざ説明をするなんて、逆に性格が悪かっただろうか。
もしかすると、気にしていないつもりでも、怒りを感じていたのかもしれない。
「子爵や男爵はまだいいんです。いくら【どうしようもない】人間でも、その家の危機だけで、国が巻き込まれてどうかなるなんて可能性は低いですから。
けれど、伯爵以上の貴族、特に公爵や王族で【どうしようもない】人間が現れたときは駄目です。だって、国が巻き込まれてしまう【世界滅亡の危機】になってしまうから。
だから、そういう【どうしようもない】人間が現れたとき、私たちの一族はその人と結婚することになっています。
【どうしようもない】人間の【身体】で、私たち一族だけが使える世界を救う為の【勇者召還】を行う。つまり、この国で一族を保護して貰う代わりに、この国の危機を救う──私たちはそういう【契約】をしているんです。
だから、私は貴方を愛していた訳じゃありません。『どうせ中身が変わるんだから、婚約破棄なんてする必要はない』と思って、婚約破棄しなかっただけなんです。貴方みたいな人間を愛するわけないじゃないですか」
そう言って、私は顔色が悪いライリーに優しく笑って見せた。
彼は罵倒しようとしたのかもしれない。
けれど、もう指一本動かせないはずだ。
なにせ、勇者召還はすでに実行されている。
時期がはやまったのは、王女殿下に近付いたライリーのせいだ。
あれさえなければ、まだ数年はこの世界に存在できただろうに。
王女殿下の婚約は国の命運を左右する婚約だ。
それを台無しにしようとすれば、国王陛下の怒りを買うことは分かっていただろうに、どうして衆目に晒される場で王女殿下に近付いたりしたのだろう。
もしかして、誰かに王女殿下との親しい様子でも、見て欲しかったのだろうか?
おかげで、ロッティがあんなに大声をあげても、皆ライリーたちに釘付けだったから助かったけれど。
ライリーの瞳が恐怖に染まり、口が何度も開閉を繰り返す。
最期に何か言おうとしているのかもしれない。
せめてその言葉だけは記憶しておこうと、声のでないその口の動きを注意深く見つめる。
そういえば、これが彼に向ける最初の笑顔だったかもしれないと頭の片隅に浮かんだ。
**
「まさか、あのライリーがこんなに愛妻家になるだなんて思わなかったわ・・・・・・」
ロッティがまだ信じられないという顔で、持っているグラスをじっくり眺める。
彼女が持っているのは特注のガラスのグラスだ。
繊細な花飾りが付いた、職人手製の一品。
最近、ガラス製品が流っていることを聞いたライリーが、わざわざ東の国の有能な職人を探し出し、金に糸目をつけずに作らせたものである。
このグラスのあまりの出来の良さに、早速王族たちから大量注文がついたと聞いた。
どうやら、ライリーには目利きの才があるらしい。
「まさか・・・・・・あの最低男・・・・・・失礼、ライリーが、こんなに素敵なモノを貴女に贈るなんて・・・・・・しかも、わざわざ職人探しからなんてね。随分、大切にされているじゃない。
浮気はしなくなったし、あたしにも頭を下げてきて、まるで、人が変わったかのようだわ・・・・・・」
「そういうこともあるものよ。ほら、お父様が言っていたでしょう? 『結婚したら男は落ち着くものだ』ってね。まぁ、彼の場合は結婚より前に落ち着いてくれたけど」
「そうね・・・・・・、うん。とにかく、貴女が幸せそうで良かったわ、エヴィ」
そう言いながらもロッティは飽きることなく、ガラスのグラスを眺めている。
その瞳はキラキラと輝き、ふぅと吐かれた息も熱を帯びていた。
「それにしても、本当にこのグラスは素敵ね・・・・・・」
「貴女を職人を紹介するようにライリーに頼むわ、王族の次にはなるかもしれないけど」
「え! 本当!?」
ロッティの瞳がようやく私の方を向いた。
「本当に、そのグラスを気に入ったのね」
「えぇ、すごく!」
優しい日差しの下、私は親友に穏やかな微笑みを向けた。
──後の記録では『妻の献身に心を打たれた公爵は改心。以降は人が変わったような善人となって、その領地を良く治めた』と伝わっている。
前作、たくさんのブックマークや反応、感想など本当にありがとうございました!
なろうでランキング1位になったのは初めてだったので、本当に嬉しかったです




