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その結界が解けたとき、この国は滅ぶ〜でも私はもう、守る理由がない〜  作者: 秋月 もみじ


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第13話 国際魔術会議の壇上は、結界の間より明るかった


 ルヴァイン王都の大講堂。天井から魔法灯が幾筋も光を落としている。客席には各国の魔術師、外交官、学者、報道官。数百人の視線が、壇上の二人に集まっている。


 足の裏が床に張りついている。


 隣にエミルがいる。反対側にレオンがいる。手元には論文の要旨。六十ページの論文を、三十分で説明しなければならない。


「大丈夫ですか」


 エミルが小声で聞いた。


「大丈夫ではありません。でも、やります」


「僕がいます」


 短い言葉だった。でもそれだけで、足の裏の感覚が戻った。


 司会者が二人の名前を呼んだ。


「ルヴァイン王立魔術学院より、エミル・ファーレンハイト研究員。および共同研究者、アデライド・ヴェルナー氏。論文題目、『血の結界の代替理論:犠牲者を出さない多点分散型結界の設計と実証』」


 タイトルが読み上げられた瞬間、客席がざわめいた。「血の結界」「犠牲者」。この言葉の意味を正確に理解できる者は、この会場にどれほどいるだろう。


 壇上に立った。光が眩しい。あの地下室の千倍は明るい。


 エミルが理論の説明を始めた。多点分散型結界の仕組み。一人の犠牲に頼る旧式結界の問題点。新式結界の設計思想。彼の声は落ち着いていて、明瞭だった。学者として何度も壇上に立ってきた経験が、ここで活きている。


 そして、私の番が来た。


「実証データについて、共同研究者のアデライド・ヴェルナー氏より説明いたします」


 マイクの前に立った。客席の視線が私に集中する。


 深呼吸をした。一回。


「私は五年間、ハルステッド王国の大結界を維持してきました」


 会場が、静まり返った。


「王弟妃として嫁いだ翌日から、毎夜、王宮の地下にある紋様の間で、自らの血を紋様に捧げ、結界を維持していました。千八百二十六日間。それが、この論文の実証データの出所です」


 沈黙が会場を満たした。数百人が息を止めている。


「この事実は、宮廷魔術師長グレゴール卿によって隠蔽されていました。結界の維持は『宮廷魔術師団の功績』として公表され、実際に血を流していた者の存在は秘密にされていました。百年間、私の前にも、何人もの女性が同じ犠牲を強いられてきました」


 客席のどこかで、椅子が軋む音がした。誰かが立ち上がったのかもしれない。


「私は五年間で、両手の指のうち三本の感覚を失いました。足の末端にも障害が残っています。これが、結界の代償です」


 包帯を巻いた両手を、壇上で見せた。


 会場から声が上がった。驚愕。怒り。同情。さまざまな感情が波のように広がっていく。最前列の女性魔術師が口元を押さえていた。後方の外交官が隣と何か激しく囁き合っている。


 隣の席に座っていたハルステッド王国の外交使節の顔が、蒼白になった。こちらを見る目が泳いでいる。抗議すべきか、黙るべきか。答えが出せない顔だった。


「この論文は、もう誰にもこのような犠牲を強いないための理論です。多点分散型結界は、複数の魔術師が分担することで、血の供給を必要としません。理論と実証の詳細は、」


 残りの説明を続けた。声は掠れていたかもしれない。でも止まらなかった。



 発表後の質疑応答は、嵐のようだった。


 各国の魔術師からは技術的な質問が殺到した。外交官たちはハルステッド王国への非難を口にした。報道官たちはペンを走らせている。


 ルヴァインの報道官が立ち上がった。


「ハルステッド王国の宮廷魔術師長グレゴール卿は、この事実を知っていたのですか?」


「知っていました。三十年間、結界の維持者が別にいることを知りながら、自らの功績として予算を獲得し、研究室の維持に充てていました」


 会場がどよめいた。


「王弟ヴィクトル殿下は?」


「殿下は、知っていたと推察しています。知っていて、知らないふりを選ばれた」


 言い切った。証拠はない。でも、同じ屋根の下で過ごした妻の言葉には、それ自体が証拠としての重みがある。


 ハルステッドの外交使節が席を立った。顔面蒼白のまま、何か抗議しようとしたが、会場の空気が許さなかった。数百人の視線が「座れ」と言っていた。



 会議の後、控室に戻った。


 レオンが速報を持ってきた。


「ハルステッド宮廷の反応。グレゴール卿、魔術師資格の即時剥奪。隠蔽の責任を問われ、宮廷からの追放が決定。ヴィクトル殿下、摂政権の剥奪。国王陛下が病床から勅令を出した。ロゼッタ嬢、侯爵家が社交界からの自粛を発表」


 一つずつ聞いた。


 爽快、だろうか。ざまぁ、だろうか。読者がこの物語を読んでいたら、そう思うのかもしれない。


 でも私が感じたのは、疲労だった。長い年月の疲労が、ようやく出口を見つけたような。重い荷物を降ろした後の、空っぽの軽さ。


「アデライド」


 エミルが、外套を差し出した。


 あの外套。日差しの中で私を覆ってくれた、あの外套。


「眩しかったでしょう」


 壇上のライトのことを言っている。でもそれだけではない。暗闇から出てきた私にとって、今日の光は、何もかもが眩しかった。真実を語ることも、人前に立つことも、この人の隣にいることも。


 外套を受け取った。肩にかけた。インクの匂い。薬草茶の匂い。


「……ええ。眩しかった」


 でも、もう目を閉じなかった。



 翌日の各国の報道は、一面がこの論文の内容で埋め尽くされた。


『ハルステッドの闇、百年の結界を支えた「血の犠牲者」の告発』

『一人の女性の犠牲で国を守る、旧式結界の非人道性を暴いた論文』

『ルヴァインの若手研究者と元王弟妃、結界の歴史を変える』


 グレゴールは自宅謹慎。後進の指導すら許されなかった。ヴィクトルは王弟の地位こそ残ったが、政治的な影響力を完全に失った。社交の場で「あの王弟」と囁かれる。ロゼッタは侯爵家に戻されたが、社交界に復帰する見込みはない。


 彼らが今どんな顔をしているか、私は知らない。知りたいとも思わなかった。


 ヴィクトルは、あの空っぽの屋敷で、何を思っているのだろうか。ロゼッタもいない。取り巻きもいない。結界の間の扉だけが、地下への階段の前で、開いたまま残っている。妻が通い続けた扉が。


 考えるのはやめた。あの人たちの未来は、もう私の物語ではない。


 私が知りたいのは、明日の朝食のメニューと、エミルが次に淹れてくれるお茶の味だった。

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― 新着の感想 ―
せっかく丁寧に文章を重ねてこられたのに、突然「ざまぁ」と現代造語が書かれたので、ちぐはぐに感じて読むリズムが崩れてしまいました。
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