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永久の賦ー悪源太義平異聞ー  作者: 鍋鞍しづる
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闇月、四

「何を笑っておる……可笑(おか)しな者よ」


 月夜霊は舌で下唇を舐める。


「可笑しいからに、決まっておろう」


 義平は胸辺りで太刀を構え、喉で笑った。


「己が可笑しいからだ!」


 内なる怒りに突き動かされるように、月夜霊の青白い首筋に切っ先を深く突き刺す。


 だが月夜霊は、己の首筋に刺さった刃に小虫が群がったような一瞥をくれると、悠然とその太刀を手のひらで掴んだ。


「其方は何を致しておる。このような代物が、如何(いか)ほどと申すのだ」


 太刀は木っ端微塵に飛び散り、(くら)い闇へと沈んでいく。


 義平はぐっと歯を噛み、砕けた太刀を捨て、鞘巻(さやま)きを抜こうとした。が、風にも捕らえられぬ速さで、月夜霊の指が頸に絡みつく。


 しなやかな白い指が、硬い肌をなぶるように触る。


 義平は呻いて、両手でその腕を振り払おうとした。


 月夜霊の冷たい双眸(そうぼう)が、凄惨(せいさん)な輝きを放つ。指が迷わず喉仏に喰い込んだ。


 義平の顔が苦痛で歪む。


 喉から赤い血が溢れ出て、肌をどす黒く汚す。


 月夜霊は指についた血を口元へ運び、舌で這う。


「……熱い血が、流れておるのか。まだ人であるのだな」


 義平は痛みに耐えながら、喉に手を押し当てる。頸は血汐(ちしお)に染まり、手指の輪郭をなぞる。口を開いても、声が発せられない。


 言葉にならない震える響きが、その場の空気を激しく揺るがした。


 義平は、くわあっと口から牙を剝き出しにした。深紅の目がいっそう色濃くなり、獰猛な二つの牙が、飢えに悶えるように月夜霊を狙う。


 だが月夜霊は腕で義平を押さえ込むと、牙を煌めかせ、義平の肩に深く噛みついた。


 赤い肉片が、千々に引き裂かれる。


 義平は恐ろしい形相で、己の肩に牙を喰い込ませる月夜霊を引き離そうと、直衣を荒々しく掴む。月夜霊の腕や背中に激しく爪を立て、己の牙をまっしぐらに憎き頸へ突き立てようとするが、月夜霊の牙がさらに入り込む。


 月夜霊の眼は凶暴で恍惚に酔い痴れていた。凶悍(きょうかん)な牙を操り、骨をも噛み砕く。


 義平は喉を潰されなければ、おそらく狂ったような叫びをあげただろう。


 右腕が、大きく開いた袖口から無造作に転がり落ちた。おびただしい血が流れ出て、直垂が赤く染まる。


 義平は息を荒げて、憎悪に満ちた眼差しで月夜霊を睨みつける。だがその赤眼は、急速に色合いを薄くしていく。


 鬼の牙も、小さくなっていく。


 義平は人へと、還っていく。


 月夜霊は義平の肩に(うず)めていた顔をあげて、牙を引き抜く。


 義平は腕が欠けた肩に手をやり、崩れるようにして片膝をついた。


「半人前であったか」


 頭上から、意外そうに言葉が紡がれる。


 義平は苦しみと痛みに視界が霞むが、月夜霊だけを睨み続ける、


 月夜霊は白い頬に、残酷な笑みを刻み、唇についた血を舌で舐めた。


「だが、源氏の者は、皆殺さねばならぬ」


 と、手で粗雑に義平の髪を掴む。


()()のためにも、のう」


 義平は必死に瞼が閉じそうになるのを抗う。歯を噛み、片腕を鞘巻きへ伸ばす。しかし左手は、(つか)を触らずにして垂れさがった。


 意識が消えかかっていた。膝が倒れそうになる。それが黄泉の国への誘いだと、義平にはわかっていた。


 血の匂いが遠ざかっていく。


 静かに嘲笑う声が、耳をかすめたような気がした。


 が……ふいに、空気が変わった。


 月夜霊と義平が生み出したこの空間に、何者かが立ち入り、風の流れを(こと)にした。


 来るな、と義平は呟いた。だが、身体中が意にならず、奈落(ならく)の底へ落ちていくように目を閉じた。


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