闇月、三
夜を壊すかのような月光は、一面を神々しく変貌させた。まるで何かの誕生を予兆させる月の乱舞は、六波羅の屋敷をもうねりのように飲み込む。
義平はふらつくような月光にも、眉一つ動かさない。それに溶けるようにして失せていく牛車を、瞬きもしないで凝視する。そして、夜叉も。
地上に落ちた月光は、突如消えた。
己の役目を終えたように失せ、牛車があった跡には、別の姿があった。
先刻の鬼火は、消えずに浮いている。だがそれを従えるのは、人の姿形をしていた。
二つの青白い炎が照らし出すのは、華やかな色彩の直衣に身を包んだ端麗なる男だった。髪は純白の真珠のように白く、背を覆うほどに豊かで長い。髪の房が縁取る顔容は見目麗しく、尊い血筋であるかのような気品ある美しさを感じさせる――人であれば。
男の優雅に描かれた目の色は、真っ赤だった。
白い髪に彩られた頭部からは、二つの角が露わになっていた。
形良い唇がゆるりと開き、小さい牙を覗かせる。
男は、異形だった。
「本性が現れたか」
義平は一歩も引かずに同じ眼を向ける。
男は口の端に夜叉に似た笑みを浮かべた。
「其方もであろう」
牛車から聞こえた声色が、洩れる。
「其方も、我らと同様の身――」
「俺が望んだのではない」
義平は腰にある太刀に手をかける。
男は呆れたように小さく息を吐いた。
「夜叉も難儀な男を好いたものよ。我らの同胞となれば、永久の魂を得ら……」
「戯れ言は聞かん」
男の言葉を断ち切り、義平は白刃を光らせる。
「名乗れ。あの時は名乗りもせずに消え失せた。名乗りを上げるは、武士の礼儀。名乗らぬ者は切れん」
男に近寄り、白い肌の喉元へ太刀の切っ先を突きつける。
「お前の名は」
だが男は脅えるどころか、面白いものを見るかのような眼差しを義平へ向けた。
「……二人目だな」
ふふと笑って、
「我が名は、月夜霊」
天上の細長い月がひときわ輝いた。
「月夜霊、か」
義平は心に刻むように口にして、勢いよく太刀を振り上げる。
「俺の名は悪源太義平。お前を討ち、頸を父上の墓に添える。死んで、地獄の鬼となるがいい!」
荒々しく叫び、月夜霊に斬りかかる。だがその刹那、月夜霊の姿はかき消えた。
「其方が、私の頸を討つのか」
哄笑が、風のように響き渡る。
「ずいぶんと自信があるのだな。それは如何なるわけだ。確かに其方の父を討ったのは、この月夜霊。べつに大した理由はない。目醒めて腹が空いていたので、喰らおうと思っただけのこと。あの男からは遠くとも、まぎれもない強さを感じたのでな。そのような美味な心の臓は久方ぶり。さすがは其方の父よ。あれと戦ったという、もう一方の不味そうな者とはよほどの違い――褒めておるのだぞ、私は」
月夜霊は義平の背後に忽然と出現する。義平はとっさに振り向く。あと一歩足を踏み出せば体が触れる間近で、二人は向き合う。
「何を申すか!」
義平は眉を吊り上げ、激しく憤る。
「父上を喰らっただと! よくも言いおるわ! お前が父上を手にかけ! それにより源家の再興は消え失せた! 貴様が!!」
「ふん、いづれにしろ、源家の命運は尽きていた。我の咎ではない。全て運命ぞ。其方の父はあの時に死ぬ身であった。私は少しばかり手を加えただけ。人の定めは、どう足掻いても変わらぬ。もっとも、其方は変わったようだがな」
義平の猛々しい相貌が恥辱に染まる。それを望んだわけではなかったと。あの六条河原で、処刑の太刀が己の頸を貫いて、運命は決したはずであったと。
――夜叉がおらねば。
月が夜を濡らし、日が朝を言祝ぎ、いくど思っただろう。
義平は皮肉そうに頬をゆがめる。己がこのような浅ましい姿にならねば、父の心の臓を喰らう鬼を視るなど、とうてい叶わなかっただろう。