闇月、一
京の都では、三月ほど前に遷都が行われた。
現帝である安徳帝の祖父であり絶大な権力を握る平清盛は、海辺にある福原に都を移し、天皇や父の高倉上皇を連れて、自らも福原の屋敷へ移り住んだ。多くの者は京の都から離れるのを嫌がったが、仕方なく福原の都へも移り住み、都に以前ほどの賑わいはなくなったという。
月のない夜、そのような風聞が流れる京の都へと入ったその足で、義平は目指す場所へ向かっていた。背後に従う影は夜叉だが、少しも足並みを落とすことなく、大路を突き進んでいく。夜叉もまた、離れぬように追っていく。
人気のない大路は、まるで黄泉の国への道辻であるかのように、重たい夜風だけがあった。屋敷の白土の塀や真一文字に広がる路は闇夜に染まり、まるで冠箱に閉ざされてしまったかのようだ。だが義平も夜叉も松明一つも持たずに、確実な足取りで闇路を踏む。
義平は幾度目かの夜風に触れて、顔をあげた。眼は鋭く、何かを見定めるかのように昏い空へ向ける。
近いなと、義平は呟いた。
やがて二人が辿り着いたのは、六波羅邸だった。平清盛一門が住んでいた屋敷だ。
義平は人気のない屋敷を前にして、込み上げてくる苦い思いと共に奥歯を噛み締める。脳裏をよぎるのは、二十年前だ。都で起きた戦で敗走し、もう一度軍勢を立て直そうとしたが、父の死で一人都へ戻り、清盛及び嫡男の重盛を討ち取ろうとしたが捕らえられ、この屋敷へと曳き出された。
そこで、清盛に問われた。対して、義平はこたえた。運命だと。
源家が負け、平家が勝ったのは。
今、己がこうして捕らえられたのは。
全て、運命だと。
その後すぐに、六条河原で斬首された。
それで、死んだはずだった――
義平は固く拳を握る。己に課せられた運命は、花のように散ってはくれなかった。
二人は門前で、何かを待つようにして立ち続ける。義平は今来た路とは逆を見る。
風だけが物憂げにひそめく。
しばらくして、その風に交わって、異様な物音が耳に流れてきた。
それは、牛車のきしむ音だった。
はじめは弱く、徐々に強くなっていく。
はたして、悠然とあらわれたのは一台の牛車だった。車輪を引く牛は見えず、牛を操る雑色もいない。ただ車輪が勝手に動いて、青白く燃える炎が、一つ二つと牛車の両脇で浮かんでいる。
義平は薄く笑った。
牛車は屋敷の門前まで来ると、重々しく止まった。
「そこにおるのは、夜叉か」
突然、牛車の中から、艶のある男の声が洩れてきた。
「そうじゃ、久しいのう」
夜叉は当然のように返す。
「まことに久しいな」
男の声は懐かしそうであったが、どこか冷たい匂いも孕んでいる。
「それで、ここで何をいたしておる。人もおらぬ、捨てられた地で」
「其方を待っておった」
「ほう、夜叉が」
「いや」
夜叉は傍らに立つ義平へ視線を動かす。それを牛車にいる声の主は察したようで、その場にいるもう一人へと視線をかたむけるような気配を匂わす。
義平はずっと牛車を睨んでいた。