旅人、一
男と女は、都にほど近い山村にいた。
村といっても、数える程度の家が並ぶだけで、人の気配はしない。藁ぶきの屋根は崩れ、細い柱も横倒しになり朽ちている。ひどく荒れ果て、すたれた土地だ。男の方は焚き木となるような枝木を探し、休める場所を見つけてそこで火をおこし、今は女と共にその火を囲うようにして休んでいる。
女は夜目にも鮮やかな壺装束姿で、市女笠を脇に置き、垂れさがる濡れ烏色の髪が邪魔にならないよう、細長い指で一つに結っていた。
大変に美しい女人だった。
髪はたっぷりと長く、色が濃い。絹のようにきめ細やかな白肌に、紅のいらない口唇がひときわ鮮明である。だが眦が深く切れ込んだ眼は、まるで鷹のように鋭利で、片時も男から離れようとはしない。
男は侍が身に着ける直垂姿で、腰に太刀を帯びていた。肌は日に焼けたように浅黒く、ざんばらに伸びている髪をうなじで一つに結んでいる。がっしりとした骨格の首筋からは、相当に鍛えられた体であるのがわかる。いずれの家人なのか、少なくとも身をやつした貴族の子弟ではないことは明らかだった。男に世を謡い花を愛でるといった優美な面影など全くない。獲物を狙う狼のような近寄りがたい厳しさが漂う。
男はずっと両目を伏せて、かがり火を見つめている。炎の明るさで浮き上がるのは、歳の頃二十になったかならないかの若々しく精悍な容貌だ。
一見して奇妙なこの二人連れ――宮中に仕える上臈であるかのような美しい女と、身分低く地方から出てきたらしい若い侍は、火を囲んでからだいぶ夜の帳が深まっているが、一言も口を交わしてはいない。
火だけが、気味が悪いほどの沈黙を燃やしている。
山の面から、風が音を立てて吹いてきた。近くの草木が嗤うように揺れる。
男はちらりと音がした方を睨める。すると、女が指を休めて、唇をゆうらりと開いた。
「なにゆえに、妾を見ては下されぬ」
しばらくして、男の素っ気ない声が落ちた。
「見たくないからだ」
女は艶やかに笑った。
「なんと哀しいことを申されるのか、悪源太殿は」
だが、男は心を閉ざしているようだった。野性味剥き出しの総身から滲むのは、女へ対するまごうことなき拒絶。
しかし、女もまたその態度を承知しているようだった。
「妾がそう望むのは、当然のこと……妾は悪源太殿に心ゆくまで見られたく思うゆえに」
若武者をからめ捕ろうとするかのような、ねっとりとした物言い。
男は顔も上げなければ、振り向きもしない。
女は扇を取り出して開くと、口許を覆い隠す。媚びるような眼は、男のすべてが愛しいとでもいうかのように濃艶だ。
それでも男は、かがり火から視線を外そうとはしない。その面差しにはどことなく暗い翳が宿っている。
二人の間に重たい沈黙が横たわる。
風が大きく吹き抜け、さらに草木が嘲笑う。
天上では浮雲が動き、欠けた月がふらりとあらわれた。
治承四年。
都で起きた平治の戦から、およそ二十年目の秋の夜だった。