永久、一
男は、ふと足をとめる。
俄かにこしらえた屋敷の簀子で、たった今、両脇を寒風がすり抜けた。その風は、覚えのある気をはらんでいた。
「これは……」
年は改まり、己と一門が待ち受ける状況に、変化をきたすかもしれない報せが届いて、早速兄の元を訪ねようとしていた矢先であった。
誰であったか。
思い出そうと、空を睨んだ男を呼ぶ声がする。それが耳朶に触れると、男は壮年の容貌をほころばせた。
「月夜霊」
けれども、男の周囲は無人で、前後に長く繋がる簀子に人影はない。
「今、懐かしい者の気を感じたのだが……」
「私もだ……およそ四年ぶりであるな」
月夜霊の低い声は、薄く笑った。
「あの者よ……四年前の秋に、私へ挑み、傷を負い、夜叉がおらねば息の根を……」
「源氏の者か」
男は思い出したのか、得心がいったように頷く。
「なるほど、あの時の――斬刑に処されたはずが、生きていたのであったか」
「そうだ」
「まことに……源氏の者どもは……」
男は苦く洩らし、
「木曽の男が、討ち取られたという報せが参った。其方が申したとおりに」
「そうか」
「これで、我らにも良い風が吹いてくるとよいが……月夜霊」
「何だ」
「我らのために知りたい。其方を狙っているあの者は、はたして鎌倉の頼朝を助けるつもりであろうか」
「それは、其方らを討ち滅ぼすかと申しておるのか」
男はそうだというように頷く。
「……どうであろう、私には視えぬ」
「其方が!」
「あれはもはや人ではない。人の血は流れておるようだがな……我らは同胞を視ることはできぬ。したが、あれの本懐は私の頸を打つこと。それのみ」
「ならば、なにゆえに四年も」
「時を渡ったのであろう。あれの気は、夜叉共々突然に消え失せ、今し方あらわれた……わけは知らぬ。興味もない。だが、私を討つなど、どうしようもない愚かな男だ」
月夜霊は、侮蔑を込めて言い放った。
男は少しの間、口を静める。言われた言葉を思いめぐらしているのか、心持ち俯け顔になる。
「――定めは」
やがて、一言、こぼれ落ちた。
「定めは変わらぬと、其方は申したな」
だが、と狩衣を着てはいるが、それとわかる大柄な男は、どこか少年のような目をする。
「定めが変わらずとも、私は己がどこまでやれるか、見極めるつもりだ」
月夜霊は、押し黙る。男へ、話すべき言葉を捜しているような気配を匂わせて。
男はからりと笑った。
「わかっている。たとえ、そうであろうとも、私は見るつもりだ」
それではな、と言い残し、男は指貫を慣れた振る舞いでさばいてゆく。
視なければならぬものは—―
男は胸中で、ささめく。
言わずとも、月夜霊は知り得たはずだった。