三
日が昇るにつれ、不破関の全容が明らかになってきた。関の中心から五十歩ごとに設けられた櫓には、それぞれ二人の見張りが詰めている。彼らの背には、信号用の狼煙材が備えられていた。燃料は楢の乾燥材で、その上に生松葉を載せる仕組みだ。煙の色と量で、異なる情報を伝えることができる。
「竹良殿。」馬子田が倉庫からの確認を終えて戻ってきた。「兵糧の状態、申し上げます。」
「うむ。」
「米三百石、乾燥野菜が六十俵、塩は二十樽。水は井戸に問題なし。薪は約千束。」
「油断はならんな。」竹良は周囲を見回した。「山からの水の流れは?」
「昨夜の雨で増してはおりますが、堰で制御できております。」
関の南北には、急な斜面から流れ落ちる水路がある。これを堰で制御し、必要に応じて壕として利用できる仕組みになっていた。水量が多すぎると木柵の基礎が削られる危険があるため、常時の管理が欠かせない。
「弓具の点検を。」
「はい。」
兵站担当の下役人が、武具庫から報告を始めた。
「弓は予備を含めて三百張。矢は鉄鏃付きが二万本、竹鏃が八千本。弦は麻製の新品が五百筋。」
「鉄鏃の状態は?」
「油漬けにして保管してあります。錆の心配はございませぬ。」
竹良は満足げに頷いた。近江朝廷は、不破関の重要性を十分に理解していた。装備の質も量も申し分ない。しかし、それは同時に、大海人皇子の反乱を予期していたという証でもある。
その時、東の櫓から声が上がった。
「騎馬隊、見えました!先頭が十町ほどの距離!」
竹良は素早く櫓に登った。確かに、朝もやの向こうに騎馬の集団が見えている。まだ細部は確認できないが、隊列は整然としていた。これは単なる逃亡ではない。計画された軍事行動の一環なのだ。
「第二陣形、準備!」竹良の声が響く。「弓兵、前列に!」
兵士たちが素早く動く。木柵の上には、三十歩ごとに特設の射撃台が設けられていた。床板の隙間からは、矢を放つための狭間が作られている。ここに弓兵が一人ずつ配置された。
彼らの使う弓は、近江の工房で特別に製作された水牛角複合弓である。引き重りは平均して十八貫。熟練した弓兵なら、百五十歩の距離でも正確な射撃が可能だ。矢には鉄鏃が装着され、革紐で固定されている。一般的な短甲なら、八十歩の距離で確実に貫通する。
「準備、整いました。」馬子田が報告する。
竹良は深く息を吸った。不破関の戦いが、始まろうとしていた。